本当に本気になったのは一体誰?
偶然が生んだ天才は、必然が生んだ天才に出会った。
本日、二話目です。
未読の方は前話からどうぞ。
ポロン、ポロン、とハープの弦を流麗に爪弾く。
奏でるのは、超絶技巧と呼ばれる曲。
何処か悪魔的な不気味さを感じさせる物だ。
「くふっ……」
演奏者――美影は、小さく笑む。
それは、演奏に対しての笑みではない。
彼女にとって、こんなものはただの遊びだ。
暇潰しに過ぎない。
彼女の人生の中でハープに触っていた時間は、今のこの時間を合わせても累計で一時間にも満たないだろう。
それでも、美影は簡単に奏でられてしまう。一流と呼ばれる者たちと同じ領域に簡単に入り込んでしまう。
だから、彼女の興味はここにはない。
遥か海の向こうにある者だけが、芯から美影の魂を強く揺さぶるのだ。
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私にとって、世界とはとてもちょろく、色のない退屈な物でしたわ。
恵まれた出生。
世界でも有数の大富豪の娘として生まれ、家族から愛を受けて育ち、何不自由なく生きてきた。
それだけならば、私はとても幸せな人生だと断言できたでしょう。
でも、私は不幸でしたの。
少なくとも、人生を楽しいと思った事など、一度としてありませんでしたわ。
それは、天が私に与えた〝才〟故に。
人は、何かを行う時に、何かを習得する時に、常に挫折と共にある物ですわ。
失敗を積み重ね、間違いを繰り返し、少しずつ学んで、修正し、完成を目指していく。
これが人として真っ当な道のりですわ。
でも、私は違いますわ。
私の〝才〟は挫折を許しませんの。
一度見れば、大体は。
一度やれば、盤石。
これが私の技術習得までの恒例のパターン。
勉学も、スポーツも、芸術やゲームだって、全て同じ。
簡単に極め終わってしまいますの。
人々は、それを凄い事だと褒め称えますわ。
羨ましい、と、言いますわ。
幼い頃は、それでも良かったのですわ。
両親やお姉さまが褒めてくれて、それだけで満足できましたの。
でも、大きくなるにつれて、そうではなくなってしまいましたわ。
周りの人々が、熱中できる物を見つけて、ひたすらに努力をしていく中で、私は取り残されていくようになってしまいましたわ。
だって、私は何でもできてしまうから。
何でもできるからこそ、何にも強い興味を持てなくなってしまいましたわ。
その最たるものが、魔術でしたわ。
八魔という魔術の大家に生まれ、優れた〝才〟を持っていた私は、周りの期待を受け、魔術の道へと入りましたわ。
でも、そこにあったのは絶望だけ。
同年代は勿論の事。
遥か先達たちどころか、最高戦力と呼ばれる《六天魔軍》の方々でさえ、私は勝ててしまいますの。
一応、言っておきますが、その時、そのままでは、無論、《六天魔軍》の皆様には勝てませんわよ?
しかしながら、私には見えてしまいましたの。
どうやったら勝てるのか。
どれだけ頑張れば勝ててしまうのか。
あの方々、全員を下すのは二十代後半ほど。
世界最強と呼ばれる魔王にだって、五十を超える頃には勝てるようになってしまうのだと、一目見た瞬間には悟れてしまいましたの。
あまりにも、つまらない結論。
これでは、努力をする気も失せますわ。
だから、程々に成果を出しつつ、私は内心でやさぐれておりましたわ。
いえ、内心だけではありませんわね。
態度にも表れておりましたわ。
その証拠に、あの当時は、誰もが私を忌避するような素振りを見せておりましたわ。
まぁ、当然ですわね。
自分が心血を注いで頑張ってきた事を、あっさりと追い越してみせたと思えば、その子供はそれをゴミのように、つまらないと言って投げ捨てるのですもの。
それに文句を言われようものなら、自分に勝ってみせろと、自分と競い合ってみせろと、そう挑発してくるのですわ。
無理だと、できっこないと分かっていながら。
嫌な子供筆頭に違いありませんわね。
お姉さまも、何処か距離を置いていたように思いますわね。
空気を読まずに近付いてくるのは、色々と頭のおかしい両親くらい。
うん、本当にあの父母は一体何なのでしょうか。
どうやったらあんな人格が形成されるのか。
いやいや、深く考えてはいけませんわ。
ともあれ、そうした事で、私は色のない世界に飽いておりましたわ。
まるでいつまでも続く無間地獄のように。
いつまでも、どこまでも、何の刺激もなく、何の楽しみもなく、延々と退屈な日々を過ごし、いつの日にか輝かしい記憶を一切持たないまま、老いて死んでいくのだと、私は絶望しておりましたわ。
そんな私にも一つの転機が訪れましたわ。
それは、とある廃棄領域に起きているという異変の噂。
廃棄領域とは、危険な毒素に侵された場所であり、そんな地に適応してしまった危険な動植物の跋扈する土地ですわ。
あくまでも、それだけ。
決して、環境そのものが書き換わっているような、魔界のような場所ではありませんわ。
でも、そこは違いましたの。
近年のそこでは、環境自体が狂っておりましたの。
文字通りに雷雨が降り注ぎ、燃える大地が森を焼き払い、劫火を凍り付かせる吹雪が吹き荒れ、幾本もの巨大な竜巻が全てを吸い上げ、落ちてきた何もかもを地割れが飲み込み、その後には何事もなかったように森が再生している。
そんな大魔境が広がっていたのですわ。
観測した限りでは、重力さえもランダムで変化していたそうですわね。
不確定な話では、時間が狂っているとしか思えない現象も観測されたそうですわ。
あまりに危険過ぎて、何が起きているのか、とても確認しに行けない異常事態に、私は名乗りを上げましたの。
義務感や使命感ではありませんわ。
ただの興味本位。
あるいは、そこならば、私をわくわくさせる物があるのではないのかと、そんな下心満載で手を挙げたのですわ。
結果から言えば、予想以上の成果に、私の人生は色を取り戻しましたわ。
そこにあったのは、人智を超えた異常環境と、猿でしたわ。
ええ、猿ですの。
正確には、霊長類と呼ぶべきでしょうか。
本当に瑞穂の土地なのか、疑わしくなるほどにバリエーションが富んでおりまして。
中には、なんとなく霊長類の原型が残っているような気がする、としか言えないほどに変異した者もおりましたし。
彼らは、魔力も持たないのに数多の超常を使ってきましたわ。
火を起こし、水を操り、風を呼び、地を揺らして、絶え間なく私を攻め立ててきましたの。
まるで一個の生物のように華麗な連携を駆使して、動物らしい容赦のなさを持ち、次々と襲い掛かってくる猿たちは実に厄介な存在でしたわ。
それでも、私にはなんとかなる程度の脅威。
多少、傷つきながらも、全員を薙ぎ払ってやりましたわ。
そして、その奥。
最奥とも言える場所に、彼はおりましたの。
猿と言えば猿、霊長類と言えば霊長類。
そこにいたのは、私と同じ年代と思しき、人の少年でしたわ。
彼は私を一目見るや、雄叫びを上げて襲い掛かってきましたわ。
私も応戦しますが、彼の力は圧倒的でしたわ。
何処までも多彩で、いつまでも尽きる事のない引き出しの多さ。
私は奥の手まで晒して戦いますが、まるで敵いませんでしたわ。
僅かに傷をつける事だけが精一杯などとは思ってもいなかった誤算でしたわ。
そして、そんな完膚なきまでの敗北が、なんと心地良かった事か。
初めての挫折。
何をどうしても勝てるビジョンの浮かばない相手。
私の人生に足りなかった最後のピースがはまった瞬間でしたわ。
その瞬間には、私は彼に恋をしたのですわ。
ああ、なんて素敵な男性なのでしょう。
私の全てを捧げてでも手に入れたい。
彼の隣に立って、彼の全てを私で満たしたいと、熱烈に思いましたわ。
内心でそう思い、頬を染めながら、敗北した私は彼にお持ち帰りされましたわ。
戦利品として?
ええ、そうですわ。
残念ながら、そこにあったのは、性欲ではなく、食欲でしたが。
まさか齧り付かれるとは思いませんでしたわ。
肉を噛み切られた時は、流石の私も驚きましたわね。
彼の血肉となれるのならば本望ですわ、なんて考えませんでしたわよ?
ええ、本当に。
う、嘘ではありませんわ。
ともあれ、味が気に入ったのか、少し齧っては治療して、という事を繰り返して、一般人なら生き地獄と思いそうな日々を過ごしながら、彼らの言葉を解読しておりましたの。
共通言語を獲得した私は、真っ先に彼を説得しましたわ。
私と一緒に参りましょう、と。
貴方の見た事もない物を、食べた事もない物を、ありとあらゆる全てを差し上げますから、と、彼を森の中から連れ出そうとしましたの。
おそらく、単なる興味だったのでしょうが、幸いにも彼は頷いてくれましたわ。
人の世界に出た彼は、砂漠に水を垂らすように、驚愕すべき速度で様々な事を学習していきましたわ。
言語に始まり、無数の知識や技術を獲得していきましたわ。
その速度は、あまりに速く、私にも迫るほどでしたの。
元より彼に恋をしていた私でしたが、それを見て、私は自らの目は間違っていなかったのだと確信しましたわ。
彼こそが、私と並ぶ者なのだと。
彼こそが、私の本気をぶつけて良い者なのだと。
鮮烈な刺激を受けた私は、初めて人生に彩りというものを感じましたわ。
そうしたら、つまらなかった何もかもがとても楽しくなってしまいましたの。
一流程度で満足して投げ出していたのが馬鹿らしくなり、彼のように超一流を、更にその先を目指したくなってしまいましたわ。
周囲の人々は、私の変心をとても不思議に思っていた事でしょうね。
刺々しかった雰囲気が消え、いつもつまらなさそうな表情を張り付けていた顔に、笑顔を浮かべるようになったのですから。
まぁ、私にはどうでも良い事ですわ。
私の中にあるのは、彼と共にありたいという激情だけなのですから。
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最後の音を奏で終えた美影は、鉄格子のはまった窓から東の空を見上げる。
その先からは、彼女の憧れが、彼女の目標が、今も元気に暴れ回っている波動を感じ取れる。
「僕を本気にさせた責任、ちゃんと取ってよね。ねぇ、お兄♪」
美影は、口元に楽し気な笑みを浮かべて、誰に届ける訳でもない言葉を呟いた。
書く分にはともかく、読む分には戦闘シーンってあまり面白いものではない、と思ってしまう作者は、頑張って二話目を投下しました。




