腐り神
正解は巨神兵。
夜が戻ってくる。
アインスは、陽光が如き輝きを収め、僅かな燐光のみを纏って、一人、空に佇んでいた。
力尽きている、という訳ではない。
意図的に光量を抑えているのだ。
彼の権能を発動してしまうと、彼が彼であるというだけで周囲を破壊し尽くしてしまう。
なにせ、〝光〟の化身である。
発光している状態が当たり前なのだから、〝光が力を持つ〟世界では破壊神もかくやという有り様になりかねない。
敵を悉く殺し尽くすには的確だが、状況の確認にはまるで向いていないのである。
【――――成る程。諦めという思考の持ち合わせは無いらしいな】
「……っ!」
光の嵐によって一時的に空白となってしまった場を埋めるように、周囲から暴風となって大気が押し寄せる。
その中で、風に乗って小さな人影がアインスへと急接近してきていた。
美影である。
全く衰えていない眼光にて、一心にアインスを睨み付けながら、彼女は再度の相対に向かっていた。
しかし、その姿は五体満足からは程遠い。
左腕は上腕から先が千切れており、左脚もほとんどが炭化しており、焼け落ちた肉の隙間からは黒い骨が顔を覗かせている。
顔もまた、左半分は潰れていて、無惨な爛れを見せていた。
服はほとんど焦げ落ち、生身が見えているが、そこに官能的な様子はない。
なにせ、服の下にあったものは、綺麗な素肌などではなく、炭化した肉や爛れた肌ばかりなのだから。
瀕死だ。誰の目にも明らかな。
だが、美影の気迫には些かの衰えも無い。
戦士なのだから、当たり前である。
戦場では殺し殺されが当然であり、いつ何時、ゴミの様に屍を晒してもおかしくはない。
そうと教育されている。
その覚悟を持っていろ、と。
だから、美影に恐怖も怯えも無い。
命尽きるその瞬間まで、倒すべき敵へと立ち向かうだけである。
血霧を纏い、流血の線を空に描きながら、肉薄する。
雷は纏っていない。
今は、纏う雷が放つ雷光が、自らを傷付ける刃となってしまうから。
最低限の身体強化のみであり、傷付いている事もあって、先程までの速度はまるで出ていない。
アインスは、残念だと思った。
つい楽しくなって権能を発動させてしまったが、失敗だったと。
せっかく面白い相手だったのだから、もう少し手加減しておくべきだった。
見る影もなくなった動きをしている美影を、虫を払うように軽く打ち払う。
美影に躱すだけの力はない。
だが、来ると分かっている攻撃に耐えられる様に、身を固める事は出来る。
【――――ぬ?】
振るった腕の上に、美影が張り付いていた。
衝撃に内臓のどれかが損傷したらしく、口からは血の塊を吐いているが、彼女はそれを気にした様子はない。
爛々としている片目でアインスを睨み付けると、彼の腕を足場に飛び上がってくる。
既に死に体。
おそらく殴られてもダメージはないだろうが、しかしわざわざ殴られてあげる理由もない。
向かってくる美影に合わせて、もう片方の腕で掴もうとする。
しかし、それが空振った。
【――――ほぅ、面白い芸だな】
美影の姿が増える。
幻術、ではない。
魔力は感じられない。
アインスが知る由も無いが、美影には幻属性の魔力も超力も無いので、それは当然だ。
これは単純な体術による分身だ。
感覚の錯覚を利用した技術である。
とはいえ、それは人間向けの技でしかなかった。
アインスを完全に騙すにはまるで足りない。
人間どころか生物ですらないアインスの感覚には、綻びがよくよく感じられていた。
正解を叩く事は簡単だ。
しかし、それではつまらない。
先程、安易な行動をして後悔したばかりなのだ。
遊んでいれば、また楽しい事をしてくるかもしれない。
そう思った彼は、美影に合わせてみる事にする。
【――――ふむ、これでどうだ?】
増えた美影に合わせて、アインスも増えてみせる。
美影の分身はただの錯覚であり、実体は無いのだが、しかしアインスの分身は違う。
やっている事は、光の屈折によるものでしかない。
しかし、現在の〝光が力を持って〟いる世界においては、光で出来た分身は、確かな実体を得てしまう。
袋叩きにする。
全てのアインスが、美影を囲んで殺到した。
【――――本当に頑丈な輩だな】
分身体が砕ける勢いで激突したと言うのに、美影はまだ原型を留めていた。
しかし、それが精一杯だったらしい。
落ちていく姿に力はなく、限界にある事は見て取れた。
海面に突き出していた岩場へと落ちる。
ボロ切れの様な姿は、それ以上動く様子は何処にもない。
【――――見逃す事は出来ぬのでな】
少し消化不良ではあるが、充分に楽しめた。
だから、普段であれば、その努力に免じて見逃してやっても良かった。
しかし、今回は星を害そうという明確な敵だ。
見逃してしまう訳にはいかない。
アインスが口を開き、喉に光を溜める。
せめて一息に殺してやろうと、強烈な一撃を解き放った。
一直線に撃ち下ろされる光線。
当たる直前で、岩場の美影へと高波が覆い被さった。
その程度、障壁にもならない。
地殻さえもぶち抜く威力は、少しばかりの海水など容易く蒸発せしめる。
その筈だった。
【――――む?】
だと言うのに、光線が弾き飛ばされる。
粘性を帯びた海水に当たると拡散され、周辺を薙ぎ払うが、肝心の美影には届いていない。
何が、と思うが、その答えはすぐに顔を出した。
海が持ち上がる。
粘性が上がり、ドロドロになった海水が、なんとなく巨大な人間のような形を取り始めていた。
『グロロロロロ……』
それが不気味な呻き声を上げる。
顔らしき部位には、岩を使って作られた牙が乱雑に生えており、目は何もなく暗い穴が空いている。
【――――ふははは、これも人間というか! 生物の可能性とは凄まじいものだな!】
それが新たな敵であると理解したアインスは、テンション高く笑う。
さて、今度はどんな芸を見せてくれるのか、と、心から楽しんでいた。
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美影は、粘性巨人――刹那の中からぼんやりと外を見ながら、その姿に記憶を漁っていた。
(……んー、昔のアニメ映画にこんなのがいたような気がするなー)
なんだったか、と頭を捻る。
(……えーっと、名前は確か、そう!)
「ポ○ョだ!」
『違うわ。ト○ロよ』
「えー、それは違うでしょー」
美雲からの声が届き、美影の身体が刹那の中から引きずり出された。
軌道上からの力場に捕らわれた彼女は、そのまま空へと運ばれていく。
「アーブ、ダーク、ショーン」
『意外と余裕ね』
「死んでなければ大体オッケーなのが僕だし?」
眼下では、粘性巨人 vs 光竜の戦いが始まり、初手で頭を粉砕される巨人の姿が展開されていた。
「よっわ」
『まぁ、色々と無理してるみたいだし』
「でも、そんなお兄もカワイイ」
『……脳ミソ、沸いてないかしら?』
「今更何を」
いつも通りである。
いや、ほら、こいつらって時代設定的に二百年後の人間ですからね。
そこら辺はもう古典作品なのよ。