雷裂の基礎技能にして奥義
シリアス? 良い奴だったよ。
「ふふふっ、入り込まれちゃったねぇ~」
西からは米国が、東からは瑞穂が、それぞれに欧州へと攻め込んでいた。
エメリーヌの子供たちと兵士たちが協力して対応しているが、その成果はいまいち芳しくない。
彼らの損失を一切考えない様な壮絶なまでの進軍は、欧州側にとってはあまりにも不可解でもあった。
神に帰依するのは当たり前であり、そこに反旗を翻す敵勢は、彼らの理解から遠く離れた場所にいるのだ。
ましてや、頑なになって反抗するなど、実に馬鹿馬鹿しい。
突然に知能が下がって、揃って猿並みになったとしか思えなかった。
ここまでの強行軍を仕掛けてくるとはまるで思っていなかったが為に、少々、欧州勢の対応は後手に回っていると言わざるを得ない。
とはいえ、本陣近くまで迫られる事を考慮していなかった訳ではない。
相手となるのは、魔導先進国として名を連ねる瑞穂と米国の二国なのである。
両国が本気で戦争を仕掛けてくれば、苦戦を強いられる事は間違いない。
特に米国など、大西洋を挟んでいるだけの隣国とも言える。
ロシア神聖国や中華連邦を挟んでいる瑞穂に比べれば、彼らの手が届く可能性は、充分に警戒しなければならない事だろう。
だから、今の状況は、少しばかり不利になっただけで、決して予想外な展開ではなかった。
「そろそろ、うちの兵たちにも本気を出させる頃合いだねぇ」
現状、決死とも言える猛攻を前にして、数で圧倒しているにもかかわらず、大きく押し込まれている。
故に、この辺りで、士気の上でも、質の上でも、敵勢を上回らせてしまおうと、フランス皇帝は微笑を浮かべて呟いた。
彼がいるのは、特別に建設された露天コンサートホールだ。
露天であるが為に、音響の調整が非常に大変な代物なのだが、現在の欧州が保有する戦力事情では、多少の手間を許容してでも建設する価値のある施設であった。
舞台上には、巨大なパイプオルガンが一体化するように設置されている。
それ一台で、あらゆる楽器の、あらゆる音階を奏でられるという、特殊魔術デバイス《無限鍵盤》である。
それを使うのは、当然、欧州の最年少魔王の少年だ。
銀色の髪を整えた彼――マクシミリアン・レクラムは、燕尾服を纏って《無限鍵盤》の前で精神集中をしている。
そして、舞台上にいるのは、彼一人ではない。
彼を取り巻く集団。
年齢層は様々だ。
老体から年少まで、男性もいれば女性もいる。
髪色に統一感はなく、全八種、全ての色合いが入り交じっている。
しかし、その割合はほぼ同じように見られた。
《聖歌隊》。
マクシミリアンの能力を研究し、最大限に威力を発揮させる為に特別に編成された、歌い手集団である。
彼らの歌声は魔力を帯び、マクシミリアンの奏でる音楽に乗って欧州全域へと広がる。
そして、同属性の魔力と呼応し、《魔奏曲》による恩恵を最大にまで高める事が出来る。
その上昇率は、実験において馬鹿げた数値を叩き出しており、一般兵士たちが準魔王クラスの力を発揮してしまったほどだ。
まさに、欧州が持つ最大の切り札と言えるだろう。
「魔王が奏で、彼らが歌う」
勝利をもたらす最高のコンサートに、期待を込めた笑みを浮かべて、ヴァレリアン皇帝は歌うように言葉を紡ぐ。
ただの独り言だ。
だが、それに続く言葉が、何故かあった。
『そして、私が華麗に踊る!』
頭の中に直接響くような、不快な声。
ヴァレリアン皇帝の幻聴などではない。
見れば、舞台上の者たちも、驚愕と警戒心を顕わにして周囲へと視線を巡らせていた。
「誰だッ! 何処にいる!」
警備していた者が、誰何の声を上げる。
それに応えるように、そいつは現れた。
『ふっ、問われては仕方ない。
どうも、皆さま! 初めまして!
私、通りすがりの無害な浮遊霊です!
こんにちは!』
舞台の中心から、床をすり抜けて半透明な人型が、堂々と現れて言った。
スーツを着た、隻眼の青年だ。
顔の造形からして、アジア系だと思われる。
一見して、国籍までは判別できなかったが、今の状況で中華連邦からの使者とは思えなかった。
ほぼ確実に、瑞穂からの刺客だとこの場にいる誰もが判断する。
「攻撃ッ!」
聖歌隊の面々が充分に退避した瞬間を狙って、警備隊からの攻撃が雨あられと舞台へと降り注いだ。
『ふははははっ! 無駄無駄無駄ぁ!』
半透明なそれは、躱すでも迎撃するでもなく、大きく両腕を広げて、全身でそれらの攻撃を受け止めていた。
粉塵に包まれる舞台。
風が流れて、すぐに視界が晴れる。
そこには、砕けた舞台と何事もなかったかのように佇む青年の姿があった。
『その程度の攻撃で私を排除しようなどとは、片腹大激痛だな。
もう少し、ユーモアを学んでくる事だね』
勝ち誇るように言う彼の背後に、一つの影が立つ。
「じゃあ、こんな攻撃なら……どう!?」
マクシミリアンだ。
後方支援に特化した能力を持っているとはいえ、最低限の自衛能力くらいはある。
仮にもSランクの魔術師なのだ。
その力は、最低限程度であっても、並の魔術師とは一線を画すものであった。
幻属性の魔力が、舞台上で炸裂する。
物理的な破壊力をほぼ持たない魔力であるが故に、派手な演出はほとんど無いに等しい。
大魔力の炸裂によって、僅かに見る者の魔力探知能力が麻痺した程度だ。
だから、一瞬の内に起きた事がよく見えた。
幻属性の大魔力は、特に魔術による指向性がなくとも受けた者の精神を揺さぶる効果が発生する。
それが魔王級の魔力ともなれば、無防備に受け止めれば、それだけで廃人となる程の危険性を持ったものだ。
対策をしている者ならば、あるいは無暗矢鱈と精神が強固――図太いとも言う――な者ならば、耐えきる事も出来るだろう。
それでも、完全に無効化できるものではなく、多少の不快感や短時間の気絶などの影響は出るだろうが。
だから、マクシミリアンが背後を取り、至近からその魔力を浴びせかけた事で、誰もが勝利を、異物の排除を確信した。
だというのに。
『だから、無駄だと言っているだろうに。
君達には、やはりユーモアが足りていないようだね』
特に何事もなかったように、平然とそいつはいた。
「馬鹿な……」
直接的な戦闘技能に長けていないマクシミリアンは、あまりにも予想外な結果に、つい茫然自失となってしまった。
そいつが、彼に向けて手を伸ばす。
そうする事で、ようやく我に返ったマクシミリアンは、全力で距離を取る。
『ふむ。まぁ、和装ロリよりはマシという所か』
離れた所で警戒心から厳しい視線を送る彼を見ながら、そいつは呟いた。
暴れる様子はない。
そうである為に、警備隊の陰に隠れていたヴァレリアン皇帝は、言葉を投げかけてみた。
「君は何者かな?」
『ふっ、名乗る程の者ではないさ』
気取ったように髪をかき上げながら言い放つ。
一瞬にして、皇帝の苛立ちが急上昇した。
「……それはこういう時に言うセリフでは、無いと思うのだけどね」
『そうかね?
とはいえ、名乗る名がないのも事実。
まぁ、先程も言った通り、通りすがりの無害な浮遊霊さ』
「邪魔をしておいて?」
『邪魔とは何かね。
不完全な芸術に一味付け加えるべく、この私が華麗なダンスを披露してあげようというのに』
パン、と手を叩いて一回転し、指を一本立てて天に掲げたポーズを取る。
『It’s show time!』
「やれ。やってしまえ」
青筋を立てた皇帝が命令を下せば、再度の全力砲火が彼を襲った。
しかし、やはり彼はそれらを全身で受け止めながら、高笑いを零す。
『ふははははっ! 無駄だな!
あまりにも貧弱極まりない!』
無事な姿を見せる彼に、全員が不気味な物を見る目を向けていた。
これだけの砲火を生き残る事が不気味なのではない。
それくらいならば、名だたる魔王たちならば当たり前の様に出来るし、何ならばある程度巧みで力のある魔術師でも可能だろう。
だが、こいつは、何もしていないのに生き残っている。
まるで全ての攻撃がすり抜けているかのようであった。
『ふっふっふっ、その顔、不思議で不気味で堪らないという顔だね?
何故、攻撃が効かないのか。
とてもとても疑問に思っているね?』
「…………」
『自信の無い凡人ならば秘密にするのだろうが、私は違う。
自信たっぷりな私は、君たちに自慢をしてやろう』
そして、彼は謳うように告げる。
『今の私は如何なる攻撃も出来ない代わりに、如何なる攻撃も受け付けないのだ!
これがどういう意味か、分かるか!? 分かってくれるかね!?
そう、やりたい放題という事だ!』
「……成程、確かに無害だね、それは」
『ふふふっ、理解したようだね。
これはこれで便利な物だよ。
普段は色々と差支えがあるので我慢しているのだが、何も出来ないおかげで我が愛しの愚妹のあられもないシーンを、存分に堪能する事も出来たからね』
新しい一面も垣間見られたしな、と彼は呟く。
意味は分からないが、敵対存在ではあっても脅威ではないらしい。
正直、煩わしいので早々に消えて欲しいが、何も出来ない以上、気まぐれに立ち去る事を待つしかないだろう。
ヴァレリアン皇帝は、無言で周囲の人間たちに指示を出す。
気にせずに続けろ、と。
それに従い、チラチラと横目で浮遊霊を気にしながらも、マクシミリアン以下聖歌隊の面々も舞台上で準備を整え始めた。
そうすると、何を思ったのか、浮遊霊は舞台を降りて、観客席のヴァレリアン皇帝の隣へと移動してくる。
皇帝は、嫌そうな顔を隠しもしない。
警護の者たちは、不審者が近付く事を許容できないらしく、殴ったり蹴ったり、魔術を放ったりと、なんとか浮遊霊を排除しようとするが、やはり効果がない。
何の手応えもなく、全てすり抜けるだけだった。
「……何の用かな?」
『いや、どうにも私のダンスはお気に召さない様なのでね。
趣向を変えてみようかと。
ふふふ、私は空気の読める男なのだよ』
本当に空気が読めるなら、とっとと消えろ、と誰もが思った。
そんな空気を無視して、浮遊霊は言う。
『彼が音楽を奏で、彼らが歌を歌う』
次いで、彼は己を指差し、キメ顔で宣言した。
『そして、私が外野で野次る!』
「野次るな! 帰れ!」
遂に苛立ちが限界を迎えたヴァレリアン皇帝は、自らの手で浮遊霊に暴力を振るった。
しかし、効果はなかった。
なんとなく時間稼ぎに成功している、浮遊霊――雷裂刹那の人知れない活躍であった。
特に本人の意図している所ではないが。
真面目に生きられない血筋なもので。
こいつは直系じゃないけど、精神的にはかなり継いでいます。