誰も意図していなかった事
いい加減、そろそろ話を進めようと思います。
全ての出来事に、人の意思が介在しているとは限らない。
奇妙な偶然の結果、つまらないすれ違いの結果、事が起きてしまう事もある。
いや、この複雑怪奇に絡み合った世界では、むしろそういう事の方が多いかもしれない。
今回も、そうした偶然が起こした事だった。
起きた出来事によって、利益を得た者もいるだろう。
損害を受けた者もいるだろう。
だが、全ては偶然とすれ違いが事の原因だった。
六月も終わり、本格的な夏、あるいは冬のやってきた地球。
一切の前兆も猶予もなかった。
ある瞬間に、あまりにも唐突に、それは起きてしまった。
その全域において、空間が軋みを上げ、異界への道が開かれたのだ。
……………………。
事の始まりは何だったのか。
それはもう、始祖魔術師ノエリアが地球にやってきた二百年前にまで遡ってしまう訳だが、いつか訪れてしまう未来だったそれが、この瞬間に決まってしまった原因は、というと、主として世界を意のままにできる二柱の超越者のすれ違いとしか言いようがない。
故に、始まりは約半月前からだったと、ここでは言っておこう。
~~~~~~~~~~
六月も半ば。
その頃、ノエリアは孤独に苦戦していた。
「ええい、クソがッ! 硬過ぎじゃぞ!」
新たな拠点として使用していた即席異界だが、現在、そこへの道は封鎖されていた。
主に刹那の嫌がらせである。
空間封鎖を施す事で、異界そのものを隔離していたのだ。
おかげで、ノエリア一行は、帰る場所無き流浪の身の上となってしまっていた。
それ自体はどうでも良い。
野宿したところで疲れるようなやわな生態を、ノエリアはしていない。
永久は別だが、最悪、彼女の事は使い潰しても構わない以上、特別に気に掛ける必要もない。
だが、即席とはいえ、自由に出入りできる異界の存在は、大変に便利な物なのだ。
その使用を制限されている現状は、好ましいとはとてもではないが言えない。
その為、こうして開通させようと頑張っているのだが、これが中々上手い事行っていない。
なにせ、刹那が施した空間封鎖なのだ。
大抵の存在に対して上位に位置し、なにより魔力関連において絶対的権限を保有するノエリアならば、魔術由来の封鎖であれば意識するだけで破壊できるし、何なら壊さないままにすり抜ける事も可能だ。
だが、これは超能力由来。
一切の干渉権限を持たない術理による空間封鎖だ。
しかも、エネルギー量が馬鹿げている。
無尽蔵とも感じられる星の力を、一切惜しみなく注ぎ込んだ力任せの空間封鎖をされており、エネルギーの節約を余儀なくされている今のノエリアでは、強引にこじ開けるという手段すら取れない。
となれば、もはや致し方なし。
地道に解き明かして、地道に道を広げていくしかないのだ。
「……我は一体何をしておるのじゃろうなぁ」
途方もなく、無駄な作業をしているような気がする。
実際には、少しずつではあるが作業は進んでいるのだが、どうにもそんな気分が拭えない。
あるいは、真正直に刹那と会談を望んだ方が、色々と話が早いのかもしれない。
とはいえ、せっかくここまで紐解いたのだから、という気持ちが作業を止めさせないのだ。
本来、ノエリアはこの様な心境とは無縁である。
彼女は、精霊種という長命な種族の生まれだ。
基本的に、時間経過による自然死という寿命を持たず、外部影響によって殺されるか、あるいは退屈に腐り自ら自然に還る以外に、死ぬという事のない種族である。
その為、人間とは比べ物にならない気の長さをしている。
この二百年、彼女は地球と付き合ってきた。
人間の時間間隔では、途方もなく長い時間だろうが、ノエリアからすれば然程でもない。
人間換算で、二年かそこら程度の気分だ。
それでさえも、多めに見積もって、の話である。
そんなノエリアからすれば、僅か半月程度の時間、少しばかり呆と過ごしていた、くらいの認識なのだ、本来ならば。
今は、そう悠長に言っていられない。
刻一刻と、向こう側からの圧力が増している。
今は穴が開きそうになる端から、逐次塞いで止めているが、いずれはノエリアの処理能力を超えるだろう。
目に見えている自分の限界点が、彼女の中に無縁だった筈の焦燥感や苛立ちを生んでいた。
「いかんな。うむ、これはいかん。
我も濁っておるの」
確固たる肉体を持たず、エネルギー生命体である精霊種は、剥き出しの精神とも言われる。
物理的要因には果てしなく強い代わりに、精神的衝撃には滅法弱いのだ。
肉体を持つ通常の生命体であれば、どれだけ心に傷を負ったとしても、それが直接的な死因となる事はないが、剥き出しの精神である彼らはそれが致命傷になりかねない。
自然エネルギーの塊である彼らを一個の生命として成り立たせているのは、自らを規定する精神だけなのだから。
その楔が消えてしまえば、拡散して溶けてしまうだけだ。
故に、精霊種は確固たる自我を保たねばならない。
揺らがず、ぶれず、いつもいつでも自分を貫かなければならない。
その点で言えば、今のノエリアは不安定に過ぎる。
焦燥や苛立ちは、自分のキャラクターではない、と思考する。
とはいえ、自覚したからと言って、そうそう切り替えられるほど、感情というものは容易い物ではない。
揺らぎは少ないに越した事はないが、完全に感情を無くしてしまっては、今度は退屈による自死を迎えるだけだ。
何事もバランスである。
「ままならぬものよ……」
嘆かずにはいられない。
ともあれ、とノエリアは思考を切り替える。
状況が解決せねば、己の穢れを雪ぐ事ができない、と分かっている彼女は目の前の事に向き直った。
再開通作業は、速度という点さえ無視すれば、順調そのものだ。
ここ数日は、何の妨害もなく作業に集中できた事もあり、もうあと一押しで終わるだろう。
「あの者は、何がしたいのやら」
作業の手を止めぬまま、脳の片隅で自分の鏡写しである男を思う。
喧嘩を売ってくるまでは、まだ分からないでもない。
正直、もう少し対話という文明の利器を活用せよ、とも思うが、先にそれを放棄しているのは自分の方だし、野生児に文明を理解しろというのも酷な話かもしれない、と納得もできる。
だが、その後の放置プレイが分からない。
やらなければならない事、見ておかねばならない物、そうしたものがたくさんあるのだとは思うが、こちらの事を完全に放り出している現状はいまいち理解できない。
好都合故にノエリアも無視しているが、実はこの空間封鎖に時限爆弾でも仕掛けられているのではなかろうか、とか考えたくなるほどに不気味だ。
「うむ。有り得ない話ではないの」
これまでの接触から、刹那に矜持とかそういう物があるようには思えない。
目的を達成できるならば、どの様な手段であろうと実行するだろう。
「事は、確実に慎重に、行わねばならぬの」
慣れから、作業がやや雑になっていた事を、今更のように自覚したノエリアは、気を引き締めて没頭した。
……………………。
それから数日。
相変わらず無視が続いていたおかげで、なんとか無事に空間封鎖を解く事が出来た。
案の定と言うべきか、最終段階には罠が仕掛けられており、惰性的な作業では思いっきり引っかかっていただろうが、予想して集中していたおかげで、容易く回避していた。
「……結局、時間を浪費した以外に何もなかったの。
我の事に気付いておらぬ筈もなし。
時間稼ぎが目的だったのかのぅ?」
答えはまるで分からない。
だから、それを考えても仕方ない。
割り切ったノエリアは、周囲を警戒させていた永久を連れて、少し振りの異界拠点へと転移したのだった。
~~~~~~~~~~
それを、じっと見つめる……否、観測している目があった。
軌道上にいる人工衛星から覗く、カメラレンズだ。
瑞穂の物ではないそれの事を、ノエリアは知っていた。
知っていて無視していた。
何故なら、自分たちには迷彩を施してある。
光学的にも、その他のセンサーでも、自分たちを見つけられないと考えていた。
それは間違いではない。
確かに、彼女たちは如何なる観測機器の何処にも映っていなかった。
だが、それ故に痕跡を見つけられてしまう。
あまりに綺麗に消えてしまっているが為に、彼女たちがいたその一点だけが、あらゆる観測において穴として抜け落ちていた。
一つ二つならば、誤差や機器の異常などとして、勝手に補完しただろう。
しかし、全てともなれば、話は別だ。
そこに隠したい、隠れたい何かがいると言っているようなものである。
観測者は、リミッターを外していた《サウザンドアイ》との接続を切って、依頼者へと通信を送る。
「……弟君。予定通りに出て行ったわよ」
『承知した。手間をかけたね、賢姉様』
「これぐらい、どうって事はないわ」
通信を終わらせた美雲は、背中を背もたれへと預けて一息吐く。
「地球から締め出す、ね。
まぁ、時間稼ぎとしては上等でしょうけど、根本解決には程遠いわよね。
どうするつもりなのかしら」
疑問に、答える者はいなかった。
代わりに、楽し気に未来を語る声が届いた。
「さぁてね。でも、お兄の予想通りにはいかないよ。
世界は、もっと面白い方向に転がっていく」
「何か、知ってるのかしら。美影ちゃん」
「当然。僕は何でも知ってるよ。教えて欲しい?」
「あんまり」
「ありゃま。でも、まっ、準備はしておいた方が良いよ」
美影は、雷気を漲らせ、戦意旺盛な顔を見せながら言う。
「きっと、派手なお祭りになるから」
~~~~~~~~~~
「……………………締め出されたわ」
若干、途方に暮れながら、ノエリアは呟く。
地球への道が再び遮断されている。
今度は、先とは訳が違う。
封鎖されたのではなく、完全に消し去られている。
彼女たちのいる即席異界が、地球世界と切り離されていたのだ。
封鎖されているだけの道を開通させるのと、無い道を一から作り上げるのでは、まるで意味が違う。
必要とされる労力が桁違いだ。
「ハッハッハッハッ、やられてしまったのぅ。
こんな手を打ってくるとはのぅ」
自棄になったような乾いた笑いを上げるノエリア。
「いや、笑っている場合でもないの。とっとと向かわねば」
すぐに真顔へと戻った彼女は、魔術を組み上げる。
こうして弾き出されている今も、地球は侵略の脅威に晒されているのだ。
早急に対処を続けなければならない。
縁があれば、比較的簡単だった。
繋がっている縁を辿りさえすれば行き着くのだから。
だが、しるべとなる強い縁はほとんど残っていない。
先日の拠点爆破の際に、ほぼ全て破壊されてしまっている。
魔力が、彼女がもたらしたエネルギーである、という事だけが救いだ。
完全に縁が途切れた訳ではない為、地球世界を見失うような事はない。
しかし、二百年の歳月は大きくもある。
二百年をかけて、魔力は地球人類に合わせて性質を変えている。
本質的な部分はともかく、今ではオリジナルとは別物と言えるほどの違いだ。
それ故に、縁は非常に薄い。
時間さえかければ、充分な縁だが、その時間が今のノエリアにはない。
「……少々、強引にやるしかないかの」
希薄な縁を辿り、数多の中から地球世界を見つけ出したノエリアは、その小さくか細い道筋へ魔力を押し込む。
「おお……!」
徐々に徐々に創られていくゲート。
だが、人が通れるほどの大きさに広がった所で、もう一つの問題が発覚した。
地球世界側に、ある種の防壁が張られていたのだ。
これでは侵入する事が出来ない。
「ええい、本当に容赦のない輩じゃな!」
ここまでくれば、もはや出し惜しみは無しだ。
更なる力を絞り出したノエリアは、強引に防壁を砕いたのだった。
~~~~~~~~~~
偶然は連なり、積み重なる。
時同じくして、旧惑星ノエリアに蔓延っていたそれらも、同じように、いつも通りに地球へのゲートを開こうとしていた。
その中で、守護星霊ノエリアの気配が消えた事で、焦った者たちがいた。
彼らは何かがあったのではないか、と不安に駆られ、いつの日かと待ち焦がれていた瞬間を、今と設定した。
ゲートを創る敵に、敢えて協力した彼らは、向こう側から伝わってきた波動に便乗するように力を入れる。
破砕が、連鎖した。
今までゲートを封鎖しようとしていた抵抗力もなく、ただひたすらに大きく口を開けた。
その向こうには、懐かしき力に溢れた、芳醇な青き星の姿があった。




