吉兆は雷鳴と共に
本日二話目。
前話を読んでいない方は、そちらからどうぞ。
やれば出来るんだよ、やれば!
「うおぅっ!?」
風を伴って振るわれる剛拳を、紙一重の位置で躱す。
狙っているのではなく、本当にそれが限界であるのだ。
「しつっこいんだよ、爺さん!」
「ほっほっ、活きの良い獲物は久し振りでのぅ!
久しく燻ぶっておった血に火が付いておるんじゃわい! まぁ、諦めてくれい!」
「雷裂らしいっちゃ雷裂らしいな、です」
「お嬢ちゃんはよく分かっておるわいのぅ!」
下から打ち上げられてきた蹴り足を、俊哉は両腕を重ねて受け止めた。
勿論、左腕を前にしてである。
そうでないと、生身の腕では衝撃を殺しきれずに骨が折れてしまうのだ。
最新技術で作り出された鋼の義手は、武神の一撃をしっかりと受け切る。
だが、土台までがそうという訳ではない。
「うお!?」
踏ん張っているつもりなのだが、あっさりと空へと掬い上げられる。
空は本来であれば俊哉の領域だ。
距離は彼の味方である以上、この状況は喜ばしきの筈である。
しかし、こうも近距離では中々上手くはいかない。
「ぬっはぁぁぁぁ!」
剛腕一閃。
御剣が振り回す腕によって、突発的に颶風が吹き荒れる。
それは、俊哉が捉えようとした風をかき消し、また一瞬の事ではあるが、魔術的な風さえも上書きしてしまう程の強風であった。
「ちぃっ!」
舌打ちせずにはいられない。
これまでの追いかけっこの中で、着実に学習されている。
「その手品は使わせぬぞい。
楽しくはあったが、そろそろ鬼ごっこも終わりと行こうぞ」
原理は分かっていないようだが、それでも俊哉が風を操り、それに乗って空を飛んでいる事は理解されてしまっていた。
おかげで、一度接近されてしまうと、もう一度距離を取る事さえも困難となりつつある。
「……はぁ! ああ、俺もそろそろ終わりにしたいと思ってた所だぜ!」
荒れる息を吐息一つで整えつつ、彼は着地して迎え撃つ姿勢を見せる。
俊哉もいい加減飽き飽きしていた。
仲間たちが動き回る為に囮となって逃げ続けていたのだが、その結果として地球一周のフルマラソンをする羽目となっている。
雫からの魔力供給を受けて、疲労軽減術式によって騙し騙し突っ走ってきたが、正直、それも限界に近い。
疲労軽減は誤魔化しているだけで、疲労を消し去っている訳ではないのだ。
後でそのツケが返ってくる以上、そろそろ終わりにしないと後が怖過ぎる。
二人の相対を取り囲むようにして、雷裂の同胞たちが並んでいる。
彼らは、あくまでも見届け人、というつもりなのだろう。
これまでの御剣との相対において、手を出してくる事は無かった。
そして、今も殺気の様な気配を発してはいない。
ただ、逃がさないように囲むだけである。
薄暗い世界に、雷鳴が轟く。
天候が変わったのか、空の暗雲から雷の光が瞬いていた。
チラリ、と俊哉がそちらへと視線を向けていると、言葉がかけられる。
「ふぅむ。ようやく相対する気になったのかいのぅ。
それは重畳。
じゃが、気に食わん事もあるわいのぅ」
「あ? ンだよ、爺さん」
「背のお嬢ちゃんを、降ろさなくて良いのかのぅ?」
何度か打ち合っている内に、彼が背負っている娘を気にしている素振りには気付いていた。
御剣は、俊哉を殺す気で戦っているが、しかしそれは決闘の範疇での事だ。
決して、何でもありの戦争として戦いたいのではない。
故に、彼女を狙うような事をしてこなかったが、全力で立ち向かってくるというのならば話は別だ。
御剣は、今度こそ雫に構わずに攻撃を行うだろう。
よって、その様な弱点を抱えたままで良いのか、と問わずにはいられない。
「……それもそうだな。雫、降りとけ。危ないぞ」
「です。爺、お気遣い、ありがとな、です」
忠告を受けて、雫は素直に俊哉の背から降りて、とことこと囲む雷裂の輪へと向かった。
その様子に、周りの雷裂たちはかなりの、そして御剣も僅かばかりの驚きを得る。
「……我らが人質に取る、とは考えぬのか」
堪らず、雫の直近となった雷裂の一族が問う。
彼女は、小首を傾げながらそれに答えた。
「オメーらはそういう連中じゃねぇだろ? です」
「我らを知るか」
「です。よーく知ってんぞ、です」
時代によって価値観など変わる。
二百年もの時があれば猶更の事だ。
だというのに、雫は今と過去の雷裂を同列に語った。
当然だ。
彼らは、歴史すら残らない古の時代から、何も変わってこなかった者たちなのだから。
だから、〝今〟を生きる雷裂も、〝旧き〟を生きた神裂も、何も変わる訳がない。
そして、だからこそ、断言できる。
彼らは、人質など取らない。
自分たちの血と肉こそが最強だと信じるが故に、そういう行動を取る筈がない。
「ほっほっ、よくよく理解しておるわいのぅ。叩きのめす楽しみが増えたわい」
「そう簡単にやられるつもりはねぇんですけど!?」
彼らに、自分たちの事を教えた誰か。
その正体に、更に強く興味を惹かれた。
戦い終わった後に、俊哉が生きていたら問い詰めてみようと心に決める。
尤も、彼が生きておらずとも雫の方に訊ねれば良い話なのだが。
ジリ、と互いの間合いを測り合う。
緊張感が張り詰め、一触即発の空気が場を満たした。
瞬間。
一際強い雷鳴が、直上で轟いた。
「ぬんっ!」
「……っ!」
弾かれた様に両者が飛び出す。
一歩目から音速を超え、衝撃波によって大地が爆ぜ割れた。
御剣の剛拳。
超速で迫るそれは、相対速度と相まって、一撃で俊哉の頭部を粉砕するだろう。
だが、そんなものは見慣れている。
俊哉は恐れずに突っ込む。
更なる踏み込みで加速した彼は、拳を潜り抜けて御剣の懐へと飛び込んだ。
「良い足腰じゃわい」
そこへ膝蹴りが叩き込まれた。
「うぐ!?」
なんとか腕を差し込んで衝撃を殺すが、かなり痛い。
動きが鈍るほどではないが。
受け止めた膝を起点に前転。
御剣の頭上から踵を振り落とした。
しかし、それも容易く受け止められ、更にはその蹴り足を握り込まれてしまった。
「ちょっ!?」
「少々、迂闊に過ぎるわいのぅ!」
そのままフルスイングで頭から地面に叩き付けられる。
大地が爆散する。
ちょっとばかり肉体を強化した程度の人間では、間違いなく風船のように爆ぜてしまうだろう勢いだった。
だが、
「ぜあ!」
俊哉は生きているばかりか、上下が反転した姿勢のまま、御剣を蹴り抜かんとした。
「ほっ! 器用な奴じゃのぅ!」
受け身を取ったのだ。
頭から首、肩だけで。
中々出来る事ではないが、日々、美影と戯れてきた俊哉にとっては、当たり前に出来る技でしかない。
そうでなければ、とうの昔に死んでいる。
意表を突けそうであった攻撃だが、それは後退しながら受け流されてしまう。
「ふんっ!」
仕切り直しのように思えたが、しかし御剣は距離を置いた状態のまま、掌底を放つ。
衝撃。
「うお!?」
掌底の形に圧縮された圧力に、俊哉は全身を撃ち抜かれて吹き飛ばされた。
まさかの遠距離攻撃に、逆にこちらの方が意表を突かれてしまった。
「立て直す隙など与えんわいのぅ!」
それを追って、即座に御剣が駆け抜ける。
迫る肘を迎撃せんと、拳を振り上げる。
しかし、直前でピタリと止められて、拳は透かされた。
そのまま流れるように動きを変えて、下方から撃ち抜かれる。
「ぐっ、ほっ……!?」
クリーンヒットであった。
腹部に受けた衝撃に、内臓が大きく歪んで吐き気がこみ上げる。
くの字に折れて浮かんだ俊哉を、返す刀で撃ち抜く。
大地をバウンドしながら盛大に吹っ飛ぶ。
「ほっほっ、本当に活きが良いのぅ!」
その様子に、御剣は嬉しそうに笑む。
追撃を受けた俊哉は、しかし上手く軸をずらしてダメージを逃がしていたのだ。
拳から伝わる感触からそれを察した御剣は、あの戦闘速度と攻撃を受けた不安定な姿勢からそれを為した彼に、惜しみない称賛を贈る。
舞い上がった粉塵の向こうへと消えた彼を追って、御剣が向かうと、煙幕を斬り裂いて逆に俊哉が向かってきた。
大振りの攻撃。
煙幕で隙を突いたつもりなのか。
向かってきている事に気付いていた御剣は、悠々と余裕をもってそれを潜り抜ける。
しかし、これは誘いであった。
俊哉は伸ばしきった腕を折り畳んで肘を落としながら、同時に膝を打ち上げる。
上下からの肘膝挟み撃ち。
決まった、と思った。同時に、そんなに甘くないとも。
現実は、後者が正しい。
挟み込んだ肘と膝。
それが内側から力任せにこじ開けられる。
両の手でガードされていたらしい。
そうしてがら空きとなった俊哉の腹に、拳がそっと添えられる。
「それはやばいって……」
「ほぅ、これも知っておるのかいのぅ」
短く言葉を交わした直後、添えられた拳から衝撃が奔り抜けた。
それは俊哉の全身を駆け巡り、彼の身体を内破させる。
「ぐぶっ!?」
こみ上げた吐き気に乗って、口から血の塊が吐き出される。
それだけではない。
全身の皮膚が裂けて、噴水の様に血が噴き出した。
ガクリ、と力を失って膝から崩れ落ちる俊哉。
その頭に向かって、御剣が拳を振り被った。
「おっと……」
しかし、その直前で危険を察知した彼は、大きく飛びのく。
爆裂。
御剣の勘は正しかった。
ほぼ同時に、俊哉を中心として爆炎が広がった。
「チッ。乗ってくれよ」
項垂れていた俊哉は、御剣が巻き込まれなかった事を確認して顔を起こすと、盛大に舌打ちする。
「ふぅむ。気血法と似た気配、ではあるのじゃが、炎が起きるとは面白い現象じゃのぅ」
膝を付いた姿勢のままの俊哉に攻撃する事も出来るだろうに、御剣はそれを後回しにして興味深いと顎髭をしごいた。
俊哉は、もう一度、舌打ちをしながら口の中に溜まっていた血を吐き捨てる。
(……気血法、ね)
聞いた事はある。名前だけは。
詳しい事は知らないが、失われた雷裂の秘伝なのだとか。
成程、失われるのも当然だ。
超能力による身体強化法をそうと名付けていたのならば、魔力がばら撒かれた時点で次代には引き継がれない。
彼らは人間を極めようとしていた一族だ。
それ故に、地球上で最も早くに超能力の蓋をこじ開けていたのだろう。
歴史的新事実ではあるが、今はどうでもいい。
雷光が迸り、雷鳴と共に付近へと落下した。
俊哉は、それを横目で確かめる。
「……どうも先程から気になるのぅ。そんなに雷が怖いかの?」
自分達ほどの強度ならば、あの程度の雷など、直撃しても大した事にはならない。
それが分かるが故に、俊哉が落雷を気にする素振りがよく分からない。
少なくとも、この決闘の最中に意識を割いてまで気にするほどの事には思えなかった。
その疑問に、俊哉は不敵に微笑みながら、肩の力を抜いて答える。
まだ余力はある。
魔力が感知されない事を良い事に、こっそりと命属性魔力によって応急処置をしていたのだ。
なので、戦おうと思えばまだまだやれるが、もうその必要はないと戦意を落としていた。
その様子に、更に不信感を募らせつつ、彼の言葉を聞く。
「俺たちにとっちゃ、雷は不吉の象徴なんだよ、平時にはな」
「ふっふっ、不吉か。しかし、今は平時とは言い難いのではないのかのぅ?」
「ああ、そうとも。殺し殺されが平時である筈がない。
だから、もう一つ、俺たちの常識を教えてやろう」
俊哉は、今度こそ完全に戦意を失わせる。
後ろ向きに倒れ込み、尻餅を着いた姿勢で深く吐息を漏らしながら、彼は告げた。
「吉兆は雷鳴と共にやってくる。有事にはな?」
漆黒の雷が、天地を貫いた。
本当はもうちょっと親衛隊たちが、作戦遂行している様子を描写しようと思っていました。
しかし、実はもうこの章は文庫本一冊分に達しているのです。
なので、そろそろ本格的に物語を動かさねば、と。