具現する竜の愛、飛来する鬼の愛
先手に取ったのは、ギリムの方だった。
広範囲に広げていた触腕の全てを、ガルドルフただ一人に集中させたのだ。
「人気者は辛えもんだなぁ……!」
全方位から殺到する攻撃に、彼は前に出る事で対処する。
逃げ道はない。物量という敵は、彼に無事に回避するという道を残していない。
だから、無いならば、作るしかないのだ。
魔力を固めた両爪を前に突き出し、肉の壁に突撃する。
激突。
血風、舞う。
それはギリムの触腕であり、同時にガルドルフの断片でもある。
「クッ……!」
思っていた以上に、硬い。
死圏からは抜けたが、両手の獣爪にも決して軽くない傷が刻まれていた。
流石は、上位種混合のフランケンシュタイン擬きという所か。
見た目こそ醜悪極まりないが、能力は侮れる物ではないらしい。
「『【ゲッ……! ゲッ……! ゲッ……! オ前も、オマママエも! 食っッってやる! ずズタボボボろっ、にぃし死てから……喰らってヤるゥゥゥ!】』」
「……随分と嬉しそうだなあ、テメェよぅ」
気持ちは分からなくもない。
これまで見上げるしかなかった男に、自分から何もかもを奪った元凶の一つに、勝てると見たのだ。
嬉しくない筈がないだろう。
ガルドルフだって、彼の立場ならば嬉しくて笑いが止まらなかったに違いない。
迫る触腕を連続して避ける。
「……獣魔の弱点を狙ってんなあ」
触腕の威力は生半可な物ではない。
単純な膂力に加えて、様々な特殊能力が備わっている。
単純な火や氷でも放っているならまだしも、毒や妙な呪いを纏っていれば、払うだけでも危険なのだ。
そして、そう考えると、やはりあの黒雷の人間はおかしいと思う。
毒など効かないと断言し、呪いなど黒雷で砕けば良いとのたまう阿呆は、どう考えても人間の範疇にはいないだろう。
今では明確に人間ではなくなったが。
ともあれ、そんな現実逃避はさておいて、目の前の問題に取り組まねばならない。
「随分と離されちまったなあ……」
特に危険な触腕を巧みに使われた事で、避け逃げている内に、どんどんと距離が開いてしまっていた。
獣魔の特性を良く理解している行動だ。
獣魔種は、生来の獣の肉体と纏う魔力の運用によって、近接戦闘に特化している種族だ。
手足の届く距離においては、時として上位種に迫る事もある程である。
一方で、その代償として、彼らは遠距離においてはとことん適正を持たない。
魔力を投げる事が種族として苦手なのだ。
ギリムは、醜悪な顔に歪んだ笑みを浮かべる。
自らの勝利を確信しているのだろう。
実際に打つ手が無い。
身体能力に任せて接近しようにも、今のギリムはそれに追い付けるだけの能力を持っている。
尤も、それは故郷にいた頃の話である。
「十年、怠惰に寝ていた訳じゃあねぇんだよぅ……!」
故郷を滅ぼした仇を討つ為に、なにより主導権を握った状態で嫁と交尾する為に、鍛え続けていたのだ。
あの鬼の才媛に勝つ為に、苦手を苦手としたまま、放置している筈がない。
「シャッ!」
腕を振るう。
宙を裂いた獣爪は、その力を誇示するように更なる広範へと届く。
斬裂。
腐った肉が裂け、どす黒い血が舞う。
分厚い肉の壁は、流石に一発での突破を許してはくれなかったが、それでも種族的に不可能とまで言われていた遠距離攻撃を可能としていた。
それを見て、ギリムは、にぃ、と醜悪に笑む。
(……そうだよなあ。勝てると思うよなあ!)
遠距離での攻撃手段を獲得したとはいえ、それは牽制程度に過ぎない。
雑魚狩りには使えるが、今のギリム相手には些か以上に力不足だ。
弱点を克服したと言うには、あまりにも心許ないものである。
だから、油断を誘えるのだ。
ギリムは、これがガルドルフの限界だと見た。
底を見切ったと断じた。
勝機である。
ガルドルフの灰色の体毛に、鮮やかな赤が染み出す。
全身から同じ色合いの煙が噴き出し、彼の身体の周りで魔力が濃密に渦を巻く。
獣魔の切り札、過剰な血流加速により身体機能を限界を超えて強化する戦闘術、〝血死〟。
それだと見て取る。
そうだろう、もうそれしか残された手段など無い筈だ。
確かに、それは強力だ。
一時的には、今のギリムのスペックでさえも、大きく上回る程に違いない。
だが、明確な弱点もある。
それは、リミットの極端な短さにある。
見て分かる通りに、過剰血流に獣魔の強力な肉体でも耐えられないのだ。
発動させただけで血管が爆ぜ、肉が裂け、身体が崩壊していく。
そして、その短時間では、自分を殺しきれない。
だから、やはりギリムの勝利への確信は揺らがない。
むしろ、それを強化した。
彼は、触腕を攻撃ではなく、防御に回して固める。
限界時間まで待てば良いだけなのだ。
何も恐れる事はない。
「っ……!」
ガルドルフが血風を置き去りに瞬発する。
触腕の壁をかいくぐり、一瞬にしてギリムの懐まで接近せしめた。
だが、防御へと意識を傾けていたギリムは、ぎりぎりの所で反応する。
血爪。
赤い斬撃が一閃される。ギリム本体を一撃で切り裂ける攻撃は、しかし差し込まれた触腕に阻まれる。
「『【ゲッ……! ゲッ……! ゲッ……!】』」
嘲笑う。
お前の攻撃は届かないのだと。
それに対して、ガルドルフも笑う。
「馬鹿野郎がよぅ。十年前とは違うっつってんだろうがよぅ……!」
纏う血霧が加速する。
渦を巻いて、より強くガルドルフの肉体に絡みついていた。
猛攻。
防御を固めるのならば、それも良し。
遠慮なく切り刻んでやるだけだ。
「オ……! オォ……! オオオオォォォォォ……!!」
ガルドルフは、ひたすらに鋭い爪刃を叩きつける。
吹き出す二人の血。
真紅と深紅の竜巻が発生する。
この猛攻も、いつかは止まる。
そう遠くない内に。
そう思って、ギリムはひたすらに耐え続ける。
刻一刻と触腕が刻まれ、再生が追い付かなくなっていくが、それでもガルドルフが力尽きる方が早い筈だ。
……筈なのだ。
だが、止まらない。
速度が落ちない。
むしろ、徐々に加速しつつあった。
「方舟にはよう! 地球の! 人間共の! 歴史が刻まれてたんだよなあ!」
余っていた記憶領域を埋めるように、地球や人間の歴史が入っていた。
十年の間にそれを解読していたノエリアの民は、それを様々な形で自分たちの中に取り込んでいる。
獣魔が特に注目した分野は、雷裂の戦闘技法と、そして現代の瑞穂の魔王【千斬】の魔術である。
概要しか記されていなかったが、雷裂には〝血死〟と同じような限界突破法があり、【千斬】の魔術には肉体への負担を時間経過と共に大きく禊落とす技法があった。
それらを解析し、再現し、組み合わせ、再構築する事で、〝血死〟は大きく進化し、完成形とまで称せる段階にまで至ったのだ。
今の〝血死〟は、性能も限界時間も、十年前の故郷にいた頃とは桁が違う。
そうと気付いて、戦闘方針を変えるには、遅過ぎた。
既に決着は着いている。
「終わりだぜぇ! ハゲ猿がよぅ!」
遂に触腕の壁を突破し、ギリム本体を剝き出しにする。
ガルドルフが腕を振りかぶる。
頭から股まで真っ二つにしてくれる。
その大振りが、最後の反撃の隙だった。
「【『おおおおおぁぁぁぁぁぁぁぁ!!』】」
ギリムの腹に亀裂が走る。
横一文字に奔った亀裂が盛り上がり、牙と鱗を生やして、ガルドルフへと襲い掛かる。
それは竜の頭を模していた。
ガルドルフも誰も知る由もないが、それは彼を愛した、一人の地竜の少女が竜化した頭部と同じ形であった。
死して、贄となっても、愛した者を守りたい。
そんな想いの具現は、しかし天頂より飛来した一撃に撃ち抜かれる。
陣撃術【飛爪】。
戦場は、球体の内面世界にある。
だから、天を見上げれば、そこには無窮の空ではなく、確かな大地がある。
故に。
別の戦場にいるツムギからの手助けだって、飛んでくるのだ。
愛してくれる者がいるのは、決してギリムだけではないのである。
「……まぁ、対処しようと思えば出来たがよぅ」
とはいえ、ここは素直に感謝しておこう。
むしろ、こんな天地の隙間を通してピンポイントで撃ち抜く精密さにドン引きしたい。
やはり妻は化け物だ。
「幕引きだあなぁ……」
一閃。
ガルドルフの五爪が、ギリムを静かに引き裂くのだった。