才人の線引き
ちょい短め。
だって、本当は前話と合わせて一話にする予定の話だったから。
でも、取調が長くなっちゃったから二話に。
空気が、硬く重い物なのだと、皆が初めて体感していた。
空を駆ける美影に引きずられながら、魔王課程の生徒たちは、必死に縄を握りしめ、喰らい付いていた。
背中の飛翔翼を全力で稼働させ、なんとか体勢を整えようと奮闘しているが、叩きつけられる風の圧力に負けて、まるで安定していない。
それは急激な方向転換もあるからだろう。
美影は、一方向に直進せず、時折、急旋回しては生徒たちを振り回してくる。
ほとんどは気まぐれだが、確定で振り回されるのが、誰かが縄を手放し、落下してしまった時だ。
その時には、彼女は鋭角ターンを決めて、一瞬で回収していくのだが、それに付き合わされる方は堪った物ではない。
皆が皆、必死の形相で飛翔翼を動かす中、ただ一人だけ涼しい顔をしている者がいる。
(……いや、ほんと、御愁傷様だわ)
先駆者である俊哉だ。
彼は美影とマンツーマンで特訓を受けてきた。
その中で、同じように引きずり回された事もあるし、場合によっては思いっきり大地に向かってぶん投げられた事もある。
そうした経験を積んできた彼は、今では自力での飛翔を可能としており、美影と同じ速度領域こそ自前では到達できないが、引きずられる分には何の問題も無く過ごせる。
叩きつけられる風の壁を受け流し、安定した飛行を実現して、遠くの空や眼下を流れていく大地など、景色を楽しむ余裕まである。
俊哉の目から見て、同僚たちの飛行はなっていないと言わざるを得ない。
彼らは風に抗い、御しきろうとしている。
それが無理だとは言わないが、非効率だとは断言できる。
それをするくらいなら、風を受け流す方法を取るべきだ。
風に逆らわず、乗りこなす事こそが飛翔への第一歩と彼は認識している。
(……まぁ、その内、慣れるだろ)
慣れないと死んでしまうだけだ。
嫌でも慣れるしかない。
とはいえ、風属性術師ならばまだしも、今まで飛翔行為にまるで関わりの無かった人間に、手探りで辿り着け、というのも困難な話と言える。
それくらいの想像力はある俊哉は、後で地上に降りた時に、アドバイスくらいはしておこう、と考えたのだった。
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美影による引き回しの刑は、長時間に及んだ。
太平洋上にある高天原を出発し、瑞穂統一国本土を北へ南へ、東へ西へと、あちこちを駆け回ったのだ。
ただでさえ慣れない飛翔行為に、今の時期は梅雨の盛り。
梅雨前線の雲の中を引っ張り回され、最終地点である富士山頂に降り立った時には、半数以上は意識を失っており、数少ない意識ある者達も、疲労の限界に達していた。
「うっし! 今日はここまで!
次のメニューまでは自由行動ね!
休むも良し! 遊ぶも良し! んじゃーねー!」
言うだけ言って、美影は生徒たちを置き去りに何処かへと走っていった。
元気の有り余っている姿に、同じく余裕を残している俊哉は苦笑を漏らす。
「あの人は、ったくもう」
放りっぱなしで行ってしまった事には苦言を漏らしたい所だが、貴重な己の時間を割いてわざわざ付き合ってくれているのだという事も知っている為、俊哉としてはあまり強く言えないし、言いたくない。
取り敢えず、後始末だけはしておこう、と彼は倒れている者たちに檄を飛ばす。
「おらぁ! 新人どもぉ!
だらけるのは早いぞぉ!
テントの設営と、気絶してる連中の介護!
戦友は見捨てないの精神を忘れず、ちゃんとやっとけぇー!」
ダウンしている者たちの介抱は当然としては、今夜はこの富士山頂で一泊する様なのだ。
元々、その予定だったのか、近くには畳まれたテントなどが山積みとなっており、用意は万端である。
俊哉の激励に、遅れながら力無く起き上がった者たちは、のろのろとした調子ながらもそれぞれに動き始める。
(……本当にゆっくりできれば良いんだけどな)
経験者は語る。無理かも、と。
彼らの問題ではない。
鬼も裸足で逃げ出す魔王教官の性格の問題だ。
修行時代、泣き言を喚く俊哉に対して、美影は断言した物である。
曰く、『もう限界の九割はただの弱音だ。まだいける』と。
修業とは、苦労に苦労を重ね、その先に更なる苦労を行う事を言うらしい。
その言葉を思うと、今夜にもまた一波乱起きそうだと俊哉は予感せずにはいられない。
伝えるべきか、伝えないでおくべきか、と悩む所だが、せめて一時でも安らかな時間を過ごした方が体力も回復すると判断し、伝えずにいる事を選択する。
疲労困憊ながらも、なんとかかんとか行動する者たちを見て、問題なさそうだと判断した俊哉は、そっとその場から離脱する。
向かう先は、先ほど、美影が走り去って行った方向である。
少しばかり下山し、山頂からは影になって見えなくなっている場所に、彼女はいた。
「おんや、トッシー君じゃないの。何しに来たの?」
一早く俊哉の接近に気付いた美影は、彼が声をかける前に言葉を放ってくる。
そこでは、演武が行われていた。
観客は一人もいない。
ただ、研鑽するが為の舞踏。
全身に負荷をかける様に、肉体に動きを覚え込ませる様に、ゆっくりと、丁寧に。
魔力や超能力による身体強化は、行われている。
一見してみると、そうとは分からないだろうが、幾度となく彼女の寝首をかこうとしてきた俊哉は知っている。
雷裂美影という女は、寝ている時だろうと食事している時だろうと、いついかなる時であっても、最大限の身体強化を切らしていないという事を。
それだけでも異常な事だ。
無意識にすら刷り込むほどの、莫大な積み重ねがなければ不可能な芸当と言える。
とはいえ、それだけならば、非常識ではあれど、不可能とまでは言い得ない。
実際に、俊哉は同じような事が出来る。
昼も夜もなく明確な殺意を振りまく鬼師匠に追いかけ回されていれば、生き残る為に自然と身に付けざるを得なかった。
俊哉が異常だと思うのは、彼女から一切の魔力や超能力の余波を感じない事だ。
身体強化を、能力を使っているのだから、普通は使い切れなかったエネルギーが漏れ出てしまう。
きっちりしっかり、過不足なく消費する事は果てしなく難しい。
不可能ではないが、机上の空論と言われているほどの魔力操作難易度を誇る。
だというのに、彼女から何も感じない。
知っていなければ、無防備に立って動いているようにしか見えない。
それは、美影がその机上の空論を実現させているという事を示している。
加えて、彼女の周りには、無数の術式が展開されている。
雷球が浮かび、雷槍が刺さり、雷壁が聳えている。
美影の演武の節目ごとに追加されていくそれらは、一個一個はどうという事のない魔術であるが、複数を、それも数えきれない様な量を同時に、となるとやはり不可能に近い。
しかも、展開したまま、その状態を維持し続けているのだ。
常人が見れば、何らかのトリックを最初に疑うだろう。
流石にこれだけの魔力操作と並列処理は負荷がかかるのか、美影の額には汗が滲んでいる。
そうでなければ、修行にならないのだから当然だが。
それを化け物の中に残された僅かな人間性、と思いつつ、俊哉は答える。
「いやね、美影さんの修行に付き合わせて貰おうと思いましてね」
言いながら、美影の邪魔にならない位置に陣取りながら、彼も同じように型稽古を始める。
美影の行う物に比べれば、遥かに拙い出来栄え。
余剰エネルギーは漏れ放題だし、術式の展開は失敗したり、展開に成功してもすぐに崩壊してしまったりと、実に低レベルな物だ。
だが、俊哉はその事自体を嘆かない。
届かざる。
それを認める事こそが、次なる段階への一歩だと彼は信じている。
だから、いつか追いついてみせる、と心に固く誓い、一歩ずつ、確実に上を目指すのだ。
「ふーん。まっ、良いけど。でも、向こうの方は良いの?」
「放っておいた人間が言う事じゃないっすね。
まぁ、なんとか持ち直しつつありますよって。
テント張って、潜り込むくらいは出来んじゃないすかね?」
「そっか。じゃあ、次のプランを発動させても良さそうだね」
何気なく言われた言葉に、予想はしていても、受け止めきれなかった現実に俊哉は集中を大きく乱されてしまう。
せっかく、展開維持に成功していた術式が全て霧散してしまい、だが彼にそれを気にしている余裕はない。
「え、えー。やっぱりと言えばやっぱりなんすけど、やっぱり追い打ちかけるんすね」
「もち。限界を本気で攻めなきゃ、人は自分の限界を超えられないからね」
生物とは、弱い物だ。
楽な方に楽な方に、簡単に流されていく。
理性ある人であっても、同じ事だ。
自分は頑張った。
自分は努力した。
これだけやったのだから充分だ。
これ以上はもう無理だ。
そう言って、自らの限界を定めて、立ち止まってしまう。
だが、そんな事では限界を突き抜ける事なんて出来る訳がない。
限界の向こう側とは、極限状態にまで追い込んで、やっと辛うじて垣間見える……事もある、というものだ。
だから、徹底的に追い込む。
そこに躊躇も容赦もない。
そうしなければ、凡夫は凡夫のままだから。
「才能がないんだから、せめて命懸けっていう諸刃の剣を使わなきゃ駄目じゃん?
まぁ、自分で出来ないからこその凡人なんだろうけど」
「…………いや、まぁ、美影さんからしたら、そんな感じなんでしょうけどね」
才人と凡人を分ける、境目。
色々とあるが、決定的なのは一線を超えられるかどうかだと、俊哉は考える。
美影は誰に言われるまでもなく、自分を苛め抜いている。
自らの意思で、自らの力で、自らの限界という壁を殴りつけている。
狂っている。
それが一番の違い。
常人ならばブレーキを踏む場所で、彼女はアクセルを踏み込める。何の迷いもなく。
それがきっと、一番の才能の違いなのだと思い知った。
俊哉はそこまで狂えない。
何処かで無意識にブレーキをかけてしまう。
憎悪や憤怒という燃料があって猶、そこまでだ。
(……つくづく才能がねぇな、俺ってば)
再び、並列展開を行うが、二桁にも届かない数で限界となる。
俊哉の処理能力では、その辺りまでしか現状では出来ていない。
一方、美影の方は既に三桁を超えている。
しかも、時を追うごとに更に増えていく。
人外の行いだ。化け物と呼ぶに相応しい。
(……だけど、まっ、いつかは追いつくさ)
本当に追いつけるか、などとは考えない。
高き山を見せ付けられたのだ。
ならば、後は頂点を目指してひたすら登るのみである。
「……やっと来たね」
そうして決意を固めていると、美影の呟きが耳に届いた。
見れば、動きを止めた彼女は空を見ている。
俊哉もつられて空を見上げると、日が落ち、暗くなったそこから、白い粒がゆらゆらと落ちてきていた。
その正体は、
「……雪?」
冷たく白い、氷の結晶である。
何故、と疑問が脳を埋め尽くした。
今は六月。
まだ始まったばかりとはいえ、夏の季節である。
雨ならば分かるが、雪が降るなどあってはならない。
異常気象どころの話ではない。
「夏に降る雪、ってのも、中々風情があるね」
「……アンタの仕業っすね! 言うまでも無い気もするっすけど!」
「僕は頼んだだけだよ?」
自分が降らせている訳ではない、と否定する。
彼女の思惑の内である以上、あまりに無意味な言い訳だが。
邪悪な笑みを浮かべた美影は、俊哉に言い放つ。
「予定では猛吹雪になる筈だから、くたばってる連中を助けてあげなよ。じゃないと……」
本当に死んじゃうよ? と言う。
「本当に容赦ないっすね!
っていうか、教官役は美影さんなんだからアンタが助けてやれよ!」
「やーよ。
僕は鞭役なの。飴役は君か雫ちゃんに任せる」
言っている間にも、徐々に雪の密度が高まってきている。
本当に吹雪になりそうだ。
余力のある俊哉ならば、自力で暖を取る事も出来るが、疲れ切っている者たちは難しいだろう。
もうさっさと寝入っているだろうから、このままだとそのまま凍死しかねない。
訓練を中断した俊哉は、助ける気のない教官を一瞥する事無く、最速で山頂へと駆け上がっていった。
その背を見送りながら、美影は通信機を取り出す。
「じゃあ、あとは手筈通りによろしくね」
『承知しました、《黒龍》殿。我らの腕前、とくと御照覧ください』
暇をしていた砲撃隊から、とても頼もしい悪魔の了解が返ってきたのだった。
次回は多分せっちゃんサイド。
主人公の霊圧が薄い……。




