駆け落ち疑惑
「…………んぅ?」
プログラミングの参考に、これまでのマジノラインのデータを参照していた美雲は、奥に隠されるように置かれた設計図を見つけた。
【マジノライン終式(仮)】。
そうと命名されているそれを、彼女は特に躊躇せずに開封する。
「これは……」
中身を流し見た美雲は、開発中の四式を含めて今までのマジノラインとは毛色の違う思想に、僅かばかり言葉を失う。
一言で言えば、それは高飛び用の方舟である。
内部の環境は完全に封鎖環境となっており、あらゆるエネルギー循環が内部のみで完結している。
空気や水のみならず、食料すら自給が可能となっており、太陽光を含めた宇宙に存在する星明かりにて維持エネルギーを補給可能な、高度に発達させた機関を搭載させている。
そして、最も特筆すべき機構として、内部空間の半分以上を占める、広大なコールドスリープシステムだろう。
瞬時にマイナス200℃以下に冷却する馬鹿出力の冷凍庫には、人体を生きたまま冷凍保存する能力を付与されており、合わせて遺伝子サンプルの保存機構さえも備え付けられている。
一方で、武装の類いは、ごく僅かである。
余った空間に気休め程度に設置されているだけであり、まともな戦闘行為は不可能であろう。
明らかに、戦う為の設備ではない。
最後の手段。
あらゆる敗北が決定し、それでも自らの種を残そうという僅かな希望のみを載せる、恒星間宇宙移民船であった。
現代の『ノアの方舟』という所だろう。
「…………」
美雲は、背を向けて鼻歌交じりに作業をしている刹那を見遣る。
彼の性格は、よく知っている……つもりだ。
故に、違和感がある。
(……敗けを見越して? いえ、それよりも)
皆を逃がす、というその思想こそが最もイメージとのズレを抱かせる。
自分と刹那は、似た者同士だと美雲は思っている。
基本的に、世界の中心に自分あり、という考え方だ。
だから、他人の事は心底どうでも良いと思っている。
嘘偽り無く、文字通りに心の底から。
彼の中に例外があるとすれば、自分たち姉妹くらいだろう。
唯一、己たちの為ならば、刹那は全ての優先順位を塗り替える。
そんな彼だからこそ、地球の種を遺そうというそんな設計思想は出てくる筈がない。
ごく少人数を対象とした逃亡船ならばともかく、大規模な移民船など造る筈がなかった。
よくよく見れば、データの作成開始日時は、去年の初夏である。
(……カミ……よりも前。同時多発した異界門の直後辺りね)
その辺りで何か心変わりする事があったのだろうか、と美雲は疑問符を浮かべる。
三秒考えても答えが出なかったので、彼女は直接訊ねる事にした。
「ねぇ、弟君」
呼び掛ければ、グリンと首が180度回って視線が美雲を捉える。
キモい。
「何かね、賢姉様」
「この終式(仮)って奴なんだけど……」
義弟が人間を止めているのはいつもの事なので、彼女は特に言及せずに言葉を続けた。
自分も人の事は言えないし。
美雲とて雷裂の血筋なのだ。
今は出来ないが、ちょっと柔軟をすればあれくらいならば出来るようになる。
「ああ、それかね」
「うん。どうにもあなたが造ってるにしては違和感があるなぁー、って思ってね」
「ふむ。どの辺りが疑問かな?」
キーを叩き、美雲は設計図を立体表示させる。
宙に浮かぶのは、巨大な円筒形の宇宙船だ。
全長が50kmを超えており、ただでさえ巨大なマジノラインと比較しても猶、更に大きい。
そのほとんどが居住区やコールドスリープ区画、あとは食料などの生産施設である。
完成すれば、宇宙に浮かぶ都市になるだろう。
「これ、明らかに逃げる為の物よね?」
「うむ。その通りだな」
「……勝てないと思ってる?」
「……ふむ」
即答は、しなかった。
僅かに思考の間を空けた後、彼は口を開く。
「私はね、実のところ、あまり自らの事を信用していないのだ」
「そうなの?」
「そうだとも。
廃棄領域にて必死になって生きていたような小さな命だぞ?
実に脆弱極まりない。
ある程度、余裕が出来てきて、私に勝てる者など、私を脅かせる者などいないと、そう天狗になっていれば、今度は目の前に愚妹が現れた」
クックッ、と楽しげに笑う。
「最初こそ、私の圧勝ではあったのだがな。
私という目指すべき頂点を見付けたあれは、凄まじいぞ。
分かっているだろう?」
「……まぁ、そう……ね。
強くなる理由を見付けたあの子の成長は、本当に凄いわ。
月並みな言い方だけど」
人生に絶望していた美影に差した、光輝く希望の道標。
今までの鬱憤の全てをぶつけるように、彼女は我武者羅になってそれに向かって突き進んでいる。
それによって引き起こされた変化は、もはや成長という言葉では生温い。
進化、と言える程に常軌を逸したものだ。
「時間のズルをして、何とか兄の威厳を保ってはいるのだがな。
いつ、ヒョイと越えられてしまうかとヒヤヒヤしている」
時間を圧縮して、人生の何倍もの時間を先取りして、それでやっと妹の上を取っていられているのだ。
そうでもしなければ、とうに越えられていただろうと容易に想像できた。
「そんな私故に、己を大した存在ではないと理解している」
「……ふぅん、そうなのね」
ちょっと意外な本音を聞いて、美雲は義弟への評価を改める。
人間らしい感性があったのか、と。
「そして、そんな大した事のない小物が、先日、あの星を喰らう怪物と相対し、本能的に直感的に悟ってしまった訳だ」
「勝てないって?」
「そう、その通りだとも。
あれは〝星〟を喰らう化け物なのだ。
〝星〟の化身でしかない私では、どうあっても勝てない、倒せない」
「だから、逃げる」
「如何な兵法をこね繰り回そうとも、最後に残されるのはそれだけだからね」
三十六計逃げるに如かず、である。
恥も外聞もなければ、拘りも持たない刹那だからこそ、容易にその選択肢を選べる。
それ自体は、美雲のイメージに合致していた。
「じゃあ、皆で逃げられる様にしているのは?
あなた、興味なんてないでしょうに」
「それは帝陛下やヤンキー大統領辺りからのオーダーだな。
私としては、賢姉様と愚妹が乗れる分で充分だと思うのだが、彼らとしては承服しかねるらしい。
まぁ、大した手間ではないので、ついでに設備を拡張したと、それだけの事だ」
指導者として、最悪の事態は想定しておかねばならない。
故に、彼らは地球の放棄だけでなく、近郊の惑星さえも陥落する可能性を考慮し、新天地へと向かう脱出船を求めていた。
そこに、折よく造っている馬鹿がいたので、相乗りさせて貰う事にしたのだ。
疑問が解消された美雲は、一つ頷くと、立体表示を消す。
「そっか。……そうなのね~。勝てない、かぁ……」
「間違いなく勝てないね。どうしたものかね。困ったものさ」
彼女の呟きに、一方で刹那はさして重大に構えていない様子で楽しげに嘯いた。
それを責めるように半目を向ける。
「……随分と気楽なものね」
「気楽なものさ。
私にとって、勝てない相手というのは珍しくない。
昔を思い出して懐かしく思うだけだからね」
廃棄領域に捨て置かれた初期は、周囲にある全てが敵であり、自らよりも遥かに上の存在であった。
彼の人生において、一歩間違えれば即座に死に繋がる状況は、そう珍しいものではないのだ。
そんな絶望的な状況からでも、もがいて足掻いて、希望を見付けだす事は十八番である。
「まぁ、安心したまえ。
どうせ最後には何とかなるとも」
「その根拠は?」
「あるように見えるかね?」
「…………お気楽、ここに極まれりねぇ~」
しかし、そうと断言されてしまうと、そんな気がしてくるから不思議なものであった。
それにどうにもならなかった時の為の脱出手段も用意しているのだから、完全な行き当たりばったりという訳でもないようである。
嘆息を一つこぼした美雲は、色々と規格外な義弟に丸投げしてしまおうと、気楽に考えるのだった。
「……あら?」
そんな風に一段落した直後であった。
通信機が呼び出しの電子音を響かせた。
「はい、もしもし。雷裂美雲です」
『あっ、もしもし? お姉?』
通信に出れば、それは不肖の妹であった。
今の彼女は、高天原で暇潰しに大学の研究に首を突っ込んでいた筈である。
特に緊急を要する事項はなかったと思われる。
しかし、その声には、呑気な口調とは裏腹に、何処と無く緊迫感が滲んでいた。
『あのさー、そっちの方に雫ちゃんとかトッシー君、いない?』
「いないわよ? ここには、私と弟君だけ」
『そっかー。いないかー。……困ったな』
「その二人が、どうかしたの?」
事態が見えないので、素直に訊ねれば、美影はあっけらかんと答えた。
『うん。実は、行方不明なんだよね』
「あらま。駆け落ちでもしちゃったの?」
『だったら、分かり易かったんだけどねー。
殴り倒して連れ戻せば良いだけだから』
嘆息を一つ挟んで彼女は続けた。
『雫ちゃん親衛隊も一緒に消えてんだよね』
「…………それは、結構な大事ね」
二人だけならば、若さに突き動かされた駆け落ちだと思えたのだが。
そこまで共に消えたとなれば、そうとも思えない。
去年の夏以来、大きな動きの無かった世界で、静かに事は起こり始めているらしい。
明日はない!
お引っ越しするから。