周到に、そして周到に
実は、この作品、ファンタジーじゃなくてSFなのでは、と少し思ってしまった……。
「フン♪ フンフフーン♪」
地球圏、元月周回軌道上に放り出された美影は、遠く見える青き星に向かって、鼻唄交じりに歩み出す。
スキップするような、軽い足取り。
しかし、その速度は尋常なものではない。
一歩で音速を突破し、二歩目には宇宙速度単位となり、三歩目にして第三を越える。
抵抗の限りなく薄い宇宙空間だからこそ出来る芸当であり、大気圏内では流石に出来ない。
肉体的な意味合いでも、周囲への影響という意味でも。
今の美影は、この上ない絶好調となっている。
昨年のカミを僭称する輩との戦い以降、彼女の才覚は本格的に花開いたのだ。
元から、雷裂の末裔として隔絶した能力を持っていた美影だが、あれ以来、目に見えて肉体の進化が始まり、止まらなくなっている。
また、魔力面においても、常識を越えた。
本来、魔力は成長しない。
生まれ持った魔力の質と量から、どれだけ使おうとも、あるいはどれだけ死蔵していようとも、基本的にはさほどの変化はない、というのが通常である。
ごく一部の例外を除いて。
しかし、美影の魔力は、その常識を突破して成長し始めているのである。
これも、カミとの戦いを経てからの変化であった。
とても不思議なことである。
ノエリアは何かを知っている風なのだが、何も言わないし、美影本人を含めた周囲も、殊更に問い詰める事もなかった。
いちいち口を割らせるのが面倒だからである。
そうして、二つの才覚が伸びた事によって、彼女の能力は飛躍的な向上を見せている。
かつての美影は、雷速を叩き出す事が出来た。
だが、それは決して簡単な事ではない。
全力の魔力と超能力で二重に強化し、その肉体に多大なる負担を強いた上で、ようやく引き出せる芸当であったのだ。
その為、長時間の運動は、どうしてもネックであった。
必要を感じ、鍛え直したとしてもやはり限度はあったのである。
しかし、今は違う。
花開いた彼女は、今では鼻唄交じりに、簡単にそれを叩き出せる。
空気抵抗の無い宇宙空間という事もあるのだが、それでもこの様なスキップをするような気軽さで雷速にまで到達する事は、以前の美影では不可能であったというのに。
自分が成長している。
その実感を得られる瞬間は、とても楽しい。
「おっと。ちょっと行き過ぎちゃった」
調子に乗っていたら、つい目的地を通り過ぎてしまった。
地球の衛星軌道上に用があったというのに、このままでは勢い余って大気圏に突入してしまう。
彼女は、踊るように反転すると、数歩だけ移動をする。
たった数歩であっても、宇宙空間での美影にとっては充分過ぎる程の距離が稼げる。
丁度良い塩梅となった所で停止し、少し待つ。
すると、周回軌道に載って、巨大な軌道ステーションがやってきた。
全長は数十kmにも及ぶが、実は本体とも言うべき部分は百メートル弱程度である。
ならば、残った部分は何かと言えば、建造途中の惑星脱出船型マジノライン【ノア】だ。
世代さえも跨いで大宇宙を航海する可能性さえも内包している為、もはや船ではなく、一個の都市が浮かんでいるようなものである。
実際、大気やエネルギー循環はほぼ内部だけで完結しており、僅かな恒星の光さえあれば、半永久的に稼働が可能となっている。
尤も、それは理論上の話であり、実際には構成する部品の耐久力などの問題もあり、どうしても限界はあるのだが。
200~300年程度が無整備で連続稼働できる限界だというのが、制作者の予想だ。
美影は、相対速度を調整して、軌道ステーションに静かに取り付く。
外部操作用のパネルをタッチし、ハッチ内の大気を抜き取ってから、解放した。
「むっ、ちょっと急ぎ過ぎちゃったかな」
まだ空気が残っていたらしく、解放と同時に内側から突風のような圧が吹き出した。
しっかりと外壁に掴まっていたので、身体が突風に煽られるだけで済んだが、そうでなければ宇宙の闇に放り出されてしまう所である。
まぁ、常人ならば絶望的だが、美影の場合は走って帰ってくれば良いだけなのだが。
内部に侵入した彼女は、ハッチを閉じ、大気圧を一気圧に設定して注入する。
「ふぅ……」
今まで無呼吸でいた美影は、久々にも感じる空気を深呼吸で胸に取り込んで、人心地ついていた。
真空の中に平然といると人外感が強いが、こうして真っ当に呼吸をしていると、今度はまだまだ己も人間なのだなという想いが沸き上がってくる。
(……どっちでもいっか)
我思う故に我あり、ではないが、美影は〝人間〟である事への拘りが薄い。
親愛なる兄が、もはやそうとは呼べないが故だろう。
むしろ、彼と共にいる為ならば、喜んで人である事を捨てようとさえ思う。
そんな事を考えている内に大気が満ちたので、本体区画へと繋がる隔壁を開いた。
ほぼ無重力に近い中を、ふわふわと漂いながら、彼女はメインコントロールルームへと辿り着く。
「やっふー、お姉」
中では、美雲が一人でコンソールを叩いていた。
「あら、もう帰ってきたのね。
どうだったのかしら? 弟君の実験は」
顔を上げた彼女は、にこやかな笑みで妹を迎えながら一番重要な事を真っ先に訊ねる。
それに美影は、首を横に振って答えた。
「ぜーんぜん、ダメ。
失敗だよ、しっぱーい」
「あら、それは残念ね」
「ちっとも残念そうじゃないね。
まぁ、そんな感じで成功するまで時間がかかりそうだから、僕だけ先に帰ってきちゃったんだ」
「そうなの。
……てっきり、最後まで付き合うと思ってたわ」
刹那にこれ以上なく懐いている美影の事である。
実験の終わりまで側にいると、美雲は思っていた。
その呟きに、美影は保管庫からエナジーバーを取り出して開封しながら言う。
「そうしたいのは山々だったんだけどねー。
食料がないのはともかく、無酸素を長時間は流石に辛くてね」
「…………酷く常識的な発言だわ。
いえ、そもそも人間は真空内でそんな生きてられないけども」
「まだまだ僕も人間だよー。
お兄や化け猫、それに粘体スライムと比べたら」
「その辺りと比べないと人間判定が出来ないのは、もう充分に人外よ」
「えっ、そうかな?」
「喜ばないの」
嬉しそうに、あるいは照れたように顔を綻ばせる美影に、誉めたつもりのない美雲はピシャリと言う。
「まっ、そんな感じで帰ってくるついでに、ちょっと頼み事をされちゃったりもね」
「頼み事?」
「うん。お姉にもあるよ? やる?」
「聞いてから考えるわ」
にべもない姉に、予想通りの答えだと苦笑をこぼした妹は、言付かっていた内容を告げた。
「ノアの準備をしててくれ、って」
数瞬、間が空く。
美雲は、伝えられた内容を思考し、一応と確認する。
「…………準備って、タイムスリップのよね?」
「それくらいしか思い当たらないかな?」
「ノアを使うの?」
まだ未完成だぞ、という裏側に込められた訴えを汲み取った美影は頷く。
「まぁ、完成はしてないけども。
でもでも、最低限の航行は出来るでしょ?」
「…………本当に最低限よ?」
宇宙船としてのガワは出来ているが、内部機構はスカスカである。
特に、自己完結したエネルギー循環システムなど、ほぼ手付かずだった。
その実情は美影も知っているが、それでもと彼女は言う。
「まぁまぁ。
どうせ、ちゃんとしたマジノラインの方を持ってっても、使い道もないんだしさ。
だったら、補給物資をこれでもかって詰め込めるノアの方が適任じゃん?」
過去に戻る以上、マジノラインを整備する為の施設や補給基地などは、当然、存在しない。
ただ一度、強かに殴り付けるだけで済むならば、それも選択肢としてありなのだろうが、向こうの状況が分からない為、選ぶのは得策とは言い難かった。
一方で、生存性と耐久性を重視して造られているノアならば、ある程度、放置していても問題はない。
エネルギー循環システムは未完成であるが、それを補って余りある補給物資を内部空間に詰め込めば、現代に戻るまでの200年くらいならば、何とかなるだろう。
「コールドスリープシステムだけは、きっちりと完成させとかないとねー」
もしかしたら、行ったまま帰れないという事も考えられる。
そのまま200年前を楽しむのも一興だが、遠回りに帰還する手段を用意しておくのも、当たり前の準備であった。
「ああ、その辺りも含めてなのね」
「そそ。お願いできる?」
「それくらいなら、まぁ構わないわ」
「ありがとねー」
幸いにも首を縦に振ってくれたので、美影は一安心である。
「じゃ、お願いねぇー」
手を振って退出しようとする彼女に、美雲は声をかけた。
「あら、手伝ってくれないの?」
無駄に全方向に優秀な妹の薄情を咎めれば、美影は肩越しに振り返って微笑む。
「僕は僕で頼まれ事があるんだよー」
「そ。なら良いわ。……必要なのよね?」
「んー、絶対、とは言えないけど、やってて損はないんじゃないかな?」
「なら良いわ。いってらっしゃい」
「はぁーい。いってーきまーす」
気軽な言葉を残して、美影は軽い足取りで出ていくのだった。
少しして外部ハッチが解放された警報が室内に響く。
美影の仕業なのだと思われるが、泥棒の可能性も僅かばかり存在するので、一応、美雲はコンソールを叩いて確認する。
「…………シャトルがなかったからなのか、単に面倒になったのか。
ちょっと判断に困るわね」
外部を映すモニターには、大の字になって生身で大気圏に突入していく馬鹿な妹の姿が映し出されていた。
驚異のスカイダイブである。
特に意味もなく、世界記録に名を残す事だろう。
雷裂の家系では、まれによくある事ではあるのだが。
明日、ないかもかもかも。
最近、パソコンの調子が悪くて中々やる気ががが……。