愉快な惨状
すみません。
おとといは、体調不良につきダウンしておりまして……。
何故。一体、どうして。
有り得ないような現実に、思考が同じ場所で空転する
。
己は今、宙を舞っている。
自らの意思ではない。
外からの攻撃によって、である。
いや、断言は出来ない。
おそらく、その筈、その様な不確かな言葉を付けなければならない。
何故ならば、今、己にはその敵の姿が見えていないから。
認識できていない、と言った方が良いかもしれない。
見えている。
見えている筈なのだ。
だというのに、そこにいるのだと認められない。
五感の全てが、そこにいるのだと認識してくれない。
だから、つい、対応する事を忘れてしまう。
気付けば、ただ無防備に、木偶のように打たれるだけであった。
無数の攻撃が、身体の芯を痺れさせる。
防御せねばならない、と思った。
だから、力を高めて身を固めた。
だというのに。
それは、すり抜けて、あるいは打ち崩して、容易く突破してくる。
そして、またいつの間にか視界が回っていた。
意味が分からない。
「我は……」
一発一発はさほど強くない。
だが、積み重ねれば、それは鈍い痛みとなって溜まっていく。
己が傷つけられていると認識したカミは、初めて危機感というものを覚えながら、言葉を紡ぐ。
「我は、一体、何と戦っているのだ……!」
その疑問への答えは、強烈な拳撃であった。
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『別に、そう大層な話ではないのだよ』
浮遊霊は、一方的に展開される戦いのような何かを見上げながら、語り始めた。
『我が愚妹は、雷裂の最高傑作だ。
連綿と積み重ね続けてきた、超人の血統。
その集大成にして、結晶と言えるだろう』
「らしいの。
とはいえ、あくまでそれは人間の範疇の話であろ?」
確かに、尋常ではない身体能力をしている。
本当に人間なのかを疑うレベルを越えて、本当に有機生物なのかを疑う段階にまで至っている。
素の身体能力をして、魔力で強化された者たちに匹敵するか、あるいは上回ってしまうのだから、それは余程の事だ。
とはいえ、それだけの事である。
ノエリアや刹那、そして頭上のカミなどにとっては、そう大した差ではない。
彼らの出力の前には、軽く押し潰せてしまう程度の差でしかなかった。
だから、ノエリアには、現状が不思議で堪らない。
こうも一方的な展開になる筈もないというのに、そんな有り得ない現実が起きている。
首を傾げざるを得ない。
『身体能力……に、限った話ではないのだよ、それは』
「というと?」
刹那は、ノエリアの勘違いを正すように言う。
『雷裂が積み重ねてきたものは、何も身体能力に限った事ではないのだ。
彼らは、こと戦う事に関するあらゆる術を修めている。
例えば、それは武芸。
例えば、それは兵法。
例えば、それは武器兵器の開発運用』
〝人〟の戦いを極めてきた。
ひたすら、一途に、狂気を秘めて。
『愚妹は、その全てを極めた。
私に勝つ為に、私を超える為に。
実に可愛らしい執念だ』
「……高度な惚気じゃの」
元々、それだけの才は持っていたが、人生に倦んでいた美影は、才を磨く事をしてこなかった。
故に、残念なことにそれに見合った程度の能力しか持ち合わせていなかった。
しかし、刹那と出会い、超えられない壁とぶつかった彼女は、大きく変わった。
才を磨く事に積極的になり、その結果、底無しの才能が美しく華開いたのだ。
その結果として、人の形をした〝化け物〟である義兄に、余計に勝ち辛くなったのは御愛嬌であるが。
『あのカミは、人に執着し過ぎている。
力は強大だが、それを振るう器は人の形のままなのだ』
「だから? だから、何だと言うのじゃ?」
『愚妹はな、見切りが早いのだ。
極端にな。
特にそれが人であれば、未来予知と言っても良いほどに先回り出来てしまう』
一目見た瞬間には、相手の全てが分かってしまう。
真面目にやれば、だが。
人を極め、熟知しているからこそ、何が出来て、何が出来ないのか、見抜ける。
見抜いてしまえば、終わりだ。
ただ淡々と、詰め将棋のように、相手の行動を先回りして、潰して、追い詰めて行けば良い。
口で言うのは簡単な事だが、実行するのは難しいそれを、彼女は言う。
簡単な事だと。
「いやいや、そんな馬鹿な」
『私も馬鹿だとは思うのだがね。
実際に、ああやっている様を見ていれば、納得せざるを得ないであろう?』
人に執着しているカミは、その構造の全てが人と変わらない。
故に、美影の目には、考えるまでも迷うまでもなく、次の瞬間に何をしようとしているのかが透けて見えている。
見えてしまう。
「……それだけでは、説明がつかなかろう。
例え分かっているのだとしても、速度域が違い過ぎる。
我らは、何ならば光にさえ匹敵するのじゃぞ?」
雷の速度で動ける美影ではあるが、それよりも猶速く動けるのが彼らという存在だ。
それを指摘すれば、刹那は肩を竦めてみせた。
『まぁ、そうなのだがな。
奴には愚妹が見えていないのだから、効果的に反撃する事も出来なかろう。
ハハッ、サンドバッグも良いところだな』
「見えて、おらぬ……とは?」
『ふむ、そうだな』
少し悩んだ刹那は、指を一本立てて見せる。
『これが貴様の視界の中心としよう』
「お? おう」
そして、刹那は指の位置を動かさないまま、身体を横にずらしてみせる。
視界の端に移動した彼の姿は、ほとんど見えなくなる。
視覚的には、だが。
『やっている事はこれだけなのだ』
「いやいや、意味が分からんぞ」
『チッ、察しの悪い畜生だな』
「今の我は畜生ではないのじゃが……」
ノエリアの抗議をさらりと無視して、刹那はより詳しく語る。
『今のは視覚のみで、しかもあからさまな動きだった訳だが、簡潔に言えば相手の感覚からずれているだけなのだよ。
ほんの少しずつ、気付かれない程度に』
「……それで、見えなくなるものなのかの?
つーか、分かるじゃろ、普通」
『分からないものなのだよ、これが。
まだカンザキが弱かった頃の、古式闘法なのだとか。
いや、実際、これが中々高度でな。
五感のみならず、心拍や呼吸、瞬きなど、あらゆるタイミングからずれるものだから、仕掛けられていると気付けない、らしい』
「らしいとは不確かじゃの。
そんな便利な代物なら、我との喧嘩の際にも使えば良かったものを」
敵から認識されなくする、驚異の〝技〟。
そんなものがあったのならば、それこそノエリアと戦った時に使えば良かったのに。
そうすれば、もっと楽に戦えただろうに、と、彼女は思わずにはいられなかった。
しかし、それを刹那は否定する。
『使わなかったのではない。
使えなかったのだ』
「…………ほう?」
続けよ、とばかりに視線をくれれば、彼は語り始める。
『貴様は、まぁ私もだが、五感に頼っていないだろう?』
「ああ、なるほど。言いたいことが分かったの」
精霊であり、自らを構成するエネルギーそのものが本体であるノエリアは、外界を認識する為の方法として、人の身が持つ五感に重点を置いていない。
人を模している為に五感はあるが、それが伝える情報は比較的に優先度が低かった。
だから、あくまでも〝人〟を騙す為でしかない技が通用しないのだ。
そして、刹那も同じく、五感に頼っていない。
廃棄領域で過ごす内に、五感だけでは足りないと理解した彼は、更に別の感覚野を開拓していた。
故に、彼にもまたそれが通用しない。
『……地球には、つい二百年前までは常識的な生き物しかおらず、天敵たる存在は人しかいなかったからな。
カンザキに蓄積されている古式闘法も、そのほとんどが人を想定したものなのだよ』
「故に、我らには通じず、むしろ足を引っ張る枷となり、そしてあのカミに対しては有効に作用する、か」
『うむ。この他にも、細かな秘技を使用しているだろう。
私では、その全貌を計り知れんのだがな』
人に願われ、人を模した、カミだから。
人を極め、人を超えた、超人には届かない。
「……で、あるならば、奴の次なる行動は予測が付くのぅ」
『まぁ、その通りだな。
この真理に辿り着けば、考える事はただ一つ。
人の殻を捨ててしまうこと』
人であるからこそ追い詰められるのならば、人である事を止めてしまえば、あとは出力差で押し潰せると考えるに決まっている。
そして、それは正解だ。
そうされてしまえば、美影の勝算はほぼ消え失せてしまうだろう。
そんな事は、戦っている彼女自身もよく理解している。
『故に、貴様に提案があるのだがね』
「悪だくみの相談か。まぁ、乗ってやろうぞ」
刹那は、ノエリアの耳に口を寄せる。
『…………、…………』
「ふむふむ。……成る程」
どうせ、美影の相手で手一杯なカミには、こちらの会話に聞き耳を立てる余裕などないとは思うが、念には念を入れる。
悪戯を成功させる為には、サプライズは必要不可欠なのだ。
全てを聞き終えたノエリアは、半目を刹那に向けずにはいられなかった。
「……本当にそうなるのかの?」
『まず間違いなく、な。
あれは、現状では不安定ゆえに、安定を求めてそうするだろう』
刹那は、薄く口の端で笑う。
『実に、与し易し』
「……そこで根拠なく自信満々になれる辺りに、不安しかないのじゃがな。我には」
とはいえ、面白いとは思う。
刹那の予想通りに推移するならば、己はほとんど労力を払わずに済む。
面倒な内輪揉めがさっさと終結するならば、それに越した事はない。
なので、ノエリアは彼の策に乗る気になった。
失敗すれば、非常に厄介な事になる可能性から目を逸らしながら。
彼女は、悪戯の仕込みの為に、魂で繋がった眷族へと、回廊を開く。
空間的に隔離されている神域と現実の間では、かなり高位の空間把握能力がなければ、たとえ穴が開いていたとしても、互いの状況は霧に包まれた様に分からない。
通信一つ、まともに通らない。
常に強力なジャミングがかけられているようなものだ。
ノエリアも、やろうと思えば、ジャミングを貫通する空間把握や念波を飛ばす事は可能であるが、省エネで行きたい欲から、最も確実で最も労力のかからない方法に頼っていた。
『た、たぁすけてぇぇぇぇぇぇ……!!
誰かぁー!
助けてくださぁぁぁぁぁいいいい!!』
「…………何をやっとんじゃ、あやつは」
『あぁ!? そ、その声は……ノエリア!?
ちょ、ちょうど良いところに!
た、助けてください!
お願いっ! ちょっ、もう!
あぶっ!?』
「どうしたどうした、何を慌てておるんじゃ」
自身と繋がっている眷族――永久へと通信を繋げると、途端に泣き言が流れ込んできた。
今の彼女の強度ならば、大抵の輩はそう大層な問題とはならない筈である。
勝てるかどうかはさておいて、永久の命を脅かせる程の脅威とはなり得ない。
だから、こんな悲鳴と泣き言を叫ぶ状況というものに、全く心当たりがなかった。
ノエリアの不理解に、永久は自棄を起こしたように叫ぶ。
『どうもこうも無いですよ!
あいつ! あいつ、やりやがったんですよ!?
最悪! 最悪っ! 最悪ですッ!!
もぉー、素直に帰ってれば良かったですぅー!』
「いやいや、意味が分からぬ。
何処で何をやっておるんじゃ、汝は」
全く内容のない言葉に、ノエリアはますます首を傾げる。
話の聞こえていない刹那は、彼女の様子に、何か変な事が起きているのか、と楽しげに笑っていた。
『あいつですよ! 北の災い! ロシアの馬鹿トカゲです!』
「……ああ、汝、そんな所におるのか。
姉君の救援かの」
『そう! そうそう!
ああ、もう!
双獣がいなくなった時点で、素直に帰っていればこんな事に巻き込まれずに済んだのに!』
「何があったんじゃ?」
『喰いやがったんですよ!』
永久は、ヤケクソになりながら叫んだ。
『あの野郎! 天使を喰いやがったんですッ!!』
「…………ほっ?」
なんだか愉快な事になっているらしい。