マッチポンプの奇跡
戦闘員、ではない。
かつては鍛えられていた形跡はあるものの、今では老いて痩せて衰えている。
殺意も、周囲の血気盛んな若者たちに比べれば薄く、戦いに来たという風情ではない。
だから、美影は気軽に声をかけた。
「危ないよ、お爺ちゃん。
さっきから殺しに来てる連中がたくさんいるから」
彼女の言葉に、老人はピクリと眉を動かす。
不快と怒気、そして意外の入り交じった感情が、圧し殺した表情の中に透けて見える。
「ほっほっ、厄災を運んできた娘が、ワシの心配をするか」
多分に皮肉の混じった言葉だが、美影は図太いので意に介しない。
「敬老精神だよ、敬老精神。
まぁ、相手と場合によりけりだけど。
それに、これ、事故だし?」
全く悪びれる様子もなく嘯く。
なんだか周囲からの殺意が一段階上昇した気がした。
老人の額にも青筋が浮かんでいる。
どうやら神経を逆撫でしてしまったらしい。
とはいえ、流石は年の功と言うべきか。
爆発しそうになる感情を押さえ付けて、老人は更なる言葉を重ねた。
「娘よ。そなたは、事故と申したな?」
「そうだね」
「我らに……獣魔に戦争を仕掛けたつもりはないと?」
「まさにその通り」
「成る程、成る程」
豊かな顎髭をしごきながら、老人は頷く。
「事故、かね。では、仕方ないな。そういう事もある」
「だよねー。不幸な事もあるもんさ」
「では、補償をしてくれるかな? 事故の責任は、取らねばなるまい」
「んー、それも吝かじゃないよ? お値段次第だね。僕の命とか言われても無理だし」
「そんな事は言いはせんよ」
カラカラと、軽く笑い飛ばして老人は告げる。
「戻してくれ。全てを」
「…………へぇ」
「町を、民を、平穏を、全て全て元通りの形にしてくれ。
それだけで良い。それだけが望みだ」
それだけ、と言うが、まず不可能な要求である。
時は遡らない。
それが常識であり、失われたもの……特に人命を取り戻す事は出来ない。
普通に考えるならば。
つまりは、許すつもりはないのだろう。
「ちなみに、出来ないって言ったら?」
「それも致し方なし」
老人は、好好爺然とした雰囲気のまま、迷うことなく言う。
「戦争しかあるまい。
我ら、狼氏族のみならず、獣魔の全てがおぬしの敵となる。
それだけの事だ」
「はっはっ、分かり易いね」
美影は、呵呵と笑う。
「して、返答は?」
「……んー、取り敢えず保護者を交えてお話しよっか?」
「あ?」
まさか、ここで別人に話が飛ぶとは思わなかった。
いや、その強さゆえに見逃していたが、美影の姿は幼い子供のそれである。
ならば、幼子の仕出かした事の責任は、その親に追求するのが筋ではあるのだ。
改めて考えれば至極全うな提案と言えた。
というか、その姿が本気で幻と思っている獣魔側としては、まさか本当に実年齢が幼いとは想像の埒外だったのだ。
尤も、それ自体も勘違いで、ただ単に見た目が幼いだけなのだが。
老人が同意するように一つ頷く。
すると、美影はあらぬ方向に顔を向けると、口元に両手でメガホンの形を作ると、大きく叫ぶ。
「おーにーいー! 出ーてーおーいーでー!!」
「呼んだかね、マイ・ラブリー・シスター!」
呼ばれて飛び出す、異形の怪物。
宙空を裂いて出現したのは、あらゆる蟲を適当に融合させた様な、生理的な醜悪さを感じさせる化け物であった。
目撃した獣魔の者たちは、例外なく毛を逆立て、警戒心を顕にする。
「むっ、何かね、この空気は。
私のような平和主義者を前にして失礼だとは思わないのだろうか」
「お兄って魔力ないじゃん? それじゃない? ここら辺では、魔物以下じゃん」
「なんと。偉大な存在を理解できないとは。可哀想に」
あらぬ方向に結論付けた兄妹は、友好をアピールしようとにこやかに話し掛ける。
融合蟲とでも言うべき姿の為に、友好的笑顔は完全に醜悪と不気味を混ぜて煮込んで押し固めた恐怖を与えるものであった。
刹那が一歩を踏み出せば、彼らは一歩を後退した。
彼は構わずに名乗る。
「私は刹那。カンザキ・セツナと言う。
諸君らに迷惑をかけてしまったこちらの娘の兄であり、見ての通りの人間種だとも」
「「「嘘吐けッ!!」」」
「……人の言葉を頭から否定するとは。
インテリジェンスが足りていないようだね」
「全くそうだね! 何処からどう見ても……」
美影は改めて刹那を見る。
キシキシ、と顎が動いて甲殻が軋みを上げている。
6本の手足は、実に凶悪な形状をしていた。
うむ、と一つ頷くと、
「まぁ、見た目はともかく、ベースは完全に人間だよ、うん」
「見た目も人間ではないのかね?」
「んー、甲殻のある人間は少ないんじゃないかなー?」
そこが問題ではない。
「う、うっ、がぁ!」
遂に耐えきれなくなった若者が暴発してしまう。
恐怖を振り払うように咆哮を上げて、刹那へと襲いかかる。
「ッ! 止めんか!」
老人が制止の声を放つが、止められない。
獣の剛脚を持って瞬発した若者は、瞬時に化け物へと肉薄し、
「フシュルルルルルル」
吐き出された粘着質な糸に絡め取られて繭のようにされて転がされた。
「さて、程よい歓迎で盛り上がってきたね?
お互いの溝も埋まってきた所で、お話をしようではないか」
「……溝が深まっている気がするのだが」
ともあれ、一応、動けないだけで生きてはいるらしいので、気にしない様にする。
この際、怪物の外見だとかも見て見ぬ振りしておこう。
重要なのは、会話が出来る事で、要求が聞き入れられるのかという事だ。
「まぁ、良い。……して、話は分かっておるのかね?」
「ああ、問題ないとも。全てを返してほしい。そうだったね?」
「うむ。そうだ。それだけで、我らも全てを許そうではないか」
出来るなどとは思っていない。
ここから更に交渉を続け、お互いの妥協点を探り合おうというつもりであった。
しかし、事態は思いもよらない方向へと突き抜ける。
「出来る? お兄」
「ふっ、容易い。宇宙の支配者への要求にしては、実に控えめだとも」
言うが早いか、怪蟲が腕を広げた。
4本の腕を広げ、背の羽も広げる。
それを合図に、超能力による異常力場が彼を中心として、都市全体を包み込んだ。
しかし、超能力を感じられないノエリアの民には、唐突な行動をし始めたシュールな光景にしか見えない。
「…………反応が薄い気もするのだが?」
「まぁ、超能力とか分かんないだろうし」
「ふむ。分かり易い視覚情報が必要という事か」
超能力を感知できる者であれば、馬鹿げた出力による人力奇跡が引き起こされようとしている様が見て取れるだろうが、そうではない者にはまるで分からない。
「よかろ。
小さき者に合わせてやる事も、偉大な者の余裕だ。
適度に演出を加えてしんぜよう」
刹那は、余剰出力を用いて、奇跡の片手間にちょっとした演出を行う。
空から、光の雪が振りだした。
柔らかく目に優しい光は、ゆっくりと風に揺られながらフワフワと舞い降りてくる。
それが被災地に降り積もる。
瞬間。
奇跡が起きた。
粉砕された建築物が光と共に再建される。
燃え盛る劫火が嘘のように消え去り、罅割れた大地が修復されていく。
物だけではない。
「う、ぐぁ……」
「お、おお……!」
「……傷が」
被災し、傷付いていた者たちが、光に包まれて回復していく。
軽傷者も、重傷者も関係なく、完全に致命傷だった物も同様だ。
それだけではない。
一番の奇跡が起きる。
消え行く瓦礫の下から、死体が姿を見せる。
瓦礫に押し潰された物、炎に焼かれた物、酸欠でもがき苦しんだ物。
どれもこれも、目を背けたくなるような無惨な死に様である。
その中には、未来ある筈だった子供の姿もあり、親族なのだろう者たちが死体に縋り付いて泣いていた。
しかし、奇跡は悲劇の上にこそ降ってくる物である。
惨たらしい死体に、光の粒が降り注いだ。
温かな光が包み込む。
途端、ピクリと死体が動いた。
ゆっくりと目が開かれる。
「な、あ、あ……」
「……お父さん? ……お母さん?」
「あ、ああ! う、うそ?」
光が差す。
天を覆っていた暗雲が切れ、陽光が地上を照らし出す。
切れ目から差し込む光の柱は、徐々にその範囲を広げていく。
やがて明るい昼の様相を取り戻した時には、シャルジャールには元通りとなっていた。
「…………っ! なんという」
獣魔たちは、もたらされる奇跡に絶句せずにはいられない。
彼らの優れた五感は、確かに理解していたのだ。
あの死体たちは、きちんと生き返っているのだと。
そんな非常識が顕現しているのだと。
感動と畏怖の混じりあった感情に震えている中で、厄災と奇跡の運び人兄妹は暢気な言葉を交わしていた。
「……頼んでおいてなんだけど、お兄、死者蘇生なんて出来たの?」
「出来る訳がないだろう。
私の辞書に不可能という文字はないが、無理という単語は載っているのだよ」
「じゃあ、あれは?」
生き返っている様に見える光景を指差しながら問い掛けると、刹那は何でもないように答える。
「ふむ、あれは生き返っているのではないよ」
「え? じゃあ、ネクロマンサー的な?」
「いや、単に傷が治っているだけなのだよ、あれは」
人心を惑わす邪神は語る。
「愚妹の事だ。
どうせやらかすと分かっていたのでね。
事前に周辺一帯の魂魄の流れを塞き止めておいたのだ」
「ええっと、つまり?」
「あれは生命維持が難しい程に損傷はしていても、厳密には死んでいない。
なので、肉体を修復してやれば、当たり前のように動けるようになる」
刹那の感覚では、死体にしか見えないあれらの分類は、あくまでも意識もなく身動きも出来ないくらいに壊れただけの、重傷者に過ぎない。
適当に治せば、当然、生きているのだから動き始めるに決まっている。
「…………マッチポンプって知ってる?」
半目を向ける美影。
彼女に、刹那は言う。
「ふっ、片棒を担いでいる身で言うものではないよ、愚妹よ」
どっちもどっちである。
フレーバー的などうでもいい設定公開。
【魔力と超能力の違い】
魔力の上限は、地球人だろうとノエリア人だろうと、基本的に魔王クラスが限界となります。
例外は、精霊と天竜、あとは彼らに直に創られた天翼と地竜です。一応、鏡写しである妖魔も同様ですが、ここは上下の幅が極端に大きいので。
但し、地球人の場合は強引に魔力を植え付けている状態のため、発現する魔力が一属性か二属性しかありません。
一方で、ノエリア人の場合は、ほぼ全員が全属性を使えます。得意不得意の差はありますし、同時に別属性を発動させられるかとか、その別属性を融合して魔法に出来るかとかは、また別の才能になりますが。
超能力は、基本的に一つの系統しか発現しませんが、上限が魔力よりもずっと高いです。
鍛えていけば、魔王クラスのそれよりも何倍も強くなります。
ただ、総合的にはあんまり変わりません。
ノエリア人の魔力の各属性の能力を数値化して総合すれば、地球人の超能力を数値化した場合とほとんど同じになります。
魔力は、広く浅く。
超能力は、狭く深く。
大体、そんな認識で。