女神の心
朝鮮半島において、勃発した戦争。
最初期こそ混乱があったが、その後は終始、日本帝国優勢で状況は進んでいた。
順当に戦場は移動していき、今では朝鮮王国首都を目前とする場所にまで至っていた。
「……まだだ。まだ、手はある」
御前会議場に、憔悴した声が弱々しく広がる。
首都目前にまで攻め込まれて、ようやく現実が見えてきた王子の一人が発したものだ。
他の王子たちも、流石に認識が現実に追い付いてきたのだろう。
声を発した者と同じように、消沈した空気を放っている。
元々、混乱の隙に一当てするだけのつもりだった。
一部は本気で日本帝国を攻め落とせる、などと思っていたようだが、ほとんどは嫌がらせ程度のつもりであり、あわよくば対馬くらい切り取れれば御の字、くらいの気持ちだった。
朝鮮王国と日本帝国の確執は前時代の頃からの物であり、第三次世界大戦終結以降も続いている。
その感情に基づいた小さな嫌がらせは、今までに何度も行ってきた。
今回も、そのつもりだった。
誤算は、時勢が悪かった事。
国境や人種などにかかわらず、人類そのもの、悪ければ地球自体が破滅しかねない状況下において、足並みを揃えられない者たちは敵よりも恐ろしいものだ。
いつ背中から撃たれるかも分からない、そんなリスクを背負うくらいならば敵よりも先に叩いておこうという物が世界の意思だった。
故に、日本帝国は苛烈な攻撃を行い、周辺国もその事に対する抗議を一切しなかった。
その結果が、これである。
会議場の扉が大きく開かれる。
「ほ、報告します!」
入ってきたのは、軍服を纏った青年。
伝令である。
「防衛線が突破されました!
現在、悪辣なる倭軍は首都を包囲するべく動いている模様です!」
「……なんという事だ」
頭を抱える。
首都防衛線を張っていたのは、奴隷を主とした使い捨てではない。
朝鮮王国が保有する最高の戦力を集結させた部隊だった。
それが突破されたという事は、実質、全戦力を失ったに等しい。
「何を言っているのだ!
勇猛にして勇敢である我らに、劣等種の倭猿が打ち破れん筈はない!
正義を掲げて突き進めば、勝利は必ずや我らの手に!」
「ならば、お前一人で行ってくるがいい、阿呆が」
現実が認識できていない一人が叫び、認識できている一人が吐き捨てる。
「何を、貴様! 我を愚弄するのか!」
「阿呆を阿呆と言って何が悪い! 気合で何とかなる状況だと本気で思っているのか!」
感情に突き動かされた取っ組み合いが発生する。
会議の形をしていないが、この段に至ってはもはやそれくらいしか出来る事がない。
指揮すべき、動かすべき戦力自体が存在しないのだから。
「…………何用か」
近頃、発言らしい発言をしてこなかった国王が、久方ぶりに言葉を発す。
見れば、入り口に所在なく突っ立っている伝令兵の隣に、白い女性がいた。
虚ろな目をした、黒い衣を纏う赤髪の魔女を伴って。
「何用、か。
そうよのぅ。
困難に直面しておるようじゃから、少しばかり手を貸してやろうかと思っての」
「おお! 相談役殿が参戦して下さるのであれば、百人……いや、千人力ですぞ!
倭軍如き、鎧袖一触に叩き潰してくれよう!」
白い女の言葉に、気勢を取り戻す王子たち。
彼女の破壊力は彼らも知る所である。
世界に名だたる魔王たちにも引けを取らない彼女ならば、魔王が不在の帝国軍など、簡単に排除できると考えた。
だが、白い女は首を横に振る。
「いや、いや。何故、我が出ねばならぬのじゃ。
自らの危機を救うは、常に自らのみであるぞ」
「で、では、どのように力を貸そうと……」
問いかけに、にこりと綺麗な笑顔を向ける。
「このように、じゃな」
腕を一振りする。
途端。
「ぐぶっ」「がぁ」「うぐ、ぎっ」
王子たちが血反吐を撒き散らしながら、苦悶の呻きを漏らす。
まるで全身が心臓になったかのように脈打ち、皮膚が破けて血を噴いては即座に修復される、という事を繰り返す。
それを重ねるごとに段々と異形の姿へと変わっていく。
おおまかに人のような形をしているが、明らかに人ではない。
鬼や悪魔、妖怪か獣人のような、そんな怪物になってしまう。
「ふぅむ。こうして見ると、やはり全ての起源は人間なのかのぅ」
「「「GYAOOOOOOOOOOOOOOO……!!」」」
理性なく雄叫びを上げる怪物たちを見上げながら、白い女はほのぼのと呟く。
視線を奥の玉座に移す。
そこに腰かけた国王は、人の姿をしたままだった。
「……少しは狼狽えてくれると、我も嬉しいのじゃがな」
彼は動揺する様子もなく、眼前の光景をゆったりとした調子で眺めている。
仮にも実の孫たちが異形の怪物となったというのに、あまりに反応が薄い。
さもありなん、と白い女は思う。
国王は既に国に見切りを付け、人生に飽いている。
人生をかけて行ってきた改革が無為に終わったのだ。
全てを投げ出したくもなるだろう。
孫の事すらどうでもよくなるくらいに。
「別に、構わぬ。それで? 余も異形となるのか?」
「それが良いかの? 別に餌になる必要もないであろうしな」
恨み辛みでもあれば、嫌がらせ代わりに生きたまま食わせもしただろうが、白い女には特に思う所はない。
なので、理性も何もかもなくなるように、速やかに異形となって貰った方が幸せであろう。
パチン、と指を弾く。
それを合図に、国王の身が膨れ上がる。
ボコボコと醜く歪み、化け物へと変わっていく。
「これで良し、と。
まぁ、駄目押しじゃが、少しは危機感を煽ってやれるじゃろう」
先の異界門によって、世界中が侵略者の存在に危機感を抱いているが、次が起きていない為にまだ何処か対岸の火事という意識がある。
今回の件は、その背中を押してやる一助になるだろう。
「ひっ、ひぃ! ひぃあああぁぁぁぁぁぁ!!??」
隣から悲鳴が聞こえた。
伝令を持ってきた青年だ。
腰を抜かせた様子で、尻餅を着いて後退っていた。
それを見て、白い女は思い出したように呟く。
「ああ、そういえばいたのぅ、おぬし」
「た、た、助け……助けて!」
「んー、取るに足らない故、わざわざ殺す理由も無いのじゃが、助ける理由も無いの。
まっ、殺しはしない故、頑張って生き延びるが良いぞ」
「そ、そんな……!?」
白い女はさっさと踵を返して立ち去っていった。
「「「GYYYYYYAAAAAAAAAAAAAA……!!」」」
「う、うわあぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ……!?」
その後で、怪物たちの雄叫びと、青年の断末魔の悲鳴が響き渡るのだった。
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白い女――女怪ノエリアの立ち去った会議場に、血飛沫が撒き散らされる。
青年の血ではない。
暴れ回る怪物たちの血だ。
首を一太刀で落とされ、噴水の様に派手に血を噴いている。
「さてさて、なんとか切り抜けられたようでありますな」
今の今まで腰を抜かせて無様な姿を晒していたとは思えないほど、軽快な様子で立ち上がった青年は、冷たい笑みを浮かべて呟く。
その手には小太刀型のデバイスが握られており、怪物の血が滴っている。
さらり、と、青年の姿が揺らぐ。
霧のように青年兵の皮が剥がれ落ち、代わりに現れるのは漆黒の軍服を纏った女性――《怪人》ナナシである。
「まったく、情報収集に来ただけで敵首魁と鉢合わせるとは。運が悪いでありますなぁ」
情報部の人間として、軽い気持ちで敵の頭を拉致しに来たのだが、まさかノエリアがやってくるとは思っていなかった。
己ではまるで歯が立たない存在の登場に、ナナシは内心では大いに慌てていた。
正体がばれたら殺されるか拉致されるか、ばれずとも気まぐれに殺されるのではないか、とかなり不安だった。
結局は、大した興味を抱かずに立ち去ってくれた。
「いや、あれは見逃してくれたのでありますかな。
何も気付いていなかった、と考えるのは、些か楽観が過ぎますな」
事のついで、とノエリアにまで裏で手を出してしまっていたのは、情報部の人間の性だろう。
そこまでされて気付かれていない、とは到底思えない。
小太刀を一振りして血糊を落とすと、待機状態に戻して仕舞う。
二匹はさくりと仕留めたが、残りはナナシに恐れをなしたか、最初から興味を抱かず、壁を破壊して外へと逃げ出している。
とはいえ、危険度は然程高くない、と彼女は判断していた。
どうやら異形と化していただけで、能力的には取り立てて強化されていなかったようなのだ。
これならば、先の異界門事件で現れた、魔王化した《嘆きの道化師》たちの方が強力だっただろう。
あの程度ならば、外に布陣している友軍に任せておけば良い。
首都にいる一般民には被害が出るだろうが、帝国民ではない以上、ナナシが気にかけなければならない理由はない。
「魔力の過剰活性による異形化、でありますか。
まぁ、危険性そのものは刹那殿の理論にて提唱されておりましたが、本当に見せられると困りますなぁ」
個人的には、異形の姿となる事自体に抵抗はない。
どうせ、確固たる自分の姿という物を誰にも見せていないのだ。
諜報員として、様々な姿へと都合よく化けているナナシにしてみれば、本性がどんな形をしていようと、大した問題ではない。
とはいえ、一般論として、己が異形となる事に忌避感を抱くのは当たり前の事だ。
それくらいの常識を知識としては持っている為、こういう事を容易くできると目の前で実践されてしまっては、警戒を抱かずにはいられない。
「刹那殿の抗魔力製剤で、何処まで対処できるものなのか。
何処かで実験をしておきたい所でありますな」
ともあれ、この場でやるべき事は終わった。
朝鮮王国重鎮たちの精神のコピーは完了しているし、思わぬ土産として女怪ノエリアの物も、ダミーか本物かは分からないがコピーできた。
書類だのなんだのは友軍に任せて、ナナシはとっとと退散しようと思考する。
瞬間。
一人の青年が空間を裂いてこの場に降り立った。
スーツを着た彼は、雷裂刹那である。
「むっ、何故腹黒女がここにいるのかね?」
ナナシに気付いた彼が疑問を口にする。
「それはこちらの台詞であります。女怪殿ならば、既にいないでありますよ」
「それは知っている。だから、私が来たのだ。下
手に顔を合わせてみろ。地球が抉れるぞ」
「まぁ、それもそうでありますなぁ。はた迷惑な御二方であります」
破壊力が高過ぎて動くに動けない二人である。
時と場所を弁えねば、それだけで地球が砕け散りかねない。
「私は単なる調査だ。
女怪がここに現れた様なのでな。
何をしていたのか、調べねばなるまい」
「自分も似たようなものでありますよ。
現在、戦争中の敵の頭を頂戴しに来たのであります」
「成程。ご苦労な事だね。
ところで、女怪の事を知っているという事は、顔を合わせたのかね?」
刹那は問いかけながら、室内をうろうろと歩き回る。
サイコメトリー能力を駆使して、あちこちの詳細情報を取得しているのだろう。
「ええ、まぁ。向こうは気付いていたのか否か、分かりかねますがね。
刹那殿ならば、自分の変装に気付けますかな?」
「……興味を持てば、気付けるだろうな」
気を惹かれなければ、幻術を使っているかどうかは分からないが、気を惹かれれば、一目で看破できる。
刹那がそう言うと、ふむ、とナナシは頷く。
「では、気付かれていたと考えるべきでありますな」
「その上で見逃された、と」
「どんな理由が考えられますかな?」
眼中に無し、というのがナナシの本命である。
だが、刹那は別の答えを口にする。
「何かを流す気だったのではないかな?
おい、腹黒女。
貴様、女怪の精神のコピーを取れたのかね?」
《怪人》ナナシの情報収集の常套手段は、対象の記憶や知識を丸ごと写し取るという物だ。
無論、そのままではとても解読できないが、そこに素直で協力的な人格をインストールしてやれば、勝手にペラペラと喋ってくれる。
尋問や拷問をする必要もなく、得られた情報が嘘かどうかを考える必要もない、諜報部にとってはとても有用な技能である。
とはいえ、精神防壁の高い相手だと、それが弾かれる場合がある。
刹那が良い例だ。
彼の心を写し取ろうとした事は、何度もある。
というか、顔を合わせる度に挑戦している。
だが、今までに成功した事はない。
接続出来た事すらない。
「一応は、取れましたな。しかし、偽情報ではありませんかな?」
だからこそ、彼と互角の戦いを演じた女怪の心を写し取れた事が信じられない。
何らかの罠が仕掛けられているのでは、と疑っている。
あるいは、逆に精神汚染をされているかも、とすら思っている。
帰還したら精神検査が必要だ。
「ならば、そこにメッセージが載っているだろうな。
とっとと帰還して、解読に励みたまえ」
「……ちなみに、刹那殿ならば、ダミーの心を見せる、という事も出来るのでありますか?」
「何を言っている。当たり前のように出来るに決まっているではないか」
「決まっているのでありますか……」
何でもありでありますな、と呟く。
一頻り室内を見て回った刹那は、舌打ちを一つ残す。
「チッ、碌な痕跡が残っていないな。
面白い新情報もないし、とんだ無駄足だ」
呟きを漏らすと、挨拶もなく、さっさと消えていった。
残されたナナシは、肩を竦めて踵を返す。
「ああ、そういえば、炎城永久の事を伝えるのを忘れていたでありますな」
ノエリアに付き従っていた黒い魔女――炎城永久。
虚ろな目をして、随分と壊れた様子だった。
そして、その身から放たれる圧は異様な物だった。
少なくとも、古参の《六天魔軍》であるナナシをして、無警戒に挑みたいとは思わせない物があった。
それで刹那を脅かせるとは思えないが、雷裂の姉妹相手ならば通用するだろう。
刹那は人類が持つ最大の切り札である。
彼の不調は看過できるものではない。
彼という戦力を安定して運用する上で、雷裂姉妹の安全は保持されなければならない。
である以上、今の炎城永久は間違いなく脅威である。
「……まっ、あの連中なら何とかするでありましょうな。自分が気にするまでもなく」
情報を伝えていさえすれば、自分たちで何とか出来る。
その程度には彼女たち――不本意ながら妹の方も含めて――の事を評価しているナナシは、静かにその場から離脱するのだった。
兄弟から旅行の土産に、いりこ出汁を貰った。
土産をくれるのは有難いのだが、何故、いつもご当地調味料なのだろうか。
謎は深まるばかり。




