同情の心
妻に遅れて、灰色の狼ーーガルドルフが現場にやって来た時、そこにはカオスが広がっていた。
『お前は、お前だけは……ボクの味方だと思ってたのにぃぃぃぃ……! これは裏切りだ! 世界に対するとんでもない裏切りだよ……! 恥ずかしくないのか薄情者っ!』
「恥ずかしいのは貴女ですよぅ~。あいぃ……っっ、たぁぁぁぁぁぁ」
「はははははははははは」
重傷の身である愛する妻は、何故か、胸を抱いて涙目で踞っており。
何だか初めて見る気分にもなる人型邪神もどきは、腹を抱えて延々と笑っており。
そして、忘れたいのに忘れられない小娘が、四つん這いになって雷を纏った拳を地面に叩き付けている。
最もヤバいのは、最後の輩である。
何がヤバいかと言えば、拳を叩き付ける度に雷が天を貫き、大地が割れ爆ぜ、見事なクレーターが出来ている事が、実にヤバい。
ただの地団駄が災害と変わらないとか、関わりたくないにも程がある。
加えて言うならば、
「…………ぜんっっっっっぜん、エロくねぇなぁ」
一糸纏わぬ全裸であり、四つん這いの姿勢で向いている方向のせいで、ガルドルフから見て、ケツを突き出している形になるのだが、これが全然、全く、これっぽっちもエロくないのだ。
ピクリとも来ないとはこの事である。
ガルドルフは、獣の色の濃い獣魔種であり、それ故に性的欲求も強い。
良い、と思った女に対しては、恋愛感情こそ抱かないが、反射的に性的な欲望を抱く事は多々ある。
きちんと己の子として認知している者は、ツムギとの間に作ったただ一人しかいない。
だが、厳密に調べれば、あと3、4人はいてもおかしくはないと、これまでの遍歴から推測しているくらいだ。
ちなみに、ツムギは、旦那の気の多い特性を理解し、受け入れて許している。
獣魔種がそういうものだと知っている事も理由の一つだし、何より彼女の出自である霊鬼種自体が、国策として子作りを主導している為に、自分自身もいつ何処の誰とも知らない相手との子供を作る事になるかも分からないからだ。
特に、ツムギは〝霊鬼の才媛〟なのだから。
彼女の血を、純粋な霊鬼種として残さない訳がない。
ともあれ、そんな特性を本能レベルで持っている為、愛する妻と同格の〝人間の至高〟である美影に対して、再会すれば欲情すると思っていた。
正直に言えば、十年前の邂逅時にも昂る物はあったのだから。
当時は未知への恐怖と困惑が勝っていたが。
なのに、全く惹かれる物がない。
(……レベルが違い過ぎるからだあなぁ)
ノエリアから聞いていた未来予想、これまでの状況の推移、ツムギからの証言などを総合して考えれば、美影が真の神と呼べる段階にまで至ったのだと悟る。
神と人。
果たして、その差は如何程の物なのか。
少なくとも、生殖をしたいと思える範疇にはいないという事なのだろう。
故に。
「ふふふっ、そうして我が儘撒き散らしている姿も可愛らしいね」
愛しい視線を、情欲の籠った瞳を、今も変わらずに向けている刹那が異常なのだが。
『くそぅ、ちくしょぉ……。何でボクだけこんな……。ボクだってなぁ! ボクだってなあ!! もっとバインバインなナイスバディになりたかったんだよお! お兄が吸ったり揉んだりもっともっと楽しめる素敵我が儘ボディが欲しかったんだ……! なのに! なのに!! お前だけ!!!!』
美影は、神化した事で、既に完成されてしまっている。
確固たる肉体を、分解・変換して、自らの霊格の一部としている。
その為、これ以上の変化は、少なくとも外見においては、自然変化はしないのだ。
良くも悪くも。
『良いもんね! 今のボクは可変型肉体を手に入れてるもんね!』
「可変型ってなぁ、身体に使う言葉じゃあねぇと思うんだがなぁ」
ガルドルフの呟きは無視された。
『いざ! 変☆身っ!』
そう、エネルギーの塊である美影は、自分の意思で身体を変化させる事が出来るのだ!
デフォルト設定が慣れ親しんだロリボディなだけで、その気になれば魅惑の我が儘ナイスバディにだってなれるのである!
それを証明するように、小学生女児並みだった身長が、ニュッ、と伸びる。
伸び過ぎて大気圏を突破していたが。
『フハハハッ、見晒せー! この、高! 身! 長! 皆の追随を許さぬミラクルボディだぞぉー!』
「……あー、説明」
ノッポどころではない有り様となって高笑いする美影には、もはや言葉は届きそうにないので、代わりに可変型の先達である刹那へと具体的な事を求める。
「ふむ、おそらくはしっかりとしたイメージが出来ていないのだろう」
アバウトに、背が伸びる、身体が大きくなる、という形で自らの肉体を再構成した為に、単純に大きくなってしまったのだろう。
ついでに言えば、扱うエネルギーの量と質までもが、彼女の意識の範疇からさえも逸脱してしまっている事も、理由の一つと言える。
美影は、この宇宙に存在する、〝雷〟という概念そのものと結合して具現化している状態だ。
それは、自然発生する雷――電気エネルギーに始まり、魔力も、超力も、それどころか人類が未だ未体験領域にある〝雷電〟でさえ、その身を構成する一部としている。
必然、美影は、自分がどんなエネルギーを宿していて、それをどうやって使えば良いのかも、いまいち把握出来ていない。
先程から、彼女の感情に反応して、無闇矢鱈と稲妻が走っているのが、その証拠だ。
制御しきれていないのである。
自分自身の身体は、長い期間でイメージが固まっている為に無意識であってもほとんど形がぶれない。
しかし、そこから少しでも外そうと思うと、途端にあやふやになって、それが外見にも反映されてしまうのだ。
ようやく自分の異様に気付いた美影が、元の姿へと戻り、再び四つん這いに崩れ落ちた。
『くそぅ……、どちくしょぉ……。何でボクだけぇ~……』
「ふふふっ、苦い裏切りの味だね」
『これが! 裏切り!』
愉悦を載せた刹那の言葉に、美影は衝撃を受けた顔をする。
そして、初めて、嘘偽りなく、生まれて初めて、彼女は過去を後悔して涙した。
『そうか、そうなのか……。こんな、こんなにも、苦くて、辛いものだったんだね』
思い浮かぶは、手酷い裏切りで捨て駒にした、ちっぽけなハゲ猿の記憶。
なんだかもうほとんど覚えていないが、きっと彼もこんな気持ちを味わいながら絶望に沈んでいったのだろう。
『なんて事だ……。えと、なんていったか……』
「ギリム君かね?」
『そう、そいつ。あいつには、もっと優しくしてあげてたら良かったなぁ』
「おや、嫉妬してしまうよ?」
『そうじゃないよ。ボクの愛はお兄だけ。……そうじゃなくて、最後まで裏切りを教えないで、甘い理想の中で死なせてあげるべきだったな、って』
心から後悔している。
あの時、裏切りがこんなにも辛いものだと知っていたならば、もっと優しく、希望と歓喜に抱かれた理想の海に沈めて、捨て駒にしてあげたというのに。
『ああ、悲しい事だ。あいつには、とても悪い事をしてしまった。可哀想に……』
「うむ、とても悲しい話だね。我々で後始末をしてやらねば。供養するのが、刈り取った者の役目だよ」
『うん、そう……そうだね……。ちゃんと心を込めて成仏させてあげよう』
刹那に肩を抱かれた美影は、決意を秘めた目で空を、その先にいる星獣を、ひいてはその中に囚われた哀れな捨て駒を、見上げた。
そんな二人の世界に浸る様子を、離れた位置から鬼と獣の夫婦が、冷めた目で見ていた。
「……ドン引きですよぅ~」
「なんとなくキレイな絵面にしようとしてるがあ、言ってる事ァ最悪だあなぁ」
「同情しますねぇ~」
「アァ、そうだあなぁ。今まで、なんとも思った事ァねぇがぁ、初めて同情すらぁ」
可哀想なハゲ猿に、安らかな冥福を。
仮にも〝同郷〟なのだ。あんなクズどもではなく、せめて自分たちの手で引導を渡してやる事こそが、正しいケジメの付け方だろう。
夫婦は、人外二人を眺めながら、そう思うのだった。




