ババアだからか?
「で、女怪は一体何をしに来たのかね? 観光か?」
「……まぁ、そんな所じゃ。
ところで、汝、どうした。体積が半分くらいしかないぞ?」
いまだに下半身のない刹那の姿に、女怪は呆れの視線を禁じ得ない。
いや、確かにその程度で死にはしないだろう。
自分だって死なないのだ。刹那が死ぬ道理がない。
とはいえ、それは死なないというだけで、不便……というか、ある筈の物がないという不快さと、単純に見た目が悪いという理由もあり、女怪ならば即座に元に戻す。
そのまま放置している刹那の精神がいまいち理解できない。
「ふっ、イメチェンだ。似合っているだろう?」
「汝の異常性を端的に表現する、素晴らしいファッションと言って言えなくもない気もするのぅ」
「そう褒めるな。照れるではないか」
和やかな会話。
その裏では、念力と魔力がお互いを張り倒そうと激しく攻防を繰り返している。
尤も、お互いに地球を壊す事は本意ではない為、相当に手加減した物ではあるが。
その分、やり合う手数の量は異常なものとなっている。
「それで? 俺のファッションを褒め称えに来た訳でも、観光という訳でもなかろう?
本当の所を語りたまえよ」
「……そんなもん、こやつらの回収に決まっておろう」
女怪の足元には、ボロ雑巾の様になった永久と、小さく圧縮されたショゴスがいる。
刹那は隙を見て狙っているのだが、今の所、女怪に完璧に防がれている。
その点を見れば、嘘という訳でもないのだろう。
「それだけか?」
「今回は、の」
一応、朝鮮王国内に立場はあるのだが、今回の事はもはや自分にはどうしようもない。
無論、本気で手出しをすれば、幾らでも巻き返す手段はあるのだが、それをしてやるほどの義理も利用価値も存在しない為、大人しく脇で見ているだけに留める事としたのだ。
刹那は腕を組んで僅かに思考する。
そして、隣で青い顔をしている久遠をちらりと見る。
彼女は超能力者ではない。
故に、刹那の振るう力は感覚として認識できない。
しかし、魔術師ではある。
故に、女怪の振るう力を感覚として認識できている。
おそらく、その人外の魔力に当てられているのだろう。
顔色だけでなく、小刻みに震えており、とても割って入れる状態ではなくなっている。
割って入った所で、彼我の実力差からしてどうにかなる物でもないが。
刹那は小さく嘆息しつつ、言う。
「まぁ、そっちのチャレンジャーはどうでも良いのだが……そっちの粘性生物は返して貰うぞ」
少し強めに念力を放ち、女怪の防御の手を強引に弾いて、ショゴスを取り上げる。
「てけり・り!? てけり・り!」
「喚くな。生みの親の躾けは厳しいぞぅ」
再び囚われたショゴスは、助けを求める様に鳴き声を上げるが、念力がぎゅっと締め付けて二分の一くらいの大きさに圧縮される。
「そうはいかん」
攻防が逆転した両者は、ショゴスを巡って力を打ち合わせる。
鬱陶しそうに顔を顰めながら、刹那は問いかける。
「おい、女怪サノバビッチ。
何故、これに執着するのかね? お前は何がしたいのだ?」
「女怪ではない我には答える義務はないの。
たとえ、それが我に向けられた問いであろうと、答える気は毛頭ないが」
「あれか? 物語でよくある尺伸ばしの為の核心隠しかね?
そんな演出はいらんぞ。物語の登場人物気取りか」
「……一応、ちゃんとした理由のある現実的判断なのじゃがな」
女怪の反論に、刹那はわざとらしく額に手を当てながら天を仰ぐ。
「その理由も言わず、目的も言わず、ただ従順に納得しろ、と?
馬鹿にするにもほどがあると思わないかね?
ああ、思わないのか、脳足りんめ。
やはり、女怪だな。サノバビッチの名が相応しい」
「女怪女怪と言うでないわ、ド阿呆が!
我にはちゃんとした名があるわ!」
「それを知らんから、適当に名付けているのだろうか。
悔しかったら名乗りの一つでも上げてみたまえ。
ああ、名乗るならまずは自分からだな。
俺の名前は、雷裂 刹那と言います。
どうぞ、よろしくお願いします」
「あー、あー、よろしくの!
我はノエリアじゃ! ノ・エ・リ・ア!
覚えておくが良いわ!」
「…………ノエリア・サノバビッチ?」
「だから! それを外せとッ!」
いい加減、我慢できなくなった女怪――ノエリアは、羽衣を大きく伸ばす。
先端を極限まで硬化させたそれをしならせ、高速で刹那へと叩きつける。
これまでひたすらショゴスを取り合ってやりあっていたが、逆に本人への攻撃は牽制程度しかしてこなかった。
それ故に油断していた。
余裕ぶっこいていた刹那は、あっさりとバリアを突破され、思いっきり吹っ飛ばされる。
「ぐぶふっ!?」
「あー、スッキリした。
あと、最初からこうしておけば良かったかの」
言いつつ、内心では否定する。
今の不意打ちが決まったのは、ショゴスを巡って争っていたが故であり、最初から刹那を狙っていた場合は防がれていただろう。
守り手が盛大に吹っ飛ばされたおかげで、悠々とショゴスの回収に成功するノエリア。
「お前! なんて卑怯な事を!」
「卑怯ではないわ、阿呆が! 油断しておった汝が悪い!」
即座に戻ってきた刹那が抗議の声を上げるが、ノエリアは反射だけで反論する。
まさにその通りである。
そうとしか言えない反論だった。
よって、刹那は別の切り口から攻め立てる。
「ええい、お前、泥棒は犯罪だと親から教育されなかったのか!?
この恥知らずめが! 一体、どんな教育をされたのか!
親の顔が実に見てみたいね!」
「既にこの世界的にテロリスト扱いじゃろうが!
今更、盗みの一つ程度に臆すると思うておるのか!?
というか、教育というなら汝こそじゃろうが!
一体、どうしたらここまで歪むのじゃ!
汝は守護者じゃろうがッ!」
「生みの親は幼い俺を捨て、育ての親は死毒に侵された大自然であり、現在の親は放任主義者ですが、何か?」
「そりゃ歪むわな」
納得してしまったノエリアは、どうしようもないと天を仰ぐ。
「それはそれとして、とっとと返せ。それは雷裂所有の物だ」
「嫌じゃ」
「どうしてもか?
なんなら、お前の名前をきっちりと〝ノエリア〟に訂正しておいてやるぞ?」
「訂正も何も、汝が勝手に女怪呼ばわりしておるだけじゃろうが」
「ふっ、情弱め。
既に〝女怪サノバビッチ〟の名で全世界に指名手配されている事を知らんらしいな」
「ちょっ! きさっ! な、なんという事を!?」
再度、強めの攻撃を叩き込むが、流石に今度はガードされてしまう。
油断さえしていなければ、星も砕けない一撃など容易くいなせるのだ。
「クックックッ、訂正してほしければ大人しくそれを返す事だな。
始祖の名が地の底にまで墜ちる事になっても良いのかね?」
「……………………好きに、するが良いわ」
苦悩した挙句、血反吐を吐き出す様な、そんな切実な声を絞り出す。
「名など、大した事ではない。始祖の名声とて、我には必要のない物じゃ」
「その割には随分と声が震えているようだが……まぁ良い。
それなら遠慮なく女怪の名を広めておくとしよう」
そこに容赦も慈悲もない。
そして、刹那は笑顔で手を差し出す。
「では、代わりの提案だ」
「何じゃ、その顔は」
「ん? 借金取りの笑顔だとも。
そう、レンタル料という物を払え、レンタル料を。
第八研究所を襲撃した件、発生した損害の賠償、精神的苦痛の賠償、その他諸々の諸費用も支払って貰おうか」
「金の問題か!」
「金の問題だ。大抵の事は金で解決できる。
まぁ、賠償金は分割でも良いが、レンタル料金は一日単位で増やす所存だから、一括で払わんと一生借金漬けだぞ」
「……幾らじゃ」
ノエリアとしては、金で解決できるならそれで良いとも思った。
この場で完全に決裂し、刹那とやり合う事にメリットは一切ないからだ。
ならば、穏便に金銭での解決は望む所である。
この二百年の間、暇潰しにあちこちからちょろまかした貯えが幾らかあるので、それで賄えるだろうと判断したのだ。
しかし、彼女は忘れている。
刹那は〝雷裂〟なのだと。
地球を売り買いできるほど、などと実しやかに囁かれるだけの総資産を誇る、金銭感覚の壊れた一族に属するのだという事を。
「日に一兆な。
ああ、単位は米ドルだぞ。安い通貨で誤魔化せると思うな」
「高いわ、阿呆が!」
「支払えないと? チッ、この貧乏人め」
「うおぉ、ここまで理不尽な罵りは初めてじゃぞ」
億くらいを覚悟していたし、それ位ならば、たとえ米ドルであろうと支払えた。
短期間にはなるであろうが。
だが、まさか兆単位になろうとは。
「な、汝にだって払えんじゃろうが!? 兆単位の金なんぞ……」
負け惜しみのつもりで言うが、しかし相手はしれっと言う。
「出せるぞ」
「は?」
「俺なら、米ドルで兆くらい出せると言っているのだ。
俺がどれ程の稼ぎを持っているのか、ちゃんと調べてから物を言いたまえよ」
「ま、マジか……」
例えば、特許。
有用な技術のそれを幾つも保有しており、何をせずとも収入がある。
例えば、発電所。
超能力を物体に付与する、という荒業を編み出した事で、念力を付与した装置を繋げるだけで勝手にタービンが回る設備を作った。
例えば、希少映像や物資。
科学全盛の時代でも、現在の魔術時代でも到達していない場所――太陽系外など――であろうと、超長距離転移が可能であり人外の生命力を持つ刹那には散歩と変わらない。
平気で往来し、外宇宙の生の映像や構成物質を運び、高額で売り払っている。
などなど。
挙げ始めたらキリがないほどに、あちこちで金銭を荒稼ぎしている。
一年通してまるごとレンタルした所で、問題ないと断言できる。
「さて、貧乏人よ。
支払えないとあらば、やはり回収せなばなるまい」
「チッ! やはりやり合うしかないのかのぅ」
交渉は決裂した。
となれば、あとはぶつかるしかない。
魔力を練り上げ、臨戦態勢を整えるノエリア。
「ふっ、下手な事は止めておけ。これがどうなっても良いのか?」
だが、刹那は余裕を崩さず、ただ片手を掲げてみせる。
その手の先には、一個の光球が浮かんでいた。
神々しくもあり、禍々しくもある、不思議な輝きを放つそれ。
それを認めた瞬間、ノエリアは顔色を変える。
「それは! 終末の呼び水……!」
「そんな名なのか? お前の始原の力を発展させてみた結果、見つけたのだが」
「そんな制御の効かんエネルギーをぽんと出すでないわ!
地球を消滅させたいのかや!?」
「ああ、確かに制御は難しいな。
さっきも一個星を半壊させてしまった」
二人の会話に、隣で聞いていた久遠はぎょっとした顔をする。
それを無視して、刹那はお手玉でもするように両手で終末の光を弄ぶ。
「ふふふっ、さてどうする?
お前と戦うとなれば、俺も全力で相手をしてやらねばならんからなー。
うっかり制御が外れてしまうかもしれんなー。
そうなると、地球は跡形もなくなってしまうなー。
ああ、とても困った」
「……ならば、全力で逃げさせて貰おうかの」
「俺が逃がすとでも?
その場合も、ああ、やはり全力を出さなくてはな。
つまり、お前には降伏しか道は残されていないのだ。
お前が大人しく投降すれば、地球は球体の形を保てるという物だな。
ああ、お前が地球などどうでも良いわ、好きにしろ、というなら別に構わんぞ?
脅しではないと証明する為に地球を滅ぼして、ゆっくりとお前を追いかけるだけだからな」
刹那は本気である。
彼が守りたいのは、雷裂の一族だけだ。
そして、彼らは地球が無くなっても生きていける。
その場所は既に月面に完成している。
である以上、地球に固執する必要はないのだ。
それが分かるだけに、ノエリアも思い悩む。
こいつはやると言えば本気でやると理解できる。
自分もそうだから、やるからには徹底的にやるだろう。
彼女も、地球がどうでも良いと言えばどうでも良い。
とはいえ、今までの努力が水泡に帰すのも面白くない。
「さぁさぁ、どうするかね? さっさと答えを出したまえよ、ノロマめ」
「……好き勝手に言ってくれおって」
こうなれば、速攻で終末の光を始原の闇で中和して撤退する、という選択肢しかない。
だが、刹那を相手にそれが出来るのか。
不可能、ではない。だが、限りなく不可能に近い。
しかし、泣き言を言っても状況は変わらない。
ならば、やるだけの事。
失敗しても自分は死なないし、究極的な目的は果たせなくもない以上、失敗失敗と笑い飛ばそうと覚悟する。
タイミングを見計らう。
刹那は冷たく笑っている。
油断らしい油断は見て取れない。
上から目線で調子こいてて貰えれば助かったのだが、どうやら高望みし過ぎたらしい。
思わず舌打ちしたくなる。
二人の間に流れる緊張が高まる。
だが、そうしていると、事態は思わぬ方向へと変わる。
雷鳴。
突如、耳を劈く轟雷が周辺に響き渡った。
目の前の存在に集中し過ぎて気付かなかったが、どうやらこちらに向かっていた魔王二人が到着したらしい。
とはいえ、ノエリアからすればそれだけだ。
不意を突かれれば、僅かなダメージを負う事もあるだろうが、不意を打ってもその程度にしかならない。
である以上、気にするほどの事ではない。
だが、それは彼女だけの事だ。
「ふむ、愚妹ももう少し時機を見計らってほしい物だ。
せっかく良い所だったのだが……」
一瞬。
刹那の視線が外れる。
これがただの魔王の到着だったならば、彼もノエリアと同じ様に気にはしなかっただろう。
だが、やってきたのは、刹那にとって何よりも大切な妹である。
そちらに意識を向けるのは当然の事だ。
刹那もノエリアも、超常の第六感とでも言うべき感覚を備えている。
しかし、それはお互いに対してだけは効かない。
生物本来の五感だけが、お互いを捉えられる。
ならば、視線を外す事は重大な隙だ。
ノエリアは瞬発する。
始原の混沌を宿した羽衣を延ばし、終末の光球を握り潰す。
同時に、もう片翼でショゴスと永久を包み込む。
「あっ、おい……」
「さらばじゃ!」
行動に気付いた刹那が視線を戻すが、その時には既に撤退の準備は終わっている。
ノエリアは一切の躊躇なく転移を発動させる。
消える。
その直後。
天地から放たれた極大の一撃が空中でぶつかり合った。
弾けた威力は、周辺一帯を薙ぎ払っていった。
~~~~~~~~~~
「……い、生きてる」
閃光と衝撃が消えた後、何処までも見晴らしの良くなった大地の上で、久遠は呆然と呟く。
到達した暴威は、明らかに自分を殺して余りある威力だった。
だというのに、自分は生きている。
それどころか、傷一つない。
「クククッ、逃げられちゃったなぁ」
近くで楽し気に笑うのは、人外の存在。
(……刹那が、私を守った?)
そうとしか思えないが、それをされるだけの理由が思いつかない。
恨まれていても、憎まれていてもおかしくない二人の関係。
刹那の性格や状態故に、そんな事にはなっていないが、そうだとしても今の関係は精々で知人という程度だ。
積極的に彼が守る理由はない。
だから、正直、信じられなかった。
「む? どうしたのかね、炎城 久遠。
豆が鳩鉄砲を喰らったような顔だが」
「それは逆だ。
いや、そうではなくて……お前が守ってくれたのか?」
「その通りだが?
精々、感謝したまえよ。
でなければ、君は死んでいただろうからね」
「あ、ああ。有り難う。
この恩はいつか何処かで返そう」
「その言葉、忘れるなよ」
邪悪に笑む刹那。
何か失言をしたような気もするが、前言を翻すつもりはない。
出来る事ならば力になろうと思う。
「だが、何故? 私を助ける理由など、お前にはないだろう?」
「は? 君は賢姉様の友達だろう? それで十分ではないか?」
それが一番の理由だ。
美雲が悲しむ事は刹那には許容できない。
彼女の悲しみを己の力で防げるのならば、刹那はそこに躊躇いはない。
尤も、理由はそれだけではない。
例えば、先の薙ぎ払いは、美影が戦場をここまで引っ張ってきたからこそ起きた事態だ。
それ自体は全く構わないのだが、その結果として日本軍の戦力に犠牲が出てしまっては、彼女の経歴に傷が付く。
だから、久遠のみならず、影響範囲内にいた日本軍の面々は刹那が保護し、傷一つなくやり過ごしている。
俊哉は守っていないが。
他にも理由はある。
これは恩返しするという言質を取れた為、後に確定でやらせるが。
「……理解した。彼女との友情に感謝しよう」
「盛大にな。
賢姉様の偉大さに滂沱の涙を流しながら、感謝と信仰の言葉を並べるが良い」
「……それはもはや友情ではない気が」
久遠のツッコミを無視して、刹那は懐から端末を取り出す。
それを操作し、目的の表示を引っ張り出す。
(……それにしても、あいつは科学には疎いのかね?
気休めと思っていたが、こんなにあっさりと引っかかるとは思わなかったぞ。
ババアだからか?)
画面には、数字の羅列が表示されている。
一見して、それが何を意味するのか分からないだろう。
だが、見る者が見れば、その意味は分かる。
それは座標だと。
純粋科学のみに頼った発信機を仕掛けた成果であった。
そうしていると、周辺に雷気が満ち始める。
誰の仕業かは分かる。
この気配を間違える筈がない。
「おっと、愚妹もやる気だな。
これはちょっと本気で守らないといかんな」
そう言って、改めて日本軍の面々にバリアを張り直す。
直後。
漆黒の雷柱が天地を貫いた。
《天魔槌》。
二人の魔王による竜穿つ神撃である。
という訳で、ようやく決めたので、やっと始祖女怪の名前の登場です。
今更過ぎますね。




