怪電波、送受信中
「これは……不味いね」
世界が砕ける。
それを正確に把握し、ついでそれが戦場に与える影響の大きさを察した刹那は、眉を顰めて呟く。
これでは組織的戦闘によって優位を保っていた戦場が、一気に劣勢へと傾いてしまう。
それだけなら、まだ良い。
軍団が文字通りに全滅しようとも、封印壁の担い手たちが無事で役目を全うしてくれるなら、作戦が破綻しているとは言えないから。
しかし、問題は別にある。
チラリと隣に目を向ければ、世界の端がそそり立っていた。
その先は見通せず、突破する事も出来ない。
というか、する意味がない。
そこは、まさしく世界の果てであり、その先は何も無いのだから。
この事実が、刹那の精神を揺るがす。
何故ならば、この方向に最愛の一人、美雲がいたのだから。
星獣からすれば偶然の産物なのだろうが、彼女と分断されてしまった事は、彼の精神に大ダメージを与えていた。
美雲も決して無力ではない。
とはいえ、美影程に安心していられるものでもない。
そこらの雑魚相手でも、数に任せて集られるだけでも死んでしまう程度だ。
心配で心配で堪らない。
だから、彼は即行で対処する。
足下に転がっていた石ころを蹴り上げると、それを地面に向けて思い切り叩きつけた。
「出てこい! いるのは分かっているぞ、粘体娘!」
傍目に見るとトチ狂ったようにしか見えないが、効果は抜群だ。
なにせ、ちゃんとピンクの怪物ーー永久が出現したのだから。
事態の解決には、彼女の力が必要となる。
特性としては美影でも良いのだが、彼女は今も激戦の最中である。
こちらにまで手が回らないだろう。
故に、次点で永久を頼るしかない。
「はぁーい、おりますよー。何の御用ですか?」
「状況は分かっているな?」
「いまいち分かっておりません」
「よろしい。では、オーダーの時間だ」
「分かっていないと言っているのですけどぉ……」
刹那は無視した。
永久とて、一端の教育を受けた軍人である。
色々と規格外の部分が多々あるが、少なくとも十の説明を受けずとも、命令をそのまま呑み込んで行動する事くらいは出来る。
「戦場が砕かれた。駄猫の下へ行け。奴ならば修復が可能だ」
「よく分かりませんが、ひとまず分かりました。他ならぬ刹那様の頼みです。しっかりと果たしましょう」
端的に言えば、やはり余計な疑問を差し挟まず、即座に了解してくれる。
地面に染み込むように消える永久を見送り、刹那は空に浮かぶ星獣を睨め付ける。
「私と賢姉様を引き裂くとは、万死では足りないようだな」
くたばらせる。
単純明快な憤怒を胸に、刹那は進撃を再開した。
~~~~~~~~~~
「いるではないか」
焦りの表情を見せるエルファティシアに、静かな声がかけられた。
足元から聞こえたそれは、よく慣れた声。
猫の姿を取ったままのノエリアである。
この修羅場においても頑なに元の姿に戻らない親に、子であるエルファティシアは若干の苛立ちを覚えるのだが、それはともかく先の言葉の方が重要だ。
「いる、とは……? まさか、多にして同一なる存在がいると?」
エルファティシアとて、精霊の一柱である。
自らの身を別けて、数多へと変わる事くらいは容易い。
しかし、それはあくまでも偽物の分身。
手足の延長でしかなく、本体は常に一つだけなのだ。
無数に分裂し、それぞれが自立行動しながら、しかしてその全てが同一の存在、などという馬鹿げた生命体が、本当にいるのか。
いや、この場面で疑う余地はない。
最近、ふざけた精神性に変化して、故郷にいた頃と比べるといまいち信用できないノエリアだが、それでもこんな修羅場で冗談を言うような人格ではない……筈だ。
デブ猫の姿が大変に引っ掛かるが。
誰だ、と視線で問い掛ければ、答えが自分からやって来た。
「「「お困りのようですね~」」」
にゅるり、と、エルファティシアを含めた後方指令部の面々を囲むようにして、無数のピンクが湧き出した。
それぞれが違う造形をしているが、共通するのは、色合いが桃色である事と、つばの広いとんがり帽子を戴いている事だろう。
それらが、ユラユラと左右に揺れながら、陽気で呑気な声を同時に放ってくる。
異様。
あまりにも怪奇な光景に、一瞬、皆の空気が凍りつく。
その中で、ノエリアだけが即座に反応する。
「状況は分かっておるな?」
「「「はぁ……。まぁ、うっすらとは。刹那様にも頼まれましたし」」」
事態を瞬間的に把握した刹那は、事が致命的になりかねないと即断。
そこら中に潜んでいる永久を呼び出し、対応を要請したのだ。
永久にも、それを断る理由はない。
彼女の中には、過去への微妙な蟠りがあるのだが、別に嫌っている訳ではないから。
どんな距離感でいれば良いのか掴みかねているだけである。
ともあれ、そんな次第で仮想世界を管理しているエルファティシアとノエリアの下へと駆け付けたのだ。
……元々からこの辺りにいた身体を活性化させただけとも言うが。
「「「とはいえ、私には世界の修復なんて出来ませんよぅ」」」
空間への干渉ーー空属性の魔力は、今となっては全属性となった永久も有している。
しかし、今の彼女は魔力が枯渇している状態であり、なけなしの魔力を振り絞っても、とてもではないが砕かれた仮想世界の修復など叶わない。
もっと言えば、そもそもそれだけの技能もない。
空属性が使える事と、空属性魔術への熟達度は、イコールではないのだ。
永久は、元々、火属性魔術師である。
関係のない空属性魔術への造詣は、敵対時の対応くらいしか学んでおらず、自分が使う事を念頭においた教育は受けていない。
故に、出力頼みで混ぜ込めば良い混沌魔力精製に使うならともかく、精緻な術式を行使する事は不可能なのだ。
「我の羽衣であれば、世界を繋ぎ直す事も可能じゃ。しかし、それには途切れた世界の断片の座標を、正確に把握する必要がある」
だが、その問題はすぐに解決する。
ノエリアの羽衣は、縁結びの権能がある。
それを使えば、どんな縁遠い物でさえも……星々の彼方にある二つの惑星でさえも繋がるという強力なものだ。
元々が一つであった世界を紡ぎ直すなど、造作もない。
「「「仕方ありませんね……。貴女と協力などしたくないのですが、美影様は手一杯のようですから私がやらなくてはならないでしょう」」」
「……まぁ、流石のあやつもな。アインスが相手ではのぅ」
ただでさえ手の付けられないフォトン=アインスが相手の上に、縛りプレイをしているのだから、とても余裕はないだろう。
「「「あの方がここまで気を遣えるとは思いませんでした」」」
「…………」
永久の言葉に、ノエリアは無言を返す。
美影は、眼下で戦う人々を、極力、巻き込まないように守りながら戦っているのだ。
確かに、アインスは強い。
天竜の始祖にして、最強の天竜という看板は伊達ではないのだ。
しかし、それも一つの惑星の枠組みの中の話でしかない。
宇宙概念と同化し、全宇宙の〝雷〟を内包している美影は、文字通りに桁が違う。
神化したばかりで、まだまだ未熟な今の彼女が十全に扱える範囲だけでも、本来であればエネルギー量のゴリ押しで圧殺できる筈なのだ。
それが出来ずに、今も互角に戦っているのは、美影が出力を抑えた上で、戦闘の余波を地上に落とさないように配慮しているからに他ならない。
永久には、それがとても意外な行動に見える。
刹那に対してだけならば不思議はないのだが、その他は極論どうでも良いと思っているだろう彼女が、それらに気を遣っているのだから。
一方で、ノエリアは不思議には思わない。
(……あんなのでも、一応、縛られておるのじゃな)
美影の中には、【人類の救世主】という霊格が混ざり込んでいる。
本人は無自覚なのだろうが、結果として人類を生存させるように動いているのだろう。
とはいえ、それは今はどうでもいい事である。
あくまでも惑星ノエリアの守護者である星霊ノエリアとしては、将来的に守るべき民の生存を懸けた衝突の可能性を孕んでいるが、今は不利益に働く事柄ではない。
「全分体とリンクし、正確な位置座標を把握せよ。出来るな?」
「「「まっ、それくらいならヨユーですよ」」」
やるべき事を伝えれば、打てば響く様な即答。
次の瞬間には、ピンク色の粘体が一斉に蠢いた。
形を崩して一つに融合すると、高く高く背を伸ばす。
そして、側面から無数の棘の様な物を、四方八方へと生やした。
電波塔である。
そういう造形だ。
「……もはや生物ですらなくなったか」
無機物への変化に、ノエリアは自らの眷属の拘りの無さに遠い目をする。
こういう生態になってしまったのは、自分が原因ではある。
しかし、精神性まで人間というか、生物の範疇から逸脱しているのは、本人の気質のせいである。
おそらく、周囲の人間どもが悪かったのだろう。
刹那を筆頭に、人間を止めていて、なおかつそれをそれに苦悩をまるで覚えない阿呆ばかりを見てきた事で、自分の身体の事も大した事ではないと思えてしまうのだ。
これも地球人類の業か、と呆れずにはいられない。
「ピピビ、ババババババ。電波送信中ー、電波受信中ー」
「……これは本当に人間、いや生物なのだろうか?」
「言うでない。我も時折不安になるのじゃ」
「時折、か……」
その程度の時点で、ノエリアも大分毒されていると、エルファティシアは残念な気持ちになる。
子に失礼な事を思われているとは露知らず、ノエリアは羽衣を広げる。
「全個体、リンク完了。座標を送りますねー」
「縁括り、縁結び」
砕けた世界が、結び直される。




