ワイバーンを狩るは、空飛ぶ野牛
ちょうど「北欧空戦史」を読みながら思い浮かんだネタです。極北の異世界の空を「バッファロー」が飛びます。
お題1となります。
「起床!起床!」
ガンガンという鉄製の板を叩く不快な金属音と共に、若い当番兵の声が響く。
深い眠りから一気に現実に引き戻される。これが平和な時代なら文句の一つでも言うところだろうが、今はそうも言っていられない。そもそもこれ自体、もう半年以上前に与えられた最後の休暇から帰って以来の、今やお馴染みの光景である。
私はベッドの中から飛び起き、壁に掛けてあった飛行服を纏う。訓練生として飛行機に乗り始めたころは、飛行服に着替える度に、興奮を覚えたものだ。だがまさか、その飛行服を寝る時と風呂の時以来常に着ることになるとは。おかげで訓練生の頃の興奮は遠い過去になってしまった。
だが感慨に耽っている暇はない。起床の合図から5分以内に、私は医務室に向かわなくてはならない。
飛行服に身を包み、ブーツを履き、無線機の受話器と送信用マイクが一体化した飛行帽子を被る。
着替えを終えると、医務室まで速足で向かう。走っていければ楽なのだが、それをやると心拍数が乱れているとなり、余計な時間を取られかねない。
なんとかギリギリの時間に、医務室へと飛び込めた。
「おはよう大尉。体調はどうかね?」
「すこぶる健康ですよ、軍医少佐殿」
「そいつは結構。では、検温と脈拍をね」
毎日繰り返される作業。だがここで異常な数値が出れば、良くて自室で待機、数値が悪いと医務室のベッドに拘束となってしまう。
それだけはごめんなので、何だかんだ言って、健康には気を付けなければならない。
「うん、正常だね。飛行に問題なし・・・よし、朝食に行きたまえ」
「了解であります」
軍医から解放されると食堂に向かう。
味気ない木で出来た机と椅子が並び、10人も入れば満杯となるこの部屋が、我が基地唯一の食堂だ。当然士官下士官兵の区別などない。職種毎に時間帯を区切って食事をするだけで、食事内容も皆同じだ。
加えて。
「おはようございます。大尉殿」
主計課の兵士が私の前に食器を並べ、食事を配膳するが、その内容はと言えば丸パンに飛行兵向けに濃いめの味付けをしたチキンベースのスープ、そして缶詰の中身を加温しただけの肉詰めに、同じく缶詰の中身を開けただけであろう、甘ったるいシロップ漬けのオレンジ。そして、コーヒー。
彩もへったくれもない。しかもこの食事が毎日続く。
さすがにこれを何十回も連続で食わされれば飽きもするが、贅沢は言えない。ここは最前線の、それも最低限の人員で回している基地なのだ。貧相でも量があり、温かい食事を摂れるだけでも贅沢と言える。
それに主計長もそれなりに努力しているのは知っている。
だから文句は言うまい。
「おはようございます。大尉殿」
朝食に手を付けようとした時、部下の少尉がやってきた。
「おはよう少尉。君も今日は無事パスしたようだね」
「ええ。パスできなかったら大事ですからね」
彼の言うとおりだ。この基地には私も含めてパイロットは3人しかおらず、うち1人は基本的に予備パイロットを兼ねた休息となっている。仮に少尉が健康面で出撃中止を言い渡されれば、今日の予備パイロットである軍曹を起こさなければならない。
階級の上では一番下だが、パイロットの中で一番軍歴の長いのも彼だ。その彼を叩き起こして任務に加えるのは、骨の折れる作業だ。
それが回避されたことは、精神衛生面でもありがたいことだ。
少尉と飛行に関する打ち合わせをしながら、肉詰めを口の中に放りこむ。
「お。今日の肉は初めての味だな」
いつもとそう変わらない肉詰めかと思えば、これは初めての味だった。
「それは異世界の缶詰ですよ大尉。確か、コンビーフとか言う、向こうの世界の料理です」
「ほう。缶詰にも異世界の製品が入ってくるようになったのか?」
「むしろ遅い方です。後方では既にかなり出回っているようです」
主計兵の言葉に、前線基地への補給について考えさせられる。
敵国である魔帝国が行った大規模魔法。その結果開いた異界との扉の先にあったのは、別次元の科学先進諸国であった。かの国々と友好条約を結んだ我が国は、その貿易の対価として様々な物資が流れ込んできた。
この肉料理の缶詰も、どうやらそれによるものらしい。
この世界で科学技術先進国として名を馳せ、長年魔帝国と戦い続けている我が国から見ても、異世界の国々は様々な分野で進んでいるらしい。
時間に余裕があれば、是非とも異界の国々に私も行きたいところだが、生憎と最前線の戦いが、私を開放してくれそうになかった。
「この代用コーヒーも、異世界のものらしいですよ」
「ふ~ん。まあ、以前の代用コーヒーよりは遥かにマシだがな」
戦争前には、本物のコーヒーも金さえだせば好きな時に飲めた。しかし戦争がはじまると、クソマズイ、コーヒーのコの字も入ってないような代用コーヒーばかりとなった。
しかし、昨日から出てきたコーヒーは、味も香りも本物に比べるべくもないが、一方でこれまでのより、はるかにコーヒーらしいものだった。
なるほど、異世界の産品のおかげで、多少なりと食卓が豊かになったということか。確かに異世界様様だな。
「よし、じゃあ今日も行くか」
「はい、大尉殿」
食事が終われば、任務の時間だ。我々は食堂を出て、愛機の元へと向かう。
敵のワイバーンからの空襲に備えて、機体は森の中に厳重な擬装をして隠されている。以前はこれが不完全がために、多くの機体をやつらのブレスで燃やされてしまった。
しかし擬装の技術や対空火器が飛躍的に強化された昨今、そうした話はあまり聞かない。
とは言え、油断は禁物。守りに徹する場合、慎重に慎重を期して悪いことはない。
「おはようございます大尉殿!」
機付長が大声で挨拶してきたが、辛うじて聞こえる程度だ。何故なら既に愛機がエンジンを発動しているためだ。
極寒のこの地では、発動機を始動させるのも大変だ。夜の内からエンジンの下で火を焚くか、異世界製のヒーターを点けて置いて温めておかないと、凍り付く。凍り付くだけならまだしも、それがエンジンの寿命を縮めさえする。
まったく、一晩中エンジンを温めてくれる整備兵たちの苦労には頭が下がる。もちろん、エンジンを温めているだけではない。エンジンそのものの整備や、機体の整備も行っている。
我々が空で万全を期して戦えるのは、単に彼らの苦労あってこそだ。
だからこそ、我々はこの戦いに敗れるわけにはいかない。
私は機体に乗り込み、エンジンの音を聞きながら計器類や舵の動作をチェックする。これだけで、機体に問題があるかないかは大体わかる。
「今日もいい仕上がりだ。感謝しているぞ、機付長」
「それが俺たちの仕事ですから。大尉殿こそ、頼みますよ。俺たちは空を飛べませんから」
「御期待に沿って見せるよ」
そうしている間に、指揮所の方で信号弾が上がった。出撃の合図だ。
「じゃあ、行ってくる」
「御武運を」
敬礼を交わした機付長が翼から降りて、機体の左前方へと回った。彼が車輪止めの解除と機体の異常なしを確認して両手を広げた。
チラッと右手を見れば、少尉の乗る2番機も異常はなさそうだ。少尉が手を振っている。私は右手を前に振り、発進を指示した。
ブレーキを解除すると、愛機はスルスルと動き始めた。
そして森の中の誘導を慎重に動きながら、農道に擬装した滑走路へと進入する。
「指揮所、滑走路に進入した。発進可能か報せ!」
「こちら対空指揮所。付近に敵影無し。天候は雲が多いものの飛行に支障なしと認む。発進可能」
「了解。発進する」
私はスロットルをフルに入れた。愛機のエンジンはそれまで以上に轟音を発し、機体を前へ前へと引っ張っていく。速度が上がり、揚力を得た機体は浮かび上がる。
だがこの瞬間も油断できない。急激に上昇しようとしてエンストなどしたら、シャレにもならない。
私は慎重にエンジンの音を聞き分け、問題がないことを確信すると車輪を仕舞った。
そして周囲を警戒しながら、高度を周囲の木々以上まで一気にあげる。敵のワイバーンは、木立をなめるようにして飛んでくる場合があり、あまり低高度で長居すると襲撃を受けかねない。
「2番機、高度2000まで上がるぞ!」
「了解!」
チラッと後ろを見れば、少尉の2番機も無事に離陸してついてくる。
私は離陸失敗時に備えて開けていた風防を閉める。戦争初期の国産の複葉機は、前方風防しかない吹きっさらしの機体であったので、いくら防寒着を着こんでも寒いことこの上なかった。
だがこの異世界製の機体は、周囲全てを覆った密開型風防を採用しており、さらに電熱服も備えている。そのため、以前に比べると大分快適になった。
私は機銃の安全装置を解除し、何もない空へ向けて機銃を放つ。機首と主翼に装備された4挺の機銃から、勢いよく機銃弾が発射された。
「機銃異常なし」
機銃も凍結などで銃弾が出なかったり、筒内爆発という事故を起こしたりするので、整備兵が凍結しないようグリスを厚く塗り、毛布を巻き付けるなどの工夫をしてくれている。その甲斐あってか、無事に作動した。
チラッと後方を見れば、少尉もちゃんとついて来る。
「さて、今日もドラゴン狩りと行くか」
私たちは基地を離れ、高度を稼いでいく。相手が何にしろ、空戦における鉄則は決まっている。敵を先に見つけ、そしてその頭上をとることだ。これで8割方勝てる。
敵軍のドラゴンやワイバーンの最高速度はこちらより遅いが、その口から吐かれるブレスは脅威だ。以前の複葉機みたいに、丸焼けになることはないし、金属製のこの機体なら場所によっては弾き返せる。
しかしながら、それでも操縦席や補助翼、エンジンなどの重要部を直撃すれば流石に落ちる。
「少尉、警戒を怠るな!」
「わかっております」
空中でもクリアな音声を提供する無線機の存在はありがたい。以前は手信号が黒板を利用するしかなく、魔法信号を利用する敵の方がこの面に関して優れていた。
しかし、この異世界製の質の良い無線機の投入により、陸海空全ての領域において、我が軍の通信技術は飛躍的に向上した。
空対空だけではなく。
「こちら15番偵察基地。敵ワイバーン5騎が上空を通過中!針路は東!対地高度1000!速度150ノット!」
このような地上からの通信も楽に行えるようになった。
「了解。少尉、聞いた通りだ。行くぞ!」
「了解です!大尉殿!」
敵のワイバーンの攻撃力は、現在でも侮れないものがある。だが、あちらは生身の人間が乗っているため、魔法を発動しない限り高い高度は取れない。そうしないと、酸欠か凍死で馭者が先に参ってしまうからだ。
そして。
「大尉殿!右下方に敵騎!」
少尉が報告した瞬間、我々の勝利は約束されも同然のものとなる。
「行くぞ!連中のケツをぶっ飛ばせ!」
「はい、大尉殿!」
スロットルをフルにし、機体を加速させつつ降下する。先制攻撃で大事なのは、敵が回避に入る前に致命的な一弾を叩きこむことだ。つまり、スピードと・・・
「もらった!」
異世界製の光像式照準器内に、敵騎の姿が膨れ上がる。速度差が大きいのであっという間だった。
私の機から発射された12,7mm機銃弾が、敵騎に吸い込まれる。コンクリートさえ粉砕する威力のある弾丸だ。強靭な鱗を持つと言われる翼竜と言えど、耐えられる通りはない。ましてや、乗り手の馭者となれば。
「1騎撃墜!」
「こっちもです!大尉殿!」
少尉も撃墜に成功したようだ。
「よし!1騎残らず叩き落せ!」
「了解!」
相手には悪いが、生きて返すわけにはいかない。ここで少しでも戦力を削らなければ、その分が今日の味方、明日の我々に跳ね返ってくるのだから。
我々はその後、残る3騎のワイバーンを追いかけ回し、叩き落した。もちろん、敵も墜とされまいと必死に逃げ回り、あわよくば反撃の糸口を掴もうと必死であったが、こちらが急上昇するとそれについてこれず、逆に失速して降下したところを、私は後ろに付き撃ち落とした。
彼らには悪いが、相手が悪かったのだ。この機体はこれまでの機体とは桁違いの性能を有しているのだから。
そう言えば、この機体のことを我々は製造した異世界の国の名前そのままで呼んでいるが、その意味はこの機体を製造した国に住む野牛の名前を付けたとのことだった。
野牛が、ワイバーンを狩るか。ある意味痛快な話ではあるな。まあ、少々太って不格好なのは御愛嬌だろう。
さてと、銃弾も大分使ったことだし、では補給のために帰るとしようか。
この異世界から来た野牛「バッファロー」とともにね。
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