黒神の救い
「で、どうやって連絡を取るのですかあ?」
永久が、少しばかり馬鹿にしたように、根本的な問題点を指摘する。
空を駆け巡る黒雷と白光は、文字通りに雷と光の鬩ぎ合いだ。
速度域が、段違いである。
加えて、発生しているエネルギー量も、半端なものではない。
単なる余波だけで、近付く敵勢が蒸発している事からも、それは推し量れよう。
味方は最初から身の程を弁えているので、幸いにも現状では被害が出ていないが。
なので、まともに連絡を取る手段がない。
通信機器は最高に頑丈に作っても一秒たりとも持たないし、幻属性系統の魔術でテレパシーを送ろうにも、怒濤のエネルギーに巻き込まれて意味を為さないのだ。
あるいは、永久や刹那が本気で念波を飛ばせば聞こえるかもしれないが、今後の事を考えればまだ無理をする局面ではない。
雫がフリーになれば、もう少しエネルギー事情は改善するのだが、封印壁が未だ解放されていない以上、今は無い物ねだりである。
その問題に対して、刹那は事も無げに言う。
「呼べば来るのではないか?」
「…………んー、それはまた……」
ない、とは否定できない発言だった。
あの美影である。
世界云々、人類云々はさておいて、刹那との爛れた未来にこそ価値を置く阿呆の権化である。
彼が声を掛ければ、物理的な距離やら何やらを一切合切を無視して駆け付けかねない。
実際問題として、今の美影に、既存の物理法則がどれだけ適用されているのかも定かではない事でもあるし。
「それは良いんだけどよぉ、あの光のバケモンはどうなんだ? どうすんだよ……」
美影は、別に余裕ぶっこいてサボタージュしている訳ではない。
敵方のトップ戦力であるフォトン=アインスをほぼ単独――実際にはスピリもいるが――で抑えきっているのは、この戦場において非常に大きい。
もしも、彼女を外してアインスをフリーにしてしまえば、尋常ならざる被害が出てしまう事は語るまでもないだろう。
その懸念に対して、刹那は当然のように断言した。
「別に、構わないのではないかね?」
「えー……」
「私にとっての優先順位は、愛しき姉妹の安全だ。次いで、外敵の撃滅、もしくは無力化にある。人類どもの生存は、さほど大きくない」
「……まぁ、だとは思っていたけどもな」
こうも明確に言葉にされると、残念な気分になってしまう。
肩を落とす俊哉に、刹那は薄く笑いかける。
「なに、人類とてそう馬鹿にしたものではないぞ。自らを助く者を天は助くとも言う。精々生き足掻いてみれば、活路は開けると思うがね」
「そうだと良いんすけどねー……」
「私は駄目そうなら颯爽と逃げますので、悪しからぁーずっ!」
「あんたは最後まで戦ってくれよ。一応、人類側だろうが」
そうと文句を付ければ、ピンクスライムは無言でゆらゆらと左右に揺れる。
(……んー、人間って何だろうな)
最近、人間の定義が曖昧に思えてきた俊哉は、三秒で思考を放棄した。
「では、どうなるか。楽しみだね?」
「一般人枠としては、あんま楽しめないぜ」
「安心したまえ。君は立派に狂人枠だよ」
こんな状況で、こんな話をされても、特に慌てる事もなく受け入れられる俊哉は、充分に逸脱していると言えよう。
「まっ、大体これのせいだけどな」
掲げるは鋼の義腕。全てのリミッターを解かれたそれは、あるいはノエリアの羽衣にも匹敵するポテンシャルを秘めている。
そうと分かっているが故に、彼は落ち着いていられるのだ。
造った甲斐もある、そうと思いながら、刹那は空を駆ける妹に向かって、呼び出し念波を発信するのだった。
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『お兄が呼んでる気がする……!』
「ハァッ!?」
それは突然の事だった。
ピエロの仮面を付けた妖魔ーースピリが必死にアインスにしがみついている所に、こんな地獄へと連れてくれやがった下手人が、唐突に声を上げたのだ。
まぁ、それだけならば別に構わないのだが、問題はその後の事だ。
『待っててお兄ー! 今行くよぉー!』
なんと、状況の全てを放り出して、敵前逃亡してくれやがったのだ。
「ちょっ、まっ、はっ!? ハァッ!!?」
残されたスピリとしては堪ったものではない。
尋常ならざる頂上決戦の中で、スピリが今も猶生きていたのは、単に彼女が雑魚だったからに過ぎない。
様々な歪みを取り込み、故郷の頃よりも強大になって復活した彼女だが、この場においては変わらずに取るに足らない弱者に位置していた。
今のフォトン=アインスには、かつて程の知能が備わっていない。
生前と変わらないのは、あくまでも権能やステータスの部分だけであり、思考回路は星獣の更に劣化版となっている。
それ故に、スピリへの警戒心が非常に低く設定されているのだ。
目の前のヤバい雷と、なんか知らないが鱗に引っ掛かっているゴミ。
これくらいが、アインスの現状に対する認識であった。
もしも、正しく認識する知能が残っていたならば、天秤を傾ける重要なファクターでありながら、取り立てて強い訳でもなく、ろくに守られてもいないスピリなど、真っ先に潰していただろう。
だが、そうはならなかった。
彼は美影に固執しており、スピリの事を完全に後回しにしていたのだ。
しかししかし、それは今までのこと。
自分の邪魔をする雷の化身が逃亡した。
光に等しき彼ならば追撃する事は可能だが、彼女の撃滅は優先順位としては低い。
彼の存在目的は、星獣に都合の良い戦場へと書き換える事なのだから。
だから、逃げる脅威は後回しにして、近くにいるゴミ掃除を優先するように、アインスの行動パターンは切り替わった。
その最初の標的は、勿論、なんだかさっきから鱗に引っ掛かっていた目障りなスピリである。
スピリは、殺意が自身へと向いた事を悟る。
逃げるか。
逃げても誰も文句は言わないだろう。
連れてきた張本人がいなくなった訳だし、なにより相手が相手だ。
逃げるのも仕方ないと誰もが頷いてくれるに違いない。
しかし、根本的な問題として、そもそも逃げられないから詰んでいる。
何度でも言うが、相手は光の速度なのだ。
美影の様に、匹敵とまでは行かずとも条件次第では速度において拮抗し得て、その上で相手にするには厄介に過ぎると思わせられなければ、逃走すら覚束ない。
スピリは、その両方の条件を、満たしてはいなかった。
「やややや、やってやるであるデスヨ……おぷッ!?」
仕方無いので、なけなしの戦意をかき集めてファイティングポーズを取った次の瞬間、スピリは粉々に弾けとんだ。
対処できるかどうか、というレベルではない。
見えないし、見えていても反応できないし、反応できたとしても防御できない。
(……どうしろと言うであるデスカネ)
幸いと言うべきか、本体である仮面は無事であった為に、なんとか九死に一生を得ている。
このまま死んだ振りをしていたら上手いことスルーしてくれないだろうか、と期待してみるものの、
「ヤバい。目が合ったであるデスヨ」
ギロリ、と睨み付ける視線と自身の怯えた視線が交叉する。
火花が散る余地などない。
彼我の上下関係は完全立証されているのだから。
(……アー、せっかく復活したであるデスノニー)
もう投げ槍の諦めムードになっているスピリの向く先で、アインスが口を開く。
喉の奥には、眩い極光が蓄積されており、今にも放たれんとしていた。
死んでいないようなので、取り敢えず粉々にした破片諸共に消し飛ばす。
そういう必殺の意思を感じさせる閃光が……。
衝撃。
しかし、放たれる事はなかった。
横合いから乱入してきた〝黒〟が、アインスの横顔を強かに蹴り飛ばしたのだ。
「これは八つ当たりだ。悪いが、憂さ晴らしに付き合ってくれ」
「エ、エルファティシア様ァァァァァ…………!」
漆黒の八枚翼を広げた、服も髪も、魔力も、何もかもが黒い女性精霊ーー黒の始祖エルファティシアの登場に、スピリは感涙の叫びを上げるのだった。