プロローグ:黒き雷光
おっかしいなぁ。
今回で終わらせる筈だったのに。
「あーあー、あー、落ちたみてぇだぁなぁ」
一応、ギリムの末路を確認すべく、『崩壁の誓い』の残りのメンバーは、押っ取り刀で奥へと逃げていった彼の跡を辿っていた。
形振り構わない逃走は、痕跡を隠すという最低限の事を行う余裕もなく、彼らにとっては追跡が容易なものである。
だが、結局、ギリムの姿を見付ける事は出来なかった。
穴。
通路にポッカリと口を開いた縦穴で、彼の痕跡が途絶えていたのだ。
ここで力尽きて死んだ、という訳ではない。
それにしては、あまりに血の痕跡が少な過ぎる。
順当に考えれば、この縦穴へと落ちていったのだろう。
一人が、適当な小石を投げ入れる。
音の反響で以て深さを測ろうというつもりだったのだが、いつまで経っても何も聞こえない。
「……おそらく、深層まで届いていますね」
「ショートカットルート、発見~、ってかぁ?」
「あんまり嬉しくないのぅ」
普段であれば、喜ぶべき発見なのだが、今回に限ってはあまり喜ばしくない。
何故ならば、縦穴からは彼らをして寒気を覚える程の濃密な魔力が吹き出しているからだ。
間違いなく、天竜種――フリーレンアハトの魔力であろう。
彼の者の本体がいるとは思わないが、ここは最後の衝突をした爆心地である。
これだけの魔力が残留し、土地にこびりついていても何ら不思議ではない。
「……アハト様の領域となれば、我々とて無策に飛び込めませぬぞ」
「分ぁってるよぅ、ンな事はぁ」
天竜種が最強の種族と謳われる所以が、この奥底には展開されている可能性が高い。
特に、フリーレンアハトの権能は、非常に厄介なものであり、適応できているか否かで大きく差が出てくるものだ。
今のままの装備では、ベテラン揃いの彼らであろうとも、リスクが高過ぎた。
「まぁ、なんだぁ。メンバーも欠けちまったしよぅ。
規定通りに一度、撤収するかぁ」
「……まっ、建前としてはそれで良いじゃろ」
「本音としては、対策ですな。
まぁ、この状態を素直に言えば、文句も出ないでしょうが」
彼らは、捨て駒のカナリアなどではない。チームメンバーが脱落する事態に遭遇すれば、撤収する事が推奨される。
現実は、目障りなメンバーを追放した結果であるが、それは全員が黙っていれば済む事である。
報告された側も大体の事は察しはするだろうが、どうせ人間種の事だ。
遠回しな注意をするだけで、目を瞑ってくれるに違いない。
それ以上のギリムへの興味を失った彼らは、撤収準備を始める。
その中で、ガルドルフはツムギの肩を抱いて、全くの別方向へと向かおうとしていた。
「ガルドルフ殿? どうしたので?」
気付いた一人が訊ねれば、彼は肩越しに振り返って答える。
「俺様は匂いに敏感なんだよぅ。
俺様の女に、あの禿猿の匂いがこびりついていけねぇ。
上書きしてやらんとなぁ」
「もぉー。そんなこと、はっきりいったらだめだよー」
要は、男女の営みをしようという事だった。
顔を赤らめるツムギの表情が、それを物語っている。
呆れ返ったメンバーは、嘆息一つで放っておく事とする。
「……仕方のない。
まぁ、この辺りなら大丈夫だとは思いますが、精々、気を付ける事ですね」
「分ぁってるよぅ」
適当に手を振りながら、二人は魔物領域の暗がりへと消えていくのだった。
~~~~~~~~~~
氷。
辺り一面が、完全に凍てついた世界。
その中でギリムは、倒れていた。
「う、ぐっ……」
命は取り留めている。
意識もある。
だが、動けない。
高所から落下した事で、全身がガタガタだ。
死んでいない事は奇跡のようである。
彼のすぐ近くでは、彼を追い回していた岩魔物が死んでいる姿が見て取れるので、本当に奇跡だったのだと思う。
しかし、動けない原因はそれではない。
それだけならば、何とか治療アイテムを使ってどうにでもできる。
傷以上に、場に満ちる冷気が、動けない全ての原因であった。
地面も、壁も、何もかもが凍り付いている。
死体となった岩魔物も、既にほとんど凍ってしまっており、ギリムの身体にも霜が降りていた。
フリーレンアハトの力の残滓だ。
本来ほどの威力はないが、それでも極圏並みの冷気となって場を支配していた。
魔力を振り絞って、自らを保護しているが、それも長くは続かないだろう。
死の予感。
どうしようもない諦めの感情。
――――その敗北主義がムカつくからだぁ。
そんなギリムの脳裏に、ついさっき聞いた言葉が木霊する。
「くっ、そぁ……!」
復讐してやると決めたのに。
見返して、自分の愚かさを思い知らせてやると、そう思っていたのに。
簡単に諦めようとしていた。
まさに、ガルドルフの言った通りの情けなさである。
根性の欠片もない。
ギリムは、憤怒と憎悪を燃料に、痛み、軋む身体に鞭を売って立ち上がる。
もうそれだけで死んでしまいそうだが、根性を振り絞ってそれを成し遂げた。
「キシ」「キシキシ」「シュルルル」「シャー」
だが、そこまでであった。
無数の音が、ギリムを取り囲んだ。
蛇蝎。
いつの間に現れたのか、大量の蛇と蠍が、彼の周囲に展開していた。
勿論、単なる蛇と蠍ではない。
仮にも、この魔物領域の最深層を棲家としているのだ。
大きさは、通常のそれらよりも少し大きい、という程度の物だが、何よりもそれらを構成する要素が異形を為している。
氷。
全身が透き通るような氷で出来ているのだ。
ある種の芸術とも思える姿だが、この場では弱者を補食する強者でしかない。
魔物たちの身体から立ち上る魔力は、明らかにギリムのそれを上回っており、加えて単体でも彼よりも強いだろうに集団で囲んでいる。
絶体絶命。
その言葉以外に、今の状況を表現する言葉は無いだろう。
ギリムは、自分の手札を思い返す。
残っている体力と魔力、それに持っているアイテム群。
それらを駆使して切り抜ける手段を考えるが、何も思い浮かばない。
もう駄目だ。
どうしようもない。
根性だとか気合いだとか、あるいは勇気だとか。
そんなものでどうにかなる状況ではない。
それを理解した彼は、歪な笑みを浮かべた。
結局、何も出来ないまま死ぬのか、と。
自らの卑小さを痛感した自嘲の笑みである。
獲物が抵抗の気を無くしたと、敏感に察した魔物たちが彼へと殺到する。
襲い来る死そのもの。
ギリムは、それを目に焼き付けながらポツリと呟く。
「力が、あればなぁ……」
絶望さえも押し退ける力さえあれば。
こんな所で誰にも知られずに死ぬ事も無かったろうに。
誰からも馬鹿にされて惨めに生きる事も無かったろうに。
未練ばかりが胸中に満ちた瞬間、脳裏に響く声があった。
【――――力が欲しいか】
「……え?」
韻々と響く、不思議な声。
同時に、漆黒の雷光が迸った。
大破砕。
絶望的な死の具現であった蛇蝎の魔物たちが、一掃されてしまう。
バラバラと、彼らを構成していた氷の破片が舞い上がる。
僅かな光を乱反射し、幻想的な美しさを形作っていた。
その光幕の向こうに、彼女はいた。
幼い少女である。
十を越えたくらいの年齢の、人間種。
黒い髪、黒い瞳、矮躯を黒い衣装に包み、漆黒の雷を纏っている、何処までも黒い少女。
そして、何よりもその身から放たれる、人ならざる威圧感。
すなわち、それは化け物であった。
「……っ!?」
その少女は、反射的に身震いし、身構えるギリムに無造作に近付くと、
「『うむっ!! ヨシッ!!!!』」
手に持っていた拡声器を彼の耳元に押し当てながら、吠えるように叫んだ。
音が衝撃であると、ギリムは今まさに実感した。
強化していて猶、鼓膜が爆ぜるように破け、脳が衝撃に打ち据えられる。
もはや音を音として認識できなくなった彼だが、少女の口撃は止まらない。
「『虫けらにさえも劣る、その貧弱なる能力ッ!
磨いた所で輝きを放つ事さえ期待できない、その脆弱なる魂ッ!
そして、何よりもッ!
空から奇跡が降って来る事ばかりを願うだけの!
クソ甘ったれた、その精神ッ!
好都合ッ! 良し! ヨシッ!
実に結構! 素晴らしいッ!!
僕たちの手駒とするに相応しいねッ!!!!』」
黒の乙女は、果てしない嘲りを耳元で叫ぶだけ叫んで満足したらしく、ようやく一息吐いた。
そして、あまりの大音声にやられたギリムは、耳から血を流しながら意識を失って倒れる。
「全く、本当にか弱いね。出力半分だったんだけど」
コリコリ、と拡声器のダイヤルを調整しながら、黒の乙女――雷裂美影は、見下すように呟くのだった。
正午に、もう一話投下します。