最新聖女絵図
誰にも邪魔されず、誰にも気付かれず、独り、宇宙を行く姿がある。
オーロラのような不思議な色合いの毛並みをした……デブ猫、ノエリアである。
故郷の民が地球人類と初接触している最中であるというのに、彼女はそれを放って宇宙遊泳をしていた。
無論、ただの責任の放棄などではなく、そこには理由と狙いがある。
故郷ノエリアにおいては、随分と各種族を甘やかし過ぎた、と今の彼女は反省しているのだ。
なるべく平和的に繫栄していけるように、種族間での対立には精霊種が介入して仲立ちする事も多くあった。
どうしても解消しきれない戦争では、天竜種を間に入れる事で最小限の被害で済むようにもしてきた。
おかげで、短期間で相当な繁栄をさせられたと自慢げに思う。
十二種もの知的生物を共存させてきた手腕は、敏腕の一言だろうと自画自賛する。
尤も、実際にやっていたのは分かれた始祖精霊八柱であり、ノエリア自身はほとんど寝ていた訳だが。
しかし、その所為であろう。
反面、ノエリアの民は、どうにもハングリー精神に欠けており、最後の最後では精霊種や天竜種がどうにかしてくれる、という思考になりがちだと、今更のように思い返す。
極端に悪辣な思考は、妖魔種くらいにしか存在せず、何処か性善説を信じている空気が蔓延していた。
それでは、ダメなのだと反省する。
地球人類を見ていると、そう思わずにはいられない。
親は無くとも子は育つのだ。
明確な庇護者がおらずとも、地球人類は発展してきた。
発展し過ぎた結果、自らの惑星さえも滅ぼす段階にまで至った。
流石にそれは駄目だろうとも思うし、馬鹿の極みだとも思うが、それくらいにはバイタリティやハングリー精神に溢れた種族へと成長したのだ。
ノエリアの民にはまるで足りていない部分である。
彼らは、故郷が滅びる時でも、精霊と天竜が何とかしてくれる。
精霊と天竜でどうにもならないならば、どうしようもない。
そういう思考が見え隠れしていた。
改めて滅びの時を見せられて、彼女はそうと見て取った。
「うむ、もっと逆境に晒してやらねばならぬな」
その最初の相手が地球人類というのは、少々毒性が強過ぎる気もするが、まぁあまり贅沢も言っていられない。
連中も追い詰められているのだ。
貴重な戦力をいきなり磨り潰したりはしないだろう、きっと、多分、おそらく、そうだと良いな。
その為に、時機を見計らうなどという事もしたのだ。
そうでないと割と困る。
と、そういう理由があり、第三種接近遭遇のやり取りを放り投げてきた。
本当にどうしようもなく、話し合いが拗れに拗れて、星獣そっちのけで絶滅戦争を始めそうならば介入するが、それまでは放置する方針でいる。
「妖魔の輩どもがいない事を、これ程に残念に思う日が来ようとはのぅ……」
あの連中だけが、おそらくは悪魔のような地球人類と同じ精神構造をしている。
同類との経験値の薄さ故に最初は押されるだろうが、すぐに適応してやり合える様になった筈だ。
いないのでどうしようもない仮定だが。
実際に相手していた頃は、色々と手間をかけさせられたものだが、こうしていなくなってからその必要が出てくるとは思わなかった。
「失って初めて大切さに気付く、これがその気持ちか……」
ちょっと違う気もするが、気にしないでおこう。
「……ぬ?」
バタバタと、無様にもがくような動作ながら、しかし宇宙という特異性を活かして超高速で移動していた彼女は、その途中で一瞬の稲光とすれ違った。
「今のは……」
雷、と見て思い浮かぶのは、随分と馴染み深くなってしまった人間の少女。
しかし、覚えのある波長とはズレがあった。
体調で、気分で、あるいは成長や退化で、魔力が揺れる事はままある事ではある。
だが、それでは説明しえない程の変化が、彼女の魔力からは感じ取れた。
「ああ、そうか……。やはりそうなったか……」
美影に訪れた〝何か〟を察したノエリアは、呆れたような嘆くような喜ぶような、幾つもの感情の入り交じった複雑な吐息をこぼす。
予想通りと言えば、予想通りの結末。
長く生きているノエリアであってさえ、机上の空論、を通り越してもはや妄想の領域に入っている仮説だ。
起こるかもしれないとは思ったが、同時に本当に起こるとも思っていなかった。
一応、対策は打っている。
それを自分たちに都合の良いように利用する為の楔は打ち込んである。
それが想定通りの機能を発揮するかは分からないが。
「呼び戻す触媒が必要かの……」
今の美影は、おそらく自分が何なのか理解していない、我を失った様な状態であろう。
芯を失い、自らを失い、ただ状況に対して反射行動だけを行う、自然現象に近い筈だ。
敵を撃滅するだけならば、それでも良いだろう。
少し前のノエリアであれば、望むところと高みから笑っていられた。
しかし、今は違う。
今は守るべき民がいる。
なんだかんだと愛着しつつある人類もいる。
ブレーキのない美影は、その全てを諸共に破壊し尽くすだろう。
それは認められない。
だから、弱体化を許容してでも、彼女の中身を取り戻してやらねばならない。
何が、失われた魂を呼び戻せるのか。
その何かは、明白だ。
考えるまでもない。
彼女が唯一つ、何よりも執着したモノなどそれ以外にない。
「この様な使い道になるとは思わなんじゃがのぅ……」
元々は、星獣への抵抗力の一つ、というつもりだった。
だが、現実としては星獣への切り札としては相性が悪く、彼の作り出した永久の方が高い適性を持つ事となる。
そして、更に言えば、彼の影響を受けた人間が、自らの位を昇神させようとしているのだから、世界というものは思うようにはならない。
それを面白い、と思えるくらいには、今のノエリアも毒されてしまっているが。
そして、彼女はようやく目的地へと到達する。
既に過ぎ去った戦場、無事なものは何もなく、無惨な残骸ばかりが漂う宙域。
ツクヨミとアルテミスが崩壊した座標である。
「さて、一応、生きてはおるようじゃが……」
美影を呼び戻す触媒、刹那の反応を探るが、どうにも薄くて見付けづらい。
元よりノエリアには超力を感じ取るセンスが皆無である事に加え、対象が死にかけである為に生命反応も希薄なのだ。
なので、ここまで近付いても、おそらく生きているだろう、という程度の曖昧な感覚しか得られない。
「地道に探すしかないかの」
幸いにして、対象範囲はそう広くない。
巨星一つを治めていたノエリアの感覚に照らし合わせて、の話だが。
実際には10光秒を越える広大な範囲に残骸は散らばっている。
まともに探索しようと思えば、頭の痛くなる様な時間と手間がかかる事だろう。
彼女は、漂う羽衣に魔力を流して広げる。
「【縁括り】、【縁結び】」
羽衣――正式名称【天縁ノ羽衣】がその真価を発揮する。
惑星ノエリアの星核より削り出した、星霊ノエリア専用の魔法星装であるそれは、彼女の魔法行使における補助具の役割を果たす一方で、もう一つ、精霊や天竜が行う法則変換にも匹敵する固有能力を有している。
それこそ、〝縁結び〟の能力。
例えば氷と炎であろうと、例えば生命と死滅であろうと、例えば……地球人類と魔力であろうと、如何に相反する概念であろうと結び付ける事を可能とする、埒外の能力である。
故に。
たかが破壊され、たかが爆散し、たかが散乱しているだけの金属片を、元通りの形に〝縁〟を結ぶ事くらい実に容易い事だった。
薄く伸びた羽衣に誘われるように、宙域に散らばる無数の金属片が集積していく。
徐々に、そうである事が自然だとでも言うように、人造月輪の姿を取り戻していく。
やがて、爆発の熱量に晒された事で蒸発してしまい、固体として残っていない部位も多くある為に完全に元通りとはいかないものの、充分に原型が分かる程度には姿を取り戻した。
「さて、あちらのようじゃな」
大小二つの月を見比べて、ノエリアはアルテミスへと向かう。
どちらかと言えば、そちらの方から反応が強く感じられたのだ。
ほとんど当てずっぽうに近く、何の確信も根拠もないのだが。
不完全に修復されたが為に空いている外壁から、彼女はするりと入り込む。
迷路のように入り組んだ内部構造をしているが、隙間は不完全故に結構あるし、猫の身体ならそう苦労せずに奥まで辿り着けた。
「……意外と簡単に見付かったの」
最奥、アルテミスの全権コントロールルームにて、ノエリアはそれを発見する。
刹那である。
ちゃんと人の形をしている。
なんとなく久し振りに見た気もする。
十年ぶりという事を差し置いても、彼は人間だった時間が異様に少ないのだ。
目は伏せられ、意識は無いようだ。
傷らしい傷はなく、命に別状は無さそうだ。
「ふむ、殴れば起きるじゃろうか?」
今までの恨みを晴らすチャンスなのでは、と邪悪な思考がノエリアの脳裏を過る。
刹那には色々と痛い目を見せられてきたのだ。
この機会にきつい一発をくれてやっても許される気がする。
ノエリアの中にある善性も悪性も口を揃えて、やってしまえ、と言っている。
迷いは消えた。
羽衣を伸ばし、先端を丸めてハンマーの形へと変える。
「ふぉぉぉぉぉ……!」
今、出来る渾身の魔力をかき集めて全力で硬化させた。
「今こそ晴らさん積年の恨みッ! くたばれぃ!」
つい本音が出てしまったノエリアが羽衣ハンマーを振りかぶり叩き付けんとした瞬間、彼女の視界の端に映り込むものがあった。
「うぬッ!?」
馬鹿をぶん殴る直前で、急停止する。
危なかった。
このまま直撃させていれば、発生した衝撃でコントロールルームは破裂していた事だろう。
それは、同時に映り込んだそれも破壊されてしまう事を示している。
羽衣ハンマーを解除した彼女は、それへと視線を向ける。
壁。
特に何の変哲もない、重要なものを守る為の頑丈な壁だ。
本来ならば、それだけの代物。
「…………まぁ、理解せんでもないし、そうしなければ死んでいただろう事は分かるのじゃがなぁ」
本気で迷いなくそれをするとか、狂っている、と今更な事実をしみじみと思う。
彼女の見詰める先、平坦な金属の壁には、何処かの聖女画のような壮麗な姿で印刷された、雷裂美雲がいた。
「己で己を封印して脱出不能になっているとか、こやつも阿呆であったか……」
絵の中の美雲は、慈愛に満ちた表情で見映えの良いポーズで印刷されていた。
意外と余裕そうである。
謝罪会見。
えー、実は前回の話において、大変な矛盾が発生していた事をここにお詫びいたします。
というのも、マジノライン終式が二機発進し、一つは地球に帰還し、一つは戻ってこなかった、という事に前回の話の中ではなっていたのですが。
これが大いなる間違いでして。
一つ、ノエリアの避難船、ノアの方舟として使用。
一つ、黒の始祖精霊エルファティシアに進呈して、霊造異界の基礎構造体となっている。
おや? おかしいな。
もう余ってないぞ?
という次第なのであります。
ここに陳謝し、訂正した事をここに宣言させていただきます。
見捨てないでください!
でも、誰も指摘しなかったんだし、きっと誰も気づかなかったって事ですよね?