そして、幕は上がった
開幕は前兆なく。
時が満ちる事を、世界は待ってはくれない。
己たちに事情があるように、相手にも独自の事情があるのだ。
競争である。
どちらが先に準備を終えるのかという、ただそれだけの単純な競い合いが、世界を舞台にして行われているだけのこと。
そして、今回は我々が負けた。
そう、ただそれだけの事なのだ。
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「重力場変動を確認ッ!」
「空間湾曲率、急速に増大ッ! なんだこりゃあ……。ばかでけぇ!」
第一報は、前兆なく唐突に発せられた。
ツクヨミ内の外宇宙観測班よりもたらされたそれは、遂に恐れていた時がやってきた事を示している。
空間異常の発生したポイントは、太陽系外縁部。
太陽系内部は、空属性魔力保有者を総動員して空間固定を行ってきた。
穴も多く、空間転移の全てを防ぐ事は叶わないが、代わりに星という規模での転移だけは防ぐものである。
その甲斐もあり、地球直近にいきなり出現されるという悲劇だけは回避できた。
だが、突然の滅びを回避できただけ。
ここからが本番である。
「…………おいおい、なんだよ。どんな規模の空間歪曲だ。肉眼で見えてんぞ」
「恒星でも出てくんのかよ……」
小さな点に過ぎないが、それでも太陽系外縁部という遠い彼方で起きている反応がツクヨミからは肉眼で見えていた。
敵の大きさを再確認して、ツクヨミ職員は一時呆然とする。
「ッ、ボサッとするな! 即座に迎撃体制に移行せよ! 我等が最初の壁なのだぞ!」
責任感故だろう。早くに我に返った指揮官が激を飛ばす。
「し、しかし! まだ、ツクヨミは完成していません!」
「それは! 些事だ……!」
ツクヨミの防衛要塞としての機能は、いまだ完成には至っていない。
精々で六割という所だろう。
それは、【豊穣の小月】の完成を優先させていた為だろう。
地球戦力において、最もパワーがあるものが〝兵器〟ではなく〝兵士〟であるが故に、その底上げを目的としたルーナこそが、地球文明最大の切り札である。
そうであるが故に、ツクヨミとアルテミスの二月の完成は後回しにされていた。
迎撃準備は終わっていない。
だが、その程度の予想外は、想定の範囲内である。
「僅かなりとも準備が為せただけ、僥倖だ! 既に、事は進んでいる! 泣き言喚いていないで、一時たりとも無駄にするなッ!」
「は、はっ! 了解しました!」
喝を飛ばして、ようやく皆が動き始める。
「観測班、地球圏までの到達予想は?」
出現ポイントは、太陽系外縁部である。
宇宙規模では近縁だが、人間の想像力では決して近いとは言えない距離がある。
たとえ第三宇宙速度で移動したとしても、地球に到達するまでに10年近い時間が必要となるのだ。
それだけの時間があれば、ツクヨミもアルテミスも完成するだろうし、更なる防衛機構の構築だって出来る筈だ。
しかし、期待は裏切られる。
「いまだ動きは……いえ、動き始めました! だ、第三宇宙速度を突破! 速い!」
「ええい、具体的に言え! どれくらいだ!?」 「急速に加速中! この分では……49時間でツクヨミの射程距離に入るかと!」
「49……、約2日か……」
残された時間は思っていた以上に少なく、また敵のスペックも想像以上に高い。
丸ごと一つの巨星を取り込んだ、惑星の天敵。
そんな存在を、たかがちっぽけな衛星だけで受け止められるのか。
どれだけ希望的に都合良く見積もっても、絶望的だ。
単純な質量差だけでも相当なものである。
下手をすると、勢いそのままに体当たりされるだけで粉々にされかねない。
「…………」
指揮官が未来予想図に冷や汗を流していると、司令室の扉が開かれた。
「気持ちは分かりますが、しかし戦わないという選択肢はありません。そうでしょう?」
「ハッハッハッ、これはまた派手な舞台ですな。血沸く血沸く」
美雲と、一人の老人だ。
「ツクヨミのオペレートの手伝いに参りました。サポートはお任せくださいませ」
「……助かります。いまだ、起動プログラムには不備がある惨状ですので」
美雲であれば、発生するエラーを叩き潰しながら即興でプログラム構築をする芸当が出来る。
限度もあるが、それでも少なくともフリーズを起こして何も出来ずに終わる、という可能性だけは回避できるだろう。
「アーサー様は、どうしますか?」
「これはおかしな事を。私は、魔王ですぞ?」
常駐している魔王の一人、アーサー。
老齢故に既に引退していた身であるが、緊急事態の為に引っ張り出されてきた古き魔王だ。
その素性は、欧州連合の魔王集団【ナイト・オブ・ラウンズ】の先代筆頭に当たる。
老骨は、整えられた口髭を撫でながら、腰に吊るした長剣を揺らす。
「ふっ、くくくっ、死ぬには良き日和、という所ですな。この身が人類の役に立つ日が来ようとは」
好戦的な笑みを浮かべた彼は、戦意に溢れていた。
幸運にも、あるいは不運にも、彼が現役をしていた時代は平和だった。
小さな小競り合いは絶えないが、魔王同士が激突する大戦争は起きなかったのだ。
不謹慎なのだろうが、彼はそれに不満があった。
強大な力を振るわずに済む事は幸いである。
しかし、せっかく授かった才を思う存分に振るう機会がないというのは、本人にとっては不幸な事であった。
引退して、後は天寿を待つばかりと思っていた時に、最後にして最高の舞台が用意された。
やはり不謹慎だが、アーサーには喜びの感情が湧き上がってくる。
「…………まるで、最初から負けるような物言いですね」
「おっと、これは失敬」
死ぬ事が確定したような言葉に、美雲が咎めるように言うと、彼は素直に謝罪するが、しかし言葉の撤回はしない。
「確かに、負けはまだ確定しておりませんな。しかし、私の死は決まっておりますので」
「…………ふぅん?」
「この老いた身には、新鮮な力は毒に過ぎますからな。なに、一矢くらいは報いてみせましょうぞ」
軽い調子で自らの破滅を予告しながら、彼は司令室を後にする。
「美雲殿、では失礼いたします。ああ、そうだ。ルーナに連絡をよろしくお願いします。あの施設の管理者とは、浅からぬ仲なのでしょう?」
「あー、はい。承りました。御武運を」
見送った彼女は、早速に要望通りに連絡を入れる。
ルーナの管理者となっている人間へのプライベート通信を送ると、すぐに回線が繋げられる。
「もしもし、雫ちゃん? アーサー翁が死にたいらしいから、お願いね?」
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そして、危機の到来に、即座の反応をしたのは宇宙にいる者だけではなかった。
「うーわ、やっば……」
自宅の庭先で呑気に日向ぼっこをしていた永久は、宇宙の彼方に出現した外敵に気付いて、ひたすら嫌そうに顔をしかめた。
止められるか? という疑問。
宇宙に配置している戦力。これから投入される戦力。
それらを合わせて、地球に被害をもたらす事なく済ませられるだろうか。
「まぁー、無理ですね」
答えはすぐに出た。
だから、彼女も行動する。
しなければならない。
それが、炎城の、武門に生まれた者の義務なのだから。
「……永久?」
妹の雰囲気が変わった気配を感じ取った久遠が顔を出す。
姉の視線を受けた永久は、トレードマークのとんがり帽子を被って振り返る。
「お姉様、とうとう始まりますよ」
「……そうか」
「という訳で、私は最悪に備えなければなりません。後の事はよろしくお願いします」
「ああ、気を付けてな」
短く言葉を交わした後、永久の輪郭が崩れ落ちる。
色彩がピンク一色となり、ドロドロの粘液へと姿を変えた彼女は、地面の中へと溶けるように染み込むように消えてしまった。
「…………遂に、か。私も、行かねばならんな」
緊急用の通信機に五月蝿く連絡が入っている様子を見ながら、久遠は戦備えをしていく。
にわかに、世界が慌ただしくなり始めた。