脳筋解決法
足元から大地が消失する。
次いで、海も空も、星そのものが消え果てた。
遥かなる虚空。
何処までも孤独で、何処までも寒々しい、宇宙の中に放り出されてしまう。
遠い遠い果てには星明りが瞬いていた。
手を伸ばしてもどうやっても届かない星空のスクリーン。
その一角が、突然、斬り裂かれた。
縦に割れたそこからは、怪しげな気配が漂ってくる。
裂け目の両端に、巨大な手がかけられる。
鋭い爪と鱗の生えた、六本の指を持つ四つの手。
それが、裂け目を大きく割り開いた。
その向こうには、星明りすらも無い真の虚無。
そして、じっとこちらを見つめる異形の怪物がいた。
太陽よりも猶も巨大なそれが、凶相を歪ませて見ている。
吐息が吹きかかった。
途端、肉が溶け落ちる。
それだけではない。
骨が朽ち、血が渇き、生物を構成する何もかもが崩壊し、消し飛んでいく。
そして、遂には魂さえもが、砕けて消えてしまうのだった。
~~~~~~~~~~
「ハッ、ハハハハッ! 下らねぇなあ!」
一連の幻を振り払いながら、ガルドルフは吠える。
内心では大変に冷や汗をかいていたが。
あれは幻だったのか。
それは間違いではない。
だが、限りなく現実に近い質感を持った幻だった。
もしも、あの光景を彼が信じていたのならば、それはきっと幻ではなくなっていただろう。
訪れた結末通りに、ガルドルフの全てが砕かれ、朽ち果て、消滅してしまった筈だ。
そんな致命的な幻覚であった。
「おーヤおや、意外に精神が硬いであるデスネー。少なくとも狂死すると見ていたのであるデスガ……」
「生憎と邪神には見慣れてんだなあ、最近は特によぅ!」
主に刹那とかいう人間種(?)の所為である。
見る度に姿形が異なる上に、その造形のセンスが悪趣味というか、醜悪の具現化とも言うべきものばかりである。
加えて、やる事なす事の全てが惑星ノエリアの常識から外れている為に、ここ最近は訳の分からない事を訳の分からないままに受け入れる精神状態となっている。
別名、思考停止とも言うが。
だが、それがプラスに働く場合もある。
たとえば、今この瞬間など。
何処までもリアリティに富んだ破滅の幻覚を前にしても、現在の彼が持つ鈍感なまでに動じない精神は、全く冷静さを失わせなかった。
それはそれとして、自身の現状――スピリと戦闘状態にあるという事実を常に頭の中に置いていた為、それが幻術の一種でしかないと即座に看破せしめたのだ。
とはいえ、それは偶然の産物であり、決して幻術そのものを無効化できた訳ではない。
一歩間違えば、幻通りの破滅を迎えていた事には変わりなく、つまり遊び心なく殺しに来ている事を示している。
「どうしたあ、上位種。デーモンの王様よぅ。余裕ってもんがねぇぜぇ?」
「……ンー、正直なところ、あまりキミに興味が持てなくてであるデスネ~。獣魔種風情と戯れる趣味も無いであるデスシ」
煽ったら煽り返された。
まぁその程度の認識だろう、とも思うので、然程の怒りは覚えないが。
代わりに、目に物を見せてやる、とは思った。
言葉の通りに、スピリの視線はガルドルフを見ていない。
視界の端に映してはいると思うが、本格的に相手にしようという気は無さそうだ。
天上の世界が激しく輝く。
目が潰れんばかりの閃光の衝突は、限りなく神に近付いた天使と、生命の限界点を突破せんとする人間の激突に他ならない。
「……、……楽しそうであるデスネ~」
下位種の、ただの生物の限界を極めた先。
そこに位置する者とのぶつかり合いは、決してバトルジャンキーではない筈のスピリの好奇心を、大いに刺激していた。
その気持ちは、ガルドルフにも分かる。
眺める位置は違えども、究極へと至る存在には、ある種の美しさが宿っている。
それを、彼はよくよく実感していた。
だが、それはそれとして、気にも留められていないというのは一人の戦士として屈辱である。
なので、その屈辱を燃料に、彼はスピリへと飛び掛かる。
「こっちをぉ! 向けぇ!」
爪に魔力を宿し、獣らしく一息に首を刈り取る。
確かな手応え。
飛んでいく生首。
血を噴き上げる身体。
そして、
「キミの相手は、面白くないであるデスヨ……」
溜め息交じりの、言葉。
「ずあっ!」
瞬間的に、危険を探知したガルドルフは、その場で身体を回転させる。
それが功を奏し、振るわれたナイフを弾き返す事に成功する。
しかし、無傷とはいかない。
肩口の毛皮に赤色が滲む。戦闘に支障を来す程ではないが、確実に傷をつけられた。
「速く、硬くモあるデス。勘も、悪くないデスネ。
でも、そこまで。
意外性も何もない、であるデスヨ」
そう。ガルドルフは、獣魔種随一の戦士である。
だが、それだけ。
決してその領域からは出ない。
美影やツムギのように、種族的限界点を超越した何かを、何一つとして有していないのが、彼である。
言われずとも分かっている事だ。
なので、思考は別に向かう。
(……さて、どうやって攻略したもんかねぇ)
通常レベルの幻術ならば、対処法は心得ている。
幻術とは精神に作用するものなのだ。
だから、自ら精神の安定を乱してやれば、簡単に綻んで見破る事が出来る。
一流と呼ばれる者たちならば、誰もが容易に出来る事だ。
故に、幻術使いというものは少ないのだが、そんな弱点を理解して猶、それを極めていく者たちもいる。
その代表格が、目の前の妖魔種――スピリである。
幻術の可能性を極めた彼女の生み出す幻は、ちょっとやそっとの事では綻び一つ見出せない。
見せられる幻覚には違和感の一つも無く、前後の繋がりを無視した現実感を与えてくる。
何処からが幻覚で、何処までが現実なのか、まるで分からない。
「天へと吠える、不遜な獣よ。自らの分を弁えよ」
普段の口調とは違う、天から見下す上位者としての言葉を落とすと同時に、世界が壊れた。
大地が罅割れる。
激震と共に地割れが発生し、谷間からは灼熱のマグマが噴き出した。
天は稲光と共に轟雷を落とし、颶風が吹雪を孕んで逆巻く。
どれもこれもが幻覚、と思われる。
これだけの変異を起こすだけの魔力を、スピリは発してはいなかったのだから。
しかし、どれもこれもが実際に起きている様にしか思えない。
「……良いぜぇ。やってやろうじゃあねぇかよぅ」
正攻法では見破れないと諦めた彼は、美影からのアドバイスを思い出した。
――要は処理能力を超えさせれば良いんだよ?
そんな、脳ミソの隅々まで筋肉で出来ているかのような幻術使いの突破方法である。
スマートさの欠片も無いが、現状、それしか頼れるものがない事も確かな事実。
ヤケクソの笑いを零したガルドルフは、手を大きく開き、爪を立てて伸ばす。
限界ギリギリまで肉体を強化し、余剰分の魔力を立てた爪先へと集中させる。
伸長する。
魔力が光となって溢れ、長大で巨大な魔力の爪を五指の先に生み出した。
身をたわめる。
筋肉の千切れる限界まで力を溜めて、揺れる地面を力一杯蹴り飛ばす。
瞬発。
大地が爆ぜる衝撃を置き去りにして、ガルドルフが弾け飛ぶ。
狙う先は、スピリ……ではない。
「シャッ!」
彼の魔力爪が引き裂いたのは、世界を荒れ狂わせている天変地異そのもの。
噴き出すマグマを、逆巻く颶風を、落ち行く轟雷を、片っ端から引き裂いていく。
「何を……、……アア、なんという脳筋であるデスカ……」
一瞬、何をしているのか理解できなかったが、すぐに彼の意図を理解したスピリは、呆れの吐息を漏らした。
ガルドルフがやっているのは、幻術を形成する処理能力を飽和させる事。
幻を作り出し、そこに現実感を与える事は、それが高度なものになればなる程に要求される術者の矛盾解決能力がより高くなっていく。
簡単に言えば、取り繕う能力だ。
破かれた幻覚を修復し、発生した現実との齟齬を擦り合わせていかなければ、対象者を騙しておけないのである。
だから、ひたすらに幻覚に対して過負荷をかけていく。
術者の能力の限界に至るまで、ただひたすらに。
「我慢比べ、好きでは無いのであるデスガ……」
言葉を零しながらも、付き合わずにはいられない。
なにせ、今のガルドルフにスピリは追いつけないのだから。
普段であれば違ったが、美影を抑える為に権能を発動している現状では、彼女の身体強化も微々たるものでしかない。
妖魔種は、決して身体能力に優れた種族ではない。
全力で身体強化を行っている獣魔種の英傑の速度に、微々たる強化では追いつけない程度のものだ。
罠を張って追い込み漁をしようとするものの、ガルドルフはその罠自体を標的に行動して動いていく為に、上手く誘導しきれない。
「まっ、無駄な足掻き。疲れるまでは、付き合ってあげるデスヨ」
美影並みの速度で幻術を破壊され続ければ、処理が追い付かなくなる可能性もあったが、あれくらいの速度ならば問題ない。
いずれ疲れて動けなくなった瞬間に首を刎ねてやろうと、スピリは結論付けるのだった。
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『さて、そろそろ私の出番のようだね』
包み込む世界の全てから、神経を逆撫でする声が響き渡った。
正午頃にもう一話いきますぜ。