負けず嫌いな女たち
壁に穴を開けて分かり易く脱獄した美影だが、彼女はそのまま釈放される運びとなった。
許された訳ではないのだが、〝自らの魂に恥じらい無し〟を家訓とする雷裂の血族が牢獄に放り込まれた程度で反省らしい反省をする筈がない為、代わりに労働で貢献しろという事になったのだ。
元から釈放と同時にそうなる予定だったので、少しばかり前倒しになっただけの事である。
さて、そんな彼女の一番最初の仕事は、途中で放り出す事になってしまった新課程への教練……ではなく、アメリカからの客人であるリネットとの決闘である。
リネットは高天原学園に編入し、生徒会執行部のメンバーとして活動しているが、それはあくまでも暇潰しの一環であり、本命ではない。
彼女は、世界に認められている二つ名持ちの魔王と戦う為にやってきたのだ。
一番暇をしていて、最も年齢が近く、勝算のある(様な気もする)大本命である美影が、牢屋の中で優雅に人生を満喫していた所為で後回しにされていたが、出てきたのならばそれを優先させるべきだろう。
リネット視点では、条件的には雫でも良いのだが、彼女は本人に一切の戦闘能力がないという極めて特殊な魔王なので、流石に瑞穂側が絶対に許さなかった。
襲い掛かろうものなら、問答無用で懲罰行きだった。
先日も、サメの餌にされかけたし。
ともあれ、そういう理由で、美影はアメリカの未来の《ゾディアック》候補であるリネットと相対する事となったのだ。
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決闘場は、太平洋上。
人工島・高天原の内部では絶対にない。
周囲に人のいる島がなく、また海流や海洋資源的に、ある程度の変質が起きてもあまり問題がない場所が選ばれた。
頑張れば天変地異にさえ対抗できるSランクである。
両者がぶつかり合えば、それこそ天変地異が起きるも同然だ。
よって、高天原学園の規定に則った決闘ではあるが、極めて異例な形を取らざるを得ない。
ぶっちゃけ、高天原内で衝突されれば、ほぼ間違いなく高天原が海の底に沈むだろうが故に。
洋上に、直径1㎞ほどの石板が浮かんでいる。
今回の為に、《金剛》国枝香織が即席で造った舞台だ。
強度は見た目通りで、特に強化はされていない。
使い捨て、壊れる事が前提の手抜き仕様である。
それは、主に美影の破壊力を考慮した結果だ。
これ以上の強度が作れない訳ではない。
これ以上の広さが作れない訳ではない。
だが、彼女が本気で全力を出した場合、確実に破壊されてしまう。
どうせ、今回の試合以外で使う機会など、そうそう巡ってこないのだから、だったら使い捨てで良いではないか。
そういう判断になったのだ。
そんなみすぼらしい決闘場の両端、おおよそ1㎞ほども離れて二人の少女は対峙していた。
魔力探知をすればお互いを認識できるが、肉眼での視認はまず不可能な距離である事も、美影の所為である。
彼女は速い。
最速の魔王と称され、彼女と速度という領域で対抗して勝ちうる可能性があるのは、一切の距離を無視できるインドの魔王《隠者》ガウリカのみとも言われるほどだ。
そんな美影にとって、視認できるような距離は、目の前にいるのとさほど変わらない。
走って近付いて殴る。
魔力を高める暇を与えず、魔術を編み込む隙も与えず、それで大概は終わってしまう。
それでは、リネットにあまりにも不利であるし、何よりも観客があまりにもつまらない。
そう、観客だ。
この決闘には、観客がいる。
元より、高天原学園で行われている決闘は、学内に限り全面的に公開されている。
また、外部の人間であっても、ちょっとした手続きと多少の観戦料金を支払えば、見る事ができる。
それは今回の決闘も例外ではない。
Sランク同士の戦闘は、本来、軍事機密の一つだ。
示威行為の為に公開される的打ちではない大真面目な激突など、実際に魔王の戦場に立って、奇跡的に生き残った軍人でもなければ、そうそう見られるものではない。
故に、本来予定されていた全授業は中止になり、高天原のあちこちで望遠映像の中継が流される事になっているし、直接観戦できる訳ではない、単なる中継映像にもかかわらず、強気の値段設定を無視して大勢の人間が観戦契約をしていた。
「えー、間もなく開始時刻になります。
とても珍しい、Sランク魔術師同士の激突です。
自分自身の参考にはならないと思いますが、場合によっては戦場でまみえる可能性もありますので、もしもの時に即座に逃げられるようによく観察するように」
高天原学園の講堂にて。
大スクリーンには、即席舞台に立つ二人の逸脱者が映し出されている。
黒髪の少女は、気楽な表情で気ままに準備運動をしている。
青髪の少女は、緊張した面持ちで、槍とも杖ともとれるデバイスを展開している。
「《六天魔軍》第五席である雷裂美影は、知っての通り、近接魔術師というスタイルをしていますね。
対する、リネット・アーカートは、我が瑞穂では若干珍しくもある、ごく一般的なSランク魔術師です」
Sランク魔術師とは、端的に言えば戦略破壊兵器である。
大出力魔力によって、大規模魔術を振るう、災害の如き存在だ。
だから、見た目からしてド派手な物だ。
誰にも分かり易く、どんな馬鹿でも分かる脅威を見せつける。
だというのに、現在の瑞穂統一国が保有する魔王たちは、揃いも揃ってその一般的な姿に当てはまらない。
第一席《千斬》。
彼は水属性魔術師であるが、基本的に水属性魔術を使わない。
魔王の魔力の全てを身体強化にのみ使用し、幼い頃から鍛えてきた剣の技だけで戦う。
その為、基本的に剣の間合い以上の攻撃範囲を持たず、絵面が非常に地味なものだ。
第二席《金剛》。
彼女は土属性魔術師であり、しっかりと魔術を使う術師であるが、その全てが防御一辺倒だ。
可能かどうかで言えば、攻撃する事もできるが、本人の気性故にそれをしない。
壁を作り、身を守る事しかしない為、戦略兵器らしい姿を見せない。
第三席《怪人》。
彼女は幻属性魔術師であり、諜報部員だ。
目立たない事こそが存在意義である以上、分かり易く派手な事はしない。
陰に隠れて、闇に潜み、気付かれないまま動き回る事こそが本分なのだ。
第四席《流転》。
彼は水属性魔術師であるが、事情は第一席とあまり変わらない。
我流で魔術的合気道とも言うべき技を開発しており、魔王の魔力を使うまでもなく、技だけで魔王すらも屠る達人だ。
故に、派手さが全く存在しない。
第五席《黒龍》。
彼女だけが一番マシだ。
一般的な雷属性魔術師とは違う、黒雷を操る姿はとてもド派手でカッコいいものだ。
まさに戦略兵器とも言える攻撃力と攻撃範囲を持っている。
但し、本人は近接魔術師というスタイルをしており、しかも最速の魔王だ。
基本的に突っ走ってって力一杯ぶん殴る、で済んでしまう為、中々、戦略兵器らしい姿を見る事が出来ない人物でもある。
そして、第六席《地母》。
彼女は非常に極端だ。
軍隊にとって生命線とも言うべき補給能力を、常軌を逸したレベルで保有しており、戦略兵器と呼ぶに足るだけの能力は持っている。
だが、本人に戦闘能力がない。
最前線で猛威を振るう既存の魔王の姿とは、あまりにもかけ離れており、軍事に明るい者でなければ彼女の危険性を理解できないだろう。
このように、瑞穂の魔王は、揃って一般的な魔王、一般的な魔術師から遠く離れた場所にいる。
「今の世代は、大規模破壊兵器としてのSランクの姿を知らないでしょう。
ええ、我が国の方々は本当にどうしてああなのか……。
まぁ、言っても仕方のない事ですね。
Sランク魔術師による飽和攻撃の脅威、よく見て、逃げる時の勉強をしましょう」
決闘のゴングが、鳴らされた。
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「…………ふぅ」
リングの端に立ち、静かに魔力を練り上げながら、リネットは意識を集中していた。
待ち望んでいた決闘である。
緊張の一つもする。
負けて失うものなど、彼女には別にない。
自分が負けたところで、あくまでも《ゾディアック》候補でしかない以上、《ゾディアック》の価値が下がる訳でもなく、祖国の利益が脅かされる事はない。
少しばかり、彼女の自尊心が傷つくだけだ。
だが、だからと言って負けるつもりなど更々ない。
最初から負けるつもりなら、そもそも挑んですらいない。
だから、勝つ気で行く。
やるからには勝て、と恩師も言っていた。
(……最初の一手が、肝心ですわね)
相対しているのは、最速の魔王である。
のんびりとしていれば、あっという間にやられて、何が何だか分からぬままに敗北するだろう。
これは金銭の絡んだ試合ではあるが、きちんと観客を楽しませる為には双方に最低限という力量が求められるのだ。
そうでなければ、あの魔王は花を持たせるという事すらせずに、あっさりと決着を付けてしまうだろう。
そういう性格だと、プロファイリングされている。
この場合、リネットに求められているのは、最初の一撃を凌げるかという点だ。
相手の必勝パターン(実態は近付いて殴るというだけの物だが)を潰せれば、最低限は満たせるし、それがこの試合において最も難しいと考える。
回避か、防御か。
更には、それをどうやって為すか。
それを脳裏でシミュレーションしながら、リネットはその時を待っていた。
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「ほい、ほいっと」
リネットの正反対のリング端では、美影が軽快に準備運動をして待機していた。
その顔に緊張の色はなく、いつも通りの日常を過ごしている、という様子である。
負けを想定していない、という訳ではない。
リネットはSランクの魔術師なのだ。
己を打倒しうる最低限の能力は持っている。
それなりに頑丈な身であるが、絶対無敵という訳ではない以上、攻撃を受ければ傷つくし、積み重なれば死ぬ事もあるだろう。
自身の防御力を貫いて攻撃を通せるリネットは、充分に敵として見るに足る。
無論、必勝の筋道もある。
形振り構わず、奥の手を使って勝ちに徹すれば、力業で押し潰す事も可能だ。
彼女にはそれをするだけの能力と技能がある。
だが、それはあまりにつまらない。
これは何が何でも勝たなければならない死闘などではないのだ。
経済の絡んだ娯楽であり、プロレスのように、打って打たれて、と観客を盛り上げて試合を魅せなければならない。
あまりに雑魚であれば、その限りではないが。
全力を尽くしていない、という意味では手抜きなのだろうが、美影は国家の最高戦力である。
そうそう底を見せてはならない立場だ。
同時に、最高戦力としての威信も守らねばならない。
実に面倒な事である。
限られた手札の中で、観客が満足できるように戦い、そして見事に勝利してみせる。
言葉にしてみると、中々、難易度が高い。
(……ここらで連敗記録は止めたいけどね)
最近、自分は負け癖が付いていると思う。
ノエリアに負け、異界門でも息切れして負け、ヴラドレンにも単独では負け、先日は同僚にも張り倒された。
見事に敗北続きだ。
俊哉を倒したりはしているが、雑魚を戦績に数えてはあまりにも情けないから、彼女は考慮すらしていない。
言い訳ならできる。
相手が格上だった。
全力を出していなかった。
奥の手を隠していた。
勝敗よりも優先すべき物があった。
あるいは、単なる戯れだった。
だから、勝てなかったのだ。
そう言ってやる事はできる。
だが、それは美影の矜持が許さない。
そんな言い訳は、敬愛する刹那の隣に立つ者として相応しくない。
そのように自分を戒める。
(……勝ちたいねぇ)
手足をぷらぷらと揺らしながら、彼女も始まりのゴングを待ち望む。
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そして、ゴングが打ち鳴らされた。
先手は、当然のように美影が取った。
爆発的に膨れ上がる魔力。
その全てを推進力に変え、彼女は1㎞という距離を一瞬にして駆け抜ける。
急造されたリングが、美影の脚力に耐え兼ね、大きくひび割れて破砕していく。
試合開始前から魔力を練り上げていたというのに、リネットの方が明らかに遅れている。
だが、リネットは慌てない。
この程度の事は、予想の範囲内だ。
むしろ、こうでなくては挑む甲斐がないとすら強気に思考した。
「起きなさいッ!」
瞬きする内に肉薄した美影は、右腕を振りかぶり、既に振り抜いていた。
あと、ほんの僅か。
あと、ほんの数㎝。
そんな、眼前と言って良い位置にまで彼女の雷気を纏った拳が迫り、しかしリネットの魔術が間に合った。
魔王式水属性派生魔術《氷壁》。
ごくごく単純な氷の壁を作るだけの魔術。
それを防御する為ではなく、美影の矮躯を打ち上げる為に使う。
美影は、所詮、小さな女の子である。
彼女が重力を操作できる土属性ではない以上、その身に宿す重量は見た目相応であり、極めて軽い。
ならば、対応はできる。
正面から受け止めるのならば、その圧倒的速度と頑丈な身体故に打ち負けてしまうが、横から押してやれば簡単に軌道を変えられるのだ。
あとは、タイミングである。
発動が遅ければそのまま殴られ、早過ぎれば簡単に回避される。
早過ぎず、遅過ぎず、絶妙な一瞬が求められる。
リネットは、読んでいた。
美影は、速攻を選ぶと。
開始と同時に真正面から突っ込んでくると、予想した。
確証はなかった。
単なる勘だ。
だが、その賭けは当たったのだ。
足場がせり上がった事で、美影の拳はリネットの額を掠めながら頭上へと抜ける。
どんどんと上昇していく足場に絡め取られた美影は、そのまま分厚い氷壁に覆い隠され、空高くまで押し上げられた。
「さぁ! ここからが本番ですわよ!」
最初の難関を突破したリネットは、拳の掠った額から血を流しながらも、堂々と杖を掲げて、強く宣言するのだった。




