姉妹の亀裂
「いやだぁー!!!!」
夜のとある男子寮に、魂の叫びが木霊する。
それは、ガチ泣きしながら刹那の足にしがみつく俊哉のもの。
「あっはっはっはっ、それだけ元気があれば大丈夫だね! さぁ、張り切って行こう!」
そんな彼を笑うのは、雷裂 美影の邪悪な声。
「俺っちはもう一人前だぁ!! 大人だぞぅ!!!!
だから修行なんてもう良いんだぁーーーー!!!!」
何があったのか、と言えば、数日の休息で精神的に回復した俊哉を、再度、修行という名目の地獄巡りに連れ出そうと美影がやってきたのだ。
結果は見ての通りだ。
せっかく回復してきた精神は、一瞬でその均衡を失って、幼児退行してしまっている。
美影は泣き言など聞かない。
容赦なくその魔手を彼に伸ばす。
瞬間。
危機を察知したのだろう。素早い動きで身を翻し、
「自由への脱出!!」
近くの窓を破って、寮の外へと彼は逃げ出した。
既に日は沈み、世界は闇に包まれている。
加えて、ここは地上四階で、そこからの落下は中々に危険なのだが、
「まぁ、魔力強化をしていれば死にはせんか」
頭から固いコンクリートに落ちても死にはすまい。
なので、刹那は放っておく事にした。
千里眼を飛ばして確認してみれば、華麗な受け身を取って、勢いそのままに夜闇の中へと駆けて行っている。
「やれやれ。元気な事だね」
ふぅ、と仕方ないとばかりに嘆息した美影は、直後、凶悪な笑みを浮かべる。
「逃がさんっ……!!」
言って、俊哉の後を追って飛び出していった。
~~~~~~~~~~
「愚妹は元気だなー」
良い事だ、と頷く。
俊哉には正直悪いと思わなくもないが、妹が楽しそうなので刹那としては万事OKである。
すぐに遠くからか細い悲鳴が聞こえてきた辺り、きっと捕まったのだろう。
合掌せずにはいられない。
さて、と刹那は身を翻す。
これでも忙しい身なのだ。
特に、今は純粋魔力精製技術、人工多重属性化技術、抗魔力薬剤製作と言った技術を、分かり易く丁寧に纏めねばならない。
何故かと言えば、来月、来日する合衆国大統領に渡す為だ。
国益、という面で見れば、これらの技術を明け渡すという事は愚行以外の何物でもない。
だが、事は既に一国がどうのという段階ではない。
人類及び地球の存亡すらも掛かっているのだ。
敵対国相手には流石に流しはしないが、友好国相手には国という枠を超えて協力体制を築いていこう、というのが天帝の考えであり、それが故に刹那は研究成果を纏めて提出するように求められているのである。
そんな訳で、自分が分かればそれで良い、という適当感溢れる研究資料を解読して、他人にも理解できる形にする作業に追われており、とても忙しいのだ。
しかし、部屋に戻って作業を進めようとしていた刹那を呼び止める声があった。
「雷裂君、ちょっと良いかい?」
それは、この寮の管理人の声だった。
振り向けば、予想通りの人物がいる。
彼は、困ったような笑顔で用件を告げる。
「君に来客が来ているんだ。応接室まで来てくれるかい?」
「客だと? まったく、アポイントメントという言葉を知らん輩だな」
「まぁまぁ、そう言わずに」
「ああ、寮監殿に言った訳ではない。
君を困らせても仕方ない。文句は当人に言うとも」
管理人の先導に従って、寮の応接室に向かう刹那。
「では、私はこれで」
「ああ、有り難う」
部屋の前で、寮監とは別れる。
刹那はノックもせず、勢いよく扉を開け放つ。
「何処の誰だか知らんが、俺を呼びつけるとは良い度胸だ!
だが、今度からはアポを取ってからにしたまえ!」
「……えと、あっ、はい。その、すまない」
「あ?」
中にいたのは、赤い髪をポニーテールに纏めた女子生徒――炎城 久遠がいた。
刹那の言葉に素直に謝罪を返すのに、彼は嫌そうな顔を隠そうともせずに浮かべる。
「チッ、なんだ。ただの人間の屑か。
屑の癖に謝罪が出来るとは。礼節を知った屑のようだな」
「うっ……」
分かってはいたが、面と向かって屑と呼ばれると、やはり心が痛む。
しかし、かつての仕打ちを思えば、そう呼ばれても仕方ないと思う。
それ故に、甘んじてそれを受け入れたのだが、
「なんだ、言い返さないのか? つまらんな」
なにやら、それが不満だったらしい。
不機嫌そうに、久遠の正面に腰を下ろす刹那。
「……言い返した方が、良かったのか?」
「張り合いはあっただろうな。まぁ、どうでもいい事だ。
そんな事よりも、一体何の用件があってわざわざ俺を訪ねてきたのかね。
その神妙な態度からまさかとは思うが、まさかまさか過去の事を謝罪しに来たなどと言わないだろうね?
屑の癖に」
「……そうだと言ったら?」
本当の用件は違うが、雑談のつもりで言ってみる。
すると、そっぽを向いた彼は、吐き捨てる様に答える。
「必要ないから帰れ。
今更、君たちに恨みも憎しみもない。
正直、覚えていないしな。故に、謝罪などいらん」
「そう、なのか……」
美雲やその母から刹那の内心を聞いていた。
だが、はっきりと本人の口から言われれば、もはや受け入れるしかない。
既に自分たちは彼にとって忘れた過去なのだ、と。
今更復縁など望んでいないし出来る訳もない、と。
久遠は気持ちを入れ替える。
自分も過去の事は置いて、赤の他人として接しよう、と。
「いや、違う。刹那君を訪ねたのは、我が愚妹の件だ」
「ああ、あの無差別テロリストか。
なんだね? 揉み消したいとでも言うつもりか?」
言い当てられた久遠は、少しばかり苦い顔をしながらも肯定を返し、深く頭を下げる。
「……ああ、その通りだ。この通りだ。
愚妹に代わって心から謝罪する。
如何様にも償いをしよう。
愚妹もしっかりと更生させる。
だから、今回だけでも、目を瞑ってくれないだろうか」
「ふむ」
少しばかり間を開け、
「まぁ、前途ある若者だ。その未来を守りたいという気持ちは分からんでもない。
だが、本当に更生できると思っているのかね?
例の入学式の翌日に、速攻で行動を起こすような短絡的人間だぞ。
しかも、周りの無関係の人間を巻き込む事を良しとする、いっそ惚れ惚れするほどの道徳の欠如具合だ。
それでも、出来ると?」
「問題ない。洗脳紛いの手段を使ってでも、矯正してみせる」
覚悟を秘めた視線で、推し量る様な刹那の目を見返す。
暫し、無言の時間が流れる。
「ふっ、まぁ良かろう。
幸いにして被害者もいないしな。
本当にできるか、やってみると良い」
嘲る様に言って、更に付け加える。
「……ああ、一応言っておくが、二度目は法の裁きとか悠長な事を言ってやらんぞ?
即座に、容赦なく、反撃をする。
テロリストの現行殺害は合法だ。
どういう意味か、分かるな?」
「ああ、それで構わない。温情、感謝する」
「温情ではない。単に、抹殺する機会を設けただけだ」
「それはつまり……」
「俺は、あれが真っ当に更生するなどと欠片も思っていないぞ」
クッ、と暗い笑みを浮かべる。
本当は、この手でぶち殺したいほどにムカついていたのだ。
自分に悪意を向ける事はともかく、周囲を無差別に巻き込むやり口は、本当に大嫌いだ。
雷裂の姉妹に人の世界に生きる様に釘を刺されているから穏便な手段を取っていたが、それも一回だけだ。
仏ではない以上、一回も許してやれば十分だ。
二回目は、容赦も躊躇もなく、即座に確実に殺す。
そう思うと同時に、少しばかりの期待もしている。
自分は今の姉妹のおかげで、獣から人になった。
彼女たちが本気で向き合ったからだ。
ならば、あの悪鬼も人になれるのでは、とも心の何処かで思うのだ。
家族が本気で向き合いさえすれば。
久遠の覚悟のある視線を見て、そう思えた。
だから、一回くらいは、その機会を与えてやっても良い。
その一回を物にしてみろ、と思う。
間違ってもこちらは言葉にしないが。
「……更生させるさ。絶対に」
「お手並み拝見させてもらうとも」
~~~~~~~~~~
特別懲罰房。
学園生徒で重大な違反行為を行った者を収監する施設。
魔力絶縁構造であり、また鉄格子ではないだけで、内側から鍵の開け閉めの出来ない扉である事を見れば、学園生徒専用というだけで、それが単なる監獄という事は明らかだ。
そんな場所に、炎城 永久は入れられていた。
暗く、冷たい牢獄。
八魔本家の娘であり優等生だった彼女にとって、こんな劣悪な環境で過ごす事は初めての事だ。
だが、それはどうでもいい。
目的を果たせていたならば、本望だと胸を張って言っただろう。
「……無能の癖に。無能の癖に、無能の癖に! 何で……」
生き残れる。
確実に殺せる筈だった。
自分の全魔力を注ぎ込んだ爆炎術式。
今の自分に出せる最大威力だった。
魔力のない無能なんて、塵にできる筈だった。
なのに、生き残った。
有り得ない事だ。有り得てはいけない事だ。
どうしてどうしてどうして。
ぐるぐると思考が空回りする。
刹那という存在が無能である。無能でなければならない。
それが大前提としてある以上、彼女の思考が前に進む事はない。
同じ場所を走り回るだけだ。
そうして無為な時間を過ごしていると、分厚い監獄の扉が開け放たれる。
「炎城 永久、出なさい。釈放です」
「…………はい」
女性教諭の言葉に、大人しく従う永久。
静かな廊下を無言で歩く。
少しして、教諭が口を開く。
「……あなたには期待していました」
この教員と永久は、面識がある。
彼女はこの懲罰房の管理をしている教員の一人で、永久は違反者を取り締まる生徒会執行部の一人だ。
一種の同僚とも言え、多少の交流があったのだ。
「まだまだ未熟な面もありますが、才気を感じさせ、努力をする姿勢もありました。
心根も良く、きっと将来は良き魔術師になるだろう、と思っていました」
「…………」
「この様な事になり、残念です」
答えは期待していないのだろう。
言うだけ言って、それからは再び無言となる。
やがて、出口へと辿り着く。
扉を開けば、待っていたのは実の姉、久遠だ。
彼女は、怒っているような、泣き出しそうな、そんな複雑な顔をしていた。
「先生、お手数をおかけしました」
久遠が永久を連れてきた教員に頭を下げる。
「……すみませんでした」
刹那を襲った事、それを反省などしていない。後悔もしていない。
だが、教員の期待を裏切った事、姉に悪感情を抱かせ、こうして頭を下げさせてしまった事、それは彼女にとって嬉しい事ではない。
謝罪は、それに対しての物だ。
「二度と、繰り返さないように。
……お元気で」
~~~~~~~~~~
懲罰房を出た二人は、人通りの少ない道を歩く。
「永久、お前は学園から退学となった。
名目上は、実家の都合での自主退学だが」
「……はい」
「屋敷に戻ってからは再教育を行う事となっている。
それが終わるまでは、一歩も屋敷からは出さん。
何か異論はあるか?」
「……何も、ありません」
間。
「何故……何故、こんな事をしたんだ」
「……あいつが、あの無能が出てきたからです」
「そうか……」
そこがやはり歪みなのか、と納得する。
熱のない言葉。
姉も自分と同じだと思っていた。
いや、被害を直接的に受けた姉の方がより強い思いを抱いていると思っていた永久は、彼女のその様子に苛立ちを覚える。
「お姉さまは! 憎くないのですか!?
あいつの所為でお姉さまが苦労を背負ったというのに!
そいつが何も知らずに幸せそうにしている事が!」
「…………」
「思い知らせなくてはいけないのです!
私たちの恨みを! 憎しみを!
お姉さまだって、そう思うでしょう!?」
「私が……」
先を歩いていた久遠が振り向く。
その目には、憤怒が宿っていた。
それは刹那に対しての物ではない。
あまりに物事が見えていない妹と、そうしてしまった炎城という家、そしてそれに気付いてやれなかった自分の情けなさに対しての物だ。
「私が何も言わないからと、勝手に私の心を代弁した気になるなッ!」
「……っ!?」
「なぁ、永久。私が苦労をした?
なら、刹那は苦労をしていないとでも思うのか?
あいつが苦労を押し付けた?
私たちが苦労を押し付けたのだとは思わないのか?」
美雲から聞いた。刹那が生きていた森の事を。
魔の森とも、禁忌の森とも俗称されるあの名も無き森の事を。
あの大魔境を年齢一桁の子供が生き抜いたという事を。
それは、苦労などという一言では言い表せない程の偉業だ。
奇跡と言っても良い。
そして、そんな偉業を背負わせたのは、間違いなく自分たちの方なのだ。
自分が受けた苦労など、あの森で生きていく事に比べれば、鼻で笑えるほどに生易しい。
「永久、なぁ永久。
自分の価値観こそが絶対だとは思わないでくれ。
自分が知っている事が世界の全てだと思わないでくれ。
目を開いて、耳を澄ませて、物事を知ってくれ」
「でも! でもあいつが無能なのは、紛れもない事実じゃないですか!」
「刹那は無能などではないッ!」
学園に首席で入学した時点でも明らかだが、それからの彼は決闘三昧に明け暮れ、その全てに圧勝している。
敗北どころか、辛勝というぎりぎりの戦いすら演じていない。
中には、国防の第一線でも通用すると言われた自分だって苦戦するような相手ですら、涼しい顔をして勝利を収めていた。
紛れもない強者であり、間違っても無能と蔑まれる存在ではない。
「筆記でも実技でも、首席での入学だぞ!?
あいつが行った決闘の成績を知っているか!?
百戦にも及ぶ決闘で全勝だぞ!?
これが無能にできるとでも!?」
「無能ができる筈ないじゃないですか、そんな事!
雷裂の権力でも使って不正をしたに決まっています!」
「八百長だと!? 他の八魔に連なる者にまで圧力をかけたのだと!?
そんな事が可能だと思っているのか!?」
自分たちの系譜相手ならば、可能だろう。
だが、他家の者にまでそれをする事は出来ない。
自分が炎城だからこそ、それは事実として分かる。
あまりにも強硬に否定する久遠の言葉に、永久は失望の顔を覗かせる。
「何で……何で、お姉さまはあいつを庇うのですか?」
「庇ってなどいない。客観的事実に基づく言葉だ」
久遠は、永久の顔に手を添え、真正面から彼女の目をのぞき込む。
「まず、認めろ。
いきなり何もかも許して受け入れろとは言わない。
だが、まずは刹那が無能ではないと、そこからだ」
「…………」
永久は答えず、強引に視線を背けるだけだった。
サイコな思考回路って難しい。
話が通じない会話って考えるの大変っすね。
こんなキャラ、誰が出したんだ。私ですね。自業自得です。




