方針
約二百年前と言えば、地球人類史における最大の転換点である。
種族と惑星そのものを破滅に追いやる終末戦争の真っただ中。
そして、その終結に関連した技術革命の発生。
この当時は、現代においてはもはや伝説に近い。
何が起こっていたのか、ほとんど解明されていないからだ。
しかし、確かな事もある。
それは、この時代は人間の生きられるような環境は、地球上の全域において、ほとんど残されていなかったという事だ。
地球のほぼ全てが現代における廃棄領域と同じ環境に置かれている。
そんな絶望的な、現代人からすれば死の宣告と言っても良い状態だったのだ。
強いて、その中で救いがあるとすれば、現代の廃棄領域とは違い、訳の分からない進化をした超生命体が、この時代ではまだ発生していない事だろう。
代わりに、いまだに戦争を継続している愚かな人類がしぶとく跋扈しているが。
「おー……まい……がー……」
その事実を前に、廃棄領域での生きにくさを、身に染みてよくよく理解している俊哉は、絶望的な呻きを漏らさずにはいられなかった。
呻き方を見るに、まだまだ余裕はありそうだが。
「隊長殿、廃棄領域への理解と経験は、貴方が最も深いです。ご指示を」
「んあー……」
「トシ、起きやがれ、です」
ショックから立ち直り切れない彼を、雫がはたいて再起動させる。
一発二発、とんで八発目で、ようやく我を取り戻した俊哉は、憂鬱な空気を吐き出しながら言葉を紡ぎ出した。
「……まずは、食料だ。水と食料。その確保に動くぞ」
「承知しました。
……が、その前に、余裕のある内に、少しばかり講義をしていただけると」
何があるか分からない。
だからこそ、いまだ差し迫った危険のない内に、情報は共有しておくべきだと進言する。
尤もな意見だった為、俊哉はどっかりとその場に座り込みながら、廃棄領域の脅威について語り始める。
「廃棄領域は、人類が生み出した毒素の坩堝だ。
そして、その中で生き残った動植物は、極端に意味の分からない進化を遂げた超生命体と化している。
それくらいは知ってるな?」
「ええ、常識レベルですな」
「良し。ここで生き残る上で一番の脅威なのは、この超生命体じゃあない。
環境そのものだ」
「…………」
「兎に角、何から何まで人体に有害な毒物に汚染されている。
踏みしめる大地から、恵みの森から、流れる水から、果ては吸い込む空気まで、ありとあらゆる全てだ。
生身の人間なんざ、半日と持たずに死ねる。
とはいえ、それは知っていれば、俺たち魔術師ならそう問題はない。
少なくとも、今みたいに呼吸を確保できるし、目に見えない有害な放射線だのも排除できるからな」
「ですな」
「だが、どうにもできない部分もある。
水と食料だ。特に食料。
なにせ、何もかもが毒物の塊なもんだからな」
「水は……まぁ、魔術で何とかなりますからな」
現在、呼吸可能な大気を魔術的に確保している様に、水分に関しては魔術でどうにでも毒抜きが出来る。
これまで俊哉が放り込まれていた時には、まだ義手の機能が解放されていなかった為に、飲み水一滴確保するだけでも大変な労力が必要とされたが、水属性魔力を扱える現在ならば、その難易度は格段に下がっていると言えた。
しかし、問題は食料の方だ。
「そう、水は今の俺たちならまぁ何とかなる。
だが、食料ばっかりはどうにもならん」
区分が微妙なのだが、人間が食料と出来るものの操作は、命属性の領分となる。
扱いの難しい上位属性だ。毒素の除去というだけで、大変な労力を要求されてしまう。
そして、この場には、それだけの習熟度に達した命属性の使い手がいない。
悲しいことに。
「参考までに……隊長殿はどのようにして廃棄領域を生き延びたのですかな?」
「ああ、祈りと根性」
「「「…………」」」
思わず無言にならざるを得ない返答に、誰もが可哀想な者を見る目を向けた。
それを無視しながら、嫌気が差した顔で吐き捨てる様に補足する。
「身体の中に入っちまえば、また扱いが変わるだろ?
もう、あれよ、取り敢えず物を食べて、身体強化で新陳代謝爆上げして、体外に排出されるまで毒の苦痛にのたうち回りながら耐える、って方法しかなくてな。
即効性抜群の致死毒に当たってたら、マジで死ねたな」
運が良かった、と嘯く俊哉に、今現在、目の前に鎮座している問題の深刻さを再確認した面々は、互いに頷き合うと行動を始める。
「事態の深刻度合い、よくよく理解しました。
早急に安全な食料等を探して参ります」
「おう。俺は、ちょっとここに居残ってるぜ」
「何をなさるので?」
問われた俊哉は、立ち上がりながら、自身が踏みしめている空中要塞の残骸を爪先で蹴って示す。
「こいつ、この時代から稼働してたんだろ?
なんか良い情報が残ってないか、ちと漁ってみる」
「成程。承知しました。
では、再集合はこちらに設定しておきましょう」
「連絡手段は魔力通信な。
こっち、あちこちから変なジャミングが飛び交ってて、通常通信は役に立たん」
「その様ですな。では」
俊哉の指摘を確認し、耳障りな雑音ばかりの通常通信を切断しながら、彼らはバラけていった。
それを見送った彼は、遺跡の残骸へと向き直り、つい深い溜め息を漏らした。
「…………次元の狭間に呑み込まれて、時を超え、か。
何でそんな事になんだろうなぁ」
宇宙の最果てにでも飛ばされるのならば、まだ理解できる。
あるいは、何処でもない狭間の世界にでも落ちたのなら、納得も出来る。
しかし、まさかの時間を超えるとは思ってもみなかった現象だ。
現実の不可解に肩を落としていると、彼の疑問に対する答えが意外にももたらされた。
「時間の移動も、空間移動の一種なんだぞ、です」
「……え?」
「って、セツの奴が言ってやがったぞ、です」
雫だ。
彼女は、外壁の穴から残骸の中を覗き込みながら、続きを語る。
「ウチらは三次元までの存在なんだぞ、です。
だから、更に高位の四次元を捉える感覚がねぇんだ、です。
そんでもって、だから研究が進まず四次元への理解が出来てねぇんだ、です」
「だから、時間操作は出来ない?」
俊哉の結論に、彼女はこくりと頷いた。
「時属性は空属性の先にある、単なる移動術の一種でしかない、です。
でも、四次元への理解がねぇから、何処に進めば良いのか、そもそもどうやって進めば良いのか、誰も分かんねぇんだ、です。
だから、時属性は今のところ成立してないんだぞ、って言ってやがった、です」
「はぁー、そうなのかー。
そんで、今回はねじ切っちゃった次元の狭間に落ちて、偶発的に時間移動……いや、四次元を移動しちゃった、って事なのか?」
「多分な、です。
まぁ、疑問点もあるんだけど、解明しようもねぇから無視だな、です」
例えば、エネルギー問題である。
時間の遡行は、莫大なエネルギーが必要となると刹那は語っていた。
それこそ、宇宙開闢に匹敵するほどのエネルギーだ。
だが、あの場にはそれだけのエネルギーなど何処にも無かった。
あったのは太陽の断片と雫のエネルギー、そして俊哉たちのエネルギーだけである。
たったこれっぽちの小さな力で、時間遡行など出来る筈がない。
刹那からは、その様に聞いている。
だというのに、現実はこうして過去へと辿り着いている。
刹那が間違っていたという可能性もあるし、何処かから正体不明のエネルギーが流れ込んでいたのかもしれない。
とはいえ、それを解明する手段を雫は持たない。
彼女は、勉強は得意ではあるが、何かを生み出す開発者・研究者としての側面は持たないのだ。
「さっ、トシ、行くぞ、です」
「あらん? 付いて来んの? 危ないよ?」
落下の衝撃で、色々と壊れてしまっており、いつ何処が崩落したり爆発したりするか、分かったものではない。
中々に危険な領域だ。
それ故に聞き返すのだが、雫はそれを鼻で笑って言い返す。
「トシにプロテクト解除が出来んのか? です?
それに、危険度は外の方もあんま変わんねぇぞ、です」
「……ご尤もです」
外は外で致死毒に満たされた世界だ。
それに、派手な落下とそれに続くアマテラスの本気撃ちで、居場所を周囲に向けて宣伝している。
何処かの勢力が、今にも戦力を送り込んでこないとも限らない。
なので、一番安全なのは、結局俊哉の側に落ち着く訳である。
もはや定位置と化した俊哉の背中へと、雫がくっつくと、彼女は残骸の穴の一つを指差す。
「ごー、です」
「はいはい。仰せのままに、お姫様」
苦笑しつつも従う。
可愛い彼女に使われるのも悪くない。
そう思いながら、彼は遺跡の中へと再侵入するのであった。