還る心
「……そろそろ到着だね」
「美影ちゃん」
マジノライン三式の操作室の扉が開き、気怠そうにした黒い少女が入ってくる。
美影だ。
その姿を認めた美雲は、彼女に言葉を投げ掛けた。
「もう良いの?」
「良くないよ。全然良くない」
色の抜け落ちた無に近い表情で、彼女は端的に答えて返す。
「でも、もう限界だからね」
「……そうね」
欧州は、もう目前だ。
作戦の関係上、美影は最奥での決戦に備えて温存しておかねばならないし、彼女自身も撃ち込まれる為に備えておかねばならない。
だから、タイムリミットだった。
ずっと、精神干渉を解いてから、美影は一人で牙を研ぎ澄ませていた。
彼女の助力と言えば、久遠に渡した黒槍一本だけ。
それも、事前準備の段階で、美雲が弾丸に封じ込めていた物であり、開戦して以降は本当に静かにしていたのだ。
全ては、神を僭称する輩を撃滅する為に。
おかげで、今の彼女は鋭く研ぎ澄まされているが、それでも勝算はそう高くないだろう。
なにせ、相手は刹那と同じだけの力を持っているのだ。
そう簡単に行く相手とは、間違っても思えない。
「ぶっちゃけて訊くんだけど、勝率はどれくらいと思ってる?」
「……二割くらいかな」
「あら、意外と高かったわね」
美雲としては、もっと低いと思っていた。
弟と妹の争いは、いつも側で見ている。
勿論、お互いに本気ではない、じゃれ合いの範疇での攻防でしかないが、それでもその中で美影が上に立てていた事は一度も無かった。
だから、正直、1%も勝算は無いと思っていたのだ。
だが、その予想に反して、美影は五回に一回は勝てると言っている。
こういう所で嘘や虚勢を張るような娘ではない事は、美雲はよく知っていた。
だから、これは本当にそれくらいの勝算があっての言なのだろうが、随分と大きく出たものだと思う。
「まぁ、大丈夫よ。
さっき連絡があったんだけど、お父さんとお母さんも出場しているみたいだから」
「父と母が? 何してんの?」
「さぁ? 知らないわ。でも、きっと陸でもない事よ。邪魔だから諸共にぶっ飛ばして良いかって連絡だったし」
勿論構わない、と即座に返した娘であった。
どうせ、なんだかんだで生き残ってくるだろうし。
「……だろうね」
言葉少なく、普段の天真爛漫さを一切見せない美影は、姉の言葉に頷く。
「じゃあ、こっちも準備しましょうか」
「うん。お願い」
姉妹のやり取りを側で見ていた雫は、彼女のその異様さに身震いしていた。
何が、と、はっきり言えないのだが、とても怖かった。
今の美影を見ていると、まるで人間ではない何かを見ているようで、根拠のない不安と恐ればかりが心を満たしていく。
それ程に、今の彼女の纏う雰囲気は異様だった。
闘志に溢れている訳でもなく、殺意が迸っている訳でもない。
何らかの使命感もなければ、あるいは想い人を取り戻そうという覇気もない。
ただ静かで、明確な意思という物を感じさせなかった。
まるで、まるで天変地異が人の形を取っているような、目的も目標も無く、ただひたすらに暴れ回る暴虐がそこにあるような、そんな気持ちになるのだ。
「あっ、ミカ……」
マジノライン三式を自動操縦に設定した美雲を伴って、退出しようとする自分よりも小さな背中に、雫はつい声をかけていた。
「……何?」
己を呼ぶ声に、美影は首だけで振り返る。
そこには、やはり、いつものふざけたような笑みはない。
何も見ていない。
誰も眼中に映していない。
そんな冷徹な表情が、そこには貼り付けられていた。
これが本性なのだと、視線を向けられた雫は、直感的に悟る。
雷裂美影という生物の本質。
何人も追い付く事を許さない、天は自らの上に人を創らずと傲岸不遜に言い放つ、才媛。
鬱陶しく絡んでくる普段とは、あまりにも違う表情と視線に、雫は我知らずに喉を鳴らした。
「あっ、あー、えと……が、頑張りやがれ……です」
「うん」
何を言おうと思って声をかけたのか、自分でもよく分からなくなった雫は、尻すぼみに消える応援を送っていた。
美影は、それに短く返して、退室して消える。
雫は、いつの間にか、胸に溜まっていた息を、安堵と共に深く吐き出したのだった。
~~~~~~~~~
マジノライン三式は、最後の疾駆を見せる。
天上からの逆落とし。
昇れる所まで昇った鋼の蛇は、真っ逆さまに落ちていく。
重力を味方に付けて、自壊も辞さない最大加速にて大地に向けて突進した。
音速突破による水蒸気のラインをたなびかせて空を駆け降りる姿は、まさに一本の流星のようだった。
化け物たちで構成した、強固な防衛ラインは、それに向けて数多の攻撃を放つ。
回避行動は取らない。
もはや限界を迎えているそれは、ここからの旋回行動に耐えられないから。
だから、真正面から、装甲と速度で広がる弾幕を受け止め、強引に突破した。
幾つもの装甲が砕けて脱落し、内部機構が破損していく。
それでも止まらない。
止められない。
自分でさえも。
加速しきった大質量という、単純明快な暴威は、生半可な事では押し返すことなど出来やしない。
鋼鉄の流星が、肉の壁へと激突した。
化け物たちの骨と肉を轢き砕きながら、流星は大地に最期の轍を刻み込む。
慣性の勢いだけで、数百kmもの距離を稼ぎきった流星は、ようやくその勢いを消費しきり、完全に停止した。
各所から火と煙を吐き出しており、今にも爆散してしまいそうな姿は、悲壮感を抱かせる程に酷い有り様だった。
だが、その力走に助けられてきた者たちは、惜しみ無い感謝を捧げる。
この姿は、我々が受けるはずだった物を変わって受け止めた結果だ。
これが無ければ、この姿を晒していたのは、自分たちである。
ありがとう。
此処からは自らの足で進もうと、彼らは外へと躍り出る。
彼らは、惜しみ無い感謝を捧げ、
「二度とこんな電車になんか乗らねぇかんなぁぁぁぁぁぁぁぁ!!」
嘘偽り無き心からの罵倒を叫びながら、瑞穂の戦力が、今、欧州の中へと侵攻を果たしたのだった。