急転直下の轟雷
多分、何処にも書いていなかった気のするどうでもいい設定。
惑星ノエリアには、四つの衛星、月が存在します。
白の月、赤の月、青の月、そして黒の月です。
但し、見えるのは白と赤と青の三種だけで、黒の月は肉眼ではまず見えません。
だって、黒くて全く光を反射しないし。
夜も更けて、僅かな星明かりと三つの月明かりのみを光源とする世界にて、彼らはそこに立っていた。
仮称『アハト渓谷第49不明魔物領域』。
つい数時間前に発見されたばかりの、極めて新しい魔物領域、そのすぐ外縁である。
「うっわー、幻想的ー」
広がる光景に、美影は楽しげに声を弾ませる。
白と青と赤、三種類の月明かりに照らし出されたそこは、透明感のある氷に覆われた世界であった。
まるで水晶細工のようでもあるその世界が、色とりどりの光を反射し、地球上では見られない幻想的な光景を作り出していた。
「……まぁ、予想通りだわなぁ」
心踊らせる美影とは違い、ガルドルフはうんざりとした雰囲気で肩を落としている。
フリーレンアハトの魔力が元になった、という時点で予想していた事だが、完全に氷雪系列の魔物領域が形成されていた。
環境を丸ごと書き換える程の影響力があるという事は、それだけ内部の状況も過酷という事に他ならない。
仕事だからやるが、正直に言えば、仕事でなければ入りたくない場所と言える。
「ふふふっ、風が強いね。中心部に行くほど強烈になっているようだよ」
氷の領域は、まるで侵入者を拒むように、内側から外側に向けて強風が吹いていた。
ギリギリではあるが、まだ足を踏み入れていない外にいるにもかかわらず、その風速は台風並みの強風となっている。
念力五感を伸ばして、コッソリと単独で内部を探っていた刹那は、それが中心部に行くに連れてどんどんと強くなっている事を知る。
ついでに言えば、温度も比例するように下がっており、中心部付近はマイナス200度を下回るという極寒の世界となっていた。
成る程。
確かに過酷な世界である。
廃棄領域とは別方向に生命を拒絶する環境となっていた。
それでも、そんな世界の中を闊歩する影があるのだから、命というのはしぶといものだと感心せずにはいられない。
「んじゃ、入るぞぉ。
一応、言っておくが、調査が目的だからなぁ?
場合によっちゃあ、数日がかりで潜り続ける事にならぁなぁ」
「ふっ、私たちの心配かね? 笑止。その必要はないよ」
「バッチグー。どんどん行こー。
僕たちほど、しぶとい生き物も中々いないんだから、こっちの事は気にしなくて良いよー」
「…………人間ってぇのはぁ、そんな頑丈な生き物じゃあねぇんだがなぁ」
少なくとも、ガルドルフの知る人間種は、これ程の魔物領域だと一時間と経たずに死ぬものである。
だと言うのに、ろくに準備もせずに余裕で突入しようとしている彼らは、絶対に人間種ではない、と今日何度目になるか分からない確信を抱くに足る連中である。
「さっ、レッツゴー!」
警戒もなく、美影は軽い足取りで先頭に立って踏み込んだ。
~~~~~~~~~~
「ふっ!」
鋭い呼気を吐き出しながら、美影が瞬発する。
右の正拳で正面から来た氷猿を打ち砕きながら、反対に引かれた左の肘撃ちでもって、背後からの氷犬の頭蓋を砕き割る。
そのまま反時計回りに身体を回し、足刀にて側面から風に乗って飛んできた氷柱の弾幕を撃墜した。
「にはははっ! 遊園地みたいだね!」
テンション高く、雷光を身に纏い、脅威を寄せ付けない。
蹂躙である。
襲い来る魔物たちも、決して弱くはない。
氷で覆われた身体は硬く頑丈で、氷の世界ではナチュラルな擬態性能が備わっている。
本能による身体強化も発動しており、一匹一匹が外の世界では生態系の頂点に立てるだろう。
だと言うのに、たった一人の小娘に凪ぎ払われていた。
それも、弱者である人間種の小娘に、である。
蔦に擬態していた氷蛇が蠢動して、美影の頭上から襲い掛かった。
完璧な不意討ち。
間違いなく、彼女の視界には映っていなかった筈だ。
だが、美影はそれを視認する事無く、背を向けたまま掴み取る。
「おっと、また見っけた」
言いながら、彼女はその氷蛇を後に続く刹那へと投げ渡した。
時折、美影はその様な行動を取っていた。
何の違いがあるのか、ほとんどの魔物は鎧袖一触に叩き潰しているのに、一部の魔物だけは殺さずに兄へと寄越しているのだ。
「ふーむ。こうも多いと色々と心配になるね」
氷蛇を受け取った刹那は、躊躇う事無くそれを噛み砕く。
(……喰ってるし)
ボリボリ、と硬質な音を立てて食べていく様に、ガルドルフは引いていた。
魔物食は、決して無い文化ではない。
獣魔国でも普通にある食事だ。
しかし、それは適切な処理をした場合の話だ。
通常の魔物は、変質した魔力を宿しており、端的に言えば通常の生体に対して毒性があるのである。
少量取り込むくらいならば問題ないが、量を取り込めばそれこそ摂取者の魔物化が起こる、大変に危険な行為であった。
ガルドルフが見る限り、この魔物たちは相当量の魔力を蓄えており、一発でアウトになる、筈である。
にもかかわらず、この刹那という自称人間種の蟲は、既に十匹以上の魔物を生で食べているのに、特に何の変化も起こしていなかった。
引いた目で見ていた彼だが、吐息一つで目を逸らす。
もう気にするのは止めよう、という諦めである。
こんな訳の分からない超常生物よりも、比較的には常識的な美影を見ていた方が、何かと建設的だ。
心の平穏の為にも。
「だーいぶ風が強くなってきたねー。
秒速100メートルは越えたかな?
気温はマイナス60から70って所かな」
彼らが魔物領域に突入してから、まだ一時間と経過していない。
だと言うのに、既に中心部までの道のりの半分は過ぎていた。
(……早ぇなぁ)
早ければ良い、という物でもない。
あくまでも調査が目的なのだから、内部状況を詳細に記録しなければならないのだ。
だから、兎に角先を目指す、という今のやり方は基本的には調査員としては赤点ものであった。
とはいえ、随行者二人は正式な調査員ではないので、それを言っては贅沢だろう。
むしろ、ガルドルフが介護する必要もなく、自前で何とか出来ている、というだけで上等である。
どんどんと先へ先へと突き進んでいく美影に、ガルドルフは真っ当な調査は早々に諦めている。
代わりに、彼らの調査の方を優先的に見詰めていた。
そして、思う。
(……綺麗だぁなぁ)
美影が、である。
勿論、容姿の話ではない。
正直な所、そっち方面では貧相過ぎるというのがガルドルフの評価であった。
彼が綺麗だと思うのは、彼女の動きの話である。
一つ一つの動きが繋がり、まるで流れる川のように無駄なく次の動きへと移っている。
ガルドルフを含めて、獣魔種は近接戦闘者だ。
魔力を投げるという事が種族的に不得手としている為、どうしてもそうなってしまうのだが、そんな彼らの理想形が目の前にあった。
果て無き研鑽の末を見せ付けられている。
それは、ゾクリと背筋を震わせられる程に、ガルドルフの心を揺らしていた。
何が違うのか、と思考する。
確かに、美影の身体能力は高い。
人間種とはとても思えない水準だ。
だが、獣魔の基準で見れば、決して手が届かない領域ではない。
いや、充分に最高水準にあるのだが、それを言ったらガルドルフとて最高クラスにいるのだ。
だから、自分とてあれと同じ事が出来る、出来なければおかしい筈なのだ。
だが、現実は全く届かない。
見れば見るほどに、自分との差を見せ付けられる。
何が違う、何処が違う。
どうすれば、そこに辿り着ける。
彼の思考は、そちらへと傾いていき、美影を見る目に熱が籠る。
嫉妬と憧憬、そして挑戦の意思を込めた熱量が。
~~~~~~~~~~
「いやーはっはっはっ、もう人の住める場所じゃないねー、これ!」
「…………そう言うんだったらぁ、ちったぁ堪える様子を見せねぇかぁ!」
「ふふっ、人間には環境適応力というものがあるのだよ! 覚えておきたまえ、灰狼君!」
「…………テメェの方はちったぁ生物である事を思い出せやぁ!」
突入から約三時間。
より過酷になる環境によりやや進行速度は落ちたものの、一行は遂に中心部にまで到達していた。
内部の脅威度から考えると、異常なまでの速度である。
なお、調査記録としてはお粗末極まりないものだが。
中心部の風速は、もはや風のレベルを越えており、マッハで数えなければならない領域となっている。
気温はマイナス200度を下回り、生命生存圏を持つ惑星の地上に存在するとは思えない極限環境だ。
強風を越えた颶風の前には、大声で叫ばなければ、隣にいてさえお互いの声が聞こえない有り様である。
それでも掠れているが。
まぁ、それは良い。
魔物領域ならばたまにある事だ。
問題は、そんな環境下に適応する為に、訳の分からない行動をしている蟲野郎だろう。
尋常ならざる極低温に、美影は電熱で、ガルドルフは自前の毛皮と火属性魔力によって暖を取り、それぞれに凍死を防いでいるのだが、唯一、刹那だけは超常のエネルギーに頼らずに生身を晒し、驚くべき事に耐えているのだ。
氷の身体になる事で。
黒光りする甲殻はいつの間にか消え失せており、全身が透き通るような透明な氷へと変化しているのである。
もう人間かどうかという以前に、生物のやる事ではないだろうと、ガルドルフは声を大にして言いたい。
「氷の世界に順応するのだよ!
自らを氷に変ずる事こそが進化というものだ!」
「さっすが、お兄! 合理的だね!」
「……ンな話じゃねぇだろぉがよぉ!」
美影はツッコミを入れてくれない。
完全に規格外生命体の味方である。
ガルドルフは、非常識に孤軍にて立ち向かう事を余儀なくされていた。
正直、もう何もかも投げ出したい所存である。
(……ああ、もういいかぁ)
疲れてきたので、本当に気にしないでおく。
そういう事もある。
魔物だって訳分からない変化をするのだ。
似たようなものだろう。
という訳で、彼は目の前のそれへと興味の矛先を変える。
「で、だぁ! こいつをどうすっかなぁ!」
氷山である。
中心部には巨大な氷が山となって起立していた。
高さは500メートルにやや届かない程度だろう。
但し、その形が異様であり、大地から渦を巻くように、ネジの如き括れを刻みながら綺麗な円錐となっているのだ。
表面は滑らかそのもので、とても自然物には見えない。
おそらくは、領域の主に当たる魔物の棲家だと思われるが、外出中なのかその影は見当たらなかった。
尤も、いた所で殺してしまう訳にはいかないので、イレギュラー的に突入している今では、いない方が有難いのだが。
眺めていても仕方ないので、諦めて引き返そうかと提案しようと思っていたが、しかしその前に運悪く住人が帰ってきたらしい。
『『『Cuuuurrrrrrrrrrr!!』』』
三重に連なる泣き声が頭上より降って来た。
見上げれば、三色の月明かりを背に、大きな影が降りてきている様が見られる。
全長は20メートル弱。
白を基調とした翼獣である。
これまでの魔物たちと同じく、全身が氷で形成されているようだが、柔軟性を得る為に関節を主として各部が流水となっていた。
だが、何よりの特徴として、その首の数だろう。
鳥を模した首が三つも並んでいる。
猛禽の様に凶悪な面構えをした三つの首が、それぞれに動いて嘶いていた。
背負う翼は、六枚にもなり、強力な羽ばたきは颶風をかき回して竜巻を引き起こしている。
「なんと、キングギドラが主とは……」
「いやー、キングギドラってより阿修羅な感じもするけど」
「悠長にしてる場合かぁ……!」
『『『Cuuuurrrrrrrrrr!!』』』
己の縄張りの中へ、不躾に入り込んできたネズミを見定めた三面鳥が吠える。
それを合図として地響きが巻き起こった。
変化は、氷山より。
芸術的に整っていたそれが、中腹を境に罅が入り、加速度的に崩壊が進む。
雪崩。
と言うには、些か以上に大きな氷の塊が波のように落ちてきた。
ガルドルフは即座に退避しようとするが、それよりも早く刹那が動く。
「秘技、地盤返し!」
足先を地面に突き立てて、前蹴りの要領でかち上げる。
それに引きずられて、大地がめくり上がった。
足先から伸ばした念力によって、スプーンで掬うように一塊となって目の前の壁となる。
雪崩が激音と共に衝突する。
大質量の衝突に、壁が一瞬だけ歪み、すぐに崩壊した。
だが、ほんの一瞬の間隙だけで、この場の者たちには充分過ぎる余裕となる。
「ほんじゃ! 小手調べ!」
崩壊する壁と雪崩の隙間を縫って前に出た美影が、三面鳥の前へと躍り出る。
その手には雷光が握られていた。
投擲する。
『Currrr!』
放たれた雷撃に、首の一つが反応して一声嘶いた。
途端、雷が凍り付いてしまう。
「わおっ! 魔力を凍らせるのか!」
強烈な氷属性の魔力によって、美影の投げた雷属性の魔力が上書きされてしまったのだ。
手元から雷を切り離してラインを断つ。
しかし、だからと言って、美影は臆する事は無い。
凍り付いていく雷の線を横目に真っ直ぐに突撃していく。
その口元には、得意気な笑みが浮かんでおり、充分な勝算があると示していた。
当然だ。
その程度の事は、慣れている。
美影が三面鳥の影響範囲内に入り込む。
三面鳥は勝利を確信する。
しかし、現実は予想を裏切る。
彼女の矮躯に僅かに霜が降りるが、それ以上の凍結が発生しなかったのだ。
「リネットちゃんで慣れてるからねー!」
勢いそのままに首元を殴り飛ばしながら、理由を叫ぶ。
なにかと美影をライバル視してくる魔王、リネット・アーカート。
彼女は、分類としては水属性の魔王であるが、本質としては氷属性と言って良い。
彼女の魔力は何かをするまでもなく氷冷へと変化するという、特異な性質をしている。
そんな氷雪の女王と日常的にやり合っている美影には、氷の魔術師への対処法のノウハウが蓄積されているのである。
当然、魔力を凍らせるなどという初歩的な芸当くらい、見飽きる程に見慣れている。
「はっはー、お前の出来る事なんてまるっとお見通しだぁー!」
少なくとも氷の魔力を用いる限りは、大体何をしてくるか完璧に分かるだろう。
~~~~~~~~~~
「……まだ本気じゃねぇなぁ」
ガルドルフは、雷と氷の激突をやや離れた位置から観察する。
この魔物領域は相当に強力だ。
トップクラスの武力を有する彼に回される案件だけの事はある。
だからこそ、少しは彼らの底が見られるかも、と期待していたのだが、結果は残念な物だった。
道中の魔物たちは勿論のこと、目の前の主に対してさえも、本気をまるで見せていない。
なにせ、自分に対して見せた黒雷と、その後の尋常ならざる超速度を、美影は全く見せていないのだ。
明らかに手を抜いている。
そして、その状態でも主を着々と追い詰めているのだから、ガルドルフとしては呆れるばかりである。
「取り敢えず、殺されちまう訳にはいかねぇからよぅ」
魔物領域は、全体を縄張りとする主を殺害してしまうと、途端にこびりついていた魔力が霧散してしまう特性がある。
この領域を存続させるか消滅させるか、それを判断するのは行政の役割であり、自分たち調査員の仕事ではない。
なので、勢い余って主を殺してしまう事はマイナス評価となってしまう。
可哀想になる位にフルボッコにされている様を見れば、放置していると本当に殺してしまいかねない。
なので、そろそろ止めようと彼は腰を上げた。
だが、事態は急変する。
閃光。
遠くの空に、暗い夜空を貫く雷光の柱が起立する。
遅れて、大気を震わせる轟雷の響きが届いた。
「ん、だぁ……!?」
突然の事に目を白黒させるガルドルフだったが、何が起こっているのかを把握しているのか、美影と刹那の行動に迷いはない。
「愚妹よ!」
「分かってる!」
黒雷が弾ける。
同時に瞬発した美影が、三面鳥を有無を言わさずに叩き落し、その反動で空へと高く舞い上がる。
「お姉に手を出すとは……よっぽど死にたいらしい!」
虚空を蹴り抜き。
雷となった彼女は、彼方へと消えていくのだった。
調査記録としては、最低評価。
ゲーム的に言えば、踏破率100%、アイテム収集率100%、モンスター情報100%を目指さないといけないのに。
こいつらRTAしてんだもん。
どの項目も%低過ぎで、まぁ使えないこと使えないこと。