デザインされた者たち
短め。
わ、忘れてた訳じゃないんよ?
うん、ホントに。
所変わって、大渓谷を挟んだ向こう側。
霊鬼種側の国境都市、『ヨロイトリデ』。
そこに、一人の霊鬼の青年が帰国していた。
美影と特に意味の無いレースを突発的に開催していた青年――ソゴウである。
本来は、輸送業者の運び人という職業である為、彼はシャルジャールにて積み荷を降ろした後に新たに別の荷を積み込んで帰ってくる事になっていた。なので、そうすぐに、トンボ返りするように帰国する予定ではなかった。
しかし、事情が変わる。
シャルジャールにて起きた突発的異変が原因だ。
霊鬼国が潜り込ませていたスパイたちも全く把握していなかった謎の大異変であり、現場の混乱などもあり原因の特定すらろくに出来ていなかった。
飛び交う噂の中には明らかな嘘も混じっており、事はハゲ猿が自爆テロを起こしたのが原因だとか、そんな一発で偽情報だと分かるものがある事が、現場の混乱具合を示していた。
なので、運良く現場のすぐ側に位置しており、一部始終を見ていたらしい彼が、急遽、情報部に捕まって帰国させられていたのだ。
そして、明かされる信じがたい事実。
まさか、本当にハゲ猿がやらかした結果だとは、夢にも思っていなかったのだ。
更に言えば、彼の審美眼によれば、そのハゲ猿の身体能力が霊鬼の基準で見ても非常に優れているというのだから、もはや何かの妄想である。
あまりにも信じがたい話に、もしかして情報封鎖の一貫でソゴウの記憶が操作されているのでは、という疑惑が持ち上がり精密検査までしていた。
その結果、記憶操作などもなく、一応は事実に基づいていると判断された。
尤も、それはそれで頭を抱えたくなる現実に繋がる訳だが。
「……あぁー、疲れた」
ようやく解放されたソゴウは、凝り固まった肩を回してぼやく。
本当に忙しい一日であった。
朝方、ヨロイトリデを出立した時はいつも通りだった筈なのに、道半ばで〝あの〟人間を見掛けた事で一気に急変してしまう。
意味の分からないスピードレースが開催され――これ自体はそれなりに楽しかったが――、そのラストでは自爆特攻をかまし、死んで然るべき現場の中で生き残ったどころか、襲い掛かる獣魔の連中を千切っては投げ千切っては投げてみせるという非現実を目撃する。
そして、衝撃映像を目撃した事で国家権力に捕まってしまうという、貴重な体験をしてしまう事となった。
実に奇特な一日だろう。
これを越える不思議な一日は、きっとこの先には訪れないと思える程だ。
「さってと、どうすっか……」
時刻はまだ夕刻。
普段であれば、まだまだ仕事中の時間帯である。
遊びに行くには若干遅い時間だし、かといって休んでしまうには少し勿体無く感じられる。
ぽっかりと空いてしまった微妙な隙間に、ソゴウは手持ち無沙汰になってしまっていた。
「おーにーさん♪」
そんな彼に、鈴を転がすような可愛らしい声が掛けられた。
振り向こうとするよりも早く、ソゴウの肩首へと衝撃と重さが不意打ち気味に載せられた。
「うおっ!?」
「ふっふっふー、おかえりー」
少女である。
跳び上がった彼女が、肩車して貰うように載っかったのだ。
かなりの勢いであり、人間であれば首が折れていただろうものだったが、肉体性能に優れている霊鬼であれば大した事ではない。
僅かにバランスを崩してしまったが、すぐに立ち直った彼は、肩上の少女に声をかける。
「ツムギ。危ねぇだろうが」
「んーふふふ、これくらい、おにーさんならだいじょうぶでしょー?」
十代半ば程の少女。
美しい黒髪を真っ直ぐに長く伸ばしており、肌は抜けるように白い。
女性的な凹凸が出始めている肢体を艶やかな紅い着物に包んでおり、一方で華やかな見た目とは裏腹に強力な魔力が編み込まれている事が見て取れる。
左右の額からは長さの違う角が生えている。左の額からは深紅の長い角が、右の額からは純白の小さな角が、それぞれに顔を見せている。
少女の名は、ツムギ・カンナギ。
ソゴウの種違いの妹に当たる娘である。
「それよりもさー、なんかおもしろいことにまきこまれたらしいじゃん? じゃんじゃん?」
「……耳が早いな」
「そりゃー、あたしだもんねー。ねねっ、なにがあったのー? おしえてよー」
ツムギは、ある種の実験体である。
霊鬼種は、肉体能力に重きを置く懐古派と、魔力に重きを置く改革派に、古くから派閥が分かれているのだが、最近は両者が手を取り合い良い所取りをしようという動きがあった。
彼女は、そんな交配プロジェクトの被験体であり、数少ない成功例となっている。
まぁ、成功例とは言っても、どちらかに比重が傾く訳ではなく、肉体的にも魔力的にも、両方を高水準で修めているというだけの事だが。
そのおかげで、まだ若い現在でもかなりの期待を受けており、様々な優遇をされている。
まだまだ未確認の情報をいち早く仕入れているのも、その優遇の中から拾い上げたのだろう。
「……あー、仕事先でな。変な人間に会ったんだよ」
「にんげんー? ハゲサルのー?」
「まぁ、そうだな。ハゲ猿だ。あれを同じにするのもどうかと思うが」
本当に現実なのか疑わしい光景だったのだ。
一目で、ハゲ猿と蔑む気が失せてしまうような、そんなものだった。
ツムギが、前屈みとなって上下逆さまにソゴウの顔を覗き込む。
じっと紅玉の瞳が兄を見詰めていた。
「……そんなにー?」
「ああ、そんなに。ぶっちゃけ、お前よりも凄ぇんじゃねぇかな」
「…………へぇー?」
ツムギは、紛う事なき霊鬼の切り札だ。
一対一で彼女に勝てる者など、霊鬼にはいないだろう。
だと言うのに、それ以上だという。
そうあれと願われて生まれ、期待に沿うだけの力を示してきたツムギにとっては、自らの能力を越える者の登場は不快感を伴う物であった。
それが、まさか劣等種である人間だと言うのだから、尚更に剣呑な雰囲気を滲ませる。
「それは……おもしろくないねー。みてきていーい?」
「好きにしろよ。まだ獣魔の方にいるんじゃねぇかな」
彼女がその気になったのならば、止められるものではない。
なので、兄は思いっきり手綱を手放してしまう。
彼のゴーサインに、ツムギは肩車の状態から跳躍する。
「じゃー、いってくるねー?」
「気ぃ付けて行けよー」
軽い調子で宣言すると、彼女は指先から魔力を細く編んだ糸を射出する。
それが遠くのオブジェクトに引っ掛けられ、ツムギの矮躯を勢い良く引っ張った。
放たれた矢のように、ツムギは高速で彼方へと消えていく。
超人同士の邂逅は、すぐそこであった。