アイス・アーティスト
大気圏上層部。
上を見上げれば、青空ではなく、宇宙の黒が見えてしまう、もはや大気圏と宇宙との境目とさえ言える高度に、一つの航空機が飛んでいた。
ステルス性を追求した、小型の無人操縦爆撃機である。
旧時代の兵器の一つであり、物持ちの良い博物館の奥で死蔵されていた物だ。
現存するものでは、最後の一機である。
わざわざそれを引っ張り出してきた理由は、まさにそのステルス性を期待しての事だった。
現代において、通常動力を用いた兵器は、ほとんど用いられていない。
それは、凄惨を極めた三次大戦によって、ある種のトラウマが人類文明に深く刻まれたが故である。
ノエリアによって魔術の有用性と使用法が拡散した事もあり、人々の目は科学文明から魔導文明に向かっていった。
技術とは継承が命である。
ある程度の復興が成し遂げられ、人類の中から科学文明への忌避感が薄れ始めた頃には、当時の最先端技術の大半がロストテクノロジーと化していた。
なんとか復活させようという動きはあるものの、発達した魔導文明に代替する程の効率が望めない事もあり、再研究は遅々として進んでいない。
この小型ステルス爆撃機も、そんな失われた技術の結晶と言えた。
魔力を一切使用しない純粋科学兵器は、現代においては盲点となる。
加えて、当時でさえ先端技術を用いたステルス性は、現代にて再現されたレーダーでは、捉えきれるものではない。
ほぼ確実な先手を取る事の出来る、非常に有効な貴重品だった。
それが、遥か高みを飛ぶ。
入力された地形図に従えば、イギリス本土の上空に当たる筈だが、それが本当にそうであるかは分からない。
なにせ、眼下は一面が真っ白に染まっているからだ。
雲海……ではない。
全てが霧である。
生命を拒絶する濃酸の魔霧だ。
この様な高度までは届いていないと判断されての作戦だったが、それでもかなりギリギリだ。
あと少し高度を落とせば、たちまち霧の中に飲まれて溶かし尽くされてしまうだろう。
まともな人間の感性であれば、あまりの威容に恐怖の一つも覚えただろうが、感情無き機械はそんな事を考えない。
ただ、入力された命令に従って、忠実に動くだけである。
そして、爆撃機はやがて目的座標に到達する。
ここまで、何の邪魔も入っていない。
思惑通りに敵方には気付かれていないのだろう。
軋みを上げながら、ゆっくりとウェポンベイが開かれる。
なにせ二百年も前の骨董品なのだ。
使う予定もなかった品物である以上、充分な整備がされている訳もない。
応急処置的に特急で整備が行われたが、時間もない為、最低限、用を果たせば良いという手抜き具合だ。
錆び付きや部品の緩みなど、不安要素は数え上げればキリがない。
そんな実に恐ろしい動きながらも、幸いにもしっかりと開き切り、中身を零し始める。
爆撃機である以上、当然だが、それは幾つもの爆弾であった。
直径一メートル足らずの弾頭が、次々と投下されていった。
その数は、機体が小型という事もあり、二十にも届かないだろう。
核でも搭載しているのならばともかく、通常弾薬では、都市一つ焼き払う事も出来ない数だが、それで充分だった。
霧の結界を前にして、あまりにも頼りない礫は、白の大天幕の中に吸い込まれて見えなくなる。
全ての任務を果たした爆撃機は、ウェポンベイを閉じようとし、しかし何処かで引っかかったのか、半端に広げたまま、機首を反転、北米大陸に向かって進路を取った。
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濃霧に落とされた爆弾たちだったが、あまりの酸度に耐えられず、ドロドロに溶け始めていた。
その勢いは凄まじく、地表に届く前に完全に機能を失ってしまうだろう。
魔力を有していないとはいえ、霧の中に入ってしまえば、その主であるアレンには手に取るようにその存在を把握できる。
彼は、すぐさまに投下された爆弾を察知したが、溶解している様子から脅威足りえないと放置していた。
確かに、その通りだ。
このままの調子ならば、わざわざ迎撃するまでもなく、勝手に無力化されるだろう。
たった一つの例外を除いて。
無駄な労力を嫌った彼の判断が、結果として負の連鎖を引き起こす切っ掛けとなった。
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弾殻が溶かされ、内部が露出され始める。
詰め込まれた爆発物までもが溶解し始め、その機能を失っていく。
異変は、その内の一つから起こった。
「……頃合いですわね」
本来であれば、爆発物が詰められている筈の場所に、一人の少女がいた。
爆発物などよりも、よほど危険な力を有した人型兵器である。
薄青い髪を持つ彼女は、弾殻が突き破られ、外気が入り込み始めた時点でこれ以上の隠密は不可能だと悟った。
元々の想定では、もっと以前に撃墜されている可能性さえもあったのだから、ここまで無事に侵入できただけ御の字と言えよう。
それもこれも、高天原でこき使われている内に養われた技能のおかげだ。
違反生徒の取り締まりの為に、魔力を末端に至るまで操る術を身に付けた。
それが、彼女に足りていなかった魔力操作技術を、大きく鍛えており、この様な隠密作戦も可能とさせたのだ。
少女――《蟹座》リネット・アーカートは、押し殺していた魔力を、一気にフルスロットルまで持っていく。
放出された魔力は冷気となり、周囲の全てを容易く氷結させていく。
それは溶けかけた弾体もそうであり、そして何よりも酸霧さえも、例外ではない。
腕を振る。
それだけで焼き菓子のように脆く破砕する。
飛び出したリネットは、一気に地表を目指して落下していく。
酸霧は届かない。
酸性とはいえ、所詮は水である。
彼女の発する冷気に触れれば、たちまち凍り付くしかない。
まだ見えないが、下方からは絶大な魔力を感じる。
位置からして、ほぼ確実に《ミスト》アレンであろう。
彼の無力化、それが出来なくとも、霧を維持する余裕を無くしてしまう事が彼女に課せられた任務である。
彼我の差は絶大である。
魔力量は元より、経験値もまるで違う。
リネットには、美影の様に、それらの差を覆すだけの才覚はない。
そんな事は、自分でよく分かっている。
だからと言って、出来ません、と言う事も出来ないし、言うつもりもない。
リネットならば出来ると、略式であれ《ゾディアック》の一席を与えられ、任務を言い渡されたのだ。
ならば、新たな魔王として、その期待に応えるまでである。
「氷結形成――」
手を合わせ、頭の上に振り被る。
周囲に満ちた水気、霧の粒子から支配権を奪い、自らの武器とする。
頭上に形成されるのは、巨大な直方体。
一辺が三十メートル程、全長に至っては百メートルを超える、氷の戦槌が造り出される。
彼女の性質を象徴するように、その表面には、精緻な芸術的紋様が刻まれていた。
「挨拶ですわ! 受け取って下さいまし!」
一切の手加減なく。
リネットは、思い切りそれを投げ落とした。
数秒後。
実に痛快な大破砕の音が響き渡り、彼女にとって初めての戦争の幕開けとなったのだった。
ふと思い出した、没会話集。
愚妹「ねぇ、お兄が無能だったら、僕たちって何? ゴミ? 虫けら?」
賢姉「そうねぇ~。私としては、虫の方が良いかしら」
愚妹「提案しといてなんだけど、何で?」
賢姉「だって、生き物じゃない。ゴミよりは上等な気がするわ」
愚妹「あ~、そういう……」
賢姉「美影ちゃんは違うの?」
愚妹「うん、僕はゴミの方が良い。リサイクルすれば、もっと良さげに転生できそうだし」
賢姉「前向きねぇ~」
刹那と永久が対面して無能と貶されるシーンを入れようと思っていたんですけど、なんか流れてしまった結果、生まれる事が無かった雷裂姉妹の会話です。