エピローグ
「…………生きてるな」
俊哉が目を覚ますと、白い天井が見えた。
独特な薬剤の匂いが、ここが病院の類だと彼に伝える。
起きようとするが、いまいち上手く身体に力が入らない。
体力が戻っていないな、と諦めてベッドに全身を預ける。
「無理しちゃ駄目ですよ~。
まだ治りきっていないのですから~」
近くから、おっとりとした女性の声が聞こえてきた。
首を動かし視線を向ければ、同時に俊哉へと覆い被さる様に一人の少女が迫ってきた。
「おっ、うおぉ?」
綺麗な少女だ。
年齢は、俊哉と同年代ほどだろうか。
銀色の髪を揺らし、メリハリのある肉感的な肢体を看護服に包んでいる。
誰かに似ている……様な気がした。
だが、思い至らない。
ついでに、心臓の鼓動が五月蠅い。
俊哉も年頃の男である。
魅力的な女性に至近距離まで迫られれば、相応に反応もする。
「え、えと、どなたでしょうか?」
「え~、私ですか~?
私、俊哉君の担当看護師の瑠奈と言います~。
よろしくお願いしますね~」
豊満な胸にある名札には、確かに〝瑠奈〟と書かれている。
「よろしく、お願い……します。
で、えーと、俺、やっぱり重傷ですかね?」
「というか~、死にかけ~? 致命傷たっぷりな感じですね~」
彼女は、ベッドの縁に腰かけると、脇に設置されていたキャビネットから書類を取り上げる。
どうやら診断書の類らしく、その内容を読み上げる。
「肋骨20本骨折。右腕の骨が溶解? 何したの~?
左大腿骨骨折。脊椎に微細な罅多数。
頭蓋骨の陥没や骨折も幾つか。
骨折だけでこれですよ~?
更に、肺が片方潰れて、もう片方にも肋骨が刺さって多量出血。
胃と肝臓が破裂。腸にも幾つか穴が開いていますね~。
脳出血もあります~。
あっ、あと左腕は消滅と重度の火傷……あれを火傷と呼んで良いかはともかく、火傷が広範囲に」
「……医療には詳しくないんですけど、俺、よく生きてますね」
「普通に致命傷ですよ~。
あとちょっと遅かったら、本当に死んでいましたね~。
というか、よく治療まで持ったものだと感心するくらいです~」
瑠奈は上品に笑い、診断書を置くと、再度、俊哉へと圧し掛かってくる。
「そ・れ・よ・り・も~、身体が動かなくて不便でしょ~?
私が御世話、してあげますよ~?」
蠱惑的な魅力を振りまく瑠奈。
とても同年代とは思えない色気に気圧され、思わず喉を鳴らす俊哉。
ぺろり、と赤い舌が顔を覗かせる。
食われる、と被食者の本能が脳裏を過る。
徐々に詰まっていく二人の距離。
だが、そこに絶対零度の威圧が横槍を入れた。
「……ママ?」
落ちてきた少女の声に、瑠奈はびくりと肩を震わせる。
蠱惑的な雰囲気は一瞬で霧散し、恐怖という表情が浮き上がる。
油の切れたブリキ人形の様にぎこちない動きで、彼女が振り返る。
そこには、絶望的なまでに冷たい視線を向ける、患者衣を着た美影の姿があった。
「ミ、ミカちゃん? 歩いて大丈夫なの~?」
「ママ、あなたには失望したよ」
「ミ、ミカちゃん! それ、ママに向ける言葉じゃないよぅ!」
「ママ、あなたを軽蔑する」
「ミカちゃんミカちゃん! 本気じゃないから! 冗談だから! パパ一筋だから!
だから、そんな目を向けないで~!」
実の母に向ける物とは思えない極寒の視線を放つ娘の腰に、瑠奈は涙目で抱き着く。
美影は、そんな母をじーっと無言で見つめる。
それはまるで、非難しているかのようである。
実際に、半ば以上本気で軽蔑しているのだが。
やがて小さく嘆息すると、視線を俊哉へと移す。
「やっ、トッシー君。無事に起きたみたいだね。重畳重畳」
「え、あっ、はい。おかげさまで? で、えーっと……」
彼は、美影とその腰に纏わりついている瑠奈を見比べ、誰と似ているのか、という先の疑問の答えを知る。
雷裂の姉妹と似ているのだ。
そして、何故、という答えも既に出ている。
「親子……?」
「不本意ながら」
「ミカちゃん! 嘘だから~!」
美影の貞操観念は、緩いようで非常に堅い。
想い人に対してならば、幾らでも淫らになって良いと思っている。
だが、それ以外の人物に対しては股を開くどころか色目を使う事すら有り得ないと思っている。
それが故に、冗談とは分かるものの、母の行動はまるで理解できる物ではないのだ。
彼女は煩わしそうに瑠奈を引き剥がしつつ、
「トッシー君、実はお兄から君に相談があるんだよね」
「うえ? センパイから?」
「そ。その左腕の事でね」
美影の指摘に誘われ、視線を自身の腕へと向ける。
そこには、肘から先が失われた物足りない左腕が見える。
「治す? 治したいなら、トカゲの如く生やす事も出来るけど」
「あの、俺がこれを名誉の負傷とか思うとでも?」
ゴミを焼却処分する為の必要経費だっただけで、別に名誉とも勲章とも思わない。
だから、取り戻せるなら取り戻したい所だ。
「うん、だと思った。だけど、ちょっとだけ相談なんだけどね。
ねぇ、機械義肢にしてみない?」
「機械義肢に?」
サイボーグ技術の一種で、第三次大戦の時代に実用化された物だ。
神経と接続する形である為、生身の四肢と同じように精密に動かせる高度な義肢である。
ただ、どうしてもオーダーメイドにしかならない為に非常に高価な事と、コマメなメンテナンスが欠かせない事から、あまり普及していない技術でもある。
「実は、ちょっと珍しい金属が手に入ったんだけどね。色々と実験したいなー、って事でね。
あっ、実験だから資金とかメンテナンスはこっち持ちだし、ちゃんとレポート作ってくれれば逆に報酬も払うよ?」
「き、危険とか、ないっすか?」
「さぁ? 多分、ないんじゃない?
その辺りを調べたいって話。
少なくとも、放射線は確認されなかったし、分かり易く毒素があるなんて事もないみたいだけどね」
ちなみに、と、小さな紙を差し出す。
「報酬のお値段、これくらいになります」
小切手に記された数字は、庶民な俊哉の常識からは想像もできない程の物だった。
思わず目が眩むくらいには。
「……えと、これ、マジ?」
「マジマジ」
「ちゃんと動くんすよね?」
「《サンダーフェロウ》の技術の粋を尽くした一品を用意するよ。保証もばっちり」
「じゃ、是非お願いします」
「んふ、思い切りが良いね」
がしっと握手をする二人。
話が付いたところで、俊哉は気になっていた事を訊ねる。
「そういや、美影さんは何でまた病院に? 怪我されたんすか?」
俊哉が見た限り、異形の迎撃をしていた美影は圧倒的に見えた。
しかし、多勢に無勢という言葉もある。
魔王クラスと言えども、上限がある以上、魔力切れも有り得る。
あるいは、力尽きた所を袋叩きにされたのでは、と思っていると、彼女は不敵に笑って否定する。
「ふっふーん。僕がそんなヘマをする訳ないじゃない。
ちょっと魔力と超能力を使い過ぎて倒れただけだよ。
過労だね!」
「あっ、そうっすか。
まぁ、美影さんがやられるとなると、世界の危機っすからね。
安心っす」
「まっ、僕の心配より自分の心配をしときなね。
ちゃんと治したと思うけど、後遺症が残らないとも限らないから」
「おい、そんな不穏な事言わんでくれないっすか?
フラグって知ってますかよ?」
「クククッ……」
不穏に笑って、美影は瑠奈を引きずりながら退出した。
~~~~~~~~~~
「ふっ……はぁ……」
俊哉の病室から出た所で、美影は壁に手を突いて息を荒くする。
倒れそうになる所を、瑠奈がすかさず支える。
「やっぱり無理してましたね~。
駄目ですよ~。ちゃんと寝ていないと~」
「……ただ寝てるのは性に合わないの」
「だとは知っていますけど~。母としては心配なのです~」
「……浮気性に心配されるなんて」
「だから、あれは冗談だから~!」
言いながら、治癒の光を浴びせる。
効果は薄いが、痛み止めくらいにはなる。
実は、美影は俊哉以上の重症だ。
原因は単なる自爆だが。
その原因とは、黒雷の使い過ぎである。
黒雷を酷使してしまった影響で、全身の細胞の結合が千々に引き裂かれており、現在、彼女は億千万の刃で身体を粉々に刻まれる様な痛みに襲われているのだ。
これまで、あれほどの長時間にわたり、そして精根尽き果てるほどに酷使した事はなかった。
故に、この様な副作用があるとは知らなかった。
魔力式だろうと超能力式だろうと、治癒術の効果が薄く、痛み止め程度の気休めにしかならない。
どうやら自然治癒は進んでいるらしいので、時間が経てば完治はするだろうが、それまでは絶対安静である。
本人は気にせずに動き回っているが。
美影は、少しばかり落ち着いた所で、何事もなかったように身を起こす。
「大丈夫だよ。僕はこんな事で駄目になんかならない」
単なる意地であり、何の根拠もない事である。
だが、その意地と根性だけで生き残った怪物の妹をやっているのだ。
自分にもできない筈がない、と言い聞かせて自らの足でしっかりと歩き出す。
「……もう」
心配ではあるが、信頼もしている。
美影だけではなく、美雲も、そして血は繋がっていなくとも本当の息子だと思っている刹那の事も。
だから、瑠奈は五月蠅く言わない。
彼らが満足するようにすれば良い、と思う。
自分はただ、傷付いて立ち止まりたくなった時の帰る場所であるだけで良いのだ。
意地を張って無理をする美影をそっと支えながら、瑠奈はそう考えた。
~~~~~~~~~~
帝国本土、皇居内の天帝執務室。
そこで、天帝と刹那の二人が向かい合っていた。
「先日のお祭りのおかげで、国会側も魔力税導入に大きく傾きましたね」
「そうかね。王手」
「八魔の方々がなにかと妨害工作に出ていたようですが、命には代えられないと気付いたのでしょう」
「賢明な事だな。王手」
脅威が去ったのならば、これ以上の軍拡をする必要性はないだろう。
だが、残念な事に首魁たる始祖魔術師は取り逃がしてしまっている。
である以上、第二第三の異界門が開かれる可能性は十分にある。
そこにあると分かっている脅威に対して、何の備えもしない事は自殺に等しく、そういう意味で国会議員の面々は生物としてとても常識的だった。
「始祖の追跡は出来ておりますか?」
「それがな、情けない事に出来ていないのだ。王手」
サイコメトリーによる追跡は、異界の消滅によって途切れてしまった。
だから代わりに、嫌がらせを主目的とした気休めだが、全世界に指名手配をしてやろうと画策したのだが、
「最後の自爆、あれはダメージ目的ではなく、俺の脳に干渉する事を目的としていたようでな。
奴の姿をまるっきり思い出せんのだ。王手」
「……言われてみれば、私も直接見た筈なのですが、はっきりと思い出せませんね」
女性で、なんとなく白っぽかった、と、それくらいしか思い出せない。
「他の方々も同様ですか?」
「賢姉様も愚妹も覚えていないらしい。全く、実に面倒な事だ。王手」
「精神干渉となると、ナナシさんが専門ですが、彼女もレジスト出来なかったのでしょうか?」
「知らん。俺はあの女が好かんのだ。そちらで確認してくれ。王手」
率直な言葉に、天帝は苦笑する。
始祖の話はこれで終わりと、天帝は話を変える。
「ところで、君を高天原に送り込んだ仕事の方、忘れてはいませんよね?」
「忘れてはいないがね。
……正直な所を言わせて貰うが、人選ミスではないか?
俺に社交性を求めるとか、有り得ないだろう。王手」
「とはいえ、彼女の現状を改善できるのはあなたしかいないと思うのですよ」
刹那へと依頼した仕事。
それは、6番目の《六天魔軍》候補を使えるようにする事だ。
現在、日本帝国には七人の魔王クラスが存在しており、老齢によるボケが始まった為に引退した一人を除けば、丁度、六人の魔王クラスがいる事になる。
しかし、《六天魔軍》に任命されているのは五人だけであり、六人目は存在しない。
理由は単純で、魔術師として致命的な欠陥を抱えている為だ。
その欠陥を解決し、使える様にする事が天帝からの依頼なのだが、現状、その魔王クラスと接点を持つ事さえできていない。
当たり前だ。
刹那は社交的とは言い難い。
人間関係など、雷裂の家族と《サンダーフェロウ》の関係者に少しばかり、という程度の物しか持たない彼では、学年も違う誰かと積極的に接触できる機会など作れる訳がないのだ。
「まぁ、仕事は仕事だ。何とかしようとは思うがね。
次善の策は用意した方が良かろう。王手」
「仕方ありませんね。
そういえば、あの前座の少年はどうですか?
魔王クラスではありませんが、鍛えれば《六天魔軍》足り得ると思えるのですが」
天帝も超能力者だ。
だから、俊哉が超能力を得ている事が分かる。
故に、六番目の《六天魔軍》の代替になり得るのでは、と考えたのだ。
「まっ、鍛えればな。現状では話にならん。王手」
美影に匹敵するほど、とは言わないが、枷のない美影とある程度戦えるレベルでないと荷が重いだろう。
天帝は嘆息する。
「現状以上の切り札は、中々難しい、と。頭が痛くなりますね」
「現状は底上げに専念しておきたまえ。
俺にも幾つか案がない事もない。王手」
「期待しますよ」
「というか、そろそろ投了したらどうかね?」
将棋盤上。
天帝側には、包囲される王将一枚だけしか残っていなかった。
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「くっ、ふふっ、ふははっ、はははははははっ!
あの野郎め! 我を殺してくれよったわ!」
世界の何処かで始祖と呼ばれる魔術師は笑う。
「しかも、ゲートもあっさりと閉じられてしもうたようじゃし、今回は散々じゃな!」
刹那の相手をしていたのは、分体だった。
故に自爆させたとしても致命には至らない。
しかし、痛手がない訳ではない。
この世界において、自力での魔力回復手段に乏しい始祖は、あまり魔力の無駄遣いはしたくないというのが本音である。
だというのに、今回の競り合いで約三割の魔力を消費させられた。
しかも、最悪の事態に備えて造っていた人造異界地球を消滅させられた。
一つの手札を無駄に浪費してしまったのだ。
頭を抱えたい事態である。
刹那の存在は嬉しい誤算である。
とんでもない切り札が増えたと言える。
だが、思惑を狂わされた礼はしてやらねばならない。
彼女は、軽く調査した素性を思い浮かべる。
「旧名、炎城 刹那。現在は、雷裂 刹那、か。
中々波乱の多い人生を送っておるようじゃの。
故にこそ、突くべき場所もある」
手を振る。
彼女の正面に、とある風景が浮かび上がる。
日本帝国の一角、炎城家の屋敷の一部屋だ。
窓には鉄格子がはめられ、扉も外からしか開けられず、そして内部は魔力絶縁牢と同様の構造となっている部屋だ。
そこに、一人の赤毛の少女がいる。
神妙にしつつも、やや不貞腐れた様子も見受けられる。
「血の繋がった兄妹と命を懸けて争う、というのも、一つの絵となるであろ。のぅ?」
~~~~~~~~~~
その日、世界は知った。
地球に迫る脅威がある事を。
魔術師の頂点たちの活躍により、その脅威は押し返された、と人々は言う。
だが、同時に人々は思う。
本当にこれで終わりなのか? と。
何の根拠もない、単なる憶測である。
しかし、それを否定する根拠もまた存在しない。
漠然とした不安はうねりとなり、世界がこのままである事を許さない。
世界が激動の変革を迎えようとするのだった。
これで一章は終わりです。
少し閑話を挟んで二章のつもりですが……何の閑話を書こうか。




