愚妹への信頼
引き続き、主人公。
あれ? 主人公の筈なのに、何故、明言しなくてはいけないのか……。
戦火と怒号の行き交う戦場。
血に塗れ、死が常に隣で誘う地獄のようなそこで、しかし悠々と闊歩する姿が一つだけあった。
ノエリアである。
彼女は、米国の艦艇に勝手に乗り込み、一人で欧州西端へと上陸すると、のらりくらりと気ままに目的地を目指して歩いているのだ。
戦場の中に、彼女へと注目する者は誰も、何一つとして存在していない。
人も化け物も、誰も彼もが彼女に見向きもせず、まるでそこにいないかのように無視している。
それは、今現在の姿が単なる猫である事も一つの要因かもしれない。
不思議な色合いの毛並みをしており、ゆらゆらと揺れる羽衣を引っ掻けているが、見た目にはただの猫だ。
だから、敵とも味方とも考えず、どうでも良い物として扱っている、というのも一つの可能性だろう。
だが、真相は違う。
ノエリアが、そのように見せているだけだ。
彼女は、仮にも始祖魔術師と呼ばれ、この三百年もの間、人々に悟られぬままに歴史の裏側で暗躍してきた。
培ってきた隠遁の術は熟練の域に達しており、そこにいると確信した上で目を凝らさねば、誰も彼女へと関心を向けはしない。
同じ領域にいる、例外的怪物を除いて、の話であるが。
「…………」
『む? 貴様、怪猫ではないか。
こんな所で何をしているのかね?』
ノエリアは足を止め、目の前に飛来した浮遊霊を見詰め、深々と溜め息を吐き出した。
「我が何処にいようと勝手じゃろうに。
そういう汝こそ、何故、この様な地におるのかえ?」
『私か? 私は、米国の連中の逆鱗を逆撫でしに来ただけだとも』
「とんでもない事を言い始めたぞ、こやつ」
『瑞穂の者たちは行き掛けに散々にからかってやったのでな。
欧州勢も、先程まで遊んでやっていたのだが、少々、飽きてきてしまってね。
そこで、ふと思いついたのだ。
ここで米国まで相手にしてやれば、見事にコンプリート出来るではないか、とな』
「…………」
ノエリアは、あまりにも酷い思考回路に、半目にならざるを得なかった。
(……なーんで、こんな奴が守護者なんじゃろうなー)
ほとほと呆れるばかりである。
この男――刹那を選んだ星の意思は、何を期待して彼に力を貸しているのか。
実に不思議だ。
とはいえ、そうでなくては、ともノエリアは思う。
己は失敗した。
結局、何も救えず、ほんの少しの嫌がらせが出来ただけで、あとは逃げる事しか出来なかった。
だからこそ、あれでは駄目なのだ。
自分の似姿でしかない〝カミ〟では、失敗する未来しか見えない。
必ずしもそうなると決まった訳ではないが、自分が失敗した時と同じような道を選び続けているあれでは、何も出来ずに呑み込まれる未来しか、想像出来なかった。
故に、ノエリアは反発する。
カミを降し、人の英雄へと託す道を選ぶ。
そして、だからこそ、刹那には期待する。
自分の相似形でありながら、自分とは似ても似つかない彼ならば、あるいは、と。
尤も、その人間性はもうちょっとどうにかならないのか、と思わずにはいられないのだが。
「……あの者たちは、命を懸けて踏ん張っておるのじゃ。
あまり掻き回すような事はしてやるでないわ」
『ふむ。では、適度に掻き回すとしよう』
「そういう事ではないのじゃが……まぁ良いわ」
自分が何を言ってもどうせ聞かない。
そうと諦めたノエリアは、別の話題について彼に振ってみせる。
「……汝、この戦をどう見ておる」
『質問の内容が不明瞭だな。
もう少し、具体的に言いたまえよ』
「分かった分かった。細かい奴じゃのぅ、全く。
……汝の妹は、勝てると思っておるのかと、そう問うておるのじゃ。
どうかの?
あの娘は、カミに勝てると思うのかえ?」
『ふむ』
投げ掛けられた質問に、刹那は腕を組んで暫し黙考する。
暫しの間を空けた彼は、ゆっくりと口を開いた。
『質問を返すのだが、貴様はどう考えているのかね?
我が愛しの愚妹は、果たしてカミ様を滅ぼせると思っているのかな?』
そのまま返された問いかけに、ノエリアは即座に返した。
「1%という所かの、勝率は」
『ふむ。その具体的な内容は?』
「言うまでもなかろう。
あのカミは、完全な我であるぞ。
何が出来て、何処までの力を有しているのか、我にはよく分かる。
そして、あの娘の事も、のぅ。
磨り減った力しか持たず、理性さえも持たない我に、ようやく勝利出来る程度の力では、とても対抗できはしない」
一拍区切り、続ける。
「しかし、あの黒き雷は脅威と言わざるを得ん。
あれがある以上、少なくとも何の対抗手段も無し、という事にはならぬ。
届く刃を一応は持っているが故に、1%だけオマケした、という所じゃな」
ノエリアの具体的な思考を静かに聞き終えた刹那は、その見解に深く頷く。
『うむ、成る程。実に正論だ。
否定する余地はなく、とても冷静な物の見方と言えるだろう』
そう言いながら、彼は否定する。
『しかし、私の意見は違う。
私は、100%勝てると見ているとも』
「……ほぅ?」
全くの正逆な回答に、ノエリアはその獣眼を細める。
彼の真意を見透かそうとする視線に、刹那は軽く笑う。
『ククッ、何かね、その目は。
まさか、私が妹可愛さに贔屓をしているとでも思っているのかね?』
「そうではないと抜かすならば、是非とも御高説願いたいものじゃのぅ」
『ふっ、まぁ良かろう。
誰が聞いているという訳でもないしな』
今現在、二人を意識している者は何一つとしていない。
それは、戦場を行き交う戦士たちもそうだし、天上でカミを気取っている存在も例外ではなかった。
彼らが自らの存在を極限まで薄めているが故に。
だから、刹那は答えを言う。
『私はな、愚妹の事をよく知っている。
何度も襲われ、返り討ちにしてきたからね。
彼女の手の内を完璧に理解している』
そして、もう一つも。
『カミと名乗る輩の事も、よくよく知っているとも。
なにせ、私の中にあったものだからね。
あれのしそうな事など、手に取るように分かるとも』
「…………」
ノエリアは、静かにそれを聞く。
『だからこそ、断言しよう。
カミは愚妹には勝てない。
私にも、貴様にも、この地球にいる何者にもほぼほぼ勝てるであろうが、ただ一人、愚妹だけには勝てないのだ』
「……意味が分からんのぅ。
何故に、我に勝てるモノが、我と互角でしかない者に、確実に負けると言うのかえ?」
『簡単な話だとも。
我が愚妹が、雷裂の天才だからだ』
刹那は、自慢するように語る。
『遥か古より血を積み重ねてきた、最強の血統。
その集大成とも言える、新しい人類へと至った愚妹は、人の勝てるモノではない。
人を極めているが故に、人では勝てないのだよ』
「…………」
『愚妹には、実は苦手とする相手がいる。
私だ。
戦う相手としてな。
その他に、貴様も苦手としている。
あとは、ロシアの龍も、分類としては苦手となるだろうな』
そこまで言って、ふと思い出したという風に付け加える。
『……ああ、最近では炎城の粘体娘も実は嫌っているだろうな』
「……人ではないからか」
『そう、その通り』
ノエリアは、姿こそ人を取っていたが、その本性は精霊、純粋なエネルギーの塊に近い存在である。
ロシアの魔王も、多種多様な生物を取り込み、あらゆる獣の相を持つが故に、もはや人とは言い難い存在となっている。
実際に、彼が戦場に出る際に、人の形を取っていた事はもう百年以上は無かった。
そして、刹那も。
彼もまた、人ではない。
廃棄領域での経験から、人である事への執着を捨てている。
状況と気分に応じて、自らの身体を幾らでも作り替えていた。
不定形生物ショゴスと融合してしまっている永久など、もはや言うまでもないだろう。
『私たちはな、人ではないからこそ、愚妹に勝てるのだよ。
力の大小の問題ではない。
人を極めるという事は、そんな事で対抗できるレベルではないのだ』
化け物だからこそ、人の天才に勝ち得る。
化け物だったからこそ、人の天才を苦戦させ、返り討ちにする事が出来た。
『あのカミ様は、所詮は人のカミ気取りでしかない。
故に、人の究極には届かない』
刹那は、呵呵と笑う。
『愚妹も拍子抜けする事だろう。
せっかく気合いを入れて臨んだというのに、あまりにも敵が敵足り得ないのだから』
「…………言わんとする所のほとんどは理解できぬのじゃが……」
人か化け物か、それがそれ程に重要なのかと、理解の及ばないノエリアは思う。
それでも。
それでも、これ程に明確に断言するのだ。
理解は欠片も出来ないが、納得くらいはしておこうと思えた。
「勝てるのじゃな?」
『無論。
でなければ、こんな所で余裕ぶっこいてなどいない。
これでも、私は家族愛に溢れているのでね』
「……これまでの言葉の中で、最も説得力のある台詞じゃの」
呆れながらも、彼の言葉を信じて、ノエリアは先を急ぐ事にした。
出遅れた結果、せっかくのハイライトを見逃しては敵わない、と、そんな事を思いながら。
あ、予約投稿ミスっとる。
ま、まぁ、ええか。