どうでもいい話と忘れてた話
短くするつもりだったのに、なんだか長くなった……
悲鳴と共に部屋の奥からやってきたのは、一人の青年だ。
年は十代半ばほど。
白髪交じりの黒髪を短く整えている。
長身で引き締まった体型をしており、それをスーツに包んで、更にその上から白衣を纏っている。
顔立ちは整っているが、それが故に右顔面に刻まれた酷い火傷痕が目を引く。
青年の名は、雷裂 刹那。
雷裂家の養子であり、この『サンダーフェロウ』秘匿研究所にて研究員をしている男である。
役職などは持たない。
彼が権力や権限に興味を持たない為、押し付けるのも悪いかと周囲が自由にさせている。
それで結果はなんだかんだと色々と出しているので、そういう生物なのだと生暖かい目で見守られている奇人である。
「あーあー、せっかく造ったのに、なんて無残な姿に。
お前には我が愛しの姉妹をエロエロに開発する使命があったというのに……!」
「……そんな事、企んでたの?」
「もう! お兄ってば、言ってくれれば良いのに。
ちょっと服脱ぐから待ってて」
美雲は冷え切った視線を向けた。
美影は頬を赤くしながら、自分の服に手をかけた。
視線すら向けずに姉の射撃で阻止される妹の脱衣。
「い、痛いよ、お姉?」
後頭部にヒットした美影は、涙目で抗議の声を上げる。
「美影ちゃん、あなたも良い年頃なんだから、もう少し貞淑って言葉を知ってちょうだい。
お願いだから」
「お、お兄にだけだよ? こんな事するの」
「当り前よ! まったく」
妹の極端に偏った貞操観念に、深く嘆息する美雲。
あまり説教しても効果はないし、それに本人が言う通り、刹那に対してのみの行為なのだから、と諦める。
そして、仮称スライム特大版の残滓を前に崩れ落ちている刹那を、眇めで見る。
「で、何でまたそんな物を造ったの?」
問われた刹那は、何事もなかったかのように立ち上がり、
「いやな、前時代のゲームであそんでいたんだが、スライムが無闇矢鱈と高速化したりする訳よ。
でも、実際のスライム、まぁアメーバを例に考えても、あのスピードとか有り得ないだろ、って思ってな」
「で?」
「だから、造ってみようと思って。ハイスピード&ハイパワー超スライムを」
「で、造れちゃった訳だね」
呆れたように言う美雲に、刹那は自信満々に頷く。
「うむ! そうなのだよ!
変幻自在の細胞を実現する事によって、都度、必要な骨格と筋肉を形成し、高速化と剛力化を実現!
ついでに軟体生物であるが故に、物理攻撃をほぼほぼ無効化できる特性を保有!
周囲の物質を取り込み自己再生する機能すらも搭載し、高火力で焼き払う以外にまともな対処法が存在しない無敵ぶり!
更には!
これだけの性能を秘めていながら、使用される魔力はEランク相当!
のくせして、戦力判定はBランク相当! なんという高パフォーマンス!
費用対効果という言葉はこの為にあると言えるな!」
「……まぁ、確かに強力である事は認めるけど」
美雲も、既存の戦力判定を行えば、Bランク相当である。
魔力を特異な形態で運用しているが故に、実際にはSランク相当の戦闘力を発揮できるだけであり、もしもそれが出来ずに正面から真っ当な魔術師としてやり合うとすれば、かなりの苦戦を強いられ、状況如何では打倒されていただろう。
「それで、何で肉体開発になるのよ」
「いや、それがな?
いざ造ってみたら、驚くほどにエロティックなデザインになってな。
いかん、これは親愛なる我が姉妹にけしかけねば、と使命感に囚われてな」
「そんな物に囚われないで!」
容赦のない銃撃が刹那の眉間を襲う。
狙い違わず直撃し、直後には雷光が弾ける。
そして、それだけだった。
刹那は微動だにせず、彼の眉間には火傷一つない。
「ああ、今は後悔している」
「あれ、殊勝な心変わりね」
「うむ。
愛する女たちを開発するならば、やはり自らの手で行うべきだと考え直してな」
「あんまり変わってないわね」
「お兄! お兄!
僕ならいつでもウェルカムだよ!?
何で手を出さないの!?」
横から割り込んできた美影に、刹那は一言。
「俺、ロリコンじゃないから」
「お兄! 僕と同年齢だって自覚ある!?」
「はははっ、愚妹よ。
三年後に相手してやるから落ち着け。エロい事は18歳からだ」
「お姉もまだ18じゃないよ!?」
「今年、18になるだろう。だから、フライングでセーフ」
「フライングはアウトじゃないかな?」
美雲のツッコミは聞こえなかった事にされた。
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「さて、このショゴス君の事はさておいて、賢姉様と愚妹は何しに来たんだ?
まだ長期休みじゃないよな?」
二人は全寮制の学舎に通っており、しかもそれが絶海の孤島にある為、連続休暇でもなければわざわざ本土まで帰ってこない。
今はまだ一月末であり、春休みには少しばかり早過ぎる。
「やっぱり忘れてたみたいね。
弟君? 明日が何の日か、よーく思い出してみて?」
呆れたような嘆息を吐き、美雲が咎めるような視線で問いかける。
刹那は、はて、と首を傾げる。
「俺の誕生日には些か早過ぎると思うのだが……」
「残念ながら、記念日の類ではないんだよねー、これが」
茶化す様に美影。
「んー? 記念日ではない?
まるで思い浮かばんな。
もしかして、何かの学会の発表会でもあったか?
面白そうなタイトルは押さえていた筈だが」
「違うわよ。まったく。
明日は、試験日よ、し・け・ん・び。
お分かり?」
「なんかの資格試験を申し込んだ覚えはないぞ?」
「ちっがーう!
高校受験! お兄さ、ウチに入学するとか頓珍漢な事言ってたじゃん!」
「……………………ああ」
大分間を空けて、やっと思い出したとばかりに手を叩く刹那。
そう、明日は姉妹が通う学校、高天原神霊魔導学園高等部の一般受験日なのだ。
国立・高天原神霊魔導学園とは、日本帝国最古の魔術師育成専門の学舎である。
魔術技術が今より遥かに未熟だった黎明期に創立された学舎であり、長年の蓄積により他校に比べ、突き抜けて優秀な魔術師を輩出してきた、名門中の名門校である。
初等部から大学院まで過程は存在しているが、それぞれに厳しい入学試験が設けられている。
おかげで総受験者数はとんでもない癖に、毎年、合格者は定員割れするという馬鹿みたいな記録を誇っている。
当然ながら、それぞれの試験で求められる能力は異なっている。
初等部では、魔力量の他は家柄と基本的な礼節や受け答えが出来ているか、という部分が見られる。
まだまだ人間として未熟なのだから、当然の審査基準と言える。
中等部では、やはり魔力量の他、基本的な魔術行使能力と、一般知識という名の一流学校並みの難易度を持つ学力試験、そして軽い人格判定が行われる。
高等部では、中等部同様に驚異の難易度を誇る学力試験と本格的な人格判定、そして実力試験という実戦による戦闘力判定が行われる。
大学、大学院は、専攻する学部などによって細かく変わる為、ここでは省略する。
帝国が誇る八魔家が一家、雷裂家の令嬢であり、十分な能力を持つ姉妹は、勿論、初等部から学園に通う内部生である。
6歳当時は、原生林の中で愉快な仲間たちとリアルに命を懸けたサバイバルをしていた刹那には、まるで関係のない話だ。
尤も、捨てられる事無く実家にいたとしても、入学は出来なかっただろう。
なにせ、刹那には魔力がない。
常人なら、たとえ魔術の名家の出でなくとも、僅かなりとも持っているとされる魔力を、一切持っていないのだ。
つまり、『魔術師』にはどうあがいてもなれないのだ。
工夫をして才有る者を倒す、という物語にありそうな可能性は全くない。皆無である。
そんな彼が魔術師育成を目的とした学校に入学しようと言うのだ。
美影が〝頓珍漢〟と評すのも当然だろう。
では、そもそもの話。
刹那は試験に合格する事は出来るのか、というそもそもの疑問だが、実は高等部以降ならばできない事も無いのだ。
なにせ、魔力判定試験があるのは、中等部まで。
高等部以降には存在せず、実力のみが見られる。
しかも、その実力試験は試験官と一対一で模擬戦闘を行い、その内容によって判断される。
だから、やろうと思えば、鍛えまくった肉体と武術だけで戦っても良いし、それが評価されれば合格も貰える。
無論、人間兵器である魔術師を相手にそんな馬鹿な事をする奴など余程の馬鹿にしかいないし、いたとしてもまるで相手になる訳もなく、当然、不合格を言い渡される。
普通に考えるならば、魔術の使えない刹那は、その当然の末路を辿る筈である。
だが、姉妹は知っている。
目の前の男が、魔術師を鼻で笑える存在だと。
地球上に存在する魔術のレベルでは、どうにもならない怪物だと。
「……試験官に同情するよ」
「まったくね。トラウマになって辞職したりしないと良いんだけど」
しみじみと呟いた美影の一言に、美雲も深く同意する。
「試験は明日の朝一よ。
それで、どうせ忘れてるだろうし、って事で迎えに来たの」
「そうだったのか。モーニングコールでもしてくれれば良かったのに」
「……なるべく不自然はなくしたいの。分かるでしょ?」
そう言われれば、頷くしかない。
テレポーテーションくらいは容易い刹那であるが、魔術でそれを実現するとなると、非現実的な魔力量と膨大な魔術式が必要となる。
それに、学園のある場所は、絶海の孤島であり、また魔術の最先端研究なども行われている為、厳格な入島審査があるのだ。
そんな場所に正規ルート以外で入島すれば、普通に犯罪行為である。
雷裂家の権力と財力でもみ消せないほどの重大事ではないが、こんな事で方々に貸しを作るのも下らない。
それらの理由があって、二人はわざわざ迎えに来たのだ。
「理解した。では、仕方ないな。わざわざ有難う」
ぺこりと、素直に頭を下げる刹那。
基本的に享楽的な遊び人であり、あまり他人を認めるという事をしない刹那だが、姉妹の事は心から慕っている。
だから、こういう所では素直に応じる。
これが他の人間だったら、なんだかんだ理屈を付けつつ、意地でも必要性を認めなかっただろうが。
そんな所を好ましく思いながら、美雲は手を叩く。
「それじゃ、準備して行こっか。
真っ当な移動手段を使うとなると、今から出れば丁度明日の朝くらいには着くわ」
「暫し待て。
ショゴスの量産機を停止させてくる。
放っておくとバイオハザードが起きて人類は滅亡する」
「……今、聞き捨てならない言葉が聞こえた気がするんだけど、あれ、そんなに危険なの?」
美影は呆れた視線を向けながら問う。
確かに強かったが、制限付きでも対処できたし、完全体状態ならば無意識に垂れ流してしまう余波で消滅させてしまう程度の物だ。
そこまでの脅威とは思えなかったのだが、
「あれの面倒な所は、万能細胞による完全擬態だ。
ぶっちゃけ、有機物から無機物まで、何にでも化けるからな。
しかも、周囲の物質を取り込んで無限増殖していく。
気付いたら地球がショゴス化していました、なんて事も起こるんだよ、最悪」
「なんて物を量産してんの……!?」
本当に戦慄しか覚えない話だが、理由はあるにはあるのだ。
「いやね。
万能細胞だから、怪我の治療とかには物凄い有効なのよ。
今は、一応生物で、だから生物の本能的な部分があるから自立行動するんだけど、それをなんとかすれば超凄い万能傷薬として売りに出せるかね、と思って研究をね」
「……また利権、増やす気だったの?」
「無いよりは良いだろう?
嗚呼、素晴らしきかな、不労所得。
我が最愛の姉妹との淫らで爛れた未来生活の為にも、俺は今から頑張っているのだ」
「今現在でもう人生四桁の回数は遊んでられるくらいの財を築いといて、まだ上を目指すんだね」
色々と手を出していた結果、十代半ばにしてそれくらいの財力はある刹那である。
三人で贅沢するくらいなら、既に十分だと言えるのだが、
「誰の目にも明らかな魅力的な女性を二人、美味しく戴こうというのだ。
社会貢献くらいしておかねば、文句も出てしまうだろう」
「良い心がけだと思うけど、規模がね」
「……まぁ、良いじゃん、お姉。
僕らの為に頑張ってるんだよ?
女冥利に尽きる、と思って素直に喜んでおこうよ」
頭を抱える美雲に対して、美影は気楽なものだ。
どうせ言ってもどうにもならない。
ただ気儘に行動するだけで人類史に傷跡を残していくのが天才という物だ。
なら、そういう物だと受け入れて、やらかした後の対処を考えた方がよほど建設的である。
そう思考した結果の気楽さだ。
どうせ、実用化しても『サンダーフェロウ』名義での発表となり、刹那の名前は表に出ないのだし。
美雲も飲み込んだのか、嘆息一つで元に戻る。
「じゃあ、それを止めてから出ましょう。もたもたしてたら、本当に遅刻しちゃう」
「はーい」