放免と編入
書籍化作業って大変に御座いますね。
偉大なる先人の先生方が苦しむのも分かります。
どんな仕事も楽じゃない、というのは世の真理。
剥き出しのコンクリートで出来た狭い部屋。
光を取り入れる窓は高い位置にある上に、太い鉄格子ががっちりとはめ込まれている。
反対側には横長の鏡が張られている。
だが、それがマジックミラーである事は、少しの知識と想像力があれば、簡単に推し量れるだろう。
室内には、飾り気のない机が中央に一つ、向かい合う様に安っぽいパイプ椅子が置かれ、部屋の隅にも一回り小さな机が置かれている。
取調室。それ以外の何物でもない。
そんな場所で、一人の少女が強面の巨漢と対峙していた。
「まずは、名前を聞こう。国籍もだ」
威圧的な問いかけに、少女はそっぽを向きながら、不機嫌そうに返す。
「黙秘。黙秘ですわ。弁護士を呼びなさい」
「入国、及び入島の目的は?」
「答える舌を持ちませんわ。まずは、弁護士を呼びなさい」
「近海にミサイルが落下したのだがね。君との関係は?」
「私は被害者ですわ。良いから、弁護士を呼びなさい。話はそれからですわ」
「君に、そんな権利があると思うのか?」
「無いんですの!? 何処の野蛮な後進国ですの!?」
「野蛮とは失敬な物言いだ。……カツ丼、喰うか?」
「食べ物で釣ろうしておりませんこと? 頂きますわ」
水色の髪の少女――リネット・アーカートは、憮然としつつも、しっかりと頷く。
ちなみに、これは茶番である。
いや、リネットの方は大真面目なのだろうが、高天原警備部の方は彼女の素性について、しっかりと把握している。
目的や入島経路なども、政府経由であるが、合衆国大統領直々の情報を得ている為、ほぼ間違いない。
美影に腕試しを挑む為や、ミサイルにしがみついてなど、大分、ぼかした表現ではあったが。
用意された丼を前に、彼女は両腕を掲げる。
「で、この手錠、外してくれませんこと?」
リネットの手首には、武骨な金属錠が嵌められており、自由に動かせない。
構造は、《六天魔軍》に施されているリミッターと同じ物であり、Sランクの魔力を持つリネットであっても、このままでは最低ランク程度の力しか発揮できない。
このままでも食事は可能だが、不自由を理由に外して貰おうと考えたのだが、
「嬢ちゃん、Sランクだろう?
外して暴れられると止められんから、悪いがそのままだ」
「チッ……!」
あっさりと拒否されてしまい、思わず舌打ちをしてしまった。
実際に彼女は、錠を外されたら即座に脱出しようと考えていたので、取調官の判断は間違っていない。
仕方なく、リネットはそのままの状態でカツ丼を食べ始める。
「美味いか?」
「まぁまぁ、ですわ」
「腹は一杯になったか? お代わりはいるか?」
「結構ですわ。御馳走様」
器を置いて、口元を丁寧に拭う彼女に、取調官はうんうんと頷き、
「では、尋問を再開しよう」
「まだ続けるんですの!?」
「当たり前だ。調書を埋めんと、俺も帰れんのだ。
カツ丼代くらいは素直になって欲しい物だな、まったく」
張り切って、茶番を再開した。
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マジックミラーの向こうでは、そんな劇を覗き見る視線があった。
「なんというか、案外、元気そうね」
美雲である。
衰弱状態から回復するや否や、即速攻で尋問を始められたリネットの様子を見に来たのである。
訳も分からず状況に流されている為、もしかしたら消沈しているかも、と気を揉んでいたのだが、どうやら杞憂だったようだ。
「あっ、受け入れ準備が出来たので、あとはこちらで引き取ります。
御迷惑をおかけしました」
「いやいや、仕事ですから。お気になさらず」
共に見ていた責任者に頭を下げ、感謝の言葉を伝える。
言葉の上では、なんて事はない、と彼は言うが、何処かほっとしたような表情が見え隠れしている。
それもそうだろう。
幾ら枷が付いているとはいえ、相手は本物のSランクだ。
彼女に課せられている魔力錠はあくまで出力を制限する物であり、魔力そのものはSランクの物を保有したままである以上、それを強引に引き千切る事も不可能ではない。
暴走という形にはなるが、そうなると己たちではとても抑えきれない以上、相手にしている間、とても気が休まらなかっただろう事は想像に難くない。
「では、後の事はお任せします」
「はい、任されました」
にこりと微笑み、美雲は取調室へと向かった。
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「失礼します」
コンコン、と形だけのノックをして、返事を待たずに入室する。
取調官はそれが誰なのかを声だけで見抜くと、席を立ちながら振り返る。
「これは、雷裂生徒会長。ようこそ、歓迎しますぞ」
「あはは、ここで歓迎されるのも、ちょっと困るかな。
それじゃあ、後は任せて貰っていいかしら?」
「はい。すみませんが、お願いします」
美雲に席を譲ると、取調官は隅で静かに記録していた書記官を連れて、部屋を出ていく。
完全に扉が閉じた所で、美雲は正面のリネットへと話しかける。
「初めまして、リネット・アーカート様。
私は、雷裂美雲と申します。よろしくお願いしますね」
「……そうじゃないかとは思っておりましたけど、やはりバレておりましたのね。
ええ、よろしくお願いしますわ、ミス・カンザキ。
自己紹介の必要は……ありませんわね?」
「ええ、知りたい事は全て知っておりますので、構いませんよ」
さて、と前置きをして美雲は早速本題へと入る。
「取り敢えず、アーカート様は我が国へと正式なルートで入国されたという事になりました。
なので、拘束はもういりませんね」
美雲が小さな装置を取り出し、スイッチを軽く押せば、それだけでリネットの両手首から僅かな作動音が聞こえた。
どうやらロックが外されたらしく、手を動かせば、簡単に錠が外れ落ちた。
リネットは自由になった両手首を摩りながら、安堵の吐息を漏らす。
「ふぅ。ようやく人心地つけますわ。
ありがとう……と言うのも違いますわね。
不当逮捕ですもの」
「いえー、不当ではありませんよ?
被害者というか強制だっただけで、アーカート様が不法入国者だったのは間違いありませんから」
「とても不本意ですわ」
「でしょうね」
彼女が太平洋上に放り出された経緯を知っている美雲は、苦笑しつつ同意する。
「それで、正式にお客人となられた訳ですが、目的は我が国の魔王……より具体的には雷裂美影、もしくは碓氷雫の打倒、という事でよろしかったでしょうか?」
「……そこまでバレておりますのね。
ええ、そうですわ。
取り敢えず、喧嘩を売るつもりでしてよ?
そういえば、貴女もカンザキ、ですわね。
《ブラック》ミカゲ・カンザキの縁者でしたかしら?」
知らないのか、と思いつつも、隠す事ではないので美雲はあっさりと頷く。
「ええ、彼女の実の姉となります。
……では、早速ですが、本題です。
碓氷雫は駄目ですが、雷裂美影でよろしければ、演習という形で喧嘩をする機会を設ける事が可能ですが、どうでしょうか?」
「……胡散臭いですわね」
リネットは、怪しい物を見る目を向ける。
あまりに、物分かりが良過ぎると感じたのだ。
仮にも彼女はSランク、魔王と称される位階にいる人間だ。
同じ魔王クラスである美影を打倒しうる可能性は零ではなく、だからこそこの様な私闘を許す事が信じられない。
絶対に公には認められない、そうと思っていたが故に襲撃する計画を練っていたリネットは、美雲の言葉を怪しまずにはいられなかった。
美雲は、リネットの視線を受けても、鉄壁の笑みを崩さずに言葉を紡ぐ。
「簡単な話ですよ。
魔王に所構わず暴れられると大変迷惑。
この言葉に尽きます。
御自分の破壊力くらい、自覚がありますよね?
下手な場所で衝突されると、被害が半端ではない事になりますから、せめて後始末のし易い場所でやってくれ、というのが私共の意見なのです」
「納得できる話ですわね。貴重な魔王を損なう可能性を考慮しなければ。
分かっておりますの?
私、殺す気で挑ませていただきますわよ?」
スティーヴン大統領は、首を取ってこい、とは言っていたが、実際に殺す必要はない。
勝利したという事実さえあれば、彼はきっと約束を守ってくれるだろう。
だが、一方でリネットは己の未熟さも理解している。
雫の様な特殊技能を評価された魔王を除けば、自分が第一線で活躍している二つ名持ちの彼らにはまだまだ及ばない事のだと理解している。
だからこそ、彼女は殺すつもりで挑むつもりだ。
手加減も容赦も躊躇もしない以上、勢い余って本当に殺してしまう可能性は充分に有り得る話である。
本気を滲ませたリネットの言葉に、しかし美雲は涼しい顔で答える。
「ええ、大丈夫ですよ。私の妹は、貴女には絶対に負けません」
「……言ってくれますわね」
これ程に舐められた発言をされて、笑ってスルー出来る程、リネットは大人ではない。
昂った感情に呼応するように、漏れ出した魔力が室内の温度を急激に下げていき、一部では氷結現象も見受けられる。
「誰が、誰に、勝てないのか、もう一度仰っていただけませんこと?」
「貴女が雷裂美影に勝てないと、そう言ったのですよ」
ふぅ、と小さく吐息する美雲。
瞬間。
彼女の視線が鋭く光った。
針のような視線に射抜かれた彼女は、一瞬、危険を感じて身構える。
だが、何も起こらない。
脅しの類だと理解した彼女は、羞恥に少しだけ頬を赤らめながら、強気に返す。
「……何ですの? 脅しのつもりですの?」
「いいえ。脅しではなく、迷惑行為を差し止めただけです。
夏の気配が近いとはいえ、冷房を利かせるにはまだ早いですから」
「何を言って……」
遅れて、気付く。
漏れ出していた自分の魔力が、完全に止まっている事を。
止めようとした覚えはない。
そうでないのに、止まっている。
ならば、それは誰かに止められているのだと、そう理解するのに時間はかからない。
では、誰が?
答えなど決まっている。
「貴女……! 何をしましたの!?」
動揺に、牙を剥いて噛み付くリネット。
いつもならば、感情に反応して漏れ出てしまう魔力が、やはり今は出てこない。
「少々、蓋をさせていただきました。
そうがなり立てずとも大丈夫ですよ。
一時間もすれば、何も問題なく消える程度の処理ですから」
「一体、どうやって……」
「それは企業秘密です。
ともかく、この程度すら跳ね除けられないのでは、雷裂美影に勝つ事は不可能ですから。
諦めろとは言いませんが、まぁコテンパンにされる事だけは覚悟をしておいてください」
美雲の超能力、封印を用いただけの事。
あくまで簡易的な処理であり、魔力操作技術に長けていれば、割と容易く打ち破れる程度の強度しかない封印処理だ。
無論、美影ならば一秒すらかからずに突破してしまう。
それを出来ない時点で、技量の差は語るまでも無い。
(……本気の美影ちゃんに勝てる訳がないのよね)
美雲は心の中で思う。
自分の弟と妹は、揃って天才的な怪物だが、どちらがより常軌を逸しているのか、と問われれば、彼女は間違いなく妹の名を挙げるだろう。
刹那は確かに優れているが、どちらかと言えばそれはスペック頼りな優秀さで、力任せという感が否めない所がある。
一方で、美影は技量という点で抜群に優れている。
彼女は並列処理において姉の事を天才だと言うが、姉の身から言わせて貰えれば、それは嫌味か何かか、と言いたくなるほどの言葉だ。
何故なら、美影の本来のスタイルである超特殊技巧《連弾壊砲》は、異常なまでの処理能力と魔力操作技術が備わっていなければ、ろくに使う事も出来ない代物だからだ。
少なくとも、美雲は挑戦してみても無理だった。
刹那と出会い、超能力を覚醒させて以降、彼女が《連弾壊砲》を使っている所を見た事がない。
だが、使えなくなった訳ではない筈だ。
《連弾》の制御に意識を割いていなければ、自分でも扱える《サウザンドアイ》で妹がのたうち回る事になるなど、考えられないのだから。
あの北の災い、最強の魔王ですら倒せるようになると豪語した切り札がある以上、本気になった美影をリネットが打倒できる可能性はない。
そんな思考を包み隠しながら、美雲は苛立ちを募らせているリネットに語る。
「まぁ、勝負は時の運とも言いますし、もしかしたら倒せるかもしれませんが、ともあれ、こちらはあまり心配していないという事で納得してください」
「……分かりましたわ。
絶対に吠え面をかかせて差し上げますから、覚悟しておきなさいな!」
「楽しみにしております」
叩きつけられた挑戦状を受け流し、美雲は続ける。
「さて、つきましては、アーカート様には高天原魔導学園に編入していただきます」
「何故ですの? 別に、学業に勤しむ為に来た訳ではありませんわよ?」
美影や、場合によってはその他の《六天魔軍》と戦う為に来たのであって、学業を修める為ではない。
そう言うリネットに、美雲は理由を語る。
「一つは、雷裂美影が学園に所属している事。
そうである以上、彼女と接点を持つには貴女も学籍を持っていた方が都合がよろしいでしょう?」
「なれ合いに来た訳でもありませんわよ?」
少しばかり不機嫌になりながら彼女は言うが、美雲は気にせず続ける。
「もう一点。アーカート様は、我が学園にある決闘システムをご存知でしょうか?」
「……ええ、知っておりますわ。アメリカにも似たシステムがありますもの」
「それは良うございました。
簡潔に言えば、そちらのシステムを用いて、合法的に雷裂美影との試合を組ませていただきます」
「見世物にでもするつもりですの?」
「貴女のご要望の為に、こちらが骨を折るのです。
少しはサービスしてくれませんと、こちらにも旨味がありませんから」
Sランク同士の戦闘など、そうそう見られるものではない。
自分たちのいる世界の頂点とは、どの様なものなのか、それを知る事は学園生徒にとってとても貴重で良い体験となる事だろう。
場合によっては、あまりに桁違い過ぎて心が折れてしまう者も出るかもしれないが、それで心が折れてしまうようならば、早めに新しい道へと進めるのだから、それはそれで良い事だろう。
戦場では、実力伯仲の者同士でマッチングされる訳ではないのだから。
時には、遥か格上であろうとも、勝てぬと分かっていても、挑まなければならない場合もあるのだから。
もしも、これが断られるようであれば、リネットには丁重にお帰りいただく。
瑞穂統一国にとって、何一つとして協力する旨味がないのだから当然だ。
抵抗するようであれば、可哀想だが暇している連中総出で袋叩きにした上で、大統領宛に抗議文を添えて郵送する手筈となっている。
この場合は、対魔王戦闘の経験値が積めるという事で、統一国としてはむしろこのパターンを望んでさえいた。
「お返事は?」
笑顔で問いかける美雲に、逡巡する顔で百面相をした後、リネットは渋々という様子を隠しもせずに頷く。
「……分かりましたわ。それが条件という事なら、受け入れますわ」
「ふふっ、賢明な判断です。
では、これからは学友ですね。よろしくお願いします」
美雲が右手を差し出せば、少しぶっきらぼうな調子でリネットもその手を握り返す。
「ええ、よろしくお願いしますわ」
そういえば、書籍化の都合で「日本帝国」から「瑞穂統一国」へと名称が変更になっております。
他にも、細かな変更点はあったりも。




