上位種
ゴキリ、と、骨が折れる様な砕ける様な手応えが、美影の手の中に伝わってきた。
見れば、ピエロのような恰好をした妖魔種の女が、死んだような瞳で首をあらぬ方向に傾け、大地に深くめり込んでいる。
どんな素人が見ようとも、一目で死んでいると判断するであろう有様だ。
だが。
「ふんっ!」
美影は、追撃とばかりにストンピングをその頭部へと踏み落とす。
瞬間。
死体のようであったピエロは跳ね起きて、危険域から脱出した。
透かされた攻撃は、ただでさえ隕石の落下で凹んでいた大地を、更に踏み砕いてしまう。
「ひょえぇ~。そぉんなの喰らったら、死んでしまうであるデスネ~」
「嘘つけ」
おどけたように言うスピリの自己申告を、美影は鼻で笑って切り捨てた。
幻術使いというのは、極まってくると本当に死なないのだ。
ナナシとか、ナナシとか、ナナシとか、あと中華連邦の魔王とか。
あの辺りの連中は、ただただ死なない事が一番の得意分野という、非常に忌々しい生態をしている。
殴る価値無し、と声を大にして言いたい。
美影の見る限り、目の前のピエロは、明らかにそのレベルにいる幻術を使える。
魔力の強大さもさる事ながら、なによりも先の五感遮断は一抹の瑕疵も無かったのだから。
奇襲には慣れているし、五感とは異なる世界の見方をしているが故に対処できたが、それを除けば確かに完璧な幻術であった。
警戒に値する。
「そそ、そげな事、なかとであるデスヨ……?」
「……顔、崩れてるよ。ピエロ仮面」
あらぬ方向へと視線を逸らして、まるで真剣みの無い雑な誤魔化しを敢行するスピリに、苦い想いをせずにはいられない。
なので、ちょっとした意趣返しに、ピカソ絵の様に造形の崩れてしまっている素顔の指摘をしてやる。
「……んぇあ?」
言葉の意味に気付いたスピリは、崩れた顔から驚いた顔へと早変わりして、己の手を自らの顔へと向ける。
ペタリ。
そこにあったのは、硬質な仮面の感触ではなく、素肌の柔らかい感触であった。
純粋な戸惑いに、美影は面白がるように笑う。
「クックックッ、どんな醜い顔があるかと思えば、案外可愛い顔してんじゃん」
墜落の衝撃が原因なのだろう。
スピリの特徴と言っても良い感情表現の仮面が外れてしまい、素顔が露出していた。
青白い肌の色。
白目の代わりに黒目をしており、虹彩の色は金色。
左頬には涙の模様を、右頬には星の模様を描いている。
やや人間とは異なる色合いをしているが、なんならば人種の違いで押し通せるレベルであり、それ程に違和感はない。
なので、人間らしい感覚でその造形を評価でき、簡潔に言えば美人な顔立ちをしていた。
自身の状態を理解したスピリは、途端、ストンと表情が抜け落ちる。
妖魔種には、幼体という時期が存在しない。
生まれた瞬間から、そういうモノとして出現する。
スピリもまた、そうして生まれた。
最初から今の形で誕生していた。
だから、仮面を付けて素顔を隠す事は、彼女にとって当たり前の事であり、アイデンティティと言っても良い程の事柄である。
もしも、隠された素顔を晒す事があれば、それは憤死しかねない程の激情を心中にもたらす事だろう。
「――――死なす」
「最初からその気で来いよ、下等生物」
既にこれ以上なく怒らせているというのに、美影は更に挑発していく。
あるいは、平身低頭で素直に誠心誠意謝りさえすれば、少しは容赦の気持ちもあったかもしれない。
不幸な事故という事で、気が済むまで嬲るだけで済ませてくれて、運と命が太ければ生き残れた可能性を残してくれただろう。
だが、美影のこの態度である。
確殺せん。
もはや慈悲の欠片もありはしない。
純粋な殺意に満ちた魔力が溢れ出る。
「――……これは凄いね」
急速に高まっていく魔力の波動を受けて、美影は目を細めながら素直な感嘆を漏らした。
魔王と呼ばれる者たちがいる。
自分を含めて、魔術師たちの最高峰に位置する者たちだ。
そんな自分たちを遥かに越えていく出力は、成程、上位種と呼ぶに相応しい物があるだろう。
一つ頷いた彼女は、黒雷を纏って瞬発する。
やるならば、今しかない。
〝何〟をするつもりなのかは知らない。
だが、〝何か〟の準備をしている。
そして、その〝何か〟を発動させてしまえば、己の勝ち筋は限りなくゼロに近付いてしまうと、彼女の直感が警鐘を鳴らしていた。
最速で張り倒さんと駆け出した美影だが、その頭上に陰が落ちる。
「元より無謀。卑怯とは言うまい」
「ちっ!」
上空から粉塵を切り裂いて落ちてきたのは、ゼルヴァーンであった。
落下速度を一切緩めずに飛来した彼は、美影を踏み潰さんとそのまま地面へと激突する。
気付いた彼女は、即座に反応して回避したが、結果、スピリとの間に入られて邪魔をされてしまう。
尋常な決闘、などではない。
最初から、三人同時に迎えるという無謀をしているのだ。
手出ししない理由がない。
なにより、スピリの権能を知っているゼルヴァーンは、それが発動してしまえば、目の前の人間に勝ち目が無くなる事を理解しているのだから。
「そんな事は言わないさ……!」
卑怯とは弱者の泣き言でしかないと断じる。
だから、強い美影はそんな事は間違っても言わない。
(……お兄は言うだろうけど)
自分は良い、他人は駄目、の典型的な駄目人間である。
絶対に言いそう、と思いつつ、雷速を維持したまま小刻みなステップを踏む。
縦横無尽。
「おおっ! なんと見事な……!」
空さえも駆ける美影に、大柄とはいえ、人間サイズの壁一枚など無いに等しい。
最速の魔王は、速度を落とさないからこそ最強の一角にいるのだ。
美影は、いとも容易くゼルヴァーンの守りを突破して先へと行く。
自身に向かってくるならば対処のしようもあったが、単純にすり抜ける事だけを目的とされると、まるで対応が追い付かなかった。
ゼルヴァーンは、美影の軌跡を後追いしながら戦慄する。
もしも、この者が攻め込んで来たならば、どうすれば良いだろうか、と。
正面から戦うのならば、自分を含めて対応できる者は何人か心当たりがある。
だが、彼女が、例えば地竜種の〝宝〟のみを標的として暗殺を仕掛けてきたならば。
守りきる事は不可能ではないか、と、思わずにはいられない。
「…………ハゲ猿が、人間がこれ程の力を有するとは」
叩き潰しておくべきだと、ゼルヴァーンは本気を心に抱いた。
その決意の先で、遂に美影はスピリへと肉薄せんとしていた。
「殺った!」
「甘い。で、御座います」
「うべっ!?」
目の前に、ピンポイントで小さな光壁が出現し、美影の鼻面を直撃した。
打点を起点として、回転して吹き飛ぶ。
鼻血の垂れる曲がった鼻を直しながら、美影は頭上で高みの見物をしている天使へと、憎々しげな視線を送った。
「ええい、鬱陶しいなあ!」
幾条もの雷を放って撃ち落とさんとする。
しかし、その全てが光弾によって的確に迎撃され、一つたりとも届かない。
それだけでなく、ラヴィリアは更に光壁を幾つも築き上げて、美影を閉じ込めてしまおうと囲んでいく。
包囲網から逃れつつ、美影は歯噛みする。
スピリから離されている。
逃げ道を塞いでいく判断が的確で、中々接近を許してくれない。
道筋がない事もないが、その先では追い越していたゼルヴァーンが既に立ち塞がっていた。
壁に囲まれた閉鎖空間で彼をすり抜ける事は、至難だろう。
(……連携が上手くて反吐が出るね!)
上位種同士でも仲は悪い、と聞いていたが、それで戦闘に支障をきたす程の素人ではないらしい。
お互いの能力をよく把握し、確実に補いあっていた。
このままでは間に合わない、と、予測する。
そして、その推測通りに、状況は次なる段階へと移った。
歪曲権能【世界ハ改竄ヲ許サナイ】。
世界を歪める、世界の膿たる能力が発動した。
多分、今年最後です。
もしかしたら31に更新するかもしれませんが、多分無いんじゃあないですかね。
という訳で、今年もお付き合い下さいまして、誠にありがとう御座いました!
この過去編が終わったら最終章に入るつもりであります!
来年もよろしくお願いします!
では、良いおとしを!