閑話:人形の想い
短め。
今更な誰得回ですまぬ。
……私は、何故、ここにいるのでしょう。
ぼんやりとした意識で、そう思う。
意識がふわふわしている。
身体もふわふわしている。
どちらが下で、どちらが上なのか、それも分からない。
よく分からないけれど、なんだか心が軽い。
解き放たれた様な、重い荷物を降ろした後の様な、そんな浮ついた気分だ。
でも、だからこそ、色んな事が考えられる。
始まりは……なんだったっけ。
そうだ。
頼れるお兄様が、頼りない男になったんだ。
魔力資質が安定する五歳になった時、行われた魔力検診。
私たちは〝八魔〟と呼ばれる家柄の直系の子供で、だからどんなに落ちこぼれでもCランクくらいの魔力はある筈だった。
なのに、あの男は魔力を持っていなかった。
変わり始めたのは、確か、それが始まり。
それまでは優しくて、頼りになる凄いお兄様だと思っていた。
だけど、魔力がなくて、本当は力なんて無くて、だから私は失望したんだ。
でも、何で? 何で、私は失望したんだろう。
お兄様は、優しかった。
いつも側にいてくれた。
私が泣いている時、いつも頭を撫でてくれた。
お父様もお母様も家を空けがちで、お姉様も勉強が忙しくて。
でも、私は寂しくなんて無かった。
だって、お兄様が一緒にいてくれて、一緒に遊んでくれたから。
なのに、私はお兄様を……。
いや、理由なんて分かってる。目を逸らしていただけ。
お父様とお母様が、ゴミと呼んだから。ただ、それだけ。
幼かった私には、それ以上の理由なんていらなかった。
それを後押しするように、お姉様もお兄様から距離を取っていた。
お父様もお母様も、お姉様だってそうしているのだから、そうする事が正しいんだって、あの時の私は思っていた。
それが最初の間違い。
あの時、私がお兄様の味方をしたとしても、何かが変わったとは思えないけれど、でも何かが変わったかもしれない。
そして、お兄様を遠ざけて過ごす内に、いつの間にかあの人は消えていた。
裏切られたと思った。
とても身勝手で、とても滑稽な話だ。
裏切ったのは私で、裏切られたのはお兄様の方なのに。
でも、あの時の私は、そう思ってしまった。
いつも一緒にいてくれたのに、と。
いつだって助けてくれたのに、と。
何で勝手にいなくなるんだ、と。
お兄様がいなくなってから、お姉様への両親の当たりが強くなった。
八魔に相応しき魔術師にする為だ。
きっと、両親もお兄様に期待していたんだと思う。
女性の当主や魔術師がいない訳ではないけど、やっぱり家の繁栄・存続を考えた場合、男子に継がせる方が良い。
だから、唯一の男子であるお兄様に期待をしていた。
それが駄目になったから、少なくとも魔術師としての才能に恵まれたお姉様に、一切の隙の無い当主になって貰おうとしたのだろう。
文字通り、血反吐を撒き散らす様な苛烈な教育。
日に日にやつれるお姉様だけど、私に出来る事はない。
才能に劣る私では、代わってあげられる事なんてない。
両親に、訴えた事もあった。
お姉様を虐めないで、って。
その時、両親は答えた。
全部、お兄様が悪いのだ、と。
あれが期待に応えなかったからだ、と。
それが二つ目の間違い。二つ目の分岐点。
私は、素直にそれを信じた。
多分、幼かった時の、裏切られた、という想いがそれを決定づける一因だったと思う。
それからの私は、寂しかった。
両親はこちらを向いてくれない。
何かに憑りつかれた様にお姉様に厳しくするばかり。
お姉様も見てくれない。
自分の事が精一杯で、私を構うだけの余裕なんてない。
その寂しさの捌け口として、お兄様への憎悪が丁度良かった。
全部、期待に応えられなかったあの男が、勝手にいなくなったあの男が、全部全部悪いんだって、そう思う事で自分を慰めていた。
そうしなければ、両親やお姉様を恨みそうだったから。
お兄様はもういないのだから。
何の痛痒も受けない亡霊なら、恨む相手として丁度良かったんだ。
そうして感情を処理していれば、表面上は取り繕う事ができた。
自分は大丈夫だって、両親にもお姉様にも迷惑をかけない良い子でいられた。
でも、やっぱり寂しくて。
頑張ったら見てくれるんじゃないかって、そう思っていたけど。
やっぱり魔術師の才能は絶対で、どれだけ頑張っても秀才止まりで、結局、両親は見てくれなくて。
募った感情を憎悪に変えて過ごす、悪循環。
そんな歪な成長をしてきた私は、とても不安定だったと思う。
ちょっとしたきっかけで壊れてしまう程に。
その引き金は、最近、引かれた。
死んだと思っていたあの人が、お兄様が帰ってきた。
心の中に凝り固まった憎悪が爆発した。
同時に、もしかしたら、なんて思ってしまった。
昔みたいに、優しかったお兄様が帰ってきて、一緒に過ごしてくれるんじゃないかって、そう期待してしまった。
なんて愚かなんだろう。
あまりの滑稽さに笑いが出てくる。
先に切り捨てたのは私だっていうのに、先に絆を壊したのは私だっていうのに、昔みたいになんて戻れる筈ないのに。
入学式の後、こっそりと彼の寮を見に行った。
妹を守るのは兄の役目だって、前と同じように笑って言ってくれるんじゃないかって、勝手な期待して。
そこにいたのは、かつての面影のあるお兄様。
かつての優しくて頼り甲斐のある力強い笑みを浮かべるお兄様。
だけど、それを向けられているのは私じゃなくて、新しい家族、新しい妹に対してで、お互いに全く遠慮のない関係はあまりに自然で、とても私が入り込む隙間なんて無くて。
そこからの記憶は曖昧だ。
感情がぐしゃぐしゃになって、私が私じゃなくなったみたいで、気付けば事を起こしてしまっていた。
両親はお姉様が潰して、私はお姉様を失望させて、家族はバラバラになって。
全ては自業自得だけど、でも私はそれを認めたくなくて、やっぱり矛先をお兄様に向けるしかなくて。
頑なに認めず、ひたすらに恨まずにはいられなくて。
そんな憎悪を利用されて、私は道を踏み外して。
いつの間にか、祖国に歯向かっていて、お姉様を分からず屋だと断じて、それからそれから――
「思い悩まずとも良いのじゃぞ」
とても、甘い声が私の思考を散らす。
ふわふわと浮いていた身体が、温かくて、柔らかい物に抱き止められる。
まるでそれは母に抱きしめられているような、そんな無条件の安心感を与えてくれる。
するりと意識の中へと入ってきて、凝り固まった憎悪を解き放ち、新たに生まれた後悔も薄れていく。
代わりに生まれるのは、何者をも寄せ付けない万能感。
しかし、それもすぐに泡沫が儚く消える様に、溶けて消えていく。
「頼れる者がおらず、寂しかったであろう。
頼れる者が己を見てくれず、悔しかったであろう。
良い良い。存分に吐き出すが良い。
さすれば、楽になれる。
何も考えず、ただ身を任せるが良い。
我が全て受け止めてやろうぞ」
嗚呼、心地良い。
いつまでも身を浸していたくなる様な、何処までも甘い安心感が全身を満たしている。
私は、この人に頼って良いんだよね? ねぇ、お姉様、お兄様。




