這い寄る邪悪
開けた草原に、光が落ちる。
明らかに太陽からの自然光とは異なるが、現在時刻が昼間である事と、またやや人里から離れた位置である事が故に、それに気付く者はいない。
数秒で消えた光の下には、二つの人影が出現していた。
いや、人と言うには、片方に些か問題があるのだが。
美影と、……蟲である。
合成蟲人、とでも称すれば良いのだろうか。
全身が鼈甲色の甲殻に覆われており、頭部には、左右の側頭部からクワガタの角が、前後からはカブトムシの角が、計四本も猛々しく生えている。
手足の数は虫らしく六本。
地を踏みしめる二脚はバッタのそれであり、四本腕の内、上二本はカマキリの刃を持っており、下二本はシャコのように甲殻に包まれて畳まれている。
シャコは虫では無いだろうが。
臀部からは長い尾が伸びており、先端は槍の穂先のようで、蠍のそれを思わせる。
背中には折り畳まれたトンボの羽がある。
口元はアリの顎を備え、その奥からは蚊の鋭い口が覗いている。
そして、何よりも特筆すべきは、その目だろう。
一見すると、単なる虫の複眼のように見えるが、よくよく見ればそうではない事が分かる。
眼球。
無数の微細な眼球が寄り集まって複眼の形を形成しており、それぞれがギョルンギョルンと動き回っては、あらぬ方向へと視線を飛ばしていた。
複眼とはそういう意味ではないのだが。
その蟲怪人正体は刹那であり、またもやフォルムチェンジしているのである。
ただ、今回は、比較的にちゃんとした理由もあるが。
というのも、惑星ノエリアでは機械文明がほとんど発展していないのだという。
ギリギリで原始的な歯車機構がある程度であり、それ以上は何処を見ても存在しないとの事だ。
そんな中での刹那の機械人形ボディは、非常に悪目立ちする代物であった。
なので、もっと生物らしい肉体になるべきだという説明を言語及び常識講義の中で指摘された為に、新しく用意したのだ。
ノエリアとの小競り合いで元の機械ボディが破壊されてしまったという理由もあるが。
「……お兄、今度はどういうコンセプト?」
「ふっ、これかね?」
二足歩行する蟲――新・刹那は、キシキシと蟲特有の音を鳴らしながら答えた。
「あの怪猫に聞いただろう?
この星に存在する12の知的生命体の話は」
「まぁね」
精霊種、天竜種、地竜種、天翼種、妖魔種、妖精種、獣魔種、霊鬼種、森精種、鉱精種、海精種、そして人間種。
これが惑星ノエリアにて、知的生命体として認められている12の種族である。
その話に何の関係が? と首を傾げる美影に、刹那は当たり前のように告げる。
「それを聞いて思ったのだ。
蟲がいないな、と。
だから、私が新たな一つとなる事としたのだ」
「あー、うん。まぁ、良いんじゃないかな? 割合カッコいいし」
「ふっ、有り難う。褒めてくれて嬉しいよ」
四腕を広げて喜びを表現する刹那。
その姿は、何処からどう見ても外敵を威嚇する怪物でしかなかった。
尤も、そんな姿であっても、美影は心から愛しいと思う。
嘘や強がりなどではない。
彼女にとって、刹那とは形ではないのだ。
彼が彼である、それ自体が重要なのであり、どの様な姿になろうとも、たとえ汚物に塗れていようとも、彼女はそれが〝刹那〟である限り、確かな愛を捧ぐだろう。
ともあれ、無事に密やかに地上へと降りた二人は、連れだって草原を歩き始める。
「うーん、のどかだねー」
「観測した限りでは、地球よりも自然の姿が多く残っているようだね」
「機械文明が無いからかな?」
「それもあるだろうがね。
最も大きな理由としては、精霊種と天竜種の存在が大きいのだろう」
惑星ノエリアにおいて、最強種として並び称される二種族だが、通常の生命体としてはあり得ない生態をしている。
それは、確かな系統樹を持たないという事だ。
彼らは、星を循環する地脈の中から唐突に生まれる者たちである。
故に、明確な親兄弟を持たず、また強いて言うならば、星こそが親であり、同種族の全てが兄弟とも言えるのだ。
そうである為、自然環境の保護を本能的なライフワークとしており、古の時代より自然豊かな星となる様に活動してきたのだという。
彼らがいるからこそ、豊かな自然は保たれており、そしてその自然を脅かす敵は、如何なる者であろうと徹底排除してきたらしい。
基本的に俗世と関わらない彼らが動くのは、それ以外にないのだとか。
「……あの猫が守護者になるのも理解できる話だね」
星の守護者として、これ程に相応しい種族もあるまい。
どちらかと言えば、天竜種は敵を滅ぼす破壊者としての性質が強いので、環境の調律者である精霊種が選ばれたのだろう。
地球には、人間しかいないので、選択の余地はなく、結果的に刹那などというイカれた存在が選ばれてしまった訳だが。
美影が、爽やかな風を受けながら、健やかな自然の匂いを堪能していると、隣から微妙に身体を揺らす気配があった。
「? どしたの?」
「いや、なに。大した事ではないのだがね」
その揺れは不快感と言うべきか、何処か居心地が悪いとでも言うような動きであった。
「毒が薄くて反吐が出そうだと思ってね」
「…………お兄さぁ。廃棄領域に染まり過ぎ」
人間の業を煮詰めて押し込んだ様な汚染環境の坩堝、廃棄領域。
幼き頃よりその様な地で生き延びてきた刹那にとっては、この健全な大地は、非常に不快な物だった。
もっと不自然かつ危険度高めな毒性を帯びていないと、どうにも心が落ち着かないのである。
愛しい人の困った特性に、美影は苦笑せずにはいられない。
「……ああ、汚したい、穢したい、人の業を撒き散らしたい」
「お兄お兄。
そんなに綺麗なものを蹂躙したいなら、僕を存分に嬲って良いんだよ?」
「ふふっ、それはもうちょっと育ってからだよ、愚妹」
「ぷぅ」
カモン、と腕を広げる彼女に、刹那は我慢の心で耐えてみせた。
まだ、時が足りていない。
その時まではお預けだ。時が来たならば、我慢はしないが。
これでもかと愛しぬくが。
嗜める刹那に、美影は可愛らしく頬を膨らませてみせた。
「ギッ」「ギィ」「ギッギッ」
そうして歩いていると、近くの林から飛び出してくる影があった。
美影と大差の無い背丈に、濃い緑の肌をした人形の生物。
体毛は薄く、文化的生活は送っていないのか、身を隠すものは何もない。
薄く魔力を放出しており、額には小さな角が生えている。
手には、石造りの粗悪な武器らしきものを携えており、なにやら叫び声を上げながら歩く刹那たちへと殺到してくる。
その数は六つ。
「うわっ、見て見て、お兄!
ゴブリンだよ、ゴブリン! リアルゴブリン!」
美影は、緊張感もなく、ファンタジーへの感動で興奮していた。
「いやー、やっぱり異世界の定番だよねー。
異世界じゃなくて、別惑星なだけだけど」
「餓鬼なら我が星にもいるではないかね」
「あれ、凶悪だし」
外見が似通った生命体なら地球にもいるが、廃棄領域で超進化を経ただけあり、とんでもなく凶悪な生態をしている。
放置していると、人類を駆逐して覇を唱えかねない為に、最低でも厳重管理、どうせなら大事を取って滅ぼしてしまえ、と推奨される生物であった。
それに比べれば、目の前のゴブリンはなんと可愛らしい事か。
生物的な能力も低く、知能も高くない。
目の前に竜がいる事にも気付けない愚劣さは、蔑みを通り越して愛らしささえ覚えてしまう。
「確か、知的生命体には入っていなかったよね。
じゃあ、魔物かな? 殺そっか」
12種の知的生命体を除いて、魔力を帯びた野生動植物は、魔物という害獣なのだという。
事前講義の中で、各種族のおおまかな形状は学習しており、ゴブリンはそのどれにも一致していない。
つまりは、魔物という扱いで良いのだ。
だから、美影は軽く捻ってやろうと思ったのだが、そこに刹那が待ったをかけた。
「いやいや、待ちたまえよ」
「あら? どうしたの? お兄」
「うむ。一方的に害獣扱いは可哀想ではないか。
見れば、原始的ながらも武器を使うという知能はあり、そして互いに意志疎通しているらしき言葉も発している。
つまり、彼らは文明的に遅れているだけで、知的生命体として認めるに足るだけの存在と言えよう」
「えーっと、だから?」
「博愛と友愛の精神があれば分かり合える。
そう、私たちの手で彼らを13番目へと押し上げてあげようではないか!」
「んー、あー、まぁ、やりたいなら良いんじゃない?」
どういうつもりなのか。
無理だと分かっているだろうに、そんな提案をし始めた刹那を、美影は生暖かい目で許容する。
妹からの視線を気にせず、前に出た彼は、腕を広げて友好的に迎え入れる姿勢を見せた。
「さぁ! 知能の足りていない小物どもよ! 私と共に世界をひっくり返そう!」
「ギッ!」
返答は否であった。
言葉は通じずとも、確かに分かる。
何故ならば、先頭を走っていた個体が、石斧をぶん投げたからだ。
投げられた石斧は、一直線に刹那へと向かい、見事に彼の眉間を撃ち抜いて落ちた。
素晴らしきかな、肉体言語。
あらゆる言語の壁を突破する最高のコミュニケーションツールであろう。
「うむ」
彼らの意思を理解した刹那は、深く頷く。
直後、彼の姿が消えて、次いで石斧を投げた先頭個体を蹴り倒していた。
「愚妹よ。どうやら死にたいらしい。
やってしまいたまえ」
「お兄、なんか情緒不安定になってない?
そんな所も素敵だけど」
刹那は、蹴り倒したゴブリンを踏みつけながら、背後で見守っていた美影へと指令を下す。
カマキリの腕で首を掻き切るジェスチャーをしながら。
我が儘放題な兄へと、呆れと愛しさの混じった吐息を漏らしながら、彼女は魔力を解放する。
天より落ちる、五条の雷。
それらは、狙い違う事なく、無事なままのゴブリンたちへと直撃し、消し炭へと変えてしまった。
「愚妹よ、一匹残っているが?」
「必要でしょ?」
「ふっ、言わずとも、か。もはや我らは一心同体も同然……!」
「え? 合体? 合体しちゃう!?
バッチコーイ! ジョグレス進化しようぜ!」
「まぁ、それはともかく」
「えー、焚き付けておいて放置しちゃうのー?」
一瞬にしてピンク色に脳を切り替えた美影を無視して、刹那は足蹴にしていたゴブリンの首を掴んで持ち上げる。
「ギッ、ギッ、ギィッ!」
首を締め付ける握力に踠きながらも、足を伸ばして蹴りをくれようとしている。
実に好戦的だ。
周囲の仲間たちが一瞬にして消し炭にされたというのに、それを悼まないばかりか、いまだにこちらへと戦意を保っている辺り、異常と言っても良いだろう。
「ふん。侵食されているな」
「だね」
踠くゴブリンの正体を見通した刹那は、鼻を鳴らして一言呟いた。
美影もまた、その言葉に同調する。
彼らは、見ているから、喰い尽くされた成れの果てを、そして喰われる過程を。
だから、一目で分かる。
目の前のそれが、どういう状態にあるのかが、よく分かる。
刹那は、念力の手を持ち上げる。
「さて、どうでもいい命ゆえに、些か乱暴になるぞ」
「グギャッ!?」
宣言して、彼は念力をゴブリンの体内へと、更にその内側、魂の内へと伸ばした。
通常であれば、如何なる事があろうとも触れられる事の無い禁忌の場所に、他者の手が強引に無遠慮に捩じ込まれるのだ。
激痛たるや、想像を絶するに違いない。
その証拠に、ゴブリンはこれまでとは段違いに激しく暴れ始める。
まさに死力を尽くしている様相だ。
骨が折れ、皮膚が裂け、自らの血に塗れ、己の自壊を辞さぬ抵抗をしてみせる。
しかし、蟲怪人は小揺るぎもしない。
決死の抵抗を無防備に受けているというのに、まるで痛みも感じていなければ、煩わしいとさえも思わせられない。
滑らかな光沢の外殻は傷一つ付かず、撒き散らされる血に僅かに濡れるだけである。
「よし、捕まえた」
儚い抵抗を完全に無視して作業をしていた刹那は、暫し弄り回した末に目的の物を捕える。
逃げようとするそれをしっかりと掴んだ彼は、そのまま力ずくで引っこ抜いた。
「ギギギャアアアアアアアアアアッッ!!?」
同時に、断末魔の叫びが木霊する。
配慮の欠片もない心霊医療は、ゴブリンの魂へと過負荷をかけてしまい、遂にはそれを物の見事に砕いてしまったのだ。
「見たまえ。これが、〝獣〟の正体だ」
ゴブリンの命などどうでもいい刹那は、泡を吹いて死んでしまったそれを、もう用はないと投げ捨てながら、魂の中から引き抜いたそれを美影へと見せる。
それは、淡い光の玉だった。
儚く明滅を繰り返しており、その度に異なる色合いを見せる不思議な玉である。
「……実体は無いんだね」
「まだ、何も食べていないからね」
この光の玉こそが、〝星を喰らう獣〟の正体である。
正確には、本体から分化した破片に過ぎないが。
「あれらは、星に、何かに寄生しないと物理的な力を発揮しない。
故に、何も食べていない状態ならば、然程の脅威ではない」
しかし、
「だが、一度、星を飲み込み身体を得てしまうと、たちまちに手が付けられなくなる。
際限なく星々を喰らい尽くしていく暴食の怪物となってしまう」
そこまで言って、刹那は短く吐息した。
「それにしても、こうもあっさりと破片とぶつかるとは……」
「だーいぶ、末期的な感じじゃない?
僕たちが何かするまでもないんじゃないのかな?」
放っておいても飲み込まれるのでは、と言う美影に、刹那は首を横に振ってみせる。
「いや、こう言っておいてなんだが、おそらくは不可能だ」
「そう?」
「うむ、既にこの星には守護者が……怪猫が生まれている。
今は休眠状態らしいが、星核に手を出せばたちまちに覚醒して撃退してしまうだろう」
肉体を得ていない今ならば、守護者の力だけでそれが可能だ。
多少の被害は出るだろうが、許容範囲内で収められるに違いない。
だが、それでは困るのだ。
この星には、滅んで貰わなくてはならない。
「じゃあ、やっぱり?」
「うむ。当初の予定通り、暗躍の時間だ」
生真面目な守護者に気付かれぬまま、そして最後には一気呵成に落としてしまおう。
邪悪な企みが、ここに始まった。
利用する予定がない設定を晒していくコーナー。
《精霊種》
惑星ノエリアにおける、最初の知的生命体。その起源は、まだ星の原型が出来たばかりの頃、灼熱の岩の塊だった時代にまで遡る。
崩壊と構築を繰り返す星の始まりの時代に、一なる精霊が生まれ、彼女の力でもって急速に形成活動が進み、惑星ノエリアの形が造られた。
その後に、原初精霊は八柱の始祖精霊へと分化し、その意思は星核の中で休眠する事となる。
その意思こそが〝ノエリア〟であり、永き時の中で守護者と救世主の霊格を得る事となった。
最初期の精霊は、八柱の始祖精霊から更に分化して生まれていたが、星の環境が整う事で、次第に地脈の中から自然発生するという形態へと変わっていった。
エネルギー生命体であり、基本的には不定形なのだが、文明と接触する為などの理由で人に近い姿を取る事もある。その際の姿は、意図して変えない限りは全個体が女性型となる。
星の守護と維持を第一としており、発生した歪みや淀みを誰に言われずとも勝手に調整する性質がある。その為、他種族からは【調律者】と呼ばれて敬われている。
ちなみに、最強種と謳われているものの、個体別に内包する力はピンキリである。下を見ると、最弱種である人間種を下回るどころか、そこらの雑魚魔物にも劣る個体もいる。一方で、上を見上げれば極端に高く、始祖精霊たちに至っては【破壊者】である天竜種さえも超える力を有している。ちなみに、弱小な精霊は大抵が群体精霊となっているので、弱いからと舐めて傷つけようものなら、雲霞の如き精霊の群れに集られて袋叩きにされてしまう。なので、結局は最強種の名は揺らがない。
自然第一主義であるが、そこに生きる命も含めて自然だという考え方をする。なので、余程の事をしない限りは、仕方ないの子たちだと割と許してくれる。精々、ちょっと注意が飛んでくるくらい。
但し、限度を超えれば、たちまち烈火の如く怒り狂うので、さじ加減は必要となる。そう、例えば地球人類のように廃棄領域級の汚染を作ろうものなら、殲滅対象として始祖精霊が総出で襲い掛かってくるだろう。その領域にまで至り、血の一滴も残さず、文字通りに滅ぼされた種族は、惑星ノエリアの歴史上たった一種族である。
簡潔に纏めれば、種族的にママ属性なんだよ、精霊種ってのは。