温度差
高効率の能力行使が可能という事がバレて以来、先輩魔術師たちの圧力で敵陣に突貫している俊哉は、適度にかき回しながら一時退避する。
「ふぅ……」
岩の陰に隠れて、可能な限りの隠形を行う。
美影の魔の手から逃れる為に必死で磨いた技術の一つだ。
なんだかんだで役に立っていて、若干、腹立たしい。
こっそりと顔を出せば、つい先ほどまでいた場所には小さな丘がある。
土属性魔術による人工的な物だ。
数瞬前まではすり鉢状の巨大な穴になっていた。
それも帝国軍の連中が掘った人工的な物だが。
丘の上には陽炎が揺らめいており、そこが異常高温になっている事を示している。
簡潔に言えば、窯焼きである。
落とし穴に嵌めて、火をくべて、蓋をしただけの、凶悪なやり口である。
危うく俊哉まで一緒に閉じ込められる所だった。
蓋担当の魔術師には、絶対に文句を言ってやると心に誓う彼である。
「……あー、クソが。いつまでやってりゃ良いんだかな」
つい呟く。
正直な所、現状に嫌気が差していた。
終わりが見えない、というのも理由の一つだ。
相手は仮にも一国。
戦場を幾つも抱えている訳ではない以上、この場に全力を注ぎ込める。
倒しても倒してもキリがなく、僅かずつとはいえこちらは魔力と体力を削られている。
今はまだ余裕があるが、早く援軍が来てくれないと全滅しかねない。
尤も、その兆しが見えれば、俊哉を含めてこの場にいる連中はさっさと遁走するだろうが。
司令部からも許可は出ている事でもあるし。
だが、何よりも憂慮している事は、もう一つの理由の方だ。
嵐が、近付いている。
今はまだ、遠い。だが、確実に近付いている。
雷鳴を轟かせる、神罰の如き嵐が。
「うー、美影さん、何でこっちに寄ってくんだよ。
来るんじゃねぇよ。ムッチャクチャになんぞ」
もしかして、司令部の連中はそれを察知して、後続部隊の出発を見合わせているのでは? などという邪推をしてしまう心境である。
もしも到達すればどうなるか。
そんなものは考えるまでもない。
敵も味方もなく、等しく蹂躙されるだけだ。
魔王同士のぶつかり合いというのは、そういうものだ。
巻き込まれる前に退避したい、というのが偽らざる本音である。
とはいえ、今の状況では敵前逃亡の誹りは免れない。
タイミングはきっちりと見計らう必要がある。
と、そうしていると、彼が隠れる岩陰に転がり込んでくる人物がいた。
「よぅ。余裕そうじゃねぇか」
「火縄先生、これが意外と余裕がないんすよ」
俊哉の隣に遠慮なく腰を下ろすのは、ガタイの良い赤髪の男……火縄 剛毅である。
土埃と汗に汚れているが、傷らしい傷は負っていない。
しかし、どうにも顔色が優れない。
「先生の方は、随分とお疲れの様っすね。なんかあったんすか?」
「……お前、気付いてるか? あっちからとんでもねぇ魔力が近付いてきてること」
あっち、と指さすのは、東の方角、日本海側だ。
気付いていない筈がない。
今まさに考えていた事である。
「あー、美影さんっすね。なんかこっちに来てるっすね。
何の嫌がらせなのか、問い質したい所存っす」
「こいつぁ雷裂の嬢ちゃんの魔力か。
……よく分かるな、お前」
「散々にあの人にはしごかれたっすからね。
あの人の魔力なら、地球の裏側にいたって気付きますよって」
冗談ではない。
試した事はないが、本当にそれくらいは出来ると思える。
それくらいには、俊哉の心に傷として残っている。
魔王にしごかれる、という事実に、剛毅は顔を顰める。
頂点たる存在に一対一で見て貰えるのだ。
光栄な事のようにも思えるが、剛毅は彼らが常識という物を知らない生物だと知っている。
一般人のレベルという物を知らない為、平気で自分たちと同じレベルを要求してくるのだ。
それがどれほどに辛い事か、想像が付かない彼ではない。
故に、口から出た感想は実に簡潔だった。
「……よく生きてるな、お前」
「今でも本当は自分が死んでるんじゃないかって、時々思うっすよ」
十を超えてから、臨死体験の回数を数える事に意味を見出せなくなった。
遠い目をする俊哉を、剛毅は可哀想な者を見る目で見た。
これ以上、この話題について掘り下げると地雷を見つけかねない、と判断した彼は、話を元の軌道へと戻す。
「ここまで来ると思うか?」
「来るんじゃないっすか。そうでなきゃ、こっちに来てる理由がない」
何の為かまでは分からない。
だが、確実に自分の戦場をぶつける気でいる。
魔王の戦場が近付いている。
その事実を重く受け止めた剛毅は、深く溜息を吐いた。
「逃げるべきかね」
「逃げるべきっすよ。間違いなく」
「敵前逃亡じゃねぇか?」
「タイミングを見てダッシュするしかないっすよ」
もしくは軍法会議覚悟でさっさと逃げるか、である。
剛毅は、俊哉からの答えに、もう一度、深く深く溜息を吐いた。
「……ここが俺の死に場所か」
「覚悟、早いっすね。
じゃあ、悔いのないようにもう一働きするっすかね」
その言葉を最後に、二人は岩陰から別方向へと飛び出す。
直後、隠れていた二人を狙った攻撃が岩陰を粉砕した。
~~~~~~~~~~
弦を引き絞り、炎矢を顕現させる。
放たれたそれは、途中で枝分かれし、標的を取り囲むように奔る。
着弾と共に爆炎を撒き散らす殺意の高い攻撃。
しかし、それは標的が全周を覆う水の壁に阻まれ、威力を届かせない。
大量の水蒸気が発生する。
それを割って現れるのは、一人の少女。
赤い髪を持ち、黒の衣装を纏い、黒の両手剣を振り翳している彼女の名は、炎城 永久。
忽然と戦場に現れては、日本側戦力へと牙を剥いてきた。
それに相対するのは、炎城 久遠だ。
戦場にいる筈のない実の妹の姿に動揺したのも僅かな時間だけ。
深呼吸一つで心を落ち着けた彼女は、身内の恥は自らの手で雪ぐとばかりに、率先して彼女へと襲い掛かった。
「お姉さま! 何故、分かって下さらないのですか!?」
現状に泣きそうなのは、むしろ永久の方だ。
姉だと慕っていた。
今はすれ違ってしまったが、それでも味方なのだと信じていた。
なのに、今、目の前には何の感情も浮かばない顔で、確かな殺意を滾らせて襲い来る姿がある。
「分かる? 一体、何を分かれと?」
太い炎矢を槍の様に持ち、水壁を切り裂く。
返す刃で無防備となった永久へと、襲い掛かる。
彼女は漆黒の剣を足元へと突き立てる。
すると、足元から迫り出した岩壁が高速で迫り出してきた。
このままでは、久遠は岩壁に激突し、ダメージを受けるだろう。
故に、瞬時に槍の軌道を修正し、それに叩きつける。
爆散。
炎槍の威力が解放されて、岩壁が粉砕される。
しかし、その時には永久に距離を開けられていた。
「お姉さま! 此度の戦に、大義などありません!
帝国は我欲の為に、他国へと仕掛けたのですよ!?
それに加担するなど……!」
姉を説得するように、永久は積極的行動を控え、代わりに言葉を連ねる。
だが、久遠は構わずに行く。
「大義?
それをたかが一兵卒が判断しようなどと、愚の骨頂だッ!」
国家が持つ全ての情報を知りもしないで、自分勝手な判断を下して行動する。
それを人は暴走という。
確かに、見方によっては、この戦争は日本帝国側が一方的に悪い。
朝鮮王国は、戦力を日本帝国方面へと集めていたが、それだけである。
宣戦布告をした訳でもなければ、無言で一方的な攻撃を仕掛けてきた訳でもない。
軍事演習の一環だと言われれば、それで終わってしまう程度の行動しかしていない。
対して、日本帝国は、それに対して、碌に対話もせず、突然に宣戦布告をして、ほぼ同時に攻撃を仕掛けている。
ここだけを切り取って見れば、明らかに悪いのは日本帝国の方である。
しかし、状況は既に世界規模の危機になっている。
今はまだ表面化していない為、民衆の間では然程の危機感はないだろうが、日本に限らず世界中の国々の上層部は、それを募らせている。
合衆国からの提案で、臨時の世界会議が開かれようと世界が動いている中で、協力という言葉を否定するように行動する朝鮮王国は、明らかな異分子だった。
無論、向こうとしてはいつもの小競り合い程度のつもりだったのかもしれない。
本気で攻撃を仕掛ける気など、まるでなかった可能性は十分に考え得る。
だが、日本を含めて、世界はそうは見ない。
足並みを揃えて脅威に備えよう、という時にそれを率先して乱す輩と、轡を並べたいとは誰も思わない。
その結果が、これである。
脅威に備える為に、足を引っ張りかねない要因を排除してしまおうという結論に達したのだ。
それが世界の意思であるという証拠に、隣国である中華連邦もロシア神聖国も、日本帝国の軍事行動を認めると返事をしている。
ちなみに、ロシア神聖国のヴラドレンの行動は、こちらの戦場とはまるで関係のない事である。
そして、彼も足並みを乱すような事をしているが、それでも最強の魔王という看板が多少の事を御目溢しして貰えるくらいには強力なだけである。
「何を吹き込まれたか知らないが、これ以上の狼藉は見逃せない」
敵対行動をして、既に犠牲者も出ている。
もはや久遠の権力では、庇い切れない。
可哀想な事だが、炎城という家を守る為、永久は切り捨てなければならない。
そうでなくては、炎城の係累は連座で滅びかねない。
ただ一人の妹と、数多の係累。
久遠は、姉ではなく、当主として判断して行動する。
話は終わりだとばかりに、久遠は魔力を練り上げる。
どういう訳か、今の永久は複数属性の魔力を持っているらしい。
魔力の総量ではこちらに分があるが、手数の多彩さでは負けていると考えられる。
手を抜いていては、取り逃がすどころか、こちらがやられかねない。
だから、後の事は考えない。この一戦に全力を注ぐ。
「覚悟しろ、永久ッ!」
せめて最期は自らの手で。
~~~~~~~~~~
雷鳴轟く日本海上空。
そこはまさに地獄の光景だった。
山の様な巨岩が。
海の様な瀑布が。
嵐の様な颶風が。
太陽の様な火焔が。
幾重にも空を覆い、舞っている。
ただ一つでさえ天災にも匹敵する威力を孕んでおり、それが無数に飛び交うそこは、地獄と呼ぶに相応しい。
そんな中を、一条の黒が貫く。
雷鳴を響かせ、黒雷の余波を撒き散らしながら、漆黒の雷槍がそれらを貫徹した。
「シャオラァッ!!」
暗い空にその巨体をうねらせる巨龍の横顔に、黒雷を纏った美影が勢いに任せて激突する。
頭突きである。
「ぐおぉぉぉぉぉ、かっっったい……!! 頭が割れる!」
彼女のロケット頭突きによって、巨龍がのけぞる。
硬い鱗が砕かれ、空に舞う。
一方で、美影も無事ではない。
頭が割れそう、ではなく、本当に割れている。
盛大に血を吹き出しており、明らかにダメージは彼女の方が大きい。
ヴラドレンは、砕かれた鱗を修復しながら、空中で体勢を整えている美影を見遣る。
面白い女だった。
目的は、彼女の義兄を引っ張り出す事だったが、それを思わず忘れてしまう程に充実した経験を得る事が出来た。
だが、それ故に、惜しい。
この時間がもう終わってしまうであろう事が分かるから。
体勢を整え、ヴラドレンへと向き直った美影は、満身創痍だった。
全身は自身の血に塗れて赤く染まっている。
両腕は砕けてあらぬ方向へと曲がっている。
片足は炭化して今にも崩れてしまいそうだ。
腹にも脇腹も抉れており、一時は内臓がこぼれる惨状だった。
荒い息を繰り返しており、心肺が既に限界になっている事も見て取れる。
「楽しい時間であったが……限界のようだな」
惜しむように言うと、美影は鼻で笑う。
「ゼヒュー……ハッ……何、ゴフッグフッ、勝ち誇ってんの、このトカゲ……ゲフッ。
まだまだ……ゼヒュー……これから、だし……ガハッ」
文字通りに血反吐を吐きながら、そんな強がりを言う。
長く生き、様々な者と戦ってきた彼であるが、この惨状でここまで強がりを言える輩とは相対した事はない。
往生際の悪い負けず嫌いなのだろうが、ここまでくれば逆に感心するという物だ。
「……どう見ても強がりではないか?」
「グブッ、フハハッ、このクソトカゲ……ゴホッ、僕の演技にまんまと騙されてやがる!
ここから、ゲハァッ、超必殺技で逆転勝利を……ゼヒュー、見せてやるっていうのに!」
「それが演技なら、我は騙されて悔いはないのだが……」
「うぬおぉぉぉぉぉぉ……!!」
今にも死にそうなそれが演技なら、主演女優賞物だ。
ヴラドレンとしては、口にした通り騙されても全く不満はない。
それよりも、まだやる気な事がとても良い。
ここまでしても出てこない以上、当初の目的である雷裂 刹那は諦めなければならないだろう。
だが、それに代わる収穫はあったのだ。
彼女には心行くまで相手をして貰おうと思う。
「死んでくれるなよ、ミカゲ・カンザキ……!」
「ハッ、言ってろ!」




