高魔力負荷の分散解決法
「ジャジャン! 復活のー、美影先生だー」
「ご復帰、おめでとうございます」
「おー、全っ然、望まれてないっすよー」
「ふはははー、生意気言うのはこの口かー?」
本土は梅雨の季節に入っているものの、太平洋上に存在する高天原にはそんなものは関係ない。
清々しく晴れ渡った青空の下で、新課程の面々と再会した美影は、早々に暴力を振るう羽目になった。
取り敢えず、アイアンクローで生意気な事を言ってくれた俊哉の口を締め上げながら、彼女は並ぶ彼らを見る。
「「「……………………」」」
微動だにしない。
精悍な顔つきをして、直立不動の姿勢を崩さない。
祝辞を述べた佐々木中尉も、それ以降は口を真一文字に結んで、美影の言葉を待っている。
美影は、締め上げていた指を緩めると、俊哉に訊ねる。
「ねぇ、何があったの?」
「美影さんがいない間、別の人が代役を務めてたんすよ。
まぁ、その結果……こうなっちまった訳っす」
「えー、誰だよ、そんな事したの」
自分がするつもりだった事を、先んじて横からかっさらって行った輩に対して、美影は不満げに唇を尖らせた。
彼女の戦意の高まりを示すように、その両拳はファイティングポーズを取り、軽快なシャドーを行っている。
自分に向かっている訳ではない為、絶対に勝てない相手の闘争心を前にしても俊哉は動じる事なく、軽い調子で疑問に答えた。
「ほら、あの黒い人っすよ。ナナシさん。怪人黒マントな感じの」
「……ああ、あいつ」
途端、美影の口から唸るような低い声が漏れ出た。
美影とナナシ、この二人の相性は至極悪い。
両者ともに、本質が黒い為に同族嫌悪の一種なのだろう。
顔を会わせれば、事あるごとに衝突している。
帝などは、悪縁も縁の内という考えの下、人間関係の希薄なナナシにとっては良い刺激だと微笑ましく思っているが、周囲は堪ったものではない。
二つ名持ちの魔王同士の喧嘩に巻き込まれるなど、冗談ではすまないのだ。
精神的大改造を受けた面々だが、流石に魔王の覇気を目の前にしては身震いが止められなかった。
俊哉だけは飄々としていたが。
彼はなんだかんだで、準魔王クラスには達している。
本気で狙われるならともかく、巻き込まれるだけならば自分の身を守って逃げる事くらいはできる。
そうと確信しているが故に、余裕を持っていられるのだ。
「ちなみに、どんな事したのさ」
剣呑な視線で責めるように訊ねる美影に、俊哉は答える。
「まぁ、色々あるっすけど、一番酷かったのはあれっすね。空挺降下訓練」
「……は?そんなちょろい訓練で?」
言ってはなんだが、火山噴火の現場の方がよほど酷い物だったと思う。
そうした言葉を言外に述べながらの台詞に、俊哉は目を逸らしながら説明を付け加える。
「……衛星軌道上から」
「え?オービット?」
「いえす、ざっつらいと」
思わず似非イギリス弁で確認してしまった美影は、肯定の言葉を受けて空を見上げる。
昼間では雲くらいしか見えないが、根性入れれば静止衛星の一つくらいは見つけられる。
「……おー、流石に予想外な高度だなー」
「いや、ほんとに。
生身で大気圏突入なんて事させられるとは、昔の自分に言っても信じなかったでしょうよ」
しかも、ただ突入すれば良いという課題ではない。
それはあくまでも空挺降下の訓練なのだ。
故に、目標地点が設定されており、誤差以内の場所に狙って着地しなければならない。
その上、魔力制限というハードルまで増やされていた。
派手に魔力を撒き散らしていては対空砲火の餌食になるだろう? という納得できるような、納得したくないような論理の下に、使用できる魔力量に制限が設けられたのだ。
俊哉は然して問題なかった。
魔王連中の非常識具合は死ぬほどに知っているから精神的に気楽だったし、何よりクリアできる課題だったから。
効率的に風を受ける術を知っている彼ならば、大気中ならば魔力をほとんど使わずとも何処にでも行ける。
大気圏突入での断熱圧縮も、高い耐熱性を持つ身であれば然したる問題とはならない。
よって、一発でクリアして、ナナシからは舌打ちを食らったものだ。
だが、他の者たちはそうはいかない。
飛翔翼や《ヤマタ》を所持していようと、つい先日までは単一属性しか持たない歩兵、あるいはそれ以前の学生でしかなかった面子である。
いきなり達人技を披露できる訳もなく、大半が無様に落下するしかなく、一部の覚えの良いものでも、なんとか死なないように怪我しないようにするだけで精一杯だったのだ。
「よくもまぁ、トラウマにならなかったものだね」
「そりゃあ、乗り越えられるまで突き落とされたっすから」
出来るようになるまで繰り返そう、という基本にして鬼のような方針だった。
おかげで、強制的に軌道上まで連れていかれては突き落とされるという事を繰り返していた。
そんな事をしていれば、人はいつか諦めを覚えるものである。
最初はそんな事できない、と喚いていた者もいつしか自らの足でダイブできるようになり、大気圏突入の衝撃と熱の中でも冷静さを保てるようになった結果、最終的に全員が課題をクリアしたのだ。
代償として、泣いたり笑ったりできなくなっているが。
「まぁ、僕の楽しみがなくなったのは残念だけど、順調に訓練が進んでるのは何よりだね!
って訳で、新しい訓練のはじまりだよ!」
「それよりも、お待ちなさいな!」
意識を切り替えて戦意を呑み込んだ美影が快活に宣言するが、それに待ったをかける声があった。
面倒そうに振り向けば、そこには昨日、やりあったばかりのリネットがいた。
五体満足、擦り傷一つ無い美影と違って、全身に包帯やらガーゼやらを貼り付けた満身創痍の姿だったが。
「何の用だよ。僕、忙しいんだけど」
「もう一度勝負ですわ! リベンジですわよー!」
痛々しい姿とは真逆に、彼女の心は燃え盛っているらしい。
美影は鼻で笑った。
「そういう事はせめて傷を治してから言う事だね」
「っていうか、何で貴女は無傷なんですの!? 右腕、砕いて差し上げた筈ですのに!」
昨日の今日である。
右腕の欠損という、自身よりも遥かに重い傷を受けていたにもかかわらず、既に完治している事が有り得ない。
現代医療の常識から外れているにも程がある。
「そこんところは俺も不思議なんすよね。
美影さん、あんた、何でそんなに回復早いんすか?」
俊哉も首を傾げていた。
先日の対ヴラドレン戦において、美影は相当な重傷を負わされていた筈なのだ。
だというのに、俊哉が目覚めた時には五体満足でピンシャンしていたのだ。
彼はベッドの上に括り付けられて、絶対安静のままだったというのに。
「おや、なぁに? 君も不思議?
じゃあ、答えてしんぜよう。
そう! 何を隠そう、僕の身体にはグ〇メ細胞が入っているからだよ!
美味しいもの食べれば一発完治なのさ!」
「……グ、グ〇メ細胞? って何ですの?」
「うっそ! その嘘、ほんとマジかよ!?」
アメリカ人なリネットにはあまり通じていないようだが、俊哉はその存在を知っていて驚愕した。
目を見開いて信じている風な彼に、美影は冷ややかな視線を向ける。
「うーわ、馬鹿がいるー。
冗談に決まってるでしょー。何で信じるかなー」
「冗談に聞こえる余地がなかったからだと思うっすよ?」
やたらと高い身体能力に回復力、美食に拘る性質、そして人外魔境な廃棄領域にさえ適応する体質。
そうと言われれば納得できる現実ばかりだ。
「まっ、当たらずとも遠からずって事で。詳しくは企業秘密ね」
「……なんか言えない理由があるんすか?」
そこまで興味がある訳ではないが、ネタにのった勢いではぐらかす美影に更に問いかける俊哉。
そんな彼に、美影は頬を赤くして、恥じらいに身をくねらせながら言う。
「バッカ! 君って奴はデリカシーがないね!
あんな事、淑女な僕の口から言える訳ないじゃない!
僕は露出癖のあるオープンエロスじゃないよ!?」
「……あー、はいはい。大体、予想付いたからもういいっす」
一ヶ月ほども付きっ切りでいたのだ。
美影の気質は嫌というほどに知っている。
彼女が性的な表現をする相手など、一人しかいない。
刹那関連で何かがあるのだな、と理解した俊哉はそれ以上の追及を止めた。
あの男の無暗矢鱈と多彩な能力群を知っていれば、どんな事をしていたとしても納得できる。
時を戻したのだと言われても驚かない自信が俊哉にはあった。
「え? えっ!? な、何なんですの!?
私にはさっぱり分かりませんわよー!?」
一方で、その辺りを知らないリネットは置いてけぼりを食らっていた。
喚いて抗議するが、美影も俊哉も真面目に取り合わない。
「こうなれば実力行使……カッ!?」
しようとした瞬間、美影の裏拳が彼女の顎を打ち抜いていた。
いともあっさりと脳を揺らされたリネットは、その場に崩れ落ちる事となった。
「……本気出すと、ここまであっさりなんすね」
可哀想な者を見る目で倒れたリネットを見ながら、俊哉はしみじみと呟く。
「まぁね。本当は初手で倒す事も出来たんだよ?」
大体からして、開始時点で制限解除を行っていない事が全てを物語っている。
あの時点で制限を解除していたら、リネットには初撃を回避する手段などなかった。
とはいえ、それはあまりに相手の面子を潰し過ぎだ。
瑞穂とアメリカは友好国であり、相手国の期待の新星を潰すような事をすれば、関係に罅が入るような事にはならないだろうが、少なくともアメリカ国民の感情は良くないだろう。
よって、多少なりとも配慮してあげる必要があったのだ。
観客の目がなく、配慮の必要性が無ければこんな物である。
「はいはい、横やりが入って遅くなっちゃったけど、改めて訓練始めるよ」
パンパン、と手を打って空気を変えながら、改めて向かい合う。
彼女は足元に積んであった分厚い冊子を一つ、取り上げながら言葉を放つ。
「今回のお題は、まさに本命。
魔王魔力に適応する訓練だよ」
「遂に出てきたっすね!
安全なんでしょうね!?」
つい最近、その大変に危険な魔力を受けて身を壊した男が、戦々恐々としながら訊ねる。
それに対して、美影は簡潔に答えた。
「うん。実は僕、まだこれ読んでないんだよね」
「あんた、実は教師として不適格っすよね!?」
「うっさいなー、もー。今からちゃんと読むっての」
言いながら、各人に冊子を配っていく。
表紙には、〝高魔力負荷の分散解決法・概論〟と書かれていた。
元となった物は、論文に相応しい文量だったのだろうが、それを簡潔に纏め直したのだろう。
それでも、かなりの物だが。
少なくとも、青空の下でさらっと読むような物ではない。
表紙をめくってみれば、細かい字でぎっしりと書き連ねられている。
紙の表面を、俊哉の視線が流れていった。
「読み切れねぇよ、アホが!」
ついつい、冊子を地面に叩きつけて憂さを晴らしてしまう。
美影はそちらに視線をくれないまま、非難の声を告げる。
「ちゃんと真面目に読みなよ。君たちの為なんだよ?」
「俺ってば学者じゃないっす!
もっと簡潔に、プリーズ!
つーか、あんた、読むの早ぇな!」
見れば、美影は有り得ない様な速度で頁をめくっていた。
絵でも描かれていれば、おそらく動画のように動いて見えるだろう程の速度だ。
「美影さん、それ、ほんとに読んでんすか?」
「リアルタイムでは読んでないよ。覚えてるだけ」
「……すんません。俺の読書とは次元が違う気がするっすけど」
「簡単に言えば、文章を一枚の絵として記憶してるんだよ。
思考領域を分割してね。
記憶と、それを思い返して熟読するのと、二つの作業をしてるんだよ。
ああ、会話も含めれば三つかな?」
「人間のやる事じゃねぇな……」
そんな事を話している内に、美影は最後の頁まで読破してしまった。
冊子を閉じた美影は、数秒、瞑目する。
頭の中に取り込んだ映像を、文章として解読しているのだろう。
おおよそ人間の読書方法ではない。
「ふぅん? へぇ? そんな事できるんだ。これは面白いね」
独り言を呟きながら、理解を進める美影。
「よっし!」
僅かな時間で内容を理解した彼女は、勢いよく目を開く。
「さぁ、皆は読めたかなー?」
訊ねながら見回すが、その様子は芳しくない。
小難しい言い回しやら前提知識が必要となる専門用語のオンパレードで、皆が数ページ程度で行き詰っている。
俊哉に至っては諦めて冊子を投げ捨てている始末だ。
「……あー、頭の方も鍛えた方が良いかな?」
とは思うが、それは優先順位としては低い。
最優先の実力を鍛えてから、だ。
「じゃあ、足りない頭しか持たない君達にも分かり易く説明してあげよう」
「うっす。お願いしまっす」
返事だけは良く、俊哉が元気に応答する。
潔過ぎて腹が立ったので軽く小突いて黙らせた。
軽い一撃だったが、当たった場所が悪かった。
みぞおちに喰らった俊哉は、悶絶している。
「まぁ、小難しい事書かれてるけど、簡潔に言えば、魔力流路だけじゃ足りないってなら、別の通路を代用すれば良いじゃん? って事だね」
「教師雷裂。質問があります」
「どうぞ」
佐々木中尉が手を挙げて許可を求め、美影が続きを促す。
「代用とは、何を使うのですか?」
「まっ、不思議だよね。
魔力流路の代用品って何だよって。
答えは簡単。肉体そのものだよ」
「と、言いますと?」
「全身に張り巡らされているのは、何も魔力流路だけじゃないでしょ?
血管、神経、骨格、皮膚に筋肉。たくさんある」
「……それを、代用として使えるのですか?」
用途があまりにも違い過ぎるものだ。
魔力操作すれば、そこに流す事もできるだろうが、その結果として不具合が発生するようにしか思えない。
「うん。懸念は御尤も。
実際、これにもその辺りは書かれてるよ。
それぞれの部位によって魔力に対する適性が違うって。
耐性が低い物もあるし、かなり耐えきれる物もある」
言葉を区切って語る。
「とはいえ、できない事はないよ。むしろ、盲点って気分。
だって、そうでしょ?
魔力で身体強化とかしてんじゃん。
技術的にはあれの応用なんだよ」
言って、美影は魔力を発動させた。
魔力流路を通さず、多種多様な身体構成部位を介して、全身へと行き渡らせる。
最初はやや不安定だったが、すぐに安定して流れ始めた。
「うわっは。これは難しいね。油断してると破裂しそう。
最初は補助しながらした方が、無難だね」
「いっ、一発で成功させながら言う事じゃないっすね……」
「あ、復活した」
悶絶から回復した俊哉が、震えながら立ち上がる。
「簡単そうにやってるっすけど、やっぱ難しいっすか?」
「僕と君達を同じにしないでくれないかな?
君達とは基礎の積み重ねが違う」
自身の魔力に限り、という条件付きではあるが、美影の魔力操作技能は、神業を振るう魔王である《流転》武にも負けない。
Sランク魔術師の中でも、二つ名付きで魔王と呼ばれる者たちは、特に魔力操作という基礎がしっかりしている。
そうでなければ、通常よりも発達した彼らの魔力流路であっても、自身の強力過ぎる魔力に焼かれてしまうからだ。
それに、強固に制御し、威力の集中を行わなければ、同じ領域にいる者たちの防御を貫く威力を出せない。
故に、彼らほど魔力操作に長けた者は、魔術師の世界にはいないのだ。
才能に寄りかかっているだけと言われる事も世間では多いが、彼らには彼らなりの苦労があり、相応に努力を積み重ねて今の地位にいるのである。
「とはいえ、難易度、これは流石にえっぐいよ。
《六天魔軍》の中でも、僕以外だと武のあんちゃんと真龍斎の爺様ぐらいしかできないんじゃないかな?」
「マジかー」
嘆く俊哉に、美影は笑顔で告げる。
「泣いてる暇はないよ?
君達は、《地母》の付属品、魔王の一部なんだから。
出来るまでやらせるからね?」
「お、お手柔らかにお願いするっす……」
その後、訓練場からは数多の悲鳴が響き渡る事となった。
夏ですね!
まだギリ五月ですけど、フライングでもう夏という事で!
なので、マイ夏ソング「Fragment」をBGMにして作業中。
なんだか、水夏がしたくなってきた。
分かる奴はもうおっさんです。(2001年発売ですし)




