天縁は此処に結ばれる
雷の嵐が過ぎ去った後、そこには淡く輝く球体が残されていた。
今にも消えそうな明滅を繰り返しながら、シュルリと、球体が解けて開かれる。
「いやー、助かった。流石にあれは、俺じゃあ無理だったからな」
「なに、先に助けられたのは我じゃ。戦場は持ちつ持たれつ。気にするでない」
玉から、布へ。
本来の羽衣へと戻り、包み隠された中から吐き出されたのは、使い手たるノエリアと、俊哉であった。
あの最後っ屁による超広域攻撃は、俊哉の能力では防ぎきれないと見たノエリアが、寸前で羽衣の中へと隠して守ったのである。
先の奇襲への恩返しの様なものだ。
どうせ、自身を守らなければならないのだ。
人間一人を匿うくらい、誤差でしかない。
そう、一人である。
永久の姿は何処にもない。
軽く周囲を見回した俊哉は、おずおずと切り出す。
「あのー、永久さんは……?」
「知らぬな。燃え尽きたのではないか?」
ノエリアが守ったのは、自身と俊哉だけ。
仮にも魂で繋がった眷属である永久の事は、当たり前のように見捨てていた。
立ち位置として若干の距離があり、猶予もなかった、というのは表向きの理由。
頑張れば手を届かせる事もできた筈にもかかわらず、それでも見なかった事にしたのは、無駄な労力を払いたくなかったからだ。
どうせ生き残る。
ある意味では全幅の信頼を込めたこの思いに尽きる。
その証拠に。
「んまっ! なんて薄情な駄猫なのでしょうか! 信じられません! 失望しました!」
セリフの勢いの割に、どうにもか細い声が届く。
何処からと見渡せば、近くに浮遊する薄桃色の小さな塊があった。
拳大すらも下回る、饅頭大の物体だ。
無重力故に、ふわふわと輪郭を揺らしながら漂っている。
「……えーっと、永久さん?」
「はいな。私ですよ?」
「その、随分と小さくなりましたね?」
「リソースの尽きた私には、あの手の範囲攻撃は天敵なのです」
困った困った、と吐息する怪奇物体。
ある程度、隙間があるのならば、それがどんな威力を秘めていようとも、不定形生物である永久ならば幾らでも躱しようがある。
自ら風穴を開けるくらい、造作もない。
しかし、完全に逃げ道が塞がれていると、どうにもならない。
特に、魔力も尽きていれば、盾として使い捨てにできる質量もないと、本当に命の危険が迫ってしまう。
今回は素早い察知により、出来る限りの防護体制を取れていたが、それでもこの有様である。
饅頭大の塊が蠢き、人の頭の形を取る。
「じゃん。〝ねんどろとわちゃん〟を越えた、更なる省エネモード、その名も〝ゆっくりとわちゃん〟です」
「人はそれを生首というのじゃ」
「酷い! こんなに可愛い私に向かって、なんて冷血なのでしょう!」
嘘臭い泣き真似をした後、彼女は態度を変えて不機嫌を顕にした。
「全く、ノエリアももう少し私に優しくしてくれても良いのではありませんか? 危うく死んでしまう所でした」
ぷんぷん、と苦言を呈す永久に対して、ノエリアは吐き捨てるように応える。
「ふん。どうせ、保険はかけておるのじゃろうが。断片一つありさえすれば、命を繋げる怪物めが。何処ぞに欠片を置いているのじゃろう?」
「……否定はしません」
今の永久にとって、星獣との戦いや、人類の存亡などどうでもいい事である。
最優先すべきは、大恩ある姉の保護であり、その他の事は些事に過ぎない。
本音を言えば、今すぐに久遠を連れて宇宙の果てまで逃げ出したい所である。
当の久遠が、人類の行く末について、炎城の当主としての責任を背負って憂いているので、仕方なく付き合っているだけだ。
だから、当然、ここで命を全額ベットする様な真似を、永久はしない。
火星を初め、宇宙のあちらこちらに自身の破片をばら蒔いて、何がどうなっても生き残れる様に工作している。
流石に太陽系の外までは手が伸びていないので、太陽系を丸ごと消滅させられると死んでしまうだろうが、それ以外であれば大体生き残れる自信があった。
「ままっ、それは良いではありませんか」
別に悪い事をしている訳ではないので気にする必要はないが、広がりかけた嫌な空気を散らすように永久は強引に話題を変える。
彼女は、視線を美影の砕けた座標へと向ける。
そこに美影の姿は跡形もなく、代わりに黒い帯布が二本、揺られて漂っていた。
「ユウヨ……猶予とは、何の事でしょうね?」
「滅びの猶予であろうよ。我々が物理法則に縛られる様に、連中にも活動制限があるという訳じゃ」
宇宙法則は、意思を持たない機械じみた代物である。
故に、条件が揃えば、対象が何であれ消滅に動く。
だが、一方で彼ら単体では、ろくな事が出来ない。
正確には、活動するまでに非常識なまでに時間がかかる。
なにせ、宇宙規模の事なのだ。
たかが太陽系一つ押し潰すだけにしても、千年万年と時間がかかってしまう。
その時間的制限を突破する手法こそが、何らかの器を用いる方法だった。
だが、これはこれで、大いなる制限が課せられる。
なにせ、憑依させるのは宇宙の法則そのものなのだ。
生半可な器では、憑依と同時に破裂してしまうし、耐えきれる器であっても長くは持たない。
肉体的には生物的極限にまで至り、精神的にも【人類の救世主】として拡張されていた美影をして、この短時間で崩壊してしまったのだ。
それがどれだけの過負荷なのか、推し量れようというものである。
最後の〝ユウヨ〟とは、次なる器を見つけるまでのタイムリミットを指しているのだろう。
(……そして、次が見付かった時には、もう手遅れじゃろうな)
ノエリアは、それこそが本当に最後のリミットだと見る。
今回は、なるべく被害が小さくなるように行動していた節があった。
だが、それに失敗した以上、今度こそ確実な抹殺を敢行するであろう。
すなわち、憑依と同時のバーストである。
憑依した器諸共に、太陽系と、念を入れてその周辺宙域を含めた宇宙を爆砕させられるに違いない。
そして、困った事に器になり得る素体に、現在、事欠かない。
ノエリアや刹那を初め、永久やツムギ、エルファティシアに、場合によっては星獣そのものでさえも、隙を見せれば宇宙法則の器として適合するスペックを持っている。
そんな最悪の事態を防ぐ手段は……無い事も無い。
前々から手は打ってある。
後は、それがきちんと機能するかどうかという賭けとなる。
そして、賭けの担い手が舞い降りる。
漂う二本の帯布――星装【彼方此方】を掴み取る者がいた。
八本の武骨な大剣を従えた一人の青年、刹那である。
「これは私がいただく。良いね?」
「構わぬ。その為に用意したものじゃ」
ノエリアの羽衣、星装【天縁之羽衣】から作り出したそれには、武具としての役目を隠れ蓑に別の目的を持たされていた。
それこそが、本来の機能である〝縁結び〟の能力。
断片であるが故に、最初に設定された只一つにしか作用しない上に、それが発動した時点で星装そのものも崩壊してしまうが、それでも目的を達成できるのならば、充分な代償と言える。
「……刹那様」
一度血迷い、姉に張り倒され、そして我を再構築された時より、永久は刹那とは一線を引いた距離感を保ってきた。
彼女は、数少ない過去の血筋を覚えている者だから。
それが自身への罰だと、必要以上の関わりを持つ事を戒めてきた。
だから、掛ける言葉が見付からない。
刹那が新たな家族を、どれ程に大切にしているのか、痛い程に理解できるから。
艱難辛苦から救い出してくれた誰かに、どれ程の想いを抱くのか、身に沁みて理解できるから。
兄妹だから。
「粘体娘……いや、永久」
迷う永久に、刹那は穏やかに語り掛ける。
まるで、家族へと話し掛けるような、優しい声音だった。
名を呼ばれた永久は、驚きに目を丸くして続く言葉を待った。
「愚妹と仲良くしてくれたまえ。長い……そう、永い付き合いになるだろうからね」
「それは……どういう……」
クッ、と口の端を吊り上げた笑みを見せた刹那は、それ以上は口にしない。
視線を切って、手の中にある帯布へと集中する。
「――――接続」
迷子になっている可愛く愚かしい娘を迎えに。
~~~~~~~~~~
何も分からない。
自分が何者だったのか。
自分が何をしてきたのか。
自分が何をしているのか。
自分が何をすべきなのか。
自分が、自分が何を大切に想ってきたのか。
何もかもが消えてしまった。
大いなる宇宙の流れに身を任せ、彼女は空転する思考を紡ぎ続ける。
だが、それも徐々に薄れつつある。
彼女を留めていた器は砕け散った。
入れ物を失った彼女は、拡散し、薄れ、溶けて、宇宙の中へと消えようとしている。
それは、本能に近い。
死せる魂の末路。
全ての生命の行き着く先へと行き着いた。
ただそれだけの、自然の帰結。
まるで母に抱かれる様に、彼女は絶対の安心の中で消えようとしていた。
〝――――やっと見付けたぞ〟
声が響く。
誰かの声。誰の声だっただろうか。
何も、何も思い出せない。
それなのに。
何故、こんなにも魂が震えるのだろうか。
何か、とても大切な事を見失っているような気がする。
まぁ、それも良い。
〝――――ほほぅ、小生意気な。私を忘れてしまうとは、身の程を知らないと見えるね〟
誰かが、何かを言っている。
煩わしい。
静かな終焉を、邪魔してくる。
こんなにも、こんなにも強く、安らかな眠りを妨げてくれる。
〝――――さっさと起きたまえ、我が可愛らしくも愚かしい妹よ。貴様より頂戴したものを、貴様の中へと返そう〟
何かが入ってくる。
雑多な情報。
彼女が、【名】を持っていた頃の、どうでもいい記憶の奔流。
もう、必要のないものだ。
邪魔をしないで欲しい。
静かに、眠らせて欲しい。
〝――――ふぅ、やれやれ。頑なな娘だね、どうも。私の声だけで目覚めてくれると、とても劇的で感動的だったのがね〟
声が遠ざかっていく。
諦めてくれたらしい。
これで、良い。
これで、終われる。
そう思ったのに。
新たな声が、彼女へと呼びかける。
〝――――美影ちゃん、私が弟君を貰っちゃうわよ?〟
「それは駄目だよ……!!」
強い、強い想いが、彼女の、美影の心を叩き起こした。
芯が出来れば、事は早い。
バラバラになった記憶が次々と繋がり、美影の心を一つの形へと急速に戻し始めた。
〝――――……独占欲、ここに極まれりね〟
〝――――それが可愛いのではないか〟
――――全断片:収集
――――復元:再結合
――――開始
我が名は…………