黒き挺身
「収縮、停止しました……!」
後方の観測地にて、悲鳴のような報告が響き渡る。
それがどれ程に絶望的な事なのか、分からない者は誰一人としていない。
「……困ったのぅ」
前線から戻っていたノエリアが呟く。
彼女自身は、封印に巻き込まれても良いと思っていた。
この戦いは、ある意味ではノエリアが始めたものなのだ。
だから、最後の決着まで付き合うのが筋というものだろう。
だが、敵が引いていく為に、変に余裕が出来てしまった。
結末を受け入れる事と、結末に自ら飛び込む事は違うのだ。
その為、後方まで一時戻っていたのだが、そこで聞いた情報は頭の痛くなる物であった。
「どうしたものかの……」
見れば、封印壁は、閉じるどころか、心なしか少しずつ押し返されているようにも見える。
そうなってしまうのは、必然なのだ。
なにせ、引っ張っている力は、刹那と美雲の二人だけの物でしかない。
刹那と星獣を比較した場合、軍配は星獣に上がる。
双方ともにエネルギー量という点では枯渇寸前であり、互角なのだが、そもそもの関係が捕食者と獲物の関係である。
相性が悪すぎる。
同条件で競い合えば、畢竟、刹那が競り負けるに決まっている。
では、美雲の方はどうか。
美雲は、ほぼ万全に近い状態で辿り着けた。
しかし、相対するのは、残存する眷属たちの全て、である。
星獣が食い荒らした搾りカスのような存在たちだが、如何せん、その総数は文字通りに桁違いなのだ。
たった一人の人間で勝てるものではない。
故に。
押し返されてしまう事は、仕方のない話である。
このままでは、作戦の全てが破綻してしまう。
刹那と美雲だけで、状況を改善させる事は、おそらく不可能だろうとノエリアは見る。
それが出来るならば、とうにやっている筈だからだ。
ならば、外から何とかするしかない。
やるべき事は、実は簡単な事である。
抵抗力を生み出している天輪を乱してやれば良い。
ただそれだけで、当初の予定通りに事は進むに違いない。
それが問題なのだが。
与えるべき衝撃力は、生半な物では足りない。
先にも述べたように、天輪を構成しているのは、残存する眷属の全てなのだ。
小さな羽虫さえも数に入れれば、その数は億や兆でも足りないだろう。
その連携を絶ち切る為には、それこそ星を穿つ程の衝撃力が必要となる。
一般魔術師たちでは力にもならない。
魔王たちとて、全員が万全の状態ならば何とか、という所だろう。
消耗している現状では、とても望めない。
美影は論外だ。
即断即決の化身が、今の時点で何もしていないのであれば、つまりは出来ない理由、しない理由があるのだろう。
ノエリアは、思考の末に嘆息した。
「……我しかおらぬな」
星の代表として、民草の願いを一身に受け止めている彼女は、作戦の最終段階に至った今も猶、充分な余力を残している。
出力としても申し分ない。
というか、ノエリアで不可能ならば誰にも無理であろう。
そして、覚悟も、ある。
これは、彼女が始めた闘争なのだ。
まぁ、仕掛人というか、元凶を考えると、卵か鶏かという話になってはくるのだが、少なくともノエリアの認識では、己の意思で二つの星を巻き込んでいる。
だから、その幕を引く為ならば。
その礎となる事に、躊躇いなど何処にも無い。
皆が打開策を見出ださんと慌てている中で、ノエリアは静かに浮かび上がる。
遺したい言葉は無い。
もう、自らの民たちは、自分の足で立って歩ける。
それに、親がいなくとも、子供たちは勝手に育つ。
それを、地球人類たちは嫌になるくらいに見せてくれた。
敗残者は、ただ黙して去るのみ。
最期の置き土産をして、それでお仕舞いにしよう。
…………。
そう思っていたのだが。
「待ちなさい」
「……退いてはくれぬか?」
「私が? 引くべきは貴女でしょう?」
行動を遮るように、立ち塞がる者が、否、者たちが、いた。
先頭に立つのは、黒の担い手――エルファティシアである。
「我が、やらねばならぬのだ」
「死んで、それで責務を投げ捨てるとは。貴女らしくない」
薄く微笑む。
次いで、小さく吐息して、エルファティシアは心の内を吐露する。
「……責任があるのは、私でしょう。貴女は間に合わなかったが、それは眠っていたから。管理を任されていた筈の私たちこそが、責められるべきなのです」
八柱の始祖精霊たちは、ノエリアから星と命の管理を委任されていたのだ。
それを果たせなかったのだから、責任は自分たちこそが取るべきなのだと言う。
「……汝には、導くべき者たちがいるではないか」
「私である必要はないでしょう。特に、今ならば貴女がいる。精霊島を、安心して任せられる」
そして、エルファティシアは絞り出すように訴えた。
「……私に、私だけが、残ってしまったんだ」
ずっと、ずっと、終わりのあの時から、抱え込んで来た。
真に仲間と呼べる始祖たちは、エルファティシアだけを残して、皆が捧げてしまった。
どれ程に情けなく、どれ程に悔しく、どれ程に……。
「今度こそ、私は、皆のところに……」
生まれた時から一緒だった。
誰が口にする訳でもないが、終わる時も一緒だと思っていたのだ。
エルファティシアの告白に、ノエリアは首を振って嘆息した。
「仕様の無い奴じゃ。我に娘を殺せと言うとは」
だが、それが望みだと言うのならば、叶えてやるのが親の気遣いというものかもしれない。
「汝の命、使わせてもらうぞ」
「感謝します、我が母よ」
~~~~~~~~~~
ノエリアを中心に、エルファティシアを始めとした黒の旧き大精霊たちが陣を敷く。
彼女たちもまた、悔恨と共に生き残り、そして今こそが命の使い場所だと志願した者たちだ。
ノエリアの羽衣が、ふわりと浮かび上がる。
くるくる、クルクル、と、捻れて伸び、それはやがて長大な戦槍へと形を変える。
「汝らの命を一つに束ねるぞ」
バラバラの魂を、縁結びの権能を用いて、強大なる一つへと変換する。
エルファティシアたちの身体から、魔力が、魂魄が、存在が、吸い出されて戦槍へと集まっていく。
彼女たちの存在が薄くなるにつれ、純白だった羽衣の戦槍が、彼女たちを象徴する漆黒へと染め上げられる。
「エルファティシア様! 我らが創造主様ッ……!」
被造物としての勘か、誰にも言わずに進めていた事態に気付いた黒の天翼種が上がってくる。
「我らを! 我らの命をお使い下さい! 貴女様が! 我らは……!」
想いが、言葉にならない。
だが、その顔を見れば、浮かべている表情を見れば、何を思っているかなど、一目瞭然だった。
それは、まるで迷子になった子供のような、今にも泣きそうな顔をしていたから。
天翼種は、白の始祖精霊リースリットと、黒の始祖精霊エルファティシアによって創られた種族だ。
地竜種を除く、全ての種族が明確な起源を持たないのに対して、彼女たちは確固たる起源と創造主を持つ種族なのだ。
それ故に、その行動原理は、常に創造主に起因してきた。
役に立つ為に。
ただ、それだけを掲げ、それだけを求めて生きてきた。
その指針が、今まさに死を望もうとしている。
天翼種にとっては、絶望以外の何物でもないだろう。
実際に、白に連なる天翼種たちは、故郷の惑星と共に、自分たちの創造主に殉じて滅亡を選択した。
今度は、自分たちの番になったのだ。
そして、黒の天翼種もまた、創造主に殉じる事を選ぶ。創造主無き世界に未練はないと、言う。
「お願いです! せめて! せめて僅かでも……! 我らの命でっ!」
天翼種は、始祖精霊によって創られたが故に、その身に、ほんの僅かではあるが、それぞれの創造主の因子を持っている。
種族の全てを集めれば、自我を維持するくらいの結晶にはなるだろう。
今より大きく弱体化するだろうが、それでも完全なる消滅に比べれば、ずっとマシだと訴える。
自分たちの命だけで、それで創造主が永らえてくれるのならば、彼女たちは喜んで捧げるに決まっている。
だが、その想いを、覚悟を、エルファティシアは拒絶する。
「いや。いや、お前たちは生きてくれ」
リースリットに誘われて、特に理由無く創った種族だ。
愛情も愛着もあまり無く、リースリットは程好く利用していたようだが、エルファティシアは無干渉で過ごしてきた。
そんな自分には、きっと捧げて貰うだけの価値はない。
それよりも、未来に繁栄を繋いで貰えれば、きっと自分が生きた証くらいにはなるだろう。
そうと想い、被造物たちへと告げる。
「創造主として、最初で最期の命令を下す」
一息。
「末長き幸福を。もう、お前たちを縛る物は無い。自由気ままに、そして出来れば幸せに、楽しく繁栄し、満足して滅亡まで辿り着いてくれ」
親として、子供に願う、ただ一つの想いだ。
それに、天翼種たちは、何拍もの時間を空けてから、大きく頭を垂れて、了解する。
「「「御意! 御命、承知いたしました!!」」」
「うむ」
満足げに頷くのを最後に、エルファティシアの全てがエネルギーへと変換され、戦槍へと変わる。
「汝の魂、無駄にはせぬぞ」
ノエリアは、もはや届かぬ言葉を溢し、投げ放ったのだった。