雷神降誕
「…………」
鬱憤を晴らすように、恨みを晴らすように、迫り来る同胞の亡骸を屠り去る。
ノエリアの民が、10年も待ち望んで来たのだ。
哀れな姿となった同胞に、救いの引導を渡す事に躊躇いなどあろう筈もない。
万感の憤怒と憐憫を込めて、憎き尖兵を殺し尽くす。
その様を、ラヴィリアは無言で見下ろしていた。
それ自体は構わない。
彼女とて、同胞の魂の解放には賛同する所である。
だが、それとは別に、ラヴィリアの胸中にはそこはかとない不安のような物が溢れていた。
何か、何かは分からないが、何らかの危機が迫っている。
彼女の戦士としての勘が、今この場にいる事に対して警鐘を鳴らしていた。
(……なに? 何が来るので御座いますか?)
不安の正体が分からない。星獣が出所なのかとも考えるが、しかし今の星獣に直近の危険を感じさせる要素はない。
二つの防衛衛星、地球の守護者、そして地球そのものとの戦闘で受けたダメージを回復させる為に、彼は動きを止めている。
今、星獣から差し向けられる戦力は、制御を離れて自律行動している一部の眷属だけだ。
それだけでは、ラヴィリアたちの脅威とはなり得ない。
地球勢力からの脅威、とも違う。
ノエリアから警告されている為に警戒はしているのだが、彼らから背中を撃たれそうな気配は今の所感じられなかった。
少なくとも、危険を前に損得勘定が出来る連中だとは思えた。
いずれ敵対する可能性はあるかもしれないが、今、この場においてのみは警戒心を緩めても良いだろう。
では、何が。
何が来るというのか。
ラヴィリアは、手に持つ長槍を強く握り直す。
勘違い、とは思えない程に、危機感が高まっている。
原因も何も分からず、不確定な直感だけが彼女へと危機を知らせる。
一瞬の瞑目の後、彼女は判断を下した。
「総員、撤退に御座います! 今すぐに戦場から離脱を!」
合理的判断とは言い難いのだろう。
まだ敵は残っており、こちらには多くの余力がある。
ならば、今のうちに叩いておくべきだろう。
彼我の戦力差が絶望的に開いているのだから、叩ける時に叩いておかねば勝機を逃しかねない。
にもかかわらず、撤退を指示するのだから、そこに少なくない不審が生まれる事は致し方ない事であろう。
妖魔種は滅びの美学に身を委ね、地竜種は次代の為に席のほとんどを女と子供に託した。
故に、暫定的に上位種としての勢力を保っている天翼種が指導者としての地位に就いている。
その不安定な団結に綻びを生まれさせる判断であると言えるだろう。
尤も、すぐに理解するのだが。
ラヴィリアが信じた直感こそが、全面的に正しかった事を。
~~~~~~~~~~
「どうですか~?」
「ツムギ……」
戦場に出ていた全員を収容し、方舟ごとに撤退を始めた中で、ラヴィリアは殿軍として最後方を自らの翼で飛翔していた。
宇宙空間は空気が無い為に、空気を叩いて飛んでいた今までとは勝手が違ったが、10年も経てば慣れるものである。
自在に飛び回れるようになった彼女こそ、いざという時の逃走力も含めて、殿に相応しい人材であろう。
そんなラヴィリアの隣に、麗しき鬼の女王が並ぶ。
ツムギだ。
尋常ならざる才気を宿し、それを腐らせる事なく順調に成長を重ねた結果、種族的優劣を超えて個人戦力最強の座を不動の物としていた。
【自然回帰】が使えない今、仮にも上位種の優秀な戦士であるラヴィリアを以てしても、足元にも及ばないであろう。
空間固定した魔力糸を足場にする彼女は、表情こそにこやかで穏やかな物だが、その視線は厳しく周囲へと向けられている。
「……私の判断は間違っていると、思うので御座いましょうか?」
自分でもよく分からない直感に基づいた判断は、果たして最強の鬼の目にはどう映っているのだろうか。
戦闘センスでは遥か上を行く相手である。
ツムギが行くべきだと思うのならば、今からでも撤退を翻そうとも思う。
だが、そうした想いとは裏腹に、ツムギはゆるゆると首を横に振った。
「いいえ~? ラヴィさんは、何も間違っておりませんよ~?」
間違っていない。何一つとして。
少なくとも、種の保存、移民団の命を守るという意味において、ラヴィリアは非常に正しい判断を即座に下していたのだ。
おそらくは、精霊種のいない今、最も世界の循環に近しい天翼種ならば、危機感を募らせているだろう。
原因も何も分からなくとも、ここに〝天災〟が近付いているのだと、本能で感じ取っている筈だ。
ツムギに、そんな本能はない。
ただ、彼女の広大に過ぎる知覚能力が、急速に拡大し、急速に接近しつつあるそれを捉えていた。
だから、保証する。
敵わぬ相手から逃げる事は間違いではないと。
「ほら~、来ましたよ~」
ツムギが手を向けて示した直後、宇宙に雷光が迸った。
目の眩むそれから反射的に視線を逸らしたラヴィリアは、気付く、気付いてしまう。
「魔力が……勝手にっ!?」
まるで重力に引き寄せられるように、自身の中から魔力が引き出されていく。
意識して押し止めれば阻止できる程度だが、それでもそんな現象など、長い寿命を生きてきた彼女にしても、初めての経験だった。
「貴女だけでは~、ありませんよ~?」
ラヴィリアの魔力だけではない。
皆の魔力が、そして更には戦闘中に放出され、役割を終えた残滓さえもが、引き寄せられて、雷光へと姿を変えていく。
「アハッ♪」
ツムギは、楽しげに嗤う。
「アッハハハハ! まさか、これ程だなんて~! さっすがは、私の宿敵です~!」
哄笑に応えるように、莫大量の霆が滅茶苦茶に宇宙を駆け巡っていった。
その範囲は、つい先程まで方舟とノエリアの民が戦っていた宙域であった。
もしも、撤退をしていなければ。
受けていた被害は、想像を絶するものとなったであろう事は間違いない。
「でも~、ちょ~っと、変な感じですね~」
何処が、とは明確に言えない。
だが、ツムギは記憶にある美影の雷とは違うと、肌で感じていた。
長い時間の中で起きた勘違いと言ってしまえば、それまでなのだが。
~~~~~~~~~~
《「…………」》
豪雷の中心部にて、それは鎮座していた。
人間の少女……の形をしているだけの、別の何か。
それは、離れていく黄金の宇宙船をじっと見ていた。
今のそれに、感情という物はない。
単なる自然現象に近いそれは、機械的に害悪を殲滅する、それ以外の行動は出来ない。
だから、脅威度を一切考慮せずに、最も近くにいたからという理由だけで星獣の眷属を屠る。
そして、それに敵味方という判断基準もまた、存在していなかった。
宇宙を脅かす害悪と同じ場所にいた。
ただそれだけで、殺し尽くす理由として充分だった。
疑問はない。
情も知もなく、条件反射だけで行動するだけだ。
今、最後の眷属が消滅した。
優先順位が、繰り上がる。
地球跡地よりも、火星よりも、今まさに離れ行く方舟こそが、最も近い。
だから、それは何かを考える間もなく、攻撃を開始した。
~~~~~~~~~~
「わぁ~!」
僅かな喜色と、大きな困惑を含みながら、ツムギは即座に始動した。
無数の魔力糸が伸ばされ、黄金の方舟を包み込む。
連結陣城術【絢爛城塞】。
方舟に搭載された動力炉から汲み上げたエネルギーを魔力変換、強大広大な城塞を造り上げる。
直後。
巨大な方舟を呑み込んで余りある雷が駆け抜ける。
「ツムギ! 手は!?」
「皆様では~、足止めにもなりませんよぅ~! お逃げなさぁ~いな~!」
手伝いを断ったツムギは、陣城術を維持したまま切り離して、雷の嵐の中へと飛び出していく。
「さぁ~て、第二ラウンド、やぁってみましょうか~!」
十年越しに、鬼と人が相対するのだった。