星の終焉
すんません。
遅くなりまして。
〝重み〟の戒めから解かれた魔神は、大地を目指した。
地に足を着きたい、という、ある種生物的な思考回路ではない。
魔神の中にあるものは、飽くなき食欲と、果てなき願いだけなのだ。
生存本能など、何処にも残されてはいない。
彼が求めたものは、表層を取り除かれた事で浮き彫りとなった地脈である。
剥き出しとなった星のエネルギーの奔流は、魔神にとって何よりも魅力的な餌となる。
受けたダメージなど些細なこと。
攻撃してきた誰かも、割り込んできた何かも、大した問題ではない。
あれを、あれこそを、求めていたのだ。
あらゆる全てを棚上げにした彼は、大地の穴へと飛び込んだ。
「ふっ、クククッ、さぁどうする守護者。事態は進んだぞ。貴様に、選べるかな。星を引っくり返してしまう決断が……!」
害虫が、魅惑の餌に喰らい付いた。
貪り食われる。
大切に大切に育て上げてきた惑星の活力が。
魔神一体では、受け止めきれないエネルギー。
彼は、同胞たちへとそれを分け与える。
遠慮無く、たっぷりと貪り尽くせ。
熟した果実は、我らの胃袋を満たすに足るだけの栄養を孕んでいるのだから。
世界各地で生き残っていた暴走魔物たちが、分け与えられたエネルギーを即座に活用して強化される。
地獄の惨状が加速する。
天竜をして容易に叩き潰せない、一般生物ならば尚更に。
それ程にまで強化された魔物たちは、蹂躙の限りを尽くしていく。
ここからの活路は、もはや一つのみ。
現在の生命を諦め、惑星の全てを一度リセットしてしまうしかない。
地上で暴れている暴走種たちは、尖兵でしかない。
いくら叩き潰しても幾らでも沸いて出てくる。
本体を、最も欠片を集められた魔神を討たねばならない。
しかし、既に魔神は地脈へと潜り込んでしまった。
これを排除する事は難しい。
それこそ、地脈を引っくり返して丸洗いしてしまう以外に方法はないだろう。
しかししかし、それは惑星を原始時代にまで巻き戻す事と同義である。
当然、現在の全生物は、細菌の一つさえ例外無く滅び去る事になってしまう。
その権限を持つのは、【星の守護者】を背負うノエリア一柱だけだ。
彼女に、その決断が出来るのか。
「そうだな。貴様は、そうするだろうな。愚かな選択、とは言うまい」
戻ってきたノエリアは、一瞬の内に様変わりしてしまった現状に数瞬の呆然と思考を挟んだ後、悔しげに歯噛みしながら地上の魔物たちの排除へと向かった。
彼女にも、分かっているのだろう。
地脈へと入り込んだ魔神を討たねば意味がない、と。
その為の唯一の効果的な方法も、分かっている筈だ。
だが、ノエリアには、その決断を下せない。
これも、当然のこと。
何故ならば、彼女は【命の救世主】でもあるのだから。
存在意義の半分が、生命の放棄を許容してくれない。
星と命の狭間に揺れるノエリアは、結果、対処療法的に魔物の排除という表面的な手段しか取れなかった。
愚かな事だろう。
両方を救おうとして、結局は両方を救えなくなってしまうのだから。
だが、刹那はその選択を笑わない。
大切な物に、順位を付けられる訳がないと、痛ましげに見送る。
彼とて、二人の義姉妹たちに順位を付けるなど、出来はしないのだから。
大切なものを天秤にかけねばならなくなってしまったノエリアへと、心からの同情を送らずにはいられない。
「……そんな状況にしてくれよった張本人に同情されるなど、屈辱と腹立たしさで憤死しそうなのじゃがのぅ」
「おや、そうかね?」
未来へと至った怪猫が、星の外から滅び行く惑星を眺める刹那の肩へと止まりながら、責めるような視線を送る。
「…………まぁ、良い。早かったか、遅かったか。それだけの違いでしかないのじゃしな」
星喰いに目を付けられた時点で、命運は決まっていたのだろう。
背中を押して強引に運命を早めたのは刹那たちだが、彼らがいなくともこの結末は変わらなかっただろうと思う。
千年後の運命が、今、訪れただけのこと。
いや、地球へと未来を繋いでくれた事を思えば、最善手ではなくとも、妙手と言える筋道であるかもしれない。
なにせ、彼らが道を繋いでいなければ、惑星ノエリアは全てを飲み込まれて、己たちがいたという痕跡は何処にも残らなかったかもしれないのだから。
逃亡したノエリアも、広い宇宙の中を宿る宛もなく彷徨い続けていた事だろう。
それを思えば、充分に良い結果に繋がっていると言える。
黒幕の主犯には違いないので、間違っても感謝はしないが。
無言で一つの惑星の終焉を見届ける。
徐々に、しかし確実に、魔物の領域が増えていく。
一つ、また一つと、まともな生物たちの棲家が潰れていく。
それは、知的生物12種の地も例外ではない。
強力な上に、加速度的に数を増していく魔物たちの進撃は、いつまても押し返してはいられない。
僅かに崩された針の穴から、一気に防衛網が崩壊して飲み込まれて消えていく。
「…………っ」
【ノエリアの方舟】へと問答無用で避難させられた者たちは、痛ましげに言葉もなく終わりを見る。
あの中には、選に漏れた家族がいる。
友人がいる。
知人がいる。
見知った誰かが、訳も分からず、あるいは覚悟を決めて、最期を迎えていく。
見詰める彼らの心中は、如何なる物か。
自分が助かった安堵、自分だけが助かった罪悪感、誰かを助けられなかった無力感や悲嘆。
様々な感情が綯交ぜとなり、言葉となって出てくる事はない。
「…………ゼルヴァーンも、逝きましたね」
ラヴィリアが呟く。
たった今、この星において彼らも面識のある人物が喰い殺された。
娘の結末を見届けた後、自暴自棄な様子となっていた彼は、恨みと憎しみを遺さない為にも、故郷へと殉じる道を選んだのだ。
地竜の戦士であり、同時に有力者でもある彼ならば、種の指導者として舟に乗る選択肢もあった。
だが、自分では刹那たち、ひいては地球への憎悪を伝えてしまうと、席を辞退したのだ。
その彼も、望み通りの結果となった。
ここまで進行した状況をたった一人で変えられる筈もなく、儚く散っていった。
遂には星核にまで食い付かれてしまう。
星の権限の奪取が始まる。
もはや、止められない。
ここまで来てしまえば、原始惑星に返す事すらも難しくなってしまう。
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この段に至り、ノエリアは敗北を悟り、自らの選択の愚かを認めた。
何もかもを救おうとして、何もかもが手遅れになってしまった。
手の中から溢れ落ちていく。
身と心が引き裂けんばかりに軋み、悲鳴を上げた。
『許さぬ……』
彼女は、悲嘆を憤怒へと変えて、どす黒い感情で心を染め上げて誓う。
『必ず……、必ずや! 貴様を滅ぼしてくれる! どれだけかかろうとも! 何を犠牲にしようとも……!』
そして、彼女は最後の抵抗として、持てる全ての星のエネルギーを奪取して逃走する。
偶然にも近くにあった次元ゲートに飛び込む事で。
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惑星ノエリアは、滅び去る。
遺された者たちには、幾ばくの時間も残されていない。精霊からすれば、瞬き程の僅かな時だけだ。
『……もはやこれまで、か』
戦塵を拭いながら、黒の始祖精霊――エルファティシアは、守護者のいなくなった星を想う。
情けない、と思う。
悲しいとも、憎いとも。
だが、それらももう過ぎた事だ。
何を言おうと、何をしようと、もう変わらない。
だから、ゆっくりと腰を下ろし、彼女は運命を受け入れようとした。
『…………エル』
『リース。まだ生きていたか』
『…………ん。皆もまだ』
『そうか……』
白の始祖――リースリットがふらりと彼女の下へと訪れた。
彼女もまた、激戦を潜り抜けてきたのだろう。
純白の姿は汚れて煤けており、精霊の輝きも明滅を繰り返している。
『…………諦めてる?』
『はっきりと言うな、貴様は』
苦笑しつつ、エルファティシアは答えた。
『もう、どうにもならんからな』
『…………どうにか出来るなら、まだやる?』
『……何かあるのか?』
『…………ん。客』
言って、場を譲るように身を退かせば、そこに一つの人形が現れた。
顔はなく、服も纏っておらず、全身が硬質な素材でできた、正しく人形である。
『やぁやぁ、お初にお目にかかります。始祖精霊様。この度は、災難に逢われたようで、心からの同情をしてさしあげましょう』
『……あー』
『…………攻撃? 無駄だから止めた方がいい』
何者かを訊ねるように視線を向ければ、明後日の方向への回答が得られた。
いや、苛ついたのは正しいが、いきなり攻撃するほど短気をしていないのだが。
『さて、あまり時間のないご様子。早速ではありますが、端的に用件をば』
恭しくお辞儀をした人形が指を鳴らす。
軽快な音と共に空間を歪めて現れるのは、巨大な黄金の円筒。全長数十kmにも及ぶ、巨大構造物だ。
『恒星間超光速航行型アーコロジーシップ、名を〝マジノライン終式〟と言います』
言って、彼は手を差し出した。
『進呈しましょう。好きにお使い下さい』
言うだけ言って、人形は姿を薄れさせた。
我に返ったエルファティシアは、消え行く姿を呼び止める。
『っ、待て!』
『何故、という問いには、こう答えよう。契約の対価だとな。感謝ならば、自らの親にするのが良かろう』
ビジネスは終わりだと言わんばかりに、先程までの慇懃な態度を消して、尊大な雰囲気を纏った口調で告げる。
それを最後に、完全に人形はかき消えた。
『…………エル。貴女に、運命を託す』
『何を、言って……』
リースリットは、明滅する自分の身体を示しながら、短く言う。
もう時間がない。説明不足だという自覚はあるが、悠長にしていられないのだ。
『…………私たちは、力を使い過ぎた。もうもたない』
語りながら、残る力を変換して、空に浮かぶ黄金船へとヴェールを纏わせる。
『…………礎になる。だから、最後の一柱として、皆を導いて』
『おい! 丸投げするなっ! 貴様はいつもいつも……!』
『…………お願い』
それを最期に、リースリットの全てが黄金船を核とした小世界の礎となった。
後を追うように、各地から色とりどりのヴェールが寄ってくる。
赤があり、青があり、緑があり、灰があり、金があり、銀がある。
それらが、同胞たちの最後の力だと理解する。
黄金船を包み込んだ7色のヴェールは、一個の小世界を形成した。
『……どいつもこいつも、勝手な事を』
一人残されたエルファティシアは、泣きそうな表情になりながら、しかし託された願いを胸に、行動を開始した。
生き残りたちをかき集めて、船の中へと押し込んでいく。
精霊たちに小世界の循環を命じ、自身の力で小世界を丸ごと包み込み、宇宙の闇の中へと隠した。
望まれて、それしか道がないのならば、やるしかない。
何百年、何千年、何万年だろうと、ただじっと隠れ潜み、希望が紡がれる瞬間を待ち続けるだけである。
『…………馬鹿どもめ』
彼女の暗く希望の無い道のりは、二百年後まで続く事となる。
あと一話で、惑星ノエリア編は終わり、の予定です。