プロローグ:邪悪との契約
本日二話目。
未読の方は、前話からどうぞ。
「……っ!?」
目を覚ませば、暗黒の天井が見えた。
死の具現化。
人間種だけではない、数多の種族の骸骨を、ミイラを、遺骸を、苦痛と怨嗟で押し固めたかのような、そんな天井だ。
不気味、どころではない。
本能的な恐怖感がこみ上げるほどだ。
周囲を見回せば、それが天井だけではない事が見て取れる。
壁、床、己が寝かされている寝台ですらも、全てが同じ材質によって同じ意匠で形作られていた。
「やぁやぁ、目が覚めたみたいだね!」
恐怖と不安に慄いていた彼に、場違いに明るい声がかけられた。
そちらを向けば、小さな少女がいる。
年齢は、十を超えたくらいだろうか。
墨を垂らしたような黒髪を持ち、華やかな飾り紐で後頭部に結い上げてショートポニーにしている。
華奢な矮躯をしており、年齢相応に女性的な凹凸は少ない。
それを、霊鬼種の伝統衣装らしい、前袷の装束で包み込んでいた。
上衣は漆黒の色に染め上げられ、下半身は足元まで届く深紅の袴だ。
顔立ちは可愛らしく、将来は男を泣かせる傾国の美女へと成長するだろう。
悪戯っ子の様な愉悦の表情をしているが、吸い込まれてしまいそうな黒玉の瞳は、何処か不安を感じさせるほどに冷たい。
見覚えは、ある。
意識を失う寸前に見た少女だ。
何かを言われた気もするが、詳しくは覚えていない。
思い出そうとすると、何故か耳の奥が痛んだ。
ギリムは、顔を顰めて耳を押さえながら、彼女に問いを返す。
「き、君は? ここは、何処?」
「んっふふ~、まぁ気になっちゃうよね? じゃあ、順番に」
黒の少女は、自らの胸に手を当てて、堂々と名乗りを上げる。
「僕の名前は、トクメイ=キボウ! 邪神様に仕える、忠実なる神官だよ!」
トクメイ=キボウと名乗った少女。
そこには、信じられない様な単語が混じっていた。
邪神。
神話やお伽噺になら登場する事もあるが、今の時代に現実として語られる事などない言葉である。
「じゃ、邪神って……ここは、まさか邪神の?」
「そうだよ? 意外と脳ミソ働いてるね?
答えは、YES!
ここは、あの忌々しいクソ百足、フリーレンアハトに封じられていた、本物の邪神殿なのさ!」
信じられないような話だが、ここまで邪悪を煮詰めたような部屋を見るだけで、信憑性を帯びてしまう。
少なくとも、ここにいる者は、目の前のトクメイ=キボウを含めて、まともな精神性はしていない事は間違いない。
「ぼ、僕を、どうする……つもりだ?」
腰が引け、後退りしながらも、必死に魔力を高めて威嚇する。
思い通りにはならないぞ、と。
「んふふ~」
しかし、トクメイ=キボウは動じない。
楽し気な表情を崩す事も無く、魔力を高めて臨戦態勢となる事さえしない。
彼女は、見下すように言う。
「どうしてほしい? ねぇ、禿猿」
安い挑発。
嫌という程に聞き慣れた侮蔑の言葉。
だが、それは、ギリムの心を大きく揺さぶった。
信じていた仲間たちからの、手酷い裏切りの記憶が脳裏を過る。
瞬間。
沸騰した彼は、トクメイ=キボウへと殴りかかっていた。
「馬鹿にッ! するなぁ!」
渾身の魔力を籠めた、彼に出来る最大の攻撃だった。
だが、
「弱いねぇ~」
パシリ、と冗談のように軽い動作で、華奢な彼女に受け止められてしまった。
「ほい」
そのまま体勢を捻られ、組み伏せられてしまう。
「な、ぁ……?」
信じられない。
この人間種の少女は、魔力を使ってすらいないのだ。
だというのに、仮にも魔力を使用しているギリムを、容易く封じてしまっていた。
「どうするつもり? 逆に聞こうか。どうして欲しい?」
耳元で、悪魔の様な囁きが聞こえた。
怖い、恐ろしい。
そんな気持ちに身体が硬直した彼だが、トクメイ=キボウはそれ以上の暴力は行わず、ギリムの上から退去した。
彼女は、部屋の出口へと歩み寄ると、その扉を押し開けて道を譲りながら、芝居がかった態度で言う。
「さぁ、邪神様が、貴方をお待ちです」
~~~~~~~~~~
玉座の間。
あるいは、謁見の間だろうか。
構造としては、そういう場所なのだろうが、ギリムが知るそれとは大きく内装が異なっていた。
肉と骨。
憎悪と怨嗟に染まった死骸の材質に上に、剥き出しの肉が敷き詰められている。
ドクン、ドクン、と不気味に脈を打ち、何処かから呼吸するような音が聞こえた。
足を踏み出せば、生々しい感触に歪み、粘着質な液体が噴き出す。
悍ましい。
トクメイ=キボウがヒョイヒョイと進むので、それに着いていくしかないのだが、正直なところ、今すぐにでも逃げ出したい。
勇気を振り絞って歩を進めれば、最奥の玉座の前にまでやってくる。
化け物がいる。
無数の死体を繋ぎ合わせた異形の怪物。
死骸の隙間からは細い触手が這い出しており、死骸を接着する役目を果たしているようだ。
中心部には、血の色をした深紅の宝玉が不気味に輝いており、それが中心核なのだろうと思わせる。
それは、明らかなる邪悪の化身である。
見れば分かる。
分からない者は医者にかかった方が良いだろう。
トクメイ=キボウは、恐れる事無く壇上へと上がり、邪悪へとしなだれかかった。
「邪神様、連れて参りました」
告げれば、彼女へと触手が伸ばされる。
おそらくは褒めているのだろう。
細い触手は、トクメイ=キボウの矮躯に絡みつき、白い肌に粘液を塗りたくりながら、その衣服の中にまで侵入した。
「あはっ♪」
淫蕩の表情を浮かべながら、喜の声を上げるトクメイ=キボウ。
その姿は淫靡そのものであり、ギリムは思わず唾を飲み下す。
【――――力無き者よ】
そんな彼の頭の中に、声が直接に響く。
ガラスをひっかくような、耳障りな不快感が混じったそれに、ギリムはほぼ反射的に視線を邪神へと向けた。
【――――力を、望むか】
悪魔の、甘い囁き。
【――――憎き者への復讐を。――――醜き世界の破壊を。――――汝は望むか】
心が揺さぶられる。
響く声は、彼の記憶を呼び覚ます。
信頼を裏切った者たちの嘲笑が、己を蔑み見下す世界の構造が、ギリムの心を黒く黒く染め上げていく。
【――――力が欲しいか】
欲しいに決まってる。
それがあれば、こんな惨めな思いをせずに済んだ。
【――――称賛が欲しいか】
欲しいに決まってる。
それがあれば、自分を認める事が出来た。
【――――愛が、欲しいか】
「あっ、ぅん……」
欲しいに、決まっている。
ギリムは、悶えるトクメイ=キボウを見つめながら、望んだ。
美しい女を組み伏せ、自らの思うがままに蹂躙したいと、そんなどす黒い願いを、強く、強く、想った。
【――――ならば、我が力を受け取るが良い】
全てが望みのままに叶えられるならば。
【――――さすれば、世界の全てを手に入れられるであろう】
ギリムは、悪魔の、邪神の手を取る事に躊躇いはなかった。
【――――我は邪神。邪神ぶらっくかーてんなり。
――――汝が信仰を捧げる限り、我が混沌と破壊の力を授けようぞ】
邪悪なる契約が、結ばれた。
舞台裏の観客
狼男「うっそだろぉ!? あんな胡散臭ぇ奴の手を取りやがったぞぉ! あの野郎、絶対に詐欺に騙される類だろぉ!」
鬼娘「っていうかー、いままさにだまされてるさいちゅうだけどねー。せかいてきに、やばいれべるのさぎなのにさー。きもいわー」
賢姉「心を弱った所につけ込む。それが基本なら、当然、心を弱らせてからやるに決まってるわよね」
二人「「悪魔か、あんたら」」
よっしゃ!
これでプロローグは終わりじゃ!
次からは、前章の続き……のつもりです。
ここに至るまでに何があったのかをお送りいたします予定です。
ちなみに、邪神せっちゃんの造形イメージは、ブラッドボーンの「再誕者」です。