メテオインパクト投げ
人骨で埋め尽くされた、地獄の空間。
地平線が見える程に広く、また天井はあるものの、それは雲の高さ程もあり、閉鎖的な感覚は得られない。
そんな場に、三つの影が放り出される。
天使と悪魔と竜人の三人だ。
彼らに、突然の転移に対する動揺はない。
魔物領域では、ままある事なのだ。熟練の調査員である彼らは、そうした状況への慣れがあった。
放り出された彼らは、見渡す限りの骨の大地へと、ゆっくりと着地する。
「……悪趣味な空間に御座いますね」
ラヴィリアの端的な評価に頷くのは、ゼルヴァーンだけだ。
スピリは、喜色の仮面に付け替えて、胸一杯に立て込める死臭を吸い込みつつ、言う。
「とても心地よい空間であるデスネ。癒されるであるデス。
いつか、ワレの居城を立てる時は、こんな場所が良いであるデスヨ」
「「…………」」
スピリの、と言うよりも、妖魔種の悪趣味は重々承知しているが、それでもなんとも頭の痛くなるような発言であった。
度し難い、と、天使と竜人は頭を抱えずにはいられない。
「……、来たぞ」
呑気な会話をしている最中、ゼルヴァーンが顔を上空へと向けながら言う。
そこもまた、人骨で覆われていた筈の天井が、しかし今は雷を孕んだ暗雲へと塗り替えられていた。
一条の雷が落ちる。
漆黒の色をしたそれは、彼らからやや離れた位置にある、僅かな隆起へと着弾する。
纏った雷を払って現れるは、一人の人間種。
おそらくは、幼体に近い年齢だろう外見をしている。
起伏の少ない肢体を、霊鬼種の民族衣裳に似通った物で包んでいた。
巫女とかいう、いわゆる神職の衣裳に近いだろう。
但し、色合いが明らかに異なる。上衣は完全な漆黒に塗り潰されており、袴は明るい緋色ではなく、血の様な重い赤に染められていた。
油断ならない。
仮にも上位種、その中でも最上位に位置する三人をして、その人間への評価は、その一言で一致していた。
放射される魔力の圧は、間違いなく特上の代物である。
自分達には及ばないが、自分達と比較できると言うだけで、充分に強力だ。
それだけではない。
その小娘からは、何か、得体の知れない圧力を感じられた。
それが何かは分からないが、それが彼らの本能を直撃していた。
隆起の上に堂々と立つ彼女に、スピリは不快の仮面を付けて言葉を差し向ける。
「…………ニンゲン風情が、ワレを見下ろすであるデスカ」
ただ偶然、その様な立ち位置になった訳ではない。
それは、腕を組んで胸を反らし、明らかな嘲笑を浮かべた表情が物語っていた。
だからこそ、苛立ちを与えるには充分な事である。
自分よりも下等な生物が、上から見下しているという事実は、上位種のプライドを刺激していた。
それに対して、少女ーー美影は、鼻で笑ってみせる。
「はっ。当然じゃないか。どっちが上だと思ってんだよ」
「我等に決まっているではないか、ハゲ猿風情が」
「チャンチャラおかしいね。自分達の価値を理解していないらしい」
美影は、三人を指差しながら、断言する。
「創られただけの、鶏肉に蜥蜴もどき。その歪みから生まれた廃棄物。養殖物だ」
そして、自分を指差す。
「自然環境の中から生まれた、生え抜きの天然物。天然と養殖の価値なんて決まりきってるじゃないか。市場にでも行って比べてきなよ」
あまりにも安い挑発。
とはいえ、それが本気の言葉である事も、確かに伝わった。
だから、彼らは沸き上がった激情を我慢しなかった。
「――――よくぞほざいた。その暴言」
竜人が、人間へと襲い掛かった。
~~~~~~~~~~
強烈な踏み込み。
大地が爆ぜて、骨が破片となって舞い散る。
音を置き去りにして瞬発したゼルヴァーンは、右の腕を大振りに振り下ろした。
武器にしていた大剣は折られたが、何も問題はない。
あんなものは、程よく手加減する為の小道具に過ぎない。
竜人の身体は、生半可な武具を凌駕するのだから。
たかが人間を引き裂くには過剰な力が迫る。
美影は、その動きを目で捉えながら、確実に反応する。
「そいっ」
迫る暴力に手を合わせて、軽く外側へと弾いた。
たったそれだけで、簡単に攻撃の軌道が彼女から外れた。
相手の力に逆らわず、ただその軌道だけを上書きする、防御の妙技である。
驚きに目を見開くゼルヴァーンだが、美影の動きはそれで終わらない。
彼よりも更に速く、雷の速度で飛び出した彼女は、懐へと容易く入り込んだ。
「せああっ!」
気合いを込めて、ぶん殴る。
雷撃を載せた拳は、相対速度込みで雷よりも速く、ゼルヴァーンを撃ち抜いていた。
「ぬぅお!?」
ゼルヴァーンの巨躯が後退させられる。
一瞬の攻防。
この中で驚き、相手への評価を改めたのは、両者共に、であった。
(……硬! 重!)
その身を砕いてやるつもりで、あるいは地平線の彼方までぶっ飛ばしてやるつもりで、美影は撃ち抜いていた。
しかし、結果は芳しくない。
後退させられたとはいえ、その位置は手が届く程に近く、ダメージが通った手応えでもなかった。
中身が詰まっていると違う、と彼女は思う。
そうでなくては、とも。
地球へと落ちてきた、地竜種の搾り滓とは、性能が文字通りに桁違いだ。
美影は、戦闘速度の中で、この動く人間大の超要塞にどうするか、と考えた。
(……同じところに万発くらいぶち込めばいけるかな?)
出した答えは、脳筋の一言である。
とはいえ、分かりやすい弱点があるかも分からない以上、それが現時点の情報で取り得る最善手でもある。
なので、後退するゼルヴァーンを追って、美影は更に一歩を踏み込んだ。
その視界に、陰が映り込む。
「うぴゃっ!?」
それが眼前に差し込まれた刃の閃きだと気付くと同時に、彼女は思いっきり身を翻す。
刃ーー槍の持ち主であるラヴィリアは、攻撃を振り抜きながら眉を顰めた。
「捉えた、と、思ったので御座いますが……」
確実に当てられると見て差し込んだ。ほんの僅かな隙を、確かに捉えていたのだ。
だが、躱された。
離れた美影を見れば、額からの出血が見られる。
どう見てもかすり傷、致命傷どころかダメージが入ったとすら言えないだろう。
速い、と、思う。
動作も速いが、何よりも反応速度が異常だ。
見てから実際に動くまでのタイムラグが、ほぼ無いに等しい。
「厄介に御座います、ちょっとだけ」
まるで、最強の天竜ーーアインスのようではないか。
そう思う。
同時に、あれよりはマシだとも、思った。
美影は、目元へと届く血流を乱暴に拭いながら、ラヴィリアとゼルヴァーンへと相対する。
二人とも、翼を持つ種族だ。
先とは逆に、美影を上から見下ろしていた。
「翼もなく、空も飛べない下等種族めが……」
ゼルヴァーンがそれを容易く潰せない苛立ちを呟きながら、顎を開く。
喉奥には魔力の光が充填されており、心に溜まった苛立ちと共に一直線に放たれた。
それを追って、ラヴィリアもまた魔力を解き放つ。
無数の誘導弾。
放たれた魔弾は、ドラゴンブレスを中心に据えながら、雨のように降り注ぐ。
「舐めた真似を……」
美影は静かに呟く。
あの程度で討ち取れると、そう本気で思われているのだとしたら、とても心外である。
あんな弾幕、《射手座》ジャックのそれと比較しても穴だらけの廉価品だ。
躱してしまうのは容易い。
だが、と、美影はすぐに思考を切り替える。
すり抜けてぶん殴ってやるのは、難しくない事だ。
しかし、それでは、舐められてしまう。
迎撃できないのだと思われるのもまた、心外極まる。
戦いの場において、侮られる事はプラスに働きやすい。
戦う事を楽しみとしていない美影の所為格ならば、本来、舐められる事は望む事の筈だ。
だがしかし、ここはデモンストレーションの場。
自身の威力を見せつけねばならない。
であれば、苦手分野が存在すると僅かでも思われる訳にはいかない。
だから、美影は正面から迎撃して見せる。
連弾壊砲。
黒髪をショートポニーに纏めていた飾り紐が弾け飛ぶ。
漆黒の雷を編み込んだ長髪が、軽やかにたなびいた。
パン、と、手を一つ叩く。
開かれた時、長大な黒雷の槍が両手の狭間に出現した。
同時に、彼女の周囲に雷の魔弾が幾つも形成される。
解き放つ。
雷槍がドラゴンブレスへと、雷弾が魔弾へと、それぞれを正面から迎撃した。
衝撃。
相殺しきれなかったエネルギーが無差別に放出され、空間を席巻する。
「全く! 嫌になるね!」
美影は、結果に毒づく。
消費したエネルギー量は、ほぼ互角。
だが、問題は直後から始まる魔力回復速度だ。
超能力分は互角に回復しているが、魔力分の回復速度が、美影と彼らでは比較にもならない。
魔力への適性の差だろう。
つまりは、天性の才能の差だ。
天才として育ってきた美影にとっては、中々に得難い結論である。
遠距離での投げ合いになれば、勝ち目がない。
そうと判断した美影は、即座に瞬発した。
荒れ狂う衝撃波を物ともせず、空へと駆け上がる。
更に、立ち位置が逆転する。
彼女の気配の移動に気付いたラヴィリアとゼルヴァーンが、顔を上げた。
彼らよりも更に上の虚空に、美影が直立している。
彼女は、鼻を鳴らすと、小馬鹿にするように言葉を放つ。
「翼が無くば、空も走れない無能どもめが」
先の仕返しの言葉。
相手を煽る為だけに放たれた言葉は、天使と竜人の自尊心に大きく傷つける。
だが、彼らが湧き上がる激情に身を任せる事は無かった。
行動に移すよりも先に、見下ろすハゲ猿の向こうに、悪魔が躍る様を見たから。
~~~~~~~~~~
美影は、空を踏みしめて立ちながら、薄く笑む。
ラヴィリアとゼルヴァーンを見下ろしながら、彼女は静かに言葉を紡ぐ。
「僕は歳の割に経験豊富でね」
義兄を始めとして、地球上で様々な技能者と出会い、拳を交わしてきた。
「特に豊富な経験は、僕を何かと毛嫌いしてくる同僚からの暗殺だよ」
だから、様々な状況への対処法を、とうの昔から編み出している。
「具体的には……」
美影の腕が、視線を向けぬまま、背後の空間へと伸びた。
何も無いように見えるそこを、彼女の手は確かな〝何か〟を掴み取る。
「幻覚に乗って奇襲しかけてくる阿呆とかだよっ!」
裂帛の気合いに拭い去られるように、何もなかった筈の空間から、首を掴み取られた状態のスピリが出現した。
「んなッ!?」
「馬鹿め! 人間の感覚が五感までだとでも思ったか!」
普通は五感までである事は、言うまでもないだろう。
美影の、雷裂の感覚器がおかしいだけである。
雷裂流自然生存術・逆位攻式【重鎮功・投山】。
重力の影響を過剰に受ける技、それを他者に仕掛ける絶技が発動する。
一瞬にして、文字通りに山の如き重量へと変化させられたスピリは、真っ逆さまに墜落していく。
「必殺!」
首に手を掛けたままの美影が、その落下を更に加速させながら。
「急転直下ッ!! 喉輪落としィィィィィィ……!!!!」
「ヒャアアアアアアッッ!? 意外とタァァァァノシィィィィィィ!! であるデスネェェェェェェェェ!!!!」
第三宇宙速度を超えて、山の重さを持った悪魔が大地へと叩き付けられた。
~~~~~~~~~
メテオインパクトもかくや、という常軌を逸した投げ技。
その影響は、上空にまで衝撃波を届かせ、巻き上げられた粉塵が空を隠すほどとなった。
「ゴホッ……」
翼を一つ打ち、纏わりつく粉塵を払ったゼルヴァーンは、眼下の惨状を見て眉を顰める。
「……あの性悪ピエロ、死んだのではあるまいか?」
地竜種である彼ならば、間違いなく耐えられる。
地竜の身体能力は、特に耐久性において群を抜いて高いのだ。
たとえ、隕石の速度で大地に叩き付けられたところで、ビクともしない自信がある。
だが、今回の対象は、妖魔種だ。
決して、高い耐久性を持つ種族ではない。
助けようとは思った。
しかし、間に合わないと冷静に判断した。
だから、二人は躊躇なく見捨てていた。
そこに、後悔も罪悪感も無い。
なにせ、犠牲となるのは所詮は妖魔種だから。
「まぁ、死んでも良いのではないので御座いませんか? 世界の膿が一つ浄化されたという事で」
「それもそうだな」
世界の歪みが一つ消えるのだ。
世界の監視者を気取る彼らにとっては、望む所であった。
尤も、楽しそうだったので多分生きているだろうが。
天使と竜人は真面目にやっているのに、人間と悪魔がふざけやがる……。