祈りの結実
囁き、祈り、詠唱、念じろ。
雷鳴が轟く。
ゴロゴロ――――
ゴロゴロ――――
ゴロゴロ――――
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極寒の筈の宇宙。
しかして、その一角では燃え上がる灼熱に満たされていた。
三体の炎の化身が入り乱れている為に、充満する熱量は戦いの激しさと共に、加速度的に上昇している。
その中で、最大熱量を持つ巨体が驚く程の高速で暴れ回っていた。
クラツェン=フィーアである。
彼は、身に纏う炎を放出、その反動を利用して大気のない宇宙においても高速度を実現していた。
ただの移動手段にもかかわらず、放出される炎熱は濃密。
遮るものの無い極寒環境だというのに、ろくに拡散されず、連なる移動痕がまるで巨大な龍のような姿を象っていた。
「く、ぉ……!」
差し迫る体当たりを、火竜翁は必死に回避する。
技巧も工夫もない、ただのぶちかまし。
だが、巨体の重量、纏う熱量、その双方がそれを凡百を焼き払う必殺へと昇華させていた。
更には、撒き散らされる火の粉も油断ならない。
火炎耐性の高い火竜翁をして、受ければ無傷ではいられない威力を孕んでいる。
そこまで。
それ程までに、今のフィーアは強くなっていた。
「……ちまちまと削るものではないな」
「どうする!? どうしようというのかのぅ!」
これまでに、何度か隙を見て攻撃を仕掛けてきた。
フィーアの基礎的な強度は、さほど高くはない。
だから、彼の纏う火の鎧を貫けるのならば、ダメージを与える事は出来る。
最初の内は。
ある意味では、当然の話である。
フィーアの展開する法則は、ダメージを受ける事が前提となっている。
それはつまり、ダメージを与える事へのハードルはそう高くない事実を示している。
故に、最初の内は、それなりに順調に攻勢に出られるのだ。
だが、それは大いなる罠である。
傷を負えば負う程に強化されていく法則下において、半端な攻撃は悪手以外の何物でもない。
普通の生物ならば、万単位で殺せる攻撃を受けても、天竜という種族の生命力の前には大きく意識する程ではない。
しかし、それによって強化される比率は、尋常ならざる領域へと辿り着いてしまう。
今まさに、そうなっている。
「う、お、おおおおぉぉぉぉぉ……!!」
攻撃などと、考える暇はない。
防御などと、出来る余地もない。
我武者羅に、全身全霊で逃げ回らなければ、一瞬の内に蒸気だ。
塵一つ残りはしない。
それは、良い。
どれだけ無様であっても、今はそれでも、良いのだ。
なにせ、フィーアの意識を引き付けていられるのだから。
それだけは、好材料だろう。
やはり、知能は獣並みまで落ちているらしい。
でなければ、とうに無視されて火星を直撃している筈だ。
ここまで強化されたフィーアを、追撃する力は足止めしている者たちには無いのだから。
しかし、問題はまだある。
「……他の勢力が抜けているな」
「分かっているが! どうしようもないのぅ!」
フィーアを除く眷属たちは、足止めを無視して、本命へと向かっていた。
あれくらいならば、火星に残る戦力でも充分に対処可能だろう。
だが、それはそれとして、任せられた役目を果たせていない事には忸怩たる想いがある。
僅かなりとも、本陣を脅かされる事は、現状では多大なるリスクを孕むのだ。
「ヒヒャアーーッ!! 鴨撃ちだぜェェェェ!!」
炎魔が、すり抜けようとしている眷属を背後から嬉々として撃ち落とす。
フィーアの熱量を受け食らい、小さめの大陸ほどにまで膨らんだ彼は、腕の一振で殿を削り取った。
更に、と腕を振りかぶるが、瞬間、フィーアの突撃が炎魔の巨軀へと突き刺さった。
爆ぜる。
莫大な火炎を内側から受けた炎魔は、その巨体を爆発四散させた。
「チィッ! イ~ィ所で邪魔しやがるゼェ!」
それで死にはしない。
火星にいる久遠と、魂の繋がりを通して供給される火属性魔力がある限り、彼は不死身でいられるのだ。
そうでなくとも、火の塊である彼を殺す為に、火炎を用いる事は間違いなのだが。
火は糧である。
どんな威力であろうと、火では殺せないのが、彼の特性だ。
今、拡散したのも、爆発の衝撃を受けたせいであり、ダメージとは繋がらない。
「死ネァァァ……!」
再集合した炎魔の拳が、フィーアを捉える。
しかし、こちらもまたダメージにはならない。
涼しい顔をしてやり過ごし、そのまま離脱して火竜翁へと向かって飛ぶ。
「クソがぁ! 無視してんじゃァねェぞゴルアァァ!!」
追いかけようとするが、彼我の移動速度は比べ物にならない。
(……無理をするな。それよりも、浸透戦力の追撃を)
「チィ……!」
追い付けないのであれば、仕方なし。
雑魚の殲滅を徹底しろという主人からの命令に渋々と従おうとする。
だが、そうして背を向ければ、再び、反転してきたフィーアに散らされて行動もままならない。
「アァーーーーーー!! ウッッッッッゼェェェェェェェェ……!!」
キレるが、状況は変わらない。
どうにか出来るなら、とっくにどうにかしている。
火竜翁と武も、逃げ回るだけで精一杯だ。
フィーアを足止めしている余裕も、浸透する眷属を追撃する余裕もない。
このままでは、火星が危険に晒される。
そう考えた瞬間、眷属群の中に色とりどりの攻撃魔術の華が咲いた。
一塊になって動いていた彼らは、たまらず散り散りになって動きを乱している。
何が起きたのかと見れば、後方に複数の影が見えた。
航行する金属の塊。
宇宙船である。
戦闘機能を搭載した軍艦はろくにない筈だ。
その予想を裏付ける様に、見える艦影は全てが急造の輸送艦タイプだった。
ならばどうやって、と不審に思えば、その表面には幾つもの人影が貼り付いている姿が見える。
ずんぐりとした姿は、分厚い宇宙服を着込んだ人間たちだ。
「遅参、誠に申し訳無く! 雑魚の処理はお任せください!」
通信が入る。
どうやら砲門の代わりに、魔術師たちを外に配置しているのだろう。
無茶をする。
防御力のない輸送艦は、一発でもまともに食らえば即座にデブリになるし、貼り付いた魔術師たちも重い宇宙服を着込んでいる関係で機敏な動きは出来ないだろう。
命を投げ捨てている。
『援護ハァ~、オ任セアレェ~~~~』
何処か嘘臭い、間延びした声が聞こえると同時に、輸送艦群に太い植物の蔦が巻き付いた。
森精種だ。
本質的に植物なので、火にはあまり強くないが、雑魚の攻撃から守るくらいには役に立てる。
この場の役割としては、それで充分だろう。
「後ろは気にするな! そっちのデカブツを頼んだぞッ!」
雑魚に構っているが故に、どっち付かずになっていた現状に、この援軍は有難い。
とはいえ、それでフィーアの進軍を止められるのかというと、それもまた難しいのだが。
もはや、火属性魔術師たちでさえも、まともに近付く事の出来ない熱量に達している。
それを止めるどころか、打倒しなければ、程無く火星とそこに生きる皆の命運が尽きてしまう。
「とんだ強行偵察ダゼェ……!」
攻防一体の強力なタフネス。
手が付けられないにも程がある。
そう思っている所に、突然に流星群が降り注いだ。
『キアアアアァァァァァァ!?』
唐突な真正面からの質量攻撃の衝撃に、フィーアは躓いた様に動きが鈍る。
あの隕石は、知っている。
ゾディアックの第一位【射手座】ジャックが得意とするものだ。
その証明に、フィーアの鼻先を掠める位置に、カウボーイハットを被った男性がいた。
彼は、拳銃型デバイスを構え、連続して隕石を放ち、フィーアを打撃する。
「旦那ァ、それじゃア、もう意味がねェレベルだぜェ!?」
フィーアの強化段階は、あの程度の衝撃をスルー出来る状態にまでなっている。
魔力が尽きるまでやっても意味がないだろう。
連射するジャックに並んだ炎魔がそれを指摘すれば、彼は鼻を鳴らして言う。
「フン、そんな事は分かっている。目的は、あの火の鎧を可能な限り弱める事にある」
「ヘェ~エ?」
チラリ、とジャックが一瞬だけ視線を逸らす。
その方向には、何もない。
ただ真空の宇宙が広がるだけ。
そう見えるが、よくよく注意して感覚を研ぎ澄ませれば、何かがある…………様な気がした。
隠し球がそこにあるのだろう。
何をするつもりなのかは分からないが、その為には鎧が邪魔なのだとは分かった。
なら、すべき事は簡単だ。
「食い尽くしてやらァなァ!」
再加速し始める前に、炎魔はフィーアへと飛び付いて食らい付く。
「ヒャッハァー! 食い放題ダゼェ……!」
火に限り、炎魔に限界は無い。
ドンドンと膨らんで大きくなるだけで、破裂する様な事はないのだ。
奥から溢れ出してくるフィーアの鎧を、彼は自らの身体に同化させて全力で奪い始めていく。
「翁、可能な限り近付いてくれ」
「焼け死ぬでないわいのぅ!」
意図を察した火竜翁と武も、併せて動く。
自身の熱耐性の許容するギリギリを掠めて、火竜翁は飛翔する。
まるで弾丸の様に、螺旋状に回転しながらの軌道だ。
それに巻き取られるようにして、フィーアの体表の炎が波打ち、火竜翁に追随するように線を引いて吹き上がる。
武の魔力が絡み付いて、引っ張りあげているのだ。
「回復してきましたわぁー!」
「食らいなさい……!」
そこへ、更に飛び出した水色の女性二人が、水と氷の天幕を広げて包み込む。
爆裂。
特大の水氷が、莫大な熱量に触れて一瞬で蒸発、水蒸気爆発を引き起こした。
隕石を焼き溶かす為に消費し、炎魔に食われ、流転に巻き上げられ、最後に水氷に冷やされ、フィーアの纏う熱量が一時的に極端に低下した。
「今だぁ……!」
合図に対する答えは、幻覚に隠された向こうからの、一直線に伸びる超重力砲撃であった。
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幻のベールの向こう側で、数少ない砲門を備えた宇宙船の中。
「ふぅ……」
どっと滝のような汗を流しながら、砲手の女性ーー福原千秋は、胸に溜まった息を吐き出す。
魔王拡張政策でスカウトされた、〝綺麗な砲身〟を持つ女性だ。
訓練期間を経て正式に配属されたのだが、まさかの初陣がこんな大舞台とは思っても見なかった。
外部からの魔力供給を受けながら使用した砲門は、あまりの威力に耐えかねて破裂したように無惨に引き裂けている。
二射目は不可能だろう。
その隣で、もう一つ、陽炎を揺らしている砲門へと視線を向ける。
千秋の超重力砲から、僅かに遅れて撃ち放たれた本命の攻撃を行ったものだ。
「上手く……いきましたか……?」
「手応えはありましたが……あとは効果を祈るしか無いでしょうな」
砲撃の名手というベテランの軍人が答える。
その視線の先、超重力砲という馬鹿げた攻撃力によって風穴を開けられたフィーアは、自身の展開する法則に従って更に大きく膨れ上がり、
『キィィィィィィアアアァァァァァァァァ…………!!!??』
そして、身を侵す激痛に致命の悲鳴を響かせた。
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作戦は簡単だ。
第一段階として、可能な限りフィーアの炎熱の鎧を薄くする。
耐熱金属で覆われているとはいえ、最終的には中身を吐き出さなければならない以上、薄く出来ている為に、中に届くまでに絶対的に耐えられると言えない為だ。
第二段階に、隠れていた砲艦から超重力砲によって、穴を穿つ。
単なる砲撃では、もはや傷を付ける事さえままならないのだから、これも必要な行程となる。
そして、最後の仕上げに、本命の、精霊絶対滅殺細菌を搭載した砲弾を、体内に撃ち込む。
これが、作戦の概要である。
ここまでは成功すると見ていた。
相手の知能が低下しているなら、狙いを看破する事も出来ない。
しかも、ダメージを受ける事を敢えて望むような能力である為に、攻撃を回避するという意識自体が薄いのだ。
それらを考えれば、ここまで辿り着く事は比較的難易度が低いと立案者も実行者たちも考えていた。
問題は、用意した細菌が本当に効くのかどうか、という点である。
これが効果を発揮しなければ、傷付いた身体を更に強化して、どうにもならない状態にしかならない。
数瞬の緊迫。
運命の分岐点を、固唾を飲んで見詰めていると、
『キィィィィィィアアアァァァァァァァァ…………!!!??』
フィーアが身を捩らせ、断末魔の叫びを上げた。
彼の身体は、全身がボロボロと砕けて千切れ落ち、ドロドロの黒ずんだ魔力を流血のように吐き出していく。
反撃も復讐も、何も考える余裕なく、宙を転げ回って悲鳴を上げる。
なまじ、生命力が高く、魔力が多い為に余計に苦しんでいるのだ。
上位までの精霊ならば、苦しむ間もなく汚染されて死に絶えるだろうに。
その末路を哀れに思いつつ、しかし最後を見届けるまでは油断できないと注視する。
「…………これは困ったわいのぅ」
思わず天を仰ぎたくなる、予想の範疇内の出来事が起きた。
転げ回っていたフィーアの動きが止まり、身体の崩壊が収まり、そして纏う火炎が、これ以上なく大きく巨きく燃え上がったのだ。
殺しきれなかった。
命尽きる前に、細菌が力尽きたのか、それとも抗体でも手に入れたのか、答えは分からない。
分からないが、現実としてまだフィーアは生きており、そして受けたダメージが能力にフィードバックされる。
まさしく、太陽となっていた。
砲艦より、超重力砲が放たれる。
砲門を使用しない、その身だけでの砲撃だ。
収束が甘く、先程よりも威力は低いが、それでも相当な力は秘めている。
それが、霧散した。
彼の纏う鎧どころか、そこから放たれる熱にさえも、負けたのだ。
「これは無理だな」
もう人間にどうこう出来る段階ではない。
成る程、神と同列視されるだけの事はある。
こんな物が身近にあれば、平伏するのも無理はないだろう、と地球人組は思う。
仕方がない。
こうなれば、もはや匙を投げよう。
白旗を上げよう。
出来ないものは出来ないのだから、仕方がないではないか。
ジャックは、拳銃を仕舞い、帽子を深く被ると、静かに祈りを捧げる。
「申し訳無い。助けてくれ、雷の申し子よ」
神鳴りが、落ちた。
助けてくれ。
人々の願いは、最新の神へと届いた。