裏切りの意味
皆様は、言葉を正しく使っておりますか?
筆者は割とニュアンスだけで使っております。
ギリムたちは、改めて始まりの土地、アハト=マジノ戦争渓谷へとやって来ていた。
ここも戦の匂いが強い。
つい先日まで、暴れ狂う魔物たちの鎮圧の為に少なくない血が流れていたそうだ。
そんな戦禍を横目に渓谷までやって来ると、そこには谷を埋め尽くすように膨れ上がった〝闇〟があった。
「……あれは」
「邪神だ。封印が緩んで来てるんだろう」
放っておけば、その内、封印は解けそうである。
問題はそれがいつになるか分からない事だが。
今すぐにでも解放されるのならば、ギリムの覚悟は空振りとなり、笑い話程度になるのだが、そうでなければ世界が危うい。
世界の命運が天秤に載せられている以上、あやふやな可能性に賭けるべきではないだろう。
その闇からは、魔力らしい魔力が感じられない。
今までに感じたことの無い、謎の威圧感がある。
ごくり、と緊張の生唾を飲み込む。
「……行くぞ」
改めて覚悟を決め直したギリムが先頭に立ち、彼らは闇の中へと突入するのだった。
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意外、と言うとアレだが、突入に際して何らかの変化は何も無かった。
やや光量が落ちた程度で、外と中で違いは見られない。
拍子抜けという感情を抱いていると、しかし脅威が目の前に落ちてきた。
黒い稲妻。
自然界ではあり得ない現象に、一行の警戒心が急激に高まる。
「やぁやぁ、久し振りだね」
雷の中から現れたのは、一人の人間種の少女。
姿だけを見るならば、種族だけに注目すれば、大した事の無い存在である。
だが、全身から放たれる魔力の圧力が、そうではない事を如実に示している。
「……ああ、久し振りだな。トクメイ=キボウ」
ギリムが硬い口調で呼び掛ける。
顔見知りではあるが、目的が目的である。
邪神に忠誠を誓っている彼女とは、敵対するしか道はないだろう。
それを察しているらしいトクメイ=キボウは、薄く笑いながら奥へと誘う。
「来なよ。来た理由は知ってるさ。邪神ぶらっくかーてん様が待ってるよ」
悪戯っ子のように笑って言うと、彼らを浮遊感が襲う。
「「「っ!?」」」
一瞬の事に戸惑う間もなく、視界が切り替わる。
あらゆる生き物の骨で敷き詰められた、邪神の間。
邪悪と醜悪の極みのような、ギリムにとっては懐かしくもある部屋である。
全てはここから始まったのだ。
悪趣味な部屋ではあるが、好意的な思い出でもある。
視線を上げれば、そこには共に転移してきたトクメイ=キボウと、彼女に寄り添われる見覚えのない男性がいた。
「よくぞ、帰ってきたね。我が眷属よ」
以前とは違い、確かに空気を震わせた声が届く。
しかし、その声音が変わっていない事で、ギリムはその男の正体に至る。
「…………お前……お前が、邪神なのか?」
「ああ、そうだとも。君がよく働いてくれたおかげで、真の姿を取り戻せたのだ。礼を言おう」
そういう事らしい。
実感は無いが、簒奪してきた力の一部は、そのまま邪神に流れていたのだろう。
邪神に相応しい力を取り戻しつつある事に、危機感が募る。
「とはいえ、復活にはまだ遠い。これからも君の献身に期待しよう」
「いや……いやそれは無い」
ギリムは、邪神からの言葉を首を振って拒絶する。
「俺は、お前を殺しに来たんだ……! そして、お前の全てを〝奪う〟為にッ!」
叛逆の宣言。
合わせて、彼の女たちも得物を抜いて戦意を見せる。
対して、邪神と巫女は……笑っていた。
「クッ、クククッ、実に愉快な事だ。ああ、これ程に面白い事は中々無い」
「そうだね。うん、いやこれは凄いよ」
「何がおかしいッ!?」
あまりにも温度差のある反応に、ギリムは激昂の声を上げる。
「何? 何が? 当然、君たちを笑っているのだよ。君たちだってそう思うだろう?」
同意を求める言葉は、ギリムたちへと向けられた物では無かった。
「……いやぁ、そのぅ、あんまりこっちに話を振らないでくれねぇかぁ? 一緒にされたくねぇよぅ」
「なっ……」
邪神の座る玉座の後ろから、ぞろぞろと歩み出てきたのは、かつて裏切られた仲間だった者たち、『崩壁の誓い』の面々であった。
いや、それだけならば、驚きはあれど呆然とまではいかなかったであろう。
だが、どうしても、どうしても看過できない光景がそこにはあった。
「ガルド、ルフ……」
そこには、自分が殺した筈の獣魔の青年の姿があったからだ。
それだけではない。
「はろはろー」
彼の隣で笑顔で手を振っている少女は、自分の腕の中で崩死した少女――ツムギだ。
「何で……」
思考が空転し、呆然と呟く言葉を拾って、邪神が答える。
「何故? 頭をもっと働かせたまえよ。君の出来る最悪の想定を思い浮かべたまえ。それが正解だ」
「……っ」
つまりは、そういう事なのだろう。
最初から、『崩壁の誓い』にいた頃の事から今までに至るまで。
「全部っ、全部、お前が仕組んだ事なのか!!?」
「素晴らしい! そこに思い至るとは。いやはや、思考能力の無い猿という評価は改めねばなるまいな」
「……褒めてるようで褒めてねぇなぁ、それあ」
「…………ぷぷぷ」
気安い様子の邪神とガルドルフに、ギリムは砕かんばかりに歯を食い縛る。
武器を握る手には力が入り、視界は怒りに赤く染まり始めていた。
それでも、ここまでやって来た事への感謝を、邪神を信じたいという気持ちもあり、なんとか自制した彼は、血を吐かんばかりの声を上げる。
「俺を、裏切ったのか!?」
「裏切る? 裏切るだと? 馬鹿な事を言ってはいけない。私は、君を裏切ってなどいないよ。裏切れる訳がないではないか」
心外だと言わんばかりに、邪神は言う。
そこに、僅かな期待が宿る。
続く言葉が、それを即座に打ち砕くのだが。
「そもそも、君は私の仲間ではない」
裏切り:うらぎること。味方を捨てて敵方についたり、約束・信義・期待に背いたりすること。(goo辞書より抜粋)
「使い捨ての道具を使い捨てにして何が悪いッ!」
「……うおい、とんでもねぇ事言いきりやがったぞぉ」
「すごいねー。にんげんって、ここまでさいていになれるんだねー」
「いやー、ほら、僕たちの故郷って消費文明だし」
「ぶふぉっ……!」
唖然とするギリム一行とは別に、何処までも邪神サイドはノリが軽い。
とうとう我慢できなくなったらしく、スピリに至っては腹を抱えて大爆笑していた。
「アッヒャッヒャッヒャッヒャッヒャッ!! 最っ高であるデスネ! これはイイ! ワレもいつかやらせていただくであるデスヨ!」
「参考になったようで何よりだ」
邪神は微笑みながら、玉座より立ち上がる。
「いいかね。自覚がないようなので、敢えて言葉にするが、君という存在に価値はない」
「ふざっ……!」
「ああ、勘違いしてはいけないよ。これは褒め言葉だ。価値がない、という事も一つの価値なのだよ」
邪神は巫女を抱き寄せる。
抵抗はなく、巫女は身を任せている。
そこには、信頼と愛情があり、一切の疑いは含まれていない。
「私は巫女を大切に思っている。彼女を使い捨てにするなど、例えそれで世界が滅ぶのだとしても出来ない」
「えへへ~。僕も大好きだよ~」
巫女を捧げなければ世界が滅ぶのであれば、そんな世界は滅んでしまえ、と、邪神は思うし、そう選択するだろう。
「だが、君の命は安い。世界の為に犠牲にする事に、何の躊躇いも無い」
「フッ……フッ……、も、もぅ……もぉらめぇデスヨゥ……」
「……スピリが死にかけてんぞぉ」
笑い過ぎで呼吸困難に陥っているらしい。
腹を抱えてうずくまり、ピクピクと痙攣している。
「お前……!」
当然だが、それを素直に称賛と受け取る訳がない。
もはや語る言葉はない、と、戦意と殺意を込めて魔力を練り上げる。
主人の動きに合わせて、女たちも臨戦態勢へと移行する。
彼女たちの目にも、これ以上無い憤怒と憎悪が渦巻いている。
自分たちの認めた男が馬鹿にされたのだ。
ここで怒らねば女が廃る。
「ふっ、実力行使。大変良い。言葉で解決する事など、何一つとして世界には無いのだからね」
野生において、高度な言語などという物は無い。
それでも、世界は回り、社会システムは形成できる。
言葉など必要が無いのだ。
必要の無い物で解決できる問題など、そもそも問題にはならない。
基本的に野生児である邪神――刹那は、野生の論理の下、もはや問答無用と燃え上がるギリムたちに対して、初めて好意的な印象を抱いた。
だからこそ、野生の論理に従って、彼は手段を選ぶ気がなかった。
「よかろう。相手をしてやろう」
言って、彼は懐に手を入れる。
「ああ、安心したまえ。後ろの彼らはただの賑やかしだ。決着が着くまでは手出しはさせないとも。君たちが率先して襲い掛かった場合は保証しないが」
「それは……! ありがとうよ……!」
ギリムが飛び掛からんと身をたわめるのと、刹那が懐から小さな装置を取り出すのは同時の事だった。
ナイフにも劣るだろう小さなプラスチックと金属を組み合わされただけの、ちっぽけで単純なそれには、安っぽいスイッチが備え付けられており、その隣には可愛らしい女の子の丸文字で【じばくすいっち】と書かれていた。
「ぽちっとな」
第326話「モルモット観察」でちゃんと言ってますよ?
覚えていましたか?