獣と鬼と、そして人と
思いの外長くなる……。
この半分くらいを想定していたのに。
アハト大渓谷。
大地に刻まれた巨大な傷痕を挟んだ二つの勢力、獣魔国と霊鬼国は、突如として発生した大災害に、混迷を極めていた。
「間違いありませんっ!
アハトフリーレン様の魔力反応です!
……なにこれ、信じられない。
こんな、こんな反応……大き過ぎる!」
「バカ野郎! それが〝天竜〟ってもんだ!
生き物にどうこう出来ないから、災害って呼ばれんだよ!」
天竜の戦いを経験した事がなく、それ故にあらゆる観測機が振り切れている事態に戸惑う若い観測手に、ベテランの先達が一喝を入れる。
「そんな事よりも!
相手は!? アハト様は、何と戦ってる!?」
そちらの方がよっぽど重要だ。
天竜はどうしようもない災害だが、同時に理性のある災害でもある。
その行動には常に理由があり、何の意味もなく攻撃を仕掛ける事はない。
触らぬ神に祟りなし。
まさしく、この言葉通りの存在なのだ。
だからこそ、獣魔も霊鬼も彼の者を刺激しない為に戦の手を止めていたのだから。
故に、天竜が暴れているというのならば、それ相応の存在がいる筈なのである。
あるいは、そちらならば自分たちでどうにか出来るかもしれない。
そうであれば、アハトには穏便に再び眠って貰う事も可能かもしれない。
そうと考えての問いに、別の観測手が悲鳴のように叫ぶ。
「お、おそらく単体ではありません! 幾つもの魔力反応が混ざっていて……! ただ……」
「何だッ!?」
「その、総計すると、魔力投射量がアハトフリーレン様に届きかねない程、でして……。
い、いえ! 何かの間違いだとは思うのですがっ!」
「テメェの常識で決め付けんじゃねぇバカ野郎が!
クソ、クソが! ふざけやがって!
天竜級だと? ンなもん、大災害じゃねぇか!」
悪態を吐き出す。
それ以外の感想しか出てこない。
天竜同士の戦争など、まさに天災である。
頭を抱えて通り過ぎる事を祈るか、何もかもを捨てて逃げ出すか、それ以外に生物に出来る事などありはしないのだ。
「まずい、まずいぞ。
何処の誰か知らねぇが、天竜が最強種たる所以を知らん筈もねぇだろ……。
対抗しちゃいけねぇのに」
天竜を本気にさせてはいけない。
それが生きとし生ける者たちの常識である。
そうでなければ、世界が壊れてしまうから。
まともな世界で生きていたいのならば、拮抗しては、あるいは有り得ない事だが上回ってしまってはいけない。
「兎に角だ!
全都市民に即時避難警報を出せ! 都市外にだぞ!
アハト様が本気になる可能性がある!
そうなれば、シェルターなんぞ役に立たん!
何処まで被害が拡大するかも分からん!
兎に角、全力で逃げろッ!!」
「りょ、了解しました!」
最大級の、都市放棄警報を発令する。
何事も命あっての物種だ。
単なる余波だけで、ちっぽけな要塞都市如きなど崩壊してしまう。
せめて、都市民だけでも逃がさなくてはならない。
次いで、気休めくらいにはなる事を問い質す。
「ガルドルフの奴は何処にいる!?
あいつがこの都市では一番の戦力だ!
アハト様の前では意味がないが……避難する都市民の安心くらいにはなるだろ!」
狼氏族一の戦士である彼がいようと、押し寄せる災害の前には何の役にも立たないが、少なくとも避難民は戦士に守られているのだという安心感を得て、パニックを幾らか抑制させられる。
上官からの問いに、観測手は、戸惑いながら報告した。
「そ、その……」
「何だッ!? はっきり言え!」
「ガルドルフ殿の所在地なのですが……ど真ん中です……」
「あぁ!?」
尻すぼみに小さくなる言葉に凄めば、自棄糞じみた叫びで返される。
「ガルドルフ殿は、戦場におります!
魔力嵐が強過ぎてハッキリとは分かりませんが!
どうやら、アハトフリーレン様と交戦している〝何か〟の中心部にいるようですッ!!」
「何でだッ!!」
知るかボケ、と返したい気持ちを、観測手はグッと飲み込んだ。
緊急事態とはいえ、上官に対して言って良い言葉遣いというものはあるのだ。
「通信は! 繋がるのか!」
「な、なんとかっ……! ノイズは大きくなりますが!」
「この際構わん! とっとと呼び出せッ!」
「了解しました!」
~~~~~~~~~~
ガルドルフ、及びツムギは、四式の艦橋の中にいた。
「チィッ、魔力が片っ端から凍らされて届かないわね!」
「あれ、デフォルト能力みたいだねー。
意図してやってる訳じゃないから、自分の消費は無い訳か……」
「ふっふっふっ、しかし超力に対しての備えとしては不完全の様だね。
賢姉様、超力封入弾を主体にする戦法を具申いたします」
「超能力者は数がいないのが弱点よね。
そっちの弾、在庫が少ないのよ」
「それは困ったね」
天災にも等しき天竜と戦っているというのに、何処か余裕があると言うべきか、楽しげで気楽な様子の三人の人間――一人は造形からして人間種が怪しいが――が言葉を交わしている。
正直に、現実が嘘を吐いている様にしか見えない。
刹那と美影も、大概だった。
いまだに底が見えないと思う。
だが、こうして更なる幻が如き光景を見せられれば、ノエリアの民としては、美雲と名乗った人間が最も信じられない存在だと断じるだろう。
なにせ、武装一つ――そんな規模ではないが――で、神とも称される天竜と渡り合っているのだから。
艦橋の中央で、美雲は舞い踊る。
正確にはこの空中要塞を操作しているだけなのだが、上下左右前後の全周囲に表示される膨大な情報を処理する為に、手指を、足先を、視線を、声を、絶え間なく動かし発しているのだ。
それが、一つの舞の様であり、神へと捧げる巫女の所作の様でもあった。
ガルドルフは、感嘆や呆れ、そして畏怖の混じった吐息を漏らす。
(……いけるかぁ? このままよぅ。
対処、できんのかぁ? 天竜の〝天地之理〟によぅ)
天竜が、精霊が、どうしようもないと言われる由縁。
それが出来るからこそ、神と呼ばれ、敬われ、そして恐れられてきた。
彼らとて、知らぬ訳も無いだろう。
ならば、対処する方策を用意している筈だ。
それが有効か否か、見せて貰おうと思う。
彼は、チラリと隣を見る。
ボロボロな様子の、見覚えのある少女……霊鬼種のツムギがいた。
着ている衣服はあちこちが損傷しており襤褸着れの様である。
汚れや流血の跡はあるが、傷は残っていないようだ。
とはいえ、疲労した様子があり、万全の体調とは言い難いだろう。
そんな状態の彼女だが、その視線だけはギラギラとしており、今にも三人組へと襲い掛かりそうな気迫を見せている。
「……おぅい、角猿よぅ」
確執がある。
ツムギは、正式な調査員ではないが、有り余る能力故に、魔物領域をアスレチックか何かだと思っているらしく、度々自由に侵入している。
そして、この辺りが霊鬼と獣魔の国境である関係で、資源にもなる魔物領域の所有権がどちらの物なのか、非常に曖昧となっている。
おかげで、ガルドルフとツムギは妙な顔見知りとなってしまった。
決して友好的な関係ではない。
顔を合わせれば、殺し合いとまでは言わないが、殴り合いくらいには発展する。
尤も、獣魔がチームで挑むのに対して、ツムギは単独なのだが。
ともあれ、そこらの知人よりは人柄を知悉している相手であった。
「なんだー? まけいぬー」
「殴るぞぉ、テメェよぅ」
「やってみろー。なぐりかえしてやるからー」
お互いに青筋付きで拳を握る。
暫し睨み合っていたが、ガルドルフの方が先に拳を降ろす。
単独ではツムギに勝てないから、とかではない、決して。
大人の対応を見せただけだ。
「へたれー」
だから、我慢である。
所詮は小娘の戯れ言だ。
「……、ふぅ。オメェよぅ、あいつら、どう見るよぅ」
「…………」
ツムギは即答せず、三人組へと視線を向ける。
「おぉっと、天竜選手、ここで再びチェーンソーアタックの構えを見せた!」
「ふふふっ、良いわ。今度はしっかり打ち返してあげる!」
「対する賢姉様選手! 八連ソードバットを構えた! 正面から迎撃する模様だ!」
「これは一本足打法ですね~。如何ですか、解説のお兄」
「まぁ、そもそも構造として二本足ではないからね」
「成る程~。さぁ、ピッチャー、気合いの一球! 投げたぁー!」
「バッター賢姉様! 軌道を見定めて……」
「「グァラゴラキィン!!」」
「打ったー!」
「いやー、しかしこれはファールボールだね」
「観客の皆さんは命を大切に注意して欲しいね」
「うーん、意外と難しいわね。でも、データは取れたし、次はホームラン決めてやるわ」
「お姉選手! 堂々たるホームラン宣言です!」
「これは期待できますねぇ。是非とも一号ホームランを見せていただきたいところです」
もしや真面目にやる気が無いのでは、と確信を抱かせる有り様だが、一応、表示されている外の映像は、地獄もかくやという惨劇の戦場となっている。
安定器のある艦橋ではそれがいまいち感じられないが。
ツムギの視線は、彼らに、特に最も幼い黒髪の少女へと注がれていた。
「……わかんないよー、そんなのー」
「まっ、だろうな」
ハゲ猿の筈だ。
無力で卑屈で、何の取り柄もない、ただ最低限の知性のみを有しているだけの。
だが、美影は霊鬼の才媛であるツムギと互角以上に戦って見せ、美雲は天竜と殴り合いを演じている。
刹那はよく分からないが、たまに垣間見せる能力として、決して劣るものではないだろう。
「でも……」
ツムギは、言葉を続ける。
「あいつー、まだまだほんきじゃなかったー」
真面目には戦っていた。
最後の方は殺す気でも来ていた。
しかし、全力だったかと言えば、おそらく違う。
「…………むかつくぅ」
全力を出すまでもないと、舐められた。
腹立たしい。
次は絶対にぶちのめしてやる。
そういう意思を、彼女は滲ませる。
ガルドルフは、その気持ちをよく理解する。
彼とて、悔しくて苦い気持ちで心が一杯だ。
次こそはギャフンと言わせてやると、今から闘争心を滾らせていた。
「そうかよぅ。じゃあ、今は連中の底を見せて貰わにゃあならねぇなぁ」
「…………ふんっ」
同意の言葉はない。
だが、思っている事は同じだと、なんとなく信じられた。
「さぁ、やや膠着状態となりつつあるこの試合、今後どのような展開を迎えるのかー!」
「実に楽しみだね。出来れば、最終兵器の出番があると良いのだが……」
「あれ、撃つの大変なのよー? 出力全部持ってかれて動けなくなるから」
「「…………」」
なんとなく、彼らを真面目に見る気が失せている想いも重なっていると、勝手ながら思えた。
そんな時の事。
懐にしまっていた通信端末が、軽やかな呼び出し音を奏で始めるのだった。
前にも言いましたが、美影とツムギの生まれた時点でのポテンシャルはほぼ同等です。
一種族の理論上の最高値という意味で。
しかし、結果は、美影の割と余裕の圧勝。
その差は、周囲の者たちが理由となります。
ノエリアに装備を作って貰い、刹那に能力を貰い、そして様々な先達と切磋琢磨(命懸け)をしてきた為に、二人の間には差が出来ていたのです。
まぁ、一番の理由は『人類の救世主』の方なんですけどね。
特に、それによって骨格がやたら頑丈になって、皮膚のすぐ下にオートガード機能のある黒雷が流れていますから。
それらがなければ、油断ぶっこいて攻撃を食らった時に、もっとダメージが大きくなり、辛勝辺りに落ち着いていた事でしょう。
ぶっちゃけ、一章二章辺りの美影だとツムギには勝てなかったんじゃないですかね。