広がる戦火
刹那の一撃に、巨大な高天原が傾ぐ。
海を揺らし、外縁部が水没する。
「ご、ぽ……?」
グチャボキ、と体内から聞こえてはいけない音が聞こえる。
くの字に折れ曲がる女神。
口の端から血が溢れ出る。
その頭上から、冷徹な声が降ってくる。
「では、手足を引き千切ってお持ち帰りと行こうか」
刹那の手が高速で伸びてくる。
瞬間。
女神から純白の羽衣が飛来した。
刹那の手を弾き飛ばし、そのまま彼へと一撃を加える。
女神はその反動で刹那から距離を取る。
「…………」
刹那は、自らの頬を撫でる。
僅かに付着する血の雫。
念力バリアは、確かに張っていた。
生物絶滅級の超巨大隕石の直撃にすら耐えきれる、そんな馬鹿げた強度を持ったバリアだ。
それを切り裂いて、刹那に傷を与えた。
油断ならざる相手だと、再認識する。
「成程。手加減が過ぎたようだな」
「過ぎておらぬわ、うつけめ。内臓とか骨とか、グッチャグチャじゃ」
ごほっ、と血の塊を吐き出す女神。
ほとんどの内臓は破裂、あるいは損傷し、肋骨のみならず背骨まで粉砕しており、通常の生物ならば、確実に死んでいるし、たとえ一命を取り留めていたとしても、まず身体を動かせる状態にない筈だ。
だが、女神は青い顔をして血を絶え間なく吐き出してはいるものの、生命維持に問題は無さそうである。
刹那が見誤った結果だ。
手加減など考えず、素直に全力で殴っておくべきだった、と反省する。
「して、何者じゃ、おぬし。
我を一撃でここまで壊せる魔術師など、地球上にはおらぬと思っておったのじゃが」
「それは狭い見解だ。今くらいの一撃なら、我が愚妹でも出せたであろう。
あと二人ほど、心当たりもある」
「我の質問に答えておらぬぞ」
「答える気がないと、その貧相な脳味噌では分からなかったか」
女神の口が、笑みの弧を描く。
それは決して、友好の感情を得たからではない。むしろ、その逆である。
「……それは、我に喧嘩を売っていると取っても良いのじゃな?」
「嘲笑を重ねよう。俺はお前を殴り、お前は俺に反撃した。
既に喧嘩は始まっている」
言いながら、念力で捕まえようとする。
周囲への被害を考慮し、打撃ではなく、捕獲の形だが、そこに手加減は存在しない。
最悪、脳さえ残っていれば情報の収穫は出来る。
故に、身体は潰してしまっても良いと、むしろ潰れてしまえと全力で圧をかけに行く。
一瞬。
念力が何らかの力で阻まれる。
刹那では感じ取れなかったところを見ると、おそらくは魔力を使って障壁の類でも張っていたのだろう。
その一瞬で女神は飛び上がる。
空中を浮遊しつつ、眼下を睥睨する。
「まぁ、良い。既に我は目的を達成した。
おぬしが何処の誰であるかは、後程、ゆっくりと調べるとするかの」
「ほう? まるで逃げるかのような物言いだな」
「挑発には乗らぬぞ、小僧。
我を追うのは良いが、空のゲートを放っておいても良いのかの?
放っておけば、際限なく広がり、やがては星を飲み込むぞ?」
「…………」
刹那は無言を返す。
それをどう取ったのか、女神は勝ち誇るかのような笑みを浮かべる。
「それではな、地球人類諸君。
おぬしらがどのような選択を取るか、高みの見物をさせて貰おうぞ」
空間が裂け、女神が異空間へと消える。
見送った刹那の傍に、真龍斎とナナシが近寄る。
「……どうするのかな?」
「ふっ、逃がしなどしないさ!」
サイコメトリーの能力を起動させた刹那は、女神の残滓を走査する。
幾重にも隠蔽が施され、欺瞞を巡らせられている為、即座には行先の特定ができない。
その間に、思い出したように念力を放つ。
グシャリ、と、そんな音が聞こえてきそうなほどあっさりと、異界門の起点となっていた肉塊が潰される。
「ふむ。どうやら、起点を潰せば異変が収まる、という短絡的な事は起きないようでありますな」
ナナシが空を見上げながら、言う。
肉塊からの魔力供給は止まっているが、空の異界門は健在で、今も元気に異形を吐き出している。
「美雲殿、どうでありますか?」
通信を飛ばす。
返ってきたのは、多大なノイズ交じりの音声だった。
【…………拡大は……まりまし…………。消滅の…………ありま……】
美影が全力を出している為、自然と周辺がジャミングに包まれているのだ。
ナナシは眉を顰める。
「おそらくは、拡大は止まったようであります。
消滅はしないようでありますが」
「予想の範疇内だ。問題ない」
話している内に、転移先の特定が完了する。
「では、俺はあの自称女神を張り倒してくる。
後の事は、我が賢姉様に託してある。彼女の指示に従いたまえ」
言い捨てて、刹那はテレポートした。
~~~~~~~~~~
「……すげぇな、おい。何なんだ、おい。あいつはよ」
空を舞い踊る黒い龍を見上げながら、スティーヴン大統領は呟く。
《黒龍》の噂は聞いていた。
だが、現実に目にすると、その異常さは圧倒的だ。
仮にもSランクなのだ。
術式が極大化するのは別に構わない。
だが、あの黒化現象は何なのか、理解が及ばない。
加えて、あの空を駆け回る速度だ。
確かに、雷属性の身体強化は、瞬発力に優れ、速度が向上する物である。
だが、少なくとも雷と同等レベルの速度で奔る事などできはしない。
それは、魔王クラスの雷属性であっても、である。
「おい、あいつ、あの雷娘、ちょっとうちに寄越せよ、おい。
研究させろよ、おい」
「駄目ですよ。可愛い娘なのですから」
「この国には、可愛い子には旅をさせよ、って言葉があるんじゃねぇのかよ、おい」
半分本気の言葉だが、無理強いするほどの執着はない。
機会があれば、程度に心に留めた大統領は、その姉の方に視線を向ける。
彼女は、現在、《サウザンドアイズ》からもたらされる情報をもとに、高天原警備隊の指揮を行っている。
美影の尽力によって、大半の異形たちは降下する前に狩り取られているが、如何せん、数も多ければ範囲も広い。
やはり、幾らかは取りこぼしが出てくる。
その取りこぼしの対処に、警備隊を使っているのだ。
たった一人でレーダー役から情報分析、指揮采配までをやってのける処理能力は、見事の一言だ。
だが、ほんの少しだけ、スティーヴン大統領としては不満もある。
「……なぁ、お嬢ちゃんはやらねぇのか、おい。
《フォートレス》の妙技なら、あの程度、一人で完璧に殲滅できんだろ? なぁ、おい」
「《フォートレス》……。ああ、私の合衆国でのコードですね。
いえ、残念ながら、今回はお預けです」
「何でだよ、おい」
日本に潜入させているスパイから《フォートレス》の情報を聞いた時は、何の冗談かと思った。
誇大広告の類だと、正直、思っていた。
だが、今、目の前で行われている奇跡の如き情報処理能力を見れば、むしろ伝えられた話ですら過小評価なのでは、と思わざるを得ない。
だからこそ、首を傾げる。
大軍勢に対する精密殲滅は、美影よりも美雲の方が上なのだ。
にもかかわらず、何故、彼女が出ないのか、と。
「実は、私のデバイス、《無敵要塞マジノライン》を本日は持ってきておりませんので」
大きくて邪魔だから、と言う美雲。
それはどうでもいい。
成程。武器がないのでは仕方ない。
本領を発揮できないのだから、戦場に出場しないのも当たり前だ。
だから、大統領が食い付いたのは別の部分だ。
「……今、なんつった、おい」
「デバイスを持ってきておりませんので、と……」
「いや、そこじゃねぇ。そのデバイスの名前だ、おい」
「ああ、《無敵要塞マジノライン》ですか?」
「なんだ、そりゃ。誰が付けたんだよ、おい。いや、分かるんだが」
「勿論、製作者。私の可愛い弟君ですよ?」
「あのクソ馬鹿、ネーミングセンスってもんがねぇな、おい」
鼻で笑うスティーヴン大統領。
「では、大統領閣下でしたら、なんと名付けますか?」
「そうだな。《無敵城塞ガッデム》なんてどうだ?
強そうじゃねぇか、おい」
「同レベルですね」
天帝が、ぼそりと辛辣なコメントを漏らす。
背後で《ゾディアック》の二人も無言で首肯した。
「それも良いですね。
ところで、《ゾディアック》の御二方は出場されないのですか?」
「ここは、仮にも他国だぞ、おい。
許可もなく戦力出す訳にもいかんだろうが、おい」
言って、天帝を見遣る。
彼は、首肯を返す。
「お暇でしたら、構いませんよ。
手加減をしなくても良い戦場、魔王には貴重でしょう?」
「……本当に良いのですか?」
「ええ、構いませんよ。美影さんを助けてあげてください」
「そういう事なら、遠慮なくいかせて貰おうか」
~~~~~~~~~~
二メートルを超える巨躯の異形。
頭に角の生えた鬼型のそれの足元に、連続して火矢が突き刺さる。
火矢は秘めた威力を解放し、鬼の足元を崩す。
あわよくば足そのものを破壊する事を狙っていた攻撃だが、僅かに焼け焦げただけで終わる。
体勢の崩れたそれに、炎を纏った貫手が突き刺さる。
腐肉を突き破り、体内へと入り込んだそこで、魔力を爆発させる。
衝撃。
体内から喰らっては流石に耐えきれず、巨大な風穴を開けて崩れ落ちる異形。
その前で残心を行い、起き上がってくる事はないと判断した剛毅は、胸に溜まった息を吐き出す。
「チッ、さして強くはないが……数が多いな」
今の異形は、魔力探知をする限り、Aランク相当である。
自身と同じであり、戦えば苦戦する筈なのだが、練度がさほど高くないらしく、本能で攻撃してくるばかりで工夫も戦術もない。
故に、さほど労せずに倒せる。
だが、数が多い。
今ので、既に十三体目である。
その全てがAランクである事を考えれば、戦場の常識としてスーパーエース並みの戦果だ。
とはいえ、それを誇れるような戦場ではない。
轟音。
空から耳を劈く雷鳴が響き渡る。
見上げれば、黒い稲妻が幾重にも走り抜けていた。
「魔王の戦場か……」
「凄いですよね」
呟きに、少女の声が応える。
視線を戻せば、赤髪を高く結い上げた少女……炎城 久遠が、油断なく弓を構えながら近付いていた。
「お嬢は初めてですかい? 魔王の支配する戦場ってのは」
「そう、ですね。記録映像で少し見たという程度でしょうか」
「そうかい」
答えながら、剛毅は瞬発する。
近くの茂みから犬型の異形が飛び出す。
その速度は亜音速に到達しており、事前に知っていなければ、まともに対応する事は出来なかっただろう。
大きく開かれた咢に拳をカウンターで叩き込む。
爆散。
その横を、二本の火矢が駆け抜ける。
後続の異形の、二つの目に正確に突き刺さり、爆発する。
頭部こそ四散しなかったが、内部は焼けたらしく、地面を削りながら動きが止まる。
「多い、と、文句を言うべきではないのでしょうね……」
大半を、空を駆ける《黒龍》が単身で引き受けているのだ。
しかも、敵Sランクに至っては優先して確実に空にいる間に撃ち落としている。
彼女の戦果と比べれば、自分はここに本当にいるべきなのか、と疑問に思う。
手柄をわざわざ分け与えているだけで、本当は足を引っ張っているのでは、と思わざるを得ない。
「お嬢、あんま魔王と自分を比べなさんなよ。あれは、格が違う」
「理解はしています」
短く答える。
彼女が自分を小さく感じる理由は、もう一つ。
今も視界の中で、周辺の敵勢力情報を知らせ、優先的に滅ぼすべき対象へと正確に導いている表示の事もある。
デフォルメされたそのキャラは、間違いなく友人である美雲だ。
これまで、剛毅を含めて戦場で一緒になった者たちは、皆がこの表示を見ているらしい。
全員に、それぞれ違う誘導をするとは、一体どれほどの処理能力なのか。
そもそも、これは幻属性魔力を使用しているようなのだが、彼女は雷属性だけではなかったのか。
そうした事を考えると、自分の矮小さを感じずにはいられない。
とはいえ、そんな劣等感を覚えていられるような、悠長な戦場ではない。
敵はまだまだいるのだ。
余計な思考は、死へと繋がる一本道である。
一瞬の瞑目で意識を切り替えた久遠は、息を整えている剛毅に別れを告げる。
「では、私はこちらへ行きます」
「おう、お嬢。気を付けてな」
今週は休みがない。
休日出勤という醜悪な社会の闇に囚われたのです。
という訳で、多分、次の更新はちょっとだけ間が開きます。
無念。




