美影の量子的恋愛論
「まぁ、最初に結論からぶっちゃけちゃうけど、それは普通に恋だから。気にしなくて良いよ」
美影は最初にはっきりとそう告げる。
「おい、訳分かんねぇから、もっとちゃんと説明しろ、です」
「そう? じゃあ、最初からいってみようか」
彼女は、ホワイトボードに恋愛と大きく書く。
それを叩いて示しながら、訊ねる。
「そもそもさ、恋とか愛とか、何なのよって所から始めましょうか。
定義付け。
はい、回答。五秒以内」
「え? えと、なんか、こう、気持ちが明るくなるとか、ふわふわ? ぽかぽか?」
「ブー。失格ー。雫ちゃん、アウトー」
「……むっかつくな、です」
固く拳を握る雫をスルーして、美影は端的に愛を語る。
「恋、そして愛とは、性欲繁殖欲に支配欲とか独占欲をブレンドしたものだよ。
比率は人によりけりだけどね」
「……おい、ミク。
この女、とんでもねぇ事言い始めたぞ? です」
「うーん。でも、この先を聞くと、かなり考えさせられるわよ?」
「そうそう。早めの結論は良くないよ」
美影はともかく、美雲からも宥められたので、雫はシャドーし始めた拳を降ろし、続きを促す。
「でも、愛は与える事だとか、言うぞ? です。
無償の愛とか。
そういう、支配とか? そういうのは間違ってるとか、よく言われんぞ、です」
「綺麗事をほざく愚者の意見だね」
ばっさりと切り捨てる美影。
雫は若干不服そうに眉を寄せるが、
「じゃあさ、雫ちゃん。
君、浮気とか許せんの?
トッシー君が君に愛を囁きながら、別の女にも粉かけてたら、キレない?」
「キレるぞ、です。
ああ、成程。だから、独占欲、です」
続けられた例題に、納得を示す。
「そう。その通り。
浮気、二股、そういうのが許せないのは何故?
あいつは自分の物だ。自分だけを見て欲しい。
そういう独占欲があるからでしょ。
無償の愛で与える事こそが正しい、っていうなら、浮気も受け止めて笑って許してやれよってなるじゃん。
僕は許さないけど」
美影ははっきりと言う。
「お兄には僕だけを見て欲しいし、お兄の隣には僕だけがいて良いんだって、思ってる。
僕以外の誰かが居座ろうとするなら、僕はそいつを容赦も躊躇もなく、即座に排除するね。
まぁ、最後に残された僅かな慈悲に免じて、山で虫の餌になるか、海で魚の餌になるか、それくらいは選ばせてあげるけどね」
「こいつ、すげぇな、です。
でも、お前、ミクは許容してんじゃねぇか、です」
「うん、それ。僕のギリギリのライン。
本音を言えば、少し……嫌。
でも仕方ないの」
美影は三本の指を立てる。
「理由は三つ。
一つはお兄の意思。
お兄はお姉を大好きだからね。
ずっと一緒にいて欲しいって思ってる。
それを僕は尊重したい。
二つは僕の敬意。
僕はお姉を好きだし、お姉を凄い人だって思ってる。
僕の認める人だから、だから側にいても良いって思える。
三つ、最後は僕の家族愛」
彼女は、美雲へと視線を向ける。
にこにこと微笑み、とても優し気な雰囲気を纏った魅力的な女性だ。
放っておけば、言い寄る男など掃いて捨てるほどに出てくるだろう。
「お姉ってさ、恋愛を知らないし、もっとぶっちゃければ、特殊なナルシストなんだよね……」
若干、呆れたような声音で言う。
それに雫は首を傾げた。
「ナルシスト? です?
そうは見えねぇぞ、です」
「うん、気持ちは分かるんだけどね。
お姉って自分だけしか世界にいないんだよね。
自分、他人、の二要素のみ。
多分、今この瞬間、世界に自分だけしかいなくなっても、まるで気にしないと思う」
「あら、家族愛くらいはあるわよ?
美影ちゃんやお父さん、お母さんがいなくなるのは寂しいわ」
「じゃあ、三つ。
自分、家族、他人、それだけ。
だから、皆に優しくできる。
等しく興味がないから、誰にも等しく接する。
可愛らしい子供も、薄汚い大人も、同じように扱う。
根が善良なだけが救いだね。
だから、外面は良くなる。
困っている人がいれば助けましょう、を地で行くし、雷裂のリソースがあれば周りにいる困っている人を全員助けられるし」
「……酷い真実を突き付けられた気分だぞ、です」
「最近は、友情枠を追加しても良いかなとは思っているわ」
「つまり、今のところはまだない、って事だね」
はぁ、と溜息を吐きながら、美影は本題へと戻る。
「まぁ、こんな人だからさ、政略だか何だかでどんな男に嫁ぐ事になっても、気にしないんだよね。
実際、幾らかそういうお話は来るんだけどね。
こう、中身考える以前の脂ぎったキモブタクソハゲ男の写真見ても、はい分かりました、って嫌悪一つなく頷いちゃうのよ、お姉ってば。
裏でどれだけあくどい事してるって情報伝えても何一つ揺らがなくてね。
もー、ちょー不安なのよ、妹としては。
だから、僕とお兄の側に繋ぎ止めておこうってね。
お姉が本気で恋をして、それが僕も認められるような人なら、僕も喜んでお姉を送り出せるんだけどねぇ」
「……難しい事を言ってくれるわね」
「まっ、その三つの理由故に、僕は独占欲を抑えて、お姉を受け入れている訳だ」
「オメェが意外な苦労してるってのは分かったな、です」
「理解してくれて嬉しいよ」
少しばかり疲れたように肩を落とした美影だが、すぐに気を取り直す。
彼女は改めてホワイトボードを叩いて、講義を続ける。
「とはいえ、だ。
独占欲とか支配欲とか、それはかなり人それぞれだ。
僕とか浮気絶対許さないウーマンだけど、中にはそれくらい良いわよ、って女神か何かの化身みたいな人もいたりする訳で、だからこれは愛の本質じゃない。
アクセントみたいなもの。
紅茶に混ぜる、ミルクだったり砂糖だったりだ。
じゃあ、本質は何かっていうと、当然、これに決まっている」
言って、性欲繁殖欲に大きく丸を付けて強調する。
「変に言葉を飾って綺麗に見せようとするから勘違いするんだよ。
結局のところ、伴侶を選ぶ理由なんて、こいつとの子を作りたいのか。
これだけだよ」
「……同性愛とか、否定してねぇか? です」
「否定なんてしてないよ。
可能か不可能かはともかく、魅力的なあいつの子を産みたいなー、と思うのは別に間違いじゃないし。
感覚的に言えば、子宮がキュンキュンしちゃう、的な?
男風だとどうなるんだろう?
チンポビンビン?
まぁ良いね。今は女子会だし」
それに、と彼女は続ける。
「今となっては同性愛だって構わないじゃん。
細胞を加工して、卵子、もしくは精子を作る技術だってあるんだから。
保険効かないから高いけどね?」
「……ウチ、そんなの知らねぇぞ、です」
「一般的ではないからね。
精子バンクだとか、卵子バンクもあるけど、本気でそれを探す事もないでしょ?
同じように、何らかの肉体的事情で子供を作れない奴らが、一縷の望みを託して探し回った所で、やっと辿り着くような深ーい位置にあるシステムだからさ。
普通に過ごしていたら、噂程度にしか知らないし、どうやってそこにアクセスするのかも分かりゃしないよ」
ちなみに、《サンダーフェロウ》でも扱っている商品でもある。
細胞加工から始まり、人工授精、人工子宮での育成・出産、出産後の法律的手続きまでフォローしたパッケージだ。
お値段は、大体、五千万くらいである。
追加要素で金額は増加。
お支払いはローンも受け付ける良心設定である。
中々の金額だが、少し気合の入った一軒家くらいの値段で、生物としてあり得ない子宝に恵まれると考えれば安い、と考えるのか、意外にも売れ筋の商品となっている。
同性愛者の申請が多いが、中には先天的だったり病気などで生殖機能がない夫婦からの申請もあったりする。
「これが、恋と愛の本質、正体。
御理解いただけるかな?」
「言わんとする事は、です」
「それで良いよ。じゃあ、次だ」
美影はグラフを描く。
幾つかの要素に色分けされた棒グラフを数本連ね、ある一定ラインで線引きする。
ラインに届いている棒もあれば、届いていない棒もある。
彼女は、そのラインに〝恋心〟と書いた。
「なら、人はどうしたら、恋に落ちるのか、って話をしよう。
僕は恋に偽物も本物もないと言おう。
一目惚れだろうと恋は恋だし、長く連れ添っていようと冷める時は冷める物だからね。
じゃあ、何をもって恋に落ちるのか。
簡単に言えば、人としての魅力だよね。
当たり前の話。
魅力的な奴がいれば惹かれるのは当然だし、魅力のない奴は人を惹きつけない。
ごくごく自然な話だ」
「当然だな、です」
雫の頷きに満足げに返しながら、美影は続ける。
「魅力の話をしよう。
それは、外見、性格、財産に地位、名声、あるいは武力とか?
色々とある」
棒グラフの色分けされた要素に、挙げていった魅力を名称として書き込む。
その全てが大きく、恋心ラインを越えているものがある。
どれもこれもが小さく、ラインを超えていないものもある。
一要素だけが突出して大きく、ラインを越えているものもあれば、ギリギリで越えていないものもある。
「一目惚れを例に考えてみよう。
この現象は、つまり外見という要素に魅力を感じたという事だね。
細々とした事はどうでもいい、と思えるほどの美形がいれば、彼を見る者は簡単に恋に落ちるだろう」
「でも、そういうのは長続きしねぇ偽物とかじゃねぇのか? です」
「偽物じゃないよ。
ただ、ギリギリだっただけ」
一要素だけが大きいが、ギリギリでラインを越えている棒と大きく上回っている棒の二本を指し示す。
「このように、カッコよさにもランクがある。
もう兎に角どうでもいい。
DV男だろうとヒモだろうと、クレイジーサイコ殺人鬼だろうと、全てのマイナス要因が許される超絶美形もいれば、まぁ面食いならひっかかるかな? っていうくらいの微妙な奴もいる。
ちょっと話が脱線するんだけど、恋に限らず、人の心はお湯に似てると僕は思うんだよね。
刺激を、熱量を与え続けないと、すぐに冷めてしまう辺り、特に。
このギリギリな奴は、本当にギリギリで恋という沸騰状態にさせられる奴ね。
だから、ちょっとしたマイナス要素、少しだらしないとか、少し経済的弱者だとか、その程度の水を注がれるだけで、ラインから落ちる。
恋が冷めてしまう」
「…………です」
「まぁ、だから遠距離恋愛とか中々上手くいかないんだけどね。
恋心に与え続ける熱量がないから、徐々に熱は冷めていく。
やがて平熱になって、別の熱源を探し始める。
ちょっと脱線しちゃったね。
恋ってのはこういうもので、魅力はこういうものなのさ。
だから、僕は一目惚れだって恋だって認めるし、財産目当て、権力目当てのものだって同じものだと断言する」
「でも、それは不純なんじゃねぇのか? です」
僅かに嫌悪感を滲ませながら、雫は反論する。
だが、美影はそれに諭すように言う。
「良いかい? 人の価値観は千差万別だよ?
同じものを見ても、同じ評価を下すとは限らない。
例えば、雫ちゃんはトッシー君に魅力を感じているけど、僕は彼を何とも思わない。
同じように、君はお兄を奇人変人として見るけども、僕はこれ以上ない魅力的な男だと思う。
もうお兄になら殺されても良いと思うくらいにね。
フッフッフッ、観測者によって値が変わるとか、量子的な話になってきたね?
さっき言った、キモデブクソハゲ男でも、年収ウン億だとかなら、それでも良い、って女は絶対にいるよ。
僕は、ほら、雷裂の娘だから。
お金なんぞに点数を置かないけど、貧乏で一円にだって価値を置く人なら、これはとても魅力的な男でしょう?」
「むぅ……、です」
「これを、変に分けて考えるから、複雑になって訳分かんない事になるんだよ。
全部同じものだよ。
性格に惹かれるのも恋、金に惹かれるのも恋、顔に惹かれるのも恋。
採点者が、何処に配点を多く割り振るのか、それを強制するべきではないね。
それは、分かり易い魅力を持たない負け犬の遠吠えなんだから」
さて、と美影は言って別の棒を二本書き足す。
両方とも、恋心ラインは越えている。一本は少しばかり低めで、もう一本は高水準であるが。
「恋を冷ましたくない、この恋を永遠にしたい、と思うなら、予防策が必要になってくる。
単純な話なんだけどさ、より魅力的な相手がいれば、そっちに心移りするのは当然じゃん?
変に美化せずに考えれば当たり前でしょ?
より高品質なものが、より安価に提供されるなら、そっちの方が良いに決まってる。
雫ちゃんだって、今はトッシー君に心を惹かれているけど、もっと的確に君の心を撃ち抜く男が現れれば、そっちに靡くよ、絶対」
「……馬鹿にしてんのか? なぁ? です」
「馬鹿にしてないって。
ただの順当な話。
物を投げれば落ちてくる、っていうくらいに自然な法則の話をしているの。
じゃあ、その当たり前を覆すのは、何だと思う?
魅力値が低くとも、こっちの方が良いと思える要素は何かな?」
低い方の棒を示しながら、美影は訊ねてくる。
雫は少し考え、答える。
「……思い出とか、じゃねぇのか? です」
「そう。その通り。正解。イグザクトリー。
思い出、愛着、それが執着を生む」
低い方の棒に、思い出という要素を書き加え、高水準の棒を上回らせる。
「ほら、こっちの方が魅力値が高くなった。
純粋な人間の魅力的に劣っているかもしれないけど、思い出の記憶が下駄履かせる事で採点者にとって誰よりも素晴らしい運命の人になる。
良かったね、雫ちゃん。
思い出を重ねた君は、トッシー君を裏切る事はなくなったよ!」
「ウチが浮気するのが前提で話されているのがすっげぇ腹立たしい、です」
「あたっ」
近くにあったペンを投げつける雫。
額に当たった美影は、冗談めかしてのけぞる。宙に浮きあがったペンを掴み取り、適当に安置しながら、彼女は続ける。
「君は、まだトッシー君と出会ったばかりだから、不安が心に毒を垂らしているだけ。
君の心は確かに恋をしているし、思い出を重ね、執着という接着剤を用いる事で、それを永遠の物へと昇華させようとしている」
「テメェもセツとそうやってんのか? です」
「そうだよ。
お兄に纏わりついているのはそういう事。
僕はお兄との関係を永遠に続けたいからね。
執着という鎖で自分を縛っているってわけ。
じゃなかったら、あの女怪に靡いてるんじゃない?
あれも、お兄と同じ場所にいる存在なんだし」
冷静に考えて、美影の中で刹那とノエリアは同じ場所にいる。
出会う順番が違えば、間違いなく己はあっち側に付いていた、と断言できる。
それでも、今でもこっちにいるのは、刹那との思い出が、刹那への執着を生んでいるからだ。
「……なんつーか、身も蓋もない打算的な話だな、です」
「当たり前だよ。
だって、人間だもの。生き物だもの!
打算があるに決まってる!
損得勘定で動くに決まってる!」
「人の心は、そういうもんじゃねぇ、ってよく言うぞ、です」
「いいや、違うね。
人の心は常に損得で動いている。
そうじゃなきゃ、精神的損害だとか言わんでしょうに。
自分にとって心地良い人と共にいるのは、心に癒しという利益があるから。
嫌いな人といたくないと言うのは、心に不快という損害があるから。
感情だって明らかな損得だよ」
だから、と言う。
「僕は、打算がないとかいう奴を絶対に信用しない。
っていうか、人間と思わない。
もっと言えば、生物とすら思わない。
好きも嫌いもない、機械でもなければ、自覚的か無自覚的かの違いはあれど、どんな生き物も打算ありきで生きているに決まってんじゃん」
はっきりと断言する美影は、雫の眼には別の生き物に見えた。
今までは、良く言えば爛漫で、言葉を選ばなければ何も考えていない、そんな人間だと思っていた。
だが、違う。理解した。
目の前にいるのは、計算と理性で生きている、人間の権化なのだと。
「オメェ、意外と物考えて生きてんだな、です」
「フッフッ、普段は猫被ってるからねぇ。
お兄がこっちの方が好きみたいだから。
僕の本性は、一般的感性で言えば、まっくろくろすけだよ。
もう闇よりも猶暗きってレベル」
言っちゃダメだよ? とウインクしながら言う。
今までなら冗談の類と思って流しただろうが、本性を知った今、明らかな脅迫にしか聞こえない。
ほんの少し、背筋に寒い物を感じながら、雫は言う。
「少し、安心できたぞ、です。
ウチの心は間違ってねぇんだって、そう思えたぞ、です」
「それは良かった」
「あと、ほんの少しだけ、オメェの事、見直したぞ、です」
「っ!?」
雫が告げれば、美影は眼の色を変えた。
今まで嫌悪されていた妹分からの歩み寄りの言葉なのだ。
嬉しくない筈がない。
「お姉お姉! 聞いた!? 聞いたよね!?
雫ちゃんがデレたよ!?
わぁい!
さぁ、お姉さんの胸に飛び込んでおいでー!」
「調子こいてんじゃねぇぞ、です!」
飛び込んで、ではなく飛び掛かってきた美影を、雫は蹴り倒すのだった。
「……こいつ、本当に演技なのか、不安になってきたぞ、です」




