甘い誘い
三日遅れは許容範囲内ですよね!?
いや、遅れてごめんなさい。
日本帝国本土にある、とある屋敷。
その中でも、最奥に近い位置にある狭い一室。
自然光を取り入れる窓は、天井近くに一つ、小さな物があるだけであり、またそれも嵌め込まれた仕様で開く事はない。
停滞した空気は淀んでおり、ここにいるだけで心身が落ち込んでしまうだろう。
そんな空間に、一人の少女がいる。
鮮やかな赤毛を持つ彼女は、本来、この屋敷の支配者側にいるべき少女。
名を、炎城 永久という。
この様な場所にいる事からも分かる通り、かつては炎城家直系の娘であったが、今は狭い一室に押し込められ、一切の自由も権限もない身である。
先日までは世界有数の学舎に通い、そこで優等生として認められていた彼女であるが、たった一つの行動によって、それまでの評価は地に落ち、監禁されている。
した事は、一人の少年の暗殺未遂。
いや、周囲への被害も考慮すれば、テロ行為未遂と言った方が正しいだろう。
その様な事をすれば、これまでがどうであろうと、信頼が失墜する事は当然の事である。
永久も、それは理解している。
しかし、後悔もしていないし、自分の目的が間違っていたとは思っていない。
手段を間違えた、と反省はしているが。
彼女にとって、許し難い害悪。
刹那という男の存在を、彼女は許容できない。
その様に育てられてきた。
今度こそは、と内心では強く思っている。
だが、それも彼女を監禁している姉、炎城 久遠には見抜かれている。
だからこそ、こうして未だに狭い部屋から出る事さえ許されない。
監禁されている日々でしている事は少ない。
心療内科の医師やカウンセラーと話をしたり、時折やってくる姉から説教を受けたり、それくらいである。
それ以外の時間は、といえば、大抵は記録映像を見るばかりだ。
標的、雷裂 刹那の学園で行われた決闘の映像である。
「…………」
姉からは、実力を認める事から始めろ、と言われた。
最初は八百長をしているのだと、そう決めつけていた。
しかし、対戦相手は永久も知っている有名所も多く、映像を見る限り、確実にその実力を発揮していると分かる。
理性が、八百長をしている訳ではないと認める。
それは、刹那が伝えられてきたような無能ではない、という事を示す証左だ。
だが、そうと認めるが故に、彼女の内心には更なる憎悪が募っていく。
無能ではない癖に。
確かな実力がある癖に。
それを隠して、姉や自分に苦労を強いた。
自分たちを見捨て、何処の誰とも知れない、血も繋がらない連中を家族としている。
それが、許せない。恨めしい。憎くて仕方ない。
こうして、繰り返し映像を見ているのも、なんとか刹那の弱点を見つけ出してやろうという、そんな思いからである。
だが、何一つとして見出せない。
分かるのは、ただ理不尽に万能だという事だけ。
相手のしてきた事をそのままやり返すという、底意地の悪さも。
やる事なす事、つくづく神経を逆撫でしてくる。
何処までも腹立たしく、ムカつく男である。
的外れな事ばかり言うカウンセラーも、まるで理解してくれない姉も、映像の中でさえも腹立たしい男も、生活の全てが苛立たしい。
そして、そんな日々が続き、もはや日付感覚も失われてきた頃、そいつは唐突に現れた。
「鬱屈とした感情を抱え込んでおるのぅ、小娘よ」
分厚い壁と防弾仕様の窓に囲まれ、唯一の出入り口は幾重にも鍵をかけられ、更には強固な魔力絶縁牢と同じ構造をした部屋。
誰も入ってこられる筈のない此処に、聞いた事もない、しかし一発で美しいと感じられる女性の声が響いた。
「っ!?」
弾かれたように振り向けば、空間を裂いて、一人の女性が降臨していた。
白い女神。
それが、永久が抱いた印象だ。
「だ、誰!?」
「ふむ。誰何の問いは尤もじゃ。
では、こう名乗ろう。
我は始祖である。魔術文明を伝道せし始祖魔術師とは、我の事じゃ」
自慢げに言う女性。
「し、始祖? 本当、に?」
それに対して、永久は半信半疑だ。
反射的には否定したい。
二百年も前の伝説の存在だ。
真っ当な生命なら死んでいる筈だし、最古の魔王、ヴラドレンの様に何らかの手段で長命となっていたとしても、こんな所をふらついているとは俄かに信じがたい。
だが、状況が肯定を示している。
この部屋は、魔力絶縁牢と同様の機能があり、この中では如何なる魔術も行使できない。
にもかかわらず、この女は空間を裂くという明らかな超常現象を行使しながら現れた。
始祖魔術師ならば、全ての根源たる存在ならば、可能なのかもしれない。
永久は、その様に思った。
「真偽の証明は難しいのぅ。
我の事など、現代に残っておらぬしな。
性別すら、男説、女説と乱立しておる。
まぁ、我が狙ってした事じゃがな!」
呵々と笑う女。
「さて、まぁそんな事はどうでも良い。
我が始祖であろうと、あるいは悪魔であろうと、何でも良いという物じゃ。
重要なのは、汝に選択肢を授けに来た。それだけじゃからな」
永久は半信半疑のまま黙って聞く。
何にせよ、今の永久は見た目通りの少女としての力しか持たず、超常を扱える目の前の存在には天地がひっくり返っても敵わないだろう。
ならば、言うだけ言わせて、聞くだけ聞いて、穏便に消えて貰った方が良い。
それに、彼女は退屈していた。
変化のない生活。鬱憤ばかりが積もっていくこの生活。
そこに、狂人の戯言であろうと、何らかの彩が加えられるというのなら、少しは気晴らしになるかもしれない。
その様に期待したのだ。
「汝の事はおおよそ知っておる。
その生まれから、これまで歩んできた道まで、のぅ。
ここに閉じ込められておる経緯も理解しておる」
「…………」
「で、じゃ。
汝、あの刹那という男に、復讐してやりたいと思わんかの?」
「っ……」
告げられた名前に、ただそれだけで永久の心中に黒い炎が灯る。
「無能を装っていた兄。
全ての義務を投げ捨ててきた兄。
己らに苦労を押し付けた兄。
そして、今では何事もなかったかのように幸福を享受する兄。
苦労を重ねた己らを差し置いて。
許せない許せない。許してはならない。
報いを受けさせねばならない。
奴の全てを壊して、踏みにじって、苦しみながら殺してやらねばならない。
そうは思わぬかの?」
「…………あんたなら」
悪魔の誘いだと、理性は告げている。
誘われるがままに頷けば、姉にまた迷惑をかけてしまうと。
しかし、永久の本心はそれに頷く。
誰も理解してくれなかった。
姉も医者も、誰も。
そんな内心を、肯定してくれた。
そんな弱い心に、甘い言葉が入り込む。
「あんたなら、出来るって言うの?」
「出来る出来ないで言えば、可能じゃろう」
損得を抜きにして刹那を倒すだけならば、始祖魔術師ならば可能だろう。
しかし、それは意味がない。
何故ならば、始祖の目的は嫌がらせであって、打倒ではないから。
とはいえ、それは言わない。
当然だ。
今は甘い言葉で惑わす時間で、現実に立ち戻らせる理由はない。
「しかし、それで良いのかの?」
だから、更なる誘いをかける。
「汝の知らない所で我が適当に倒して、汝は本当に満足できるのかの?
力無き者ならば、その選択も有りじゃろう。
しかし、汝はそうではなかろう?」
「私に力なんて……」
所詮、Bランクの木端魔術師でしかない。
優秀な部類ではあるが、特別に優れた部分がある訳ではない。
一方で、あの男は相当に強力な力を宿しているらしい。
Bランクどころか、Aランクの魔術師、更にはそれらが徒党を組んで挑んでいるにもかかわらず、全勝記録を保持している。
明らかに、自分とは隔絶する力を有している。
「そうよの。
今の汝では、到底敵うまい。
しかし、我がいれば、別じゃ」
不敵に、囁く。
「我が汝に力を与えてやろうぞ」
「力を……」
「我は始祖じゃ。
かつて魔力を持たぬ人類に、魔力を与えた存在じゃぞ。
汝に更なる力を、魔王をも超える力を与える事など、容易い事じゃ」
「…………」
無言を返す永久に、始祖は手を差し出す。
「己の手で、己の復讐を遂げたいと願うのならば、我が手を取るが良い」
僅かな逡巡。
自らの心を見直した永久は、決断する。
彼女は、始祖の、悪魔の手を取るのだった。




