竜の逆鱗
加熱していく戦場。
なにせ、敵は惑星だ。
美影や美雲がいくら散らせようとも、精霊の数は減らず、後からやって来る増援の数が上回る。
「戦力の逐次投入はっ! 悪手の筈なんだけどなーっ!」
『文句言わないの。まだまだ序の口なんでしょう。ほら、また追加が来たわよ』
「鬱陶しいねぇ……!」
美影の足が圧倒的に速いからこそ、なんとか詰められずにいる。
そうでなければ、戦力比はとうの昔にどうにもならない差を付けられていた。
今も隙を見て攻撃しているが、どちらかと言えば、逃げ回り、撹乱する事ばかりが優先になっている。
(……もうちょい! なんか変化が欲しいかなぁー!?)
サブプラン発動の為に一時離脱している刹那は、まだ戻らない。
星核の方で何かがあったらしく、今暫く時が必要なようだ。
それは分かる。
この状況でノエリアに参戦されれば、本当にどうしようもなくなってしまう。
だから、その遅延に労力を割くのは理解できるし、星核の性質上、刹那にしかそれが出来ないというのも分かるのだが、一人で矢面に立っている現状は何とかして欲しい。
「信頼の証っ! って事で満足!」
そんな感じで自分を誤魔化す。
刹那から出来るだろうと信じられているから、場を任されたのだ。
それに応えられなくては、美影の魂が腐る。
故に、気合いを入れて、なんとか拮抗しているように見せ掛けていた。
そんな事を考えていると、突然に望みは叶った。
『朗報よ。盤面が変わるわ』
「え!? なに!?」
姉からの急報に、美影は最初は何の事か理解できなかった。
しかし、遠方よりもたらされる感覚に、何がやって来たのかを正確に理解する。
そして、それは精霊側も同じ事だった。
遠くから大地を揺らす音が聞こえてくる。同じく、空を掻き乱す力強き翼の音も。
それが何なのか。両者が知っている。
地竜種。
惑星ノエリアにおいて、精霊、天竜に次ぐ上位種の軍勢が、ここ人間国へと大侵攻を開始したのだ。
その意味を、理解して両者は自らの勝利を確信する。
二つの確信のどちらが正しいのか。
その答えは、彼らが何故やって来たのか、それに対する正しい認識を持つ方に軍配が上がる。
『投降せよ。もはや、汝に希望はない』
端的な最後通牒。
これでダメならば、本当に殺す以外に道はない。
勝ち誇った顔の上位精霊からの言葉に、しかし美影は笑みを返す。
「馬鹿を言っちゃいけないよ。勝ち目が増えたっていうのにさ」
『……愚かな。状況が理解できないのか』
「理解ならしてるさ。君たちよりも正確に、ね……!」
『何を……』
言って。
その言葉は最後まで紡がれる事はなかった。
――GYYYYYYOOOOOOOOOO!!
遠く離れていて猶、耳を劈く大咆哮が聞こえた。
それを合図に、地竜種たちは戦闘を開始する。
否。それはもはや戦闘ではない。
蹂躙である。
彼らは、明確に人間種を標的に攻撃を開始していた。
その勢いはあまりにも強力で、人間種を絶滅させんばかりの怒涛の進撃であった。
『何故ですかっ!?』
上位精霊は、その行動に困惑せずにはいられなかった。
彼女は、目の前の敵と人間種が、別物であると聞いて知っている。
だからこそ、なるべく、ではあるが、人間種を守る気でいた。
だが、もしや地竜種たちはその事実を知らないのでは、と考えた。
見た目の上では、敵は人間種と変わらない。
それが故に、敵は人間種なのだと思っているのではないか、と。
しかし、現実はそれを裏切る。
「カンザキ、と言ったか」
軍勢から離れ、単独でこちらへとやって来た一人の老竜人が、美影へと話し掛けた。
「我は火竜翁と申す。絶剣公より話は聞いておる。情報の提供、感謝いたす」
「良いって事よ。番は大切だもんね」
己の愛の為ならば、何者を敵に回しても後悔しない狂愛の体現者は、女一人の為に敵対種族を滅ぼさんとする地竜の行動を、大変に好ましく思っていた。
『地竜よ! 何故ですか! その者こそが敵です! 見誤ってはなりませぬ!』
まさか、思いもよらない。
異なる星からの侵略者が、既に魔の手を差し込んでいるなどとは。
仮にも上位種として、星の平和に寄与してきた地竜種が、その意思に呼応するなどとは。
想定すらしていなかった。
「精霊殿。申し訳ありませぬ」
丁寧に、しかし全くの交渉の余地を感じさせない断固たる態度で、火竜翁は謝意を示して断る。
「我らは、敵を見誤っておりませぬ。故に、殲滅を止める事は出来ませぬ」
『っ!』
翁の瞳は、怒りに燃えている。激烈なまでに。
その圧は、たとえ神に等しき精霊の制止であろうと止まらないと、言葉にせずとも物語っていた。
『何が、あったのですか……』
「これはこれは。精霊殿らしくもなし。目が曇っておられるのか? それとも、目を逸らしているだけか」
皮肉げに言ってから、答える。
「我らの逆鱗など、ただ一つしかありませぬ。姫に手を出した。それだけです。それだけで、種を絶やす理由に足りまする」
『なんと、いう事を……』
生物の本質が、次代へと命を渡す事にあるのならば、配偶者の取り合いはまさに死活問題だ。
命を賭けて、命の取り合いをする理由として充分である。
食料の取り合い、土地の奪い合いに、勝るとも劣らない立派な名分だ。
精霊は、一般的な繁殖をしない。
条件が揃った時に、唐突に生まれる。
だから、本能的には理解できない理由だ。
だとしても、長い時を生き、多くの命を見てきた。
故に、止める言葉を持たない。
それが、時として国さえも傾け、滅ぼす原因にもなり得るのだと、経験が理解を示していた。
「それでは、これにて失礼いたす。ハゲ猿どもを絶やさねばならぬので」
絶句する精霊に一礼して、火竜翁はこの場から去る。
比喩でもなければ脅しでもなく、文字通りに人間種を絶滅させに行ったのだ。
我に返った精霊は、美影へと射殺さんばかりの視線を向ける。
『これもっ、貴様らの策謀か……!』
「あっ、そう取っちゃう? これに関しては、僕たちのせいじゃないんだけどね」
このタイミングで露呈した事には、確かに僅かに関わっているが、そもそもの原因自体は人間種の自業自得である。
とはいえ、その事を懇切丁寧に説明してあげる理由も無し。
「さぁて、天秤は傾いてきたよ」
『クッ……!』
瞬発した美影が、拳を叩きつける。
勢いに押し込まれながら、精霊は悔しげに歯噛みした。
劣勢、ではないが、勝敗の天秤は拮抗状態にまで戻されてしまった。
参戦した地竜種は、敵ではない。
決して、精霊を標的に攻撃を仕掛けない。
あくまでも、彼らの狙いは人間種のみである。
しかし、精霊たちの一部は、巻き込まれてしまっている人間種の保護の為に動いていた。
せめてもの罪滅ぼしのようなものだ。
だが、その行為が、怒りに燃える地竜種には我慢がならない。
人間種を滅ぼす。
それを邪魔するのならば、精霊種といえど排除するのみ。
結果、地竜種の矛を受け止める為に、多大な戦力を割かなければならなくなっているのだ。
だが、それでも。
精霊の戦力は無尽蔵に近い。
まだまだ増援は来る。
今は拮抗していても、すぐにまた傾き始める。
時間は、こちらの味方なのだ。
『勝てると、思っているのか……!』
「勝つ必要がない。それだけの事さ!」
時間が味方なのは、美影も、異星人側も同じこと。
「僕たちは所詮! 端役だと理解しなよ!」
本命ではない。
吠えながら、美影は戦場を縦断して掻き乱していった。